第四章 声をとどけて
『ほし』の姿
言わなきゃいけないことはまだ、ある。スピカから聞いた『大雨』の話。
「ホクトくん。『ほし』ってすぐに着くの?」
「あと一時間ほど。この船は非常用っぽいから、これでもたぶん遅い」
「……へぇ?」
いまいち分からなかったけれど、まぁ、いいや。
「えっと、あのね。言っておかなくちゃいけないことがあって」
「……それは」
少しだけ張り詰めた声で言うと、ホクトくんはこっちを見た。戸惑うような瞳に、あ、っと思って慌てて両手を振る。
「あの、さっきの、生まれの話じゃなくて。えっと」
「あ……いや、うん。違うのか。何だ?」
いまいちそっちの話をうまく出来る気がしなくてごまかすと、ホクトくんは分かってくれたみたいだった。促してくれてほっとする。
「あのね、施設へ忍び込んだときに聞いちゃったことがあるの」
「俺が聞いていないタイミングで、か?」
「うん。あの、シンは覚えてるよね。あの軍の女の子。スピカ」
「っ、会ったのか? 大丈夫だったか?」
あの夜は今思い出しても心臓がぎゅってなる。シンも同じみたいだった。一瞬で血の気が引いていた。
「大丈夫。すぐ逃げられたから」
「……そっか。よかった」
こくんと頷いてから、あたしは続けた。
「そのスピカと、あともう一人、なんか怖そうな軍人がいたんだけど、その人が言ってたこと。あのね」
どくどくと、心臓が指先にまで降りてきたみたいに感じる。
「――『大雨』が、来る」
ひゅっと、誰かの喉が鳴る音がした。
ホクトくんもシンも、目を見開いたまま口を開かない。結構、長い間無言だった。ただ船が揺れる音と機械の低い起動音だけが空気を埋めていた。
ゆっくりと、細く、長く。息を吐いたのはシンだった。
「いつ?」
「……分かんない。ただ、近い、みたいな言い方だった」
「そう、か」
「――だったら」
言葉を挟んだのはホクトくんだった。前を向いたまま、背中越しに低い声を投げてくる。
「ひとつ、増えるだけだ」
「え?」
「『ほし』で調べることがひとつ増える、ってこと。それがほんとうか、ほんとうだとしたらいつなのか、回避方法も含めて」
うわずった、へっという笑い声が聞こえた。
「面白いじゃん」
いま、あたしたちは向かっている。真実がそこに――『ほし』にあるはずだ。
★
ぬるい風が前髪を揺らす。少し焦げたような匂いがしたけれど、それが何だったのか。
夢に見たことさえあった『ほし』。選ばれた救う者だけが住める『楽園』。
「……ほ、し……?」
そこは。
地上以上に荒れ果てた――瓦礫と穴ぼこだらけの、場所だった。
★
「……とに、かく、降りよう」
ようやくそう声を絞り出せたのは、シンだった。ハッチから出て、地面に飛び降りる。
「いけるか?」
「それくらいなら、まぁ」
ホクトくんが困惑した様子のまま、それでもなんとか飛び降りる。
「……ナナセ」
マオ・マオのささやき声に小さく頷いて、あたしもフライボードを抱えて飛び降りた。膝に来る衝撃に、確かに現実なんだと感じる。
顔を上げる。
「ここが……ほし」
船が降り立ったのは、これもやっぱり軍の施設らしいところだった。
地面は下の基地と同じ赤茶けた鉄板で出来ている。基地自体はかなり小ぶりだ。ざっと見回しただけで大体の大きさが分かるくらい。少し先にもう少ししっかりした建物がいくつかあるから、あっちはさっきホクトくんが言っていた『ちゃんとした』船や転移装置とかがある場所なのかもしれない。
ふわふわする気持ちを消せないまま、あたしたちはゆっくり歩き出した。基地の終わりはすぐにきた。ぷつん、と、地面が途切れている。落っこちそうでちょっと怖い。
「気持ちわりぃ。人の気配がない」
シンが顔をしかめる。そう。軍の施設だし、最悪出た瞬間に狙われることも想定していたから、なおさら不気味だった。
「ここ……ほしの、さらに上、だよね」
「だな。下が『ほし』の本体、か」
その基地は、地上に突き立った棒に円盤が刺さったような形をしているようだった。そして、そのせいか、下が見えた。穴だらけの、姿が。
「ここは」
ホクトくんが空を見上げた。『ほし』の空は、下と変わらない。朝の光がまぶしい。真っ青で、いい天気だ。おかしなくらいに、いい天気。ただ、少しだけ違う。
「――ドームか」
「天井、何か覆ってるよね」
「うん。物理的かどうかは不明だけど……『ほし』全体を覆っている、のか。まぁそうでもしないと空気濃度とか気温とかの問題がある、か」
「うん」
眼下に見える世界は、それでも人の営みはあるようだ。穴ぼこだらけだけれど、灯りはついた町並みがある。
「なんでだ?」
硬い声はシンだった。引きつった顔で、下を見下ろしている。
「ここが『ほし』で、下は俺たちの地上か?」
「……違う。今見えてるのは『ほし』だ。地上はもっと下で、たぶん直接は見えない」
「おかしいだろ?」
シンがいきなりホクトくんの胸を掴んだ。
「シン、やめてっ」
慌てて間に入る。でも、シンはやめない。顔が、青ざめている。
「地上と違って『ほし』は救う者の居場所で、楽園だって話だろ? なんでこんな、穴ぼこで――」
「シンッ」
どんっ、とあたしはシンに体当たりした。
「ホクトくんに、あたってどうするの」
「……くそ」
ぐしゃっと頭をかいて、シンが座り込んだ。見たことない顔をしている。苛立ちと、泣きそうな顔が混じり合っている。
「俺は『ほし』がずっと嫌いだった」
「……うん」
「でも、希望でもあったんだ。ここに……少なくともここに来ることが出来れば、あいつらは腹減って泣いたりすることはないって……」
言葉のおしりが掠れて消えた。うん。……分かるよ。あたしだってそうだ。あっちには行けないって、ちぇ、って、思って。でも、もし行けたら、いつか行けたら、みんなを連れて行けたらって、考えたりしていたもん。
シンはみんなが大好きだから。みんなのことを大事に思っているから。
残り物の缶詰をつまんでも、いつか、をずっと考えていたんだ。
「なのに、これじゃあ」
ぐっと、シンがくちびるを噛んだ。そうだ、ここがこれじゃあ、希望すらない。
一瞬、重たい空気が落ちる。思わず目を伏せたあたしの頭上に、ふうっとホクトくんのため息が落ちた。
「ここでうなだれてたって仕方ないだろ。俺はやることをやる」
「ホクトくん」
ホクトくんの顔だって青白い。ただ、目だけがぎらぎらと強さを失っていない。
ホクトくんがすっと指を立てる。
「やることは三つ。ひとつ、ここの真実……それこそこの現状の確認。ふたつ、ナナセの目的だな、ラジオの正体。みっつ、『大雨』の事実確認と打破案を探ること」
シンがホクトくんを睨む。
「冷静だな。ムカツク」
「それはどうも。俺はあんたみたいに感情を出せないんでね」
ホクトくんはそう言うと、くしゃっと前髪をかきあげる。
「実際のところ、何かはあるとは思ってた。ここまでとは思ってはいなかったけど、な」
「なにか、って」
あたしの声も震えている。ホクトくんは眉をしかめたまま、低くうめく。
「いくらなんでも、放置しすぎだろ、地上を。交信を完全に断って、ラジオすら許されない。何かはあると思ってて……それをばらせれば、とは考えていた」
そういうもの、なのかな。
「――飯、食おう」
そう言って、ホクトくんがどかりと腰を下ろした。
「バッグに何かしら入っているだろ。水も。一端落ち着くしかない」
言いながらホクトくんはリュックを開けてその中にあったフーズバーを二本、あたしたちに投げてきた。ココア味。受け取って、とりあえずパッケージを開けた。
さくっと、口の中で崩れていくフーズバーを味わって、水で流し込む。
ただそれだけで、少し落ち着くんだから人間って案外単純だ。
よし。
ぱんっと指先のくずを払って、あたしは顔を上げた。ぐだぐだしてたって仕方ない!
腹をくくって動くしかない。だってここまで来たんだもん!
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