海上フロートへ!

「ナナセ? どうした、ぼうっとして」

「あ、ううん。すごいなぁって思って!」

 あたしはパタパタと手を振って、それからホクトくんを見上げて笑ってた。

「かっこいいね!」

「……、どうも」

 ホクトくんが無表情のままそっぽを向く。なんかまた、違ったんだろうか。まぁいっか。

「抜いたデータ、この中?」

「うん」

 リゲルから端末を受け取って、ホクトくんは床に座った。また操作を始める。

「ん、そんなに難しくはない。……で、っと……」

 真剣な顔でホクトくんが端末と向き合っている。その間に、カペラとリゲルがぱたぱたと部屋の奥に走って行った。

「カペラ、リゲル?」

「ちょっとまってねー!」

 残されたマオ・マオと顔を見合わせて首をかしげる。そうしているうちに、カペラとリゲルが古びたリュックサックを手に戻ってきた。なんだかものがいっぱいに入っている。

「いろいろ詰めておいた! お水とか、ちょっとだけど非常食になりそうなものも」

 どうして? と問いかけるより先に、ホクトくんの声が上がった。

「オーケイ、解除成功!」

「さすがっ! ホクトやっぱすごい!」

 ホクトくんは滲んでいた汗を拭うと、ぽん、とリゲルの頭に手を置いた。

「助かった、ありがとう」

「うん。場所は? 行けそう?」

「ああ。意外と近い」

 ホクトくんは少し浮き足立っている気がした。

「ホクトくん?」

「――行くぞ。船の場所、特定した。収容所も同じ場所だ。シンを助けよう」

「……っ!」

 思わず息を呑んでいた。まさか。

「今から」

「――ああ。早いほうがいい。かまわないな?」

 少しだけ緊張したような顔で、でも、不敵な顔で。ホクトくんのくちびるの端がにやりと持ち上がる。心臓が、ぎゅっと誰かに掴まれたみたいに痛くなる。

 期待と、不安と、興奮と、それから。これはたぶん、恐怖と。

 ――いわ、なくちゃ。あたしまだ、ホクトくんに言えてない。大雨のこと。それから。

 それから。もうひとつ、マオ・マオとあたしだけの、秘密。

「ナナセ」

 マオ・マオがこつ、っとあたしの足を叩いた。

「あのことなら、時が来たらボクが言う」

「……ごめん」

「――ナナセ?」

 ホクトくんがきゅっと眉を寄せて、あたしを覗き込む。きらきらとわずかな光でも反射する宝石みたいな夜の瞳を見上げて、あたしはそっとくちびるを舐めた。

「行こう、ホクトくん。シンが待ってる」

 ホクトくんは少しだけ何かを迷うように表情を揺るがせたけれど、やがてゆっくりと、そしてしっかりと頷いた。

「ああ。行こう」

 ホクトくんが額のゴーグルを下ろして、バイクに跨がる。あたしはその横を、フライボードで行くことにした。

 ぐんぐんスピードが上がっていく。バッグに詰めたマオ・マオは、おとなしくその中にいる。うんまぁ、さすがにこの状況で外に出てたら、飛ばされかねない。

「海上だ」

 ホクトくんは言った。リゲルの端末データを自分の端末に移して、それをゴーグルに表示してるんだ。

「海上! じゃあ途中からこっち二人乗り?」

「だな、悪いけど」

「うん、大丈夫!」

 海は、ちょうどあたしたちがよくいるベータ地区が一番近い。だからあたしたちも、まずはそこに向けて走っている。どんどん景色が流れていく。夜風がばたばたと髪の毛を揺らしていくのが気持ちいい。

 時折、軍の人たちを見かけた。すぐに視界の端から端へと流れて行ってしまったけれど。

 赤茶けた建物。腐ったなにかの匂い。ネズミとか虫。そういうものが敷き詰められたガレキの街を、抜けていく。戻っていく。あたしたちの場所へ。

 不思議だ。あれほど遠いと思っていた『ほし』への道は、こんなにそばにあったんだ。

 街を抜けて港へたどり着いたとき、空はもう白ばみ始めていた。朝の匂いがする。すこし冷たくて、何も混じっていない風の匂い。潮の中に、目覚めたばかりの世界の匂い。

「ここをまっすぐ。海上フロートがあるだろう」

 その海上フロートは、港からも見える。当然、あたしも知っていた。ただ。

「監視施設だと思ってた!」

「俺も。でも、そうじゃなかった。収容所であって、船のある場所だったんだ」

 途中で、ホクトくんはバイクを降りてこっちの後ろに足を乗せた。ちょっとだけぐらりと、フライボードが揺れる。……うーん。

 少し空中を見上げて、あたしは首をかしげた。それから、ぐいっと肩にかけられたホクトくんの腕をとって、自分のおなかへと巻き直す。

「ちょ、おい! さすがに!」

「いーから! 肩じゃ不安定だもん。しっかり掴まってて!」

 驚いた声を上げるホクトくんをいなして。あたしはホクトくんの手をぎゅっと握った。

 うん、ちょっと、ちょっとだけドキドキはするけど。仕方ないもんね!

 ぐっ、と地面を蹴り上げる。

「行くよ――!」

 シャッと波しぶきが割れてたつ。キラキラしたしぶきが、視界を彩っていく。

 わ……すごい。フライボード、めちゃくちゃ、気持ちいい!

 潮風が顔に吹き付けてくる。ぎゅっと、おなかに回ったホクトくんの手に力がこもる。

「すげ……」

「うんっ! ――あ、見て! 朝日!」

 ホクトくんとみる朝日は、今日でたった二回目なのに。でも、その二回のどっちも特別で、なんだかそれよりずっと前から一緒にいるみたいだ。

 フライボードが水を切って飛んでいく。ぐんぐんと、施設が近づいてきた。

 海上に浮かぶ施設は、研究所より小さく見えた。円柱形の光が天に伸びている。すごい。「これ、たぶん鍵代わりだ! 接地してくれ。解除出来るか試してみる!」

 ホクトくんの声を遮るように、マオ・マオが小さく囁いた。

「ナナセ。入るんだね?」

 ああ。――そっか。

「うん」

 頷いたあたしに、ホクトくんが「え?」って間の抜けた声を出した。マオ・マオは何も言わない。ということは、たぶん、今じゃないってこと。

 目の前できらきらと虹色に輝く光柱に、マオ・マオが前足をかざした。そして。

「――解除」

 ちいさくマオ・マオがつぶやいた。その瞬間。シュッと短い音とともに、光柱が溶けた。

「……ッ」

 ホクトくんが息を呑む声がすぐ耳元でした。そうだよね。そりゃそうだ。

 ふうとあたしは短く息を吐いて、フライボードを進ませる。

 光柱が溶けた先にあったのは、武骨な海上フロートだ。大きな倉庫のような場所と、あとは……兵器、かな、たぶん。ゴツくって、荒々しい機械がいくつも並んでいる。

 その、鉄板で出来たらしい床に降り立つ。海上フロートにしては頑丈で、揺れている感覚もほとんどない。ホクトくんも静かに降り立った。下にいたマオ・マオを抱き上げる。

「おい……」

 引きつったような声で、ホクトくんが背中から声をかけてくる。ぐっと、腕を掴まれた。

「どういう――」

「ごめん!」

 腕を振り払って、あたしは勢いよく振り向いていた。正面から、少しだけあたしより高い位置にあるホクトくんの目を見つめる。

「あとでちゃんと説明する! まずは、シンを探したい!」

 ホクトくんの瞳が揺れる。でも、それもほんの数秒だった。ぐっと眉根が寄って、でもすぐにどこか困ったような笑顔になった。

「行くぞ」

 ぽん、と頭を叩いて。ホクトくんが歩き出す。慌てて、その横に並びながら、あたしはちょっとだけ目元を拭った。

「――うんっ」

 ホクトくんと出会ってまだ二日。なのに、ホクトくんはあたしを信頼してくれている気がして、嬉しかったんだ。

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