逃走劇

 データは全部抜けたのかな。もし抜けてなかったら、それはあたしの失敗だ。

 でもそれを反省するのは、後だ。今はとにかく、脱出しなくっちゃ!

 ビーッ、ビーッ!

 大きな音が館内に響き渡る。さっきも鳴らされたけど、それよりずっと大きい音だ。

「ネズミか」

 冷たい声がした。シリウス!

 ヒヤッとした感覚が首筋を過ぎた。次の瞬間、あたしはその場で大きく跳んで回った。髪の一筋を、何かがちぎって飛ばしていく。

 ――レーザー銃か何か。とんでもないものを持ち出した。

 でももう、絶対にやられない! やられたりなんてしない!

 マオ・マオは守るし、シンだって助ける!

「ネズミじゃない! あたしは、夜の蝶だよ!」

 叫んで。扉を蹴破って。マオ・マオを抱えて走り出す。一番近い出口は――

「そっち上にいけ!」

「えっ、上?」

「大丈夫だ、信じろ」

 耳元のホクトくんの言葉に小さく頷く。追っ手は上からよりは同じ階からの方が多い。階段を駆け上がり、二階へ。さらにその上へ。上へ。

「屋上?」

 驚いたけれど、でも、信じるのみだ。屋上への扉は中からだと簡単に開く。ほとんど蹴破るように外へ転がり出て、それからあたしはアッと声を上げた。

 夜の屋上。そこにあったもの――

「フライボード!」

 見た目はシンプルな板状の乗り物。スケートボードによく似ているけれど、全然違う。だってこれは動力や仕組みが軍の機密に当たるらしくて、一般には降りては来ない。、軍人が乗っているのは見たことがある。

「これ、なんで? ホクトくんが用意してくれたの?」

「違う。元々ここの備品。おそらく緊急脱出道具のひとつ」

「そっかっ」

 言いながら駆け寄る。すでに後ろからはたくさんの人が追いかけてきていた。

「使えるよな、お前なら」

「たぶん! 使ったことはないけどっ」

「……え」

 ひくっ、と若干ホクトくんが引きつる声がした。あー。まぁ、そうなる、かな。

 でも、そこは舐めないで貰いたい。

「ま、ナナセならだいじょうぶだネ」

 しれっとした声でマオ・マオも頷く。マオ・マオは服の襟元に入れて、ガツッとフライボードを足で蹴って持ち上げた。

 スイッチは――ここか。かかとでスイッチらしきところを押すとすぐ、ぶおんっ、と低い機械音。ああ、どうしよう。こんなときだってのに。わくわくしてきちゃった。

 ――さあ、行くよ。うまくいきますように!

 toi toi toi!

「いっけえ――!」

 声とともに地面を蹴って、フライボードに体を乗せる。

 ぐんっ! と体が引っ張られる感覚。膝を緩めてやりすごす。そして次の瞬間には、あたしは夜空を飛んでいた。フライボードに乗ったまま。

 月が、近い――

 フライボードの感覚はすぐにつかめた。

 重心を低くすればその分スピードも出るらしい。スピードをぐんぐんとあげて、何人か同じくフライボードを持ち出してきた軍人を適当に撒いて、あたしは町の一角に降り立った。あ、さすがに緊張とドタバタで息が切れている。にじんだ汗を手の甲で拭って、ざっと辺りを見回した。カメラ――は、ない? かな?

「ナナセ、聞こえるか」

「うん」

 耳元でホクトくんの声。

「外部地図スコープに表示出来るか」

「ちょっと待って。……どう、見えた?」

「ああ。……オーケイ、そこの左の路地を入って、三つ目の角を右へ。旧地下鉄の入り口があるから入ってくれ。俺たちの基地のひとつだ」

「ありがと、助かる!」

 フライボードを小脇に抱えて走り出す。このあたりはあんまり来たことがない。いつもあたしたちがいるところより、もう少しだけ治安は悪そうだ。たむろしているのも子どもよりは大人が多いのかもしれない。タバコやお酒の瓶が転がっていた。あんまりじっとはしていたくないな。

「ここ、どの辺になるのかな」

「デルタ地区。――っし、いま、基地の方には連絡入れたから」

 デルタ地区……ってことは、いつもあたしたちがいるベータ地区からすると少し距離はある。ホクトくんすごいな。めちゃくちゃ顔が広いんだ。

「ありがとう!」

 感謝を告げて、言われたとおり見つけた旧地下鉄の入り口へ駆け込む。赤さび色の格子が入り口を塞いでいるように見えたけれど、押してみたらあっさり開いた。そっと身を滑らせて、中に入る。薄暗い。静かな中に、どこからか漏れているのか水音がした。

