ミナト
★
「はやかったね」
部屋に入ると、窓際で外を眺めていた彼が、こっちを向いた。微笑む頬のラインを陽射しがふちどっていて、綺麗だった。
本棚が壁一面に並んでいて、落ち着いた部屋だ。
彼はあたしをゆっくりと眺めて、それから、こういった。
「ようこそ『ほし』へ」
ぎゅっと、おなかの辺りを誰かに締め付けられたような感覚があった。ふう、と息を吐いてそれを逃がす。
「知って、いるの?」
そしてこの言い方。彼はホクトくんではないんだ。
「軍が騒いでいたから、なんとなくね」
「そっか」
ドキドキと心臓がまたうるさいけれど、でも、どこかで頭は冷えている気がする。興奮と、冷静が、同じ温度で混じり合っているみたいな変な感覚。
あたしはゆっくりと、笑顔を作った。
「あたしは、ナナセ。地上に住む『待つ者』。でも、生まれは『救う者』みたい」
「――君が」
男の子がその夜色の目を丸くした。その目の奥に映るあたし自身を見ながら、続けた。
「あなたは――『M』、だね?」
あたしの言葉に、男の子はすうっと瞳を細くして。二回ゆっくりと瞬きをした。
「驚いた。……ラジオ、聞いている人が、居たんだね」
――肯定の言葉に。
あの、いつもの夜の優しい声が重なって。
どうしてかな。気がつくとあたしは、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしていた。
「……聞いてるよ。毎晩、聞いてる。ラジオを聞くために、一日生きて、なんとか、って、がんばったりも、したんだよ」
「そっか」
「……救われてたんだと、思う」
あの十分に。優しくささやかれる『
そっと、男の子が――『M』が近づいてくる。そろそろと伸ばされた手が、あたしの頭に乗った帽子に、ポンッと置かれた。ぽん、ぽん、と何度か、あやすように叩かれる。
「ふふ……あり、がとう。ねえ、あなたは何者……?」
「ん。――ぼくは、ミナト」
「ミナト」
Mの本当の名前を確かめるように舌先で転がして、あたしは頷いた。
「ぼくは――『ほし』からの脱出を望むもの、だよ」
そう微笑んだミナトは、いつだったかのホクトくんによく似ていて。
本当の本当に、よく、似ていて。
あたしは一度だけ目を伏せてから、顔を上げた。
「ミナトくん。あたし、あなたに聞きたいことが山ほどあるの」
★
ミナトくんに、あたしはひとつずつ質問を重ねていった。
この『ほし』の真実。どうしてラジオをしているのか。誰に向けてだったのか。それから――ホクトくんのこと。
一気に全部ぶつけて、それからミナトくんの言葉を待った。ミナトくんはすこしずつ確かめるように聞こえないくらいの声で、あたしの質問を繰り返して、それから微笑む。
「簡単なところからいこうか。ここのことなら。アーカイブがあるよ、VRの」
そっと、近くの本棚に寄ると、一冊本を選んでミナトくんが差し出す。
開いた本の上に、ホログラム画面が浮き上がる。どうやらそれに触れるとVRが起動する仕組みらしい、けれど。
少し迷ってから、あたしは首を振った。
「先に……仲間を、呼んでもいい?」
「仲間?」
「そう。ここに来たのは――本当にここに来たかった子が、いたからなの」
あたしは、ホクトくんがいなければ来ようとなんて思っていなかった。シンはあたしが来るなんて言ってなかったら、来ていなかった。
真実をあたし一人が知るのは、ずるいと思う。
……逃げるようにひとりになったあとで、呼んでいいのかどうかは分からないけれど。
でもきっと、シンとホクトくんなら。……許して、くれる気がする。
「そう、なら。いいよ。呼べる?」
「うん。――マオ・マオ?」
「ハイハイ」
呆れたようにマオ・マオが笑って、それからホクトくんとシンに通信を入れてくれた。居場所のGPSも送ったらしい。……どうやら歩きながら、簡単に地図も作成したらしい。つくづく、抜け目のないロボット・ドッグだと思う。
だからかな。わりとすぐに、ホクトくんたちがやってきた。……あたしたちがいる部屋の、窓の外に。
ホクトくんは当然ながら、シンもこっちをみて、ただただ目を見開いて絶句した。
★
フライボードから飛び降りたホクトくんが、かたまった顔のままで部屋の床に降り立った。そのまま無造作にあたしの腕をぐいっと引いてくる。
ぽす、と、意外と大きいホクトくんの腕に抱え込まれる
「何者だ」
かたくうわずった声は、でもやっぱり、ミナトくんと同じ響きを持っている。それに、ミナトくんも気づいたんだろう。驚いたようにそっと、自分の喉に手をやった。
「そうか、君が」
ホクトくんと同じ声が、ミナトくんの口から漏れる。あたしを抱きしめるホクトくんの腕が震えているのが分かった。
「お前……M、か?」
「そう。――そうか、君もラジオを?」
「……一度、だけ」
絞り出すように、ホクトくんが喉を震えさせる。ミナトくんはどこかさみしそうな顔で微笑んでいる。同じ顔で、違う表情で。同じ声で、違う響きで。
二人が向かい合って、言葉を交わしている。
ホクトくんとミナトくん。どう考えたって名前も似ているし、顔も身長もほとんど同じだ。考えられるものは、何か。双子、か。あるいは、クローンのようなものか。
それが『ほし』と『地上』に分かれていたんだとしたら、あまりいい意味はなさそうだ。
睨むようなホクトくんの視線を、そっと受け流すようにミナトくんが窓の外を見上げる。
ぞっとするほど、いい天気だ。
「――それはそれとして、お前いつまでナナセ抱きしめてんの」
低い声はシンだった。見上げていたホクトくんの顔が、一瞬で赤く染まった。ホクトくんが慌ててあたしを押すように身を離す。
「わ、るい」
「ううん、だいじょうぶ」
「ふふっ」
笑い声は、ミナトくん。一度閉じていた本を、もう一度開く。
青いホログラムが浮かび上がる。
「君たちは真実を知りたい? じゃあ、見ておいで。ここの現実を」
その言葉に、あたしとシンとホクトくんは顔を見合わせた。足下にいたマオ・マオをまた抱き直して。あたしたちはゆっくりと、ホログラムに手を伸ばした。
★
風が吹いた。凍えるほどに冷たい風。
あたしたちは、夜空に浮かんでいた。足下の頼りなさに、VRだとは分かっていたけれど不安になる。
「だいじょうぶ」
シンが、いた。手を握ってくれて、少しほっとする。匂いはしない。ただ、寒さは感じる。目が慣れてくると、眼下に街並みが見えた。あれは――地上?
『雨が降る』
誰かの声がした。
『よけなければ』
『雨が降る』
『どうやって』
音声が乱れて聞き取れない。
『傘が』
誰かが、思いついた、と言うように叫んだ。
『傘が、いる』
ガァンッと頭を割るような音が響く。つられて顔を上げると、そこに見えたのは。
「『ほし』……か」
シンが呟く。そう。あたしたちがいつも見上げていた『ほし』がそこにあった。
でもそれは、いつものように優雅には見えなかった。
「――まって!」
思わず、勝手に喉から声が漏れていた。
あたしの叫びなんてかけらも届かない。容赦なく、雨は。
どこからともなく降ってきたたくさんの、大きな、石で出来た雨粒は。
『ほし』を殴りつけていった。冷たい風が、吹いていた。
★
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます