ミナト

「はやかったね」

 部屋に入ると、窓際で外を眺めていた彼が、こっちを向いた。微笑む頬のラインを陽射しがふちどっていて、綺麗だった。

 本棚が壁一面に並んでいて、落ち着いた部屋だ。

 彼はあたしをゆっくりと眺めて、それから、こういった。

「ようこそ『ほし』へ」

 ぎゅっと、おなかの辺りを誰かに締め付けられたような感覚があった。ふう、と息を吐いてそれを逃がす。

「知って、いるの?」

 そしてこの言い方。彼はホクトくんではないんだ。

「軍が騒いでいたから、なんとなくね」

「そっか」

 ドキドキと心臓がまたうるさいけれど、でも、どこかで頭は冷えている気がする。興奮と、冷静が、同じ温度で混じり合っているみたいな変な感覚。

 あたしはゆっくりと、笑顔を作った。

「あたしは、ナナセ。地上に住む『待つ者』。でも、生まれは『救う者』みたい」

「――君が」

 男の子がその夜色の目を丸くした。その目の奥に映るあたし自身を見ながら、続けた。

「あなたは――『M』、だね?」

 あたしの言葉に、男の子はすうっと瞳を細くして。二回ゆっくりと瞬きをした。

「驚いた。……ラジオ、聞いている人が、居たんだね」

 ――肯定の言葉に。

 あの、いつもの夜の優しい声が重なって。

 どうしてかな。気がつくとあたしは、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしていた。

「……聞いてるよ。毎晩、聞いてる。ラジオを聞くために、一日生きて、なんとか、って、がんばったりも、したんだよ」

「そっか」

「……救われてたんだと、思う」

 あの十分に。優しくささやかれる『だいじょうぶtoi toi toi』に。あたしは、そう、救われていた。

 そっと、男の子が――『M』が近づいてくる。そろそろと伸ばされた手が、あたしの頭に乗った帽子に、ポンッと置かれた。ぽん、ぽん、と何度か、あやすように叩かれる。

「ふふ……あり、がとう。ねえ、あなたは何者……?」

「ん。――ぼくは、ミナト」

「ミナト」

 Mの本当の名前を確かめるように舌先で転がして、あたしは頷いた。

「ぼくは――『ほし』からの脱出を望むもの、だよ」

 そう微笑んだミナトは、いつだったかのホクトくんによく似ていて。

 本当の本当に、よく、似ていて。

 あたしは一度だけ目を伏せてから、顔を上げた。

「ミナトくん。あたし、あなたに聞きたいことが山ほどあるの」

 ミナトくんに、あたしはひとつずつ質問を重ねていった。

 この『ほし』の真実。どうしてラジオをしているのか。誰に向けてだったのか。それから――ホクトくんのこと。

 一気に全部ぶつけて、それからミナトくんの言葉を待った。ミナトくんはすこしずつ確かめるように聞こえないくらいの声で、あたしの質問を繰り返して、それから微笑む。

「簡単なところからいこうか。ここのことなら。アーカイブがあるよ、VRの」

 そっと、近くの本棚に寄ると、一冊本を選んでミナトくんが差し出す。

 開いた本の上に、ホログラム画面が浮き上がる。どうやらそれに触れるとVRが起動する仕組みらしい、けれど。

 少し迷ってから、あたしは首を振った。

「先に……仲間を、呼んでもいい?」

「仲間?」

「そう。ここに来たのは――本当にここに来たかった子が、いたからなの」

 あたしは、ホクトくんがいなければ来ようとなんて思っていなかった。シンはあたしが来るなんて言ってなかったら、来ていなかった。

 真実をあたし一人が知るのは、ずるいと思う。

 ……逃げるようにひとりになったあとで、呼んでいいのかどうかは分からないけれど。

 でもきっと、シンとホクトくんなら。……許して、くれる気がする。

「そう、なら。いいよ。呼べる?」

「うん。――マオ・マオ?」

「ハイハイ」

 呆れたようにマオ・マオが笑って、それからホクトくんとシンに通信を入れてくれた。居場所のGPSも送ったらしい。……どうやら歩きながら、簡単に地図も作成したらしい。つくづく、抜け目のないロボット・ドッグだと思う。