 古い石造りの階段だ。旧地下鉄……っていってたけど、大雨の直前までは機能していたのかな。よく知らない。崩れないかちょっとだけ不安で、足で確かめながらゆっくり進む。

 階段の先は開けていた。スコープを少しいじって暗視モードへ。ほんのりと緑がかった視界になると、よく見えた。

「ナナセちゃん!」

 少し先、角のところで小さな手が振られていた。駆け寄る。

「カペラ! リゲルも!」

「えへへ、よかったぁ。カペラたちがいるところで。話が早いもんね!」

 ニコニコとカペラが屈託のない笑顔をくれた。「どうして?」って聞いたら、ホクトくんがあちこちの基地に仲間を配置していてくれたんだそうだ。こうやって逃亡する場合を考えて、なんだろう。用意周到ってきっとこういうこと。

「ナナセ、きみの仲間も助けてくれているよ」

 リゲルが近くの廃材をまとめている場所に歩いて行く。ドラム缶とか、ちょっと重たそうなものをよいっしょっと言いながら動かすと、その奥にはさらに広い空間。どうやらここが、あっちの基地と同じようになっているみたいだ。

「仲間……って、みんな?」

「うん! ナナセちゃんの仲間。小さい子はこっちで保護してるけど、そこそこ動ける大きい子たちが、撹乱であちこち逃げてくれてる」

「そうだったんだ」

「うん。あ、意外と心配とかしない感じ?」

 カペラが首をかしげるから、ちょっとだけ笑っちゃった。

「みんななら大丈夫。信用してる」

「たくましい」

 クスッとリゲルが笑った。リゲルはカペラと同じ顔してるのに、だいぶ大人っぽいから不思議だ。

「ホクト、すぐ来るみたい。ただ待つ時間が惜しいから、先にデータ抜いちゃっていい?」

 部屋みたいになっている場所の端に、小さな端末が置いてあった。

「リゲルがやるの?」

「うん。少しだけどホクトに教えて貰ってるから」

 差し出されたリゲルの手に、マオ・マオを乗せる。データはマオ・マオに入ってるはず。

 リゲルは小さい手で小型端末を立ち上げて、ホログラムキーボードをぱちぱちと軽快にたたき出す。

「繋がるヨ」

 マオ・マオが自分から尻尾を差し出した。ちょっと驚いちゃうな。マオ・マオも、反乱者のひとたちのこと、信頼してきているのかもしれない。

「ナナセちゃん、はい」

 マオ・マオからデータを抜いているリゲルを見ていると、横からカペラがお水の入ったコップを差し出してくれた。ありがたく受け取って一気に喉に流し込む。

「っはー、美味しい! ありがとう」

「うん! 見たかったなぁ、ナナセちゃんの逃走劇。ホクトくんが、ちょっと興奮してたよ。すごかった、って」

「……そなの?」

 ホクトくんが興奮……してる姿のほうが、見てみたいもののような気がしてしまう。

 ただ。ホクトくんにはまだ、伝えていないことがある。どう伝えればいいんだろう。音声録音もしていないし、あたしが耳で聞いただけでしかない。それを、上手に伝えられるだろうか。どのタイミングで言えばいいんだろう。

 ――大雨、なんて。

 その時。

「――っし! 抜けた!」

 リゲルの声が響いた。慌ててカペラとふたりで駆け寄ると、リゲルはちょっとだけ頬を赤くしてこっちを振り向く。

「よかった。たぶんデータの欠けも破損もないと思う」

「ほんと? あたし、最後まで時間待てなくて」

「うん、たぶん大丈夫。ただ、データそのものにプロテクトがかかってて。それを解除するのはぼくには難しい」

 リゲルが少しだけ難しい顔をして端末を見せてくる。うんごめん。全然分かんないんだよね、あたし、そう言うの。

「――リゲル、それは俺がやる」

 背後からの声に、カペラがぱぁっと顔を明るくした。あたしはちょっと前から気配は分かってたから、ほっとしながら振り返る。目が合うと、ホクトくんは微笑んでくれた。

「――お疲れ」

「うん! ありがとう!」

 ホクトくんが掲げた手のひらに、ぱちんっと自分の手を打ち付ける。

「早かったね、ホクトくん」

「すばるさんにバイク借りたから」

 バイク。乗れるんだ。っていうか、そんなものまで所有してるんだ。すごいなぁ。

「時間がない。あんまりここにいられない。そうとう探されてる」

「うっ……ごめんなさい」

「いいよ。どうせいつかはこうなった」

 フっとホクトくんが笑う。

「きっかけが欲しかったんだ、結局さ。だから今のこれは、願ったり叶ったりではある。俺にとっては。――まぁ、カペラたちには迷惑かけてるけど」

「気にしてないよ。いつだって準備はしてたもん!」

 そっか。みんな、必死に生きて。でも、ちゃんと先に進むためのタイミングを計ってたんだ。すごい。すごいな。それをまとめてるホクトくんも、すごい。

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