『大雨』

 背後からの声を振り切って走り出す。内部地図をアイ・スコープに表示。えっとえっと。

「右」

 耳元で声がした。助かる!

「ありがと、走りながらだと確認大変で!」

「だったら俺が指示を出す。任せとけ」

 頼もしい言葉に甘えることにした。シンがいればふたりでなんとでも出来るんだろうけれど、シンがいない今、あたしのパートナーはホクトくんってことだ。

 ホクトくんの指示に従って走り続ける。たくさん人も出てきたから、飛び越えたりちょっと申し訳ないけれど寝て貰ったりもしつつ。時々行った道を戻ったりすることもあったけれど、それはまぁ、地図が古いから仕方ない。それにほら。そうやって時間を稼げば稼ぐ分だけ見えてくるものも確かにある。

「クソッ、違うか……っ」

 耳元で焦るような声がした。廊下の先にある扉が、思っていたものと違うらしい。

「悪い、戻れるか」

「ん、大丈夫だけど。でもあの、たぶんあってるよ?」

 ホクトくんが探しているのは、データベースに接続出来る部屋、らしい。データベースそのものがおいてあるところはセキュリティレベルが高すぎて入れないと判断したってコトだろうけれど、だったらなおさら、きっとここだ。

「さっき通った場所。一番人が多かったでしょ? ってことはそこが重要場所。この辺は逆に人がほとんど来てない。でも、手薄って訳じゃないんだよねこれが」

 言いながらアイ・スコープの表示を切り替える。その瞬間、ホクトくんが短く息を呑んだのが分かった。

「やべぇな」

 アイ・スコープを通してみる廊下は、異様な光景だった。真っ赤な線が縦横無尽に走っている。たぶん全部、人感センサー。

「これ熱感知?」

「ちょっと待て。……ん、そうだな。それっぽい」

「解除って、あそこのパネルでなんとか出来そう?」

 この真っ赤な道の先、扉の入り口にあるパネルを示すと、ホクトくんはしばらく黙った。

「情報が足りない。でも、その可能性の方が高いとは思う。向こうから出るときにこれだと通れないだろ」

「そっか。じゃあやってみる価値はあるね」

「だネ」

 マオ・マオがぴんっと尻尾をたてる。そのままとことこ歩き始める。

「お、おい!」

「大丈夫。触覚センサーじゃなくて熱感知なら、マオ・マオには反応しないよ。たまに似たようなことをしてるし」

 マオ・マオの体はひんやりしてるし、必要であれば外部温度とあわせられる程度の機能はある。今は多分それを起動していてて、ほとんど空気が流れるようなものだ。

 案の定何の変化もなく、マオ・マオが向こうの扉にたどり着く。

「マオ・マオ、どう?」

「ん、ちょっと待ってネ。……よっと、行けたかナ」

 パネルに無造作に尻尾を当てて、それからぴょんっとマオ・マオが飛び跳ねる。

 すうっと、アイ・スコープの向こうで赤い線が消えた。

「げ。そのロボット・ドッグそんな真似も出来ンのかよ」

「げ、ってなんですか、げっテ」

 不機嫌そうなマオ・マオに近づく。すぐにもう一度、センサーを起動させておいた。

「ボクは優秀ですからネ」

「はいはい」

 ぽんぽん、とマオ・マオをなでて、あたしはそっとパネルに手を伸ばす。

「あー。ここもなんか鍵が」

「そのロボット・ドッグは、回線つながるんだろ?」

「分かりましたヨ」

 ちょっと分かんないんですけど。マオ・マオとホクトくんが何やら話をして、それからホクトくんが何か言っているのが耳元で聞こえた。マオ・マオの目がチカチカと瞬く。

「よっ……開いたか?」

「えっと」

 パネルに手を伸ばす。すぐにすうっと音もなく白い扉がスライドした。

「行けた! 入るね」

「ああ」

 ホクトくんがマオ・マオを通じて何かした、らしい。

 部屋の中は無機質で、でもなんだか綺麗だった。いくつかの端末と、テーブル。それから水槽――お魚さんが優雅に泳いでいる。

「端末でいい?」

「頼む」

 端末にマオ・マオをつなげた。尻尾の先を引っ張るとコードが出てくるんだよね。足は足で肉球のところがタッチ式でいけるんだけど、ホクトくんが、こういうところは旧式のコードの方が役に立つって言ってた。それが一番早いんだそうだ。

「……よし、ビンゴ」

 耳元のホクトくんの声が抑えきれない歓喜を含んでいた。

「悪い、ちょっと沈む。探すのに……そう、だな、五分貰えるか」

「分かった。マオ・マオ、よろしくね」

「いいヨ」

 抜いたデータはマオ・マオに入れる手筈になっている。と、いうことは、五分ほどあたしは暇だ。ほかに何か、得られる情報でもあればいいけれど。

 部屋をゆっくりと歩いて行く。部屋自体には物理的な資料――紙とか、そういうのはなさそうだった。後あるのは、おそらく隣の部屋へと続く扉くらい。

 そっとその扉に耳をよせてみて――そして、心臓が止まるかと思った。

「――ですが、お兄様」

 掠れたような女性の声。それは、忘れられないそれだった。

 ――スピカ。あの、軍の女の子!

 耳を済ますけれど、ホクトくんの声は聞こえない。たぶんこっちとの連動は切っていて、マオ・マオのほうにかかりっきりだ。

 どくどくと体中を巡る血の音が聞こえる気がした。

 だめ、だめだ。いま、怒ってる場合じゃない。落ち着いて、ナナセ。

 自分で自分に言い聞かせる。大丈夫。シンは絶対に助ける。そのために今ここにいる。だから、予定外の行動は起こしちゃだめ。

 ――toi toi toi

 心の中で小さくつぶやいて。すうっと音をたてないように息を吐いた。

 大丈夫。落ち着ける。

 漏れ聞こえるのは微かな声。聞いて。なにか、情報になるかもしれない。耳を澄ませて

「もう、おそらく情報統制は持ちません」

 ――情報統制?

「それをなんとかするのが貴様の役目だ。役目を放棄するつもりか、スピカ」

 ぞっとするほど冷たい声に、背筋が粟立つ。スピカも冷たい声だったけれど、そんなのとは比べものにならない。触れるだけで肌が切れそうな声。

「いえ……おっしゃるとおりです、シリウスお兄様」

 ――お兄様?

 聞こえた単語に驚いた。こんなに冷たい声をかける相手が、妹だってことなの?

「どちらにせよ」

 冷ややかな声が続く。シリウス、だっけ。嫌な声。

「まもなく『大雨』がまた来る。その時どうなるかは、誰にも予測は出来ん」

「そう……ですわね」

 ――大雨……?

 その言葉は、胃の深くに氷みたいに突き刺さる。

 大雨って。それは。地上では持つ意味が異なる。普通の雨じゃない。それは、だって。

 どうしよう。指先が震えてきた。体中の血がひんやりとした氷水に置き換わったみたいな感覚。どうしよう。伝えなきゃ。でも、ホクトくんは今こっちに気づいていない。

 頭が回っていなかった――んだとおもう。もしくは、感覚が鈍っていたか。

 どうしようって考えていたせいで、扉が開くと気づくのに、一瞬、遅れてしまったんだ。

「……っ、あなた……!」

 見つかった! スピカが目を見開いて、あたしを凝視する。

 ばっと飛び跳ねて距離を取る。

「マオ・マオ!」

 端末に接続しているマオ・マオを抱き上げる。

「ごめん、ホクトくん! 見つかった! 逃げるね!」

「分かった!」

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