 だからかな。わりとすぐに、ホクトくんたちがやってきた。……あたしたちがいる部屋の、窓の外に。

 ホクトくんは当然ながら、シンもこっちをみて、ただただ目を見開いて絶句した。

 フライボードから飛び降りたホクトくんが、かたまった顔のままで部屋の床に降り立った。そのまま無造作にあたしの腕をぐいっと引いてくる。

 ぽす、と、意外と大きいホクトくんの腕に抱え込まれる

「何者だ」

 かたくうわずった声は、でもやっぱり、ミナトくんと同じ響きを持っている。それに、ミナトくんも気づいたんだろう。驚いたようにそっと、自分の喉に手をやった。

「そうか、君が」

 ホクトくんと同じ声が、ミナトくんの口から漏れる。あたしを抱きしめるホクトくんの腕が震えているのが分かった。

「お前……M、か?」

「そう。――そうか、君もラジオを?」

「……一度、だけ」

 絞り出すように、ホクトくんが喉を震えさせる。ミナトくんはどこかさみしそうな顔で微笑んでいる。同じ顔で、違う表情で。同じ声で、違う響きで。

 二人が向かい合って、言葉を交わしている。

 ホクトくんとミナトくん。どう考えたって名前も似ているし、顔も身長もほとんど同じだ。考えられるものは、何か。双子、か。あるいは、クローンのようなものか。

 それが『ほし』と『地上』に分かれていたんだとしたら、あまりいい意味はなさそうだ。

 睨むようなホクトくんの視線を、そっと受け流すようにミナトくんが窓の外を見上げる。

 ぞっとするほど、いい天気だ。

「――それはそれとして、お前いつまでナナセ抱きしめてんの」

 低い声はシンだった。見上げていたホクトくんの顔が、一瞬で赤く染まった。ホクトくんが慌ててあたしを押すように身を離す。

「わ、るい」

「ううん、だいじょうぶ」

「ふふっ」

 笑い声は、ミナトくん。一度閉じていた本を、もう一度開く。

 青いホログラムが浮かび上がる。

「君たちは真実を知りたい? じゃあ、見ておいで。ここの現実を」

 その言葉に、あたしとシンとホクトくんは顔を見合わせた。足下にいたマオ・マオをまた抱き直して。あたしたちはゆっくりと、ホログラムに手を伸ばした。

 風が吹いた。凍えるほどに冷たい風。

 あたしたちは、夜空に浮かんでいた。足下の頼りなさに、VRだとは分かっていたけれど不安になる。

「だいじょうぶ」

 シンが、いた。手を握ってくれて、少しほっとする。匂いはしない。ただ、寒さは感じる。目が慣れてくると、眼下に街並みが見えた。あれは――地上?

『雨が降る』

 誰かの声がした。

『よけなければ』

『雨が降る』

『どうやって』

 音声が乱れて聞き取れない。

『傘が』

 誰かが、思いついた、と言うように叫んだ。

『傘が、いる』

 ガァンッと頭を割るような音が響く。つられて顔を上げると、そこに見えたのは。

「『ほし』……か」

 シンが呟く。そう。あたしたちがいつも見上げていた『ほし』がそこにあった。

 でもそれは、いつものように優雅には見えなかった。

「――まって!」

 思わず、勝手に喉から声が漏れていた。

 あたしの叫びなんてかけらも届かない。容赦なく、雨は。

 どこからともなく降ってきたたくさんの、大きな、石で出来た雨粒は。

『ほし』を殴りつけていった。冷たい風が、吹いていた。

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