侵入せよ!
☆☆☆
こんばんは。こちら星くず放送局。
今夜もきみに、この声が届いていることを願って。
パーソナリティのMです。
きみはほっとしたいとき、何を口にするのかな。
ぼくは、ミルクティーをよく飲むよ。あたたかいのがいいな。気持ちがしずんでいるときは、あまくてあたたかいものが、いちばん染みこんでいく気がするよね。
☆☆☆
ボリュームを絞った声がマオ・マオから流れてくる。夜の風が冷たくて心地いい。聞き心地のいいMの声が嬉しくて目を閉じる。いつもの時間。ホクトくんが治してくれたおかげで、マオ・マオとこの時間を持てるのが嬉しい。
ミルクティーかぁ。やっぱり『ほし』は豊かなんだな。紅茶くらいならたぶんどっかで盗めるけれど、ミルクみたいなのはなかなか難しい。飲んだこともほとんどないや。
「ほっとしたいときに飲むもの、かぁ」
考えたことなんてたぶんない。だから、今考えてみる。Mのラジオの時間は、そういう考える時間をくれるから好きなのもある。ふつうに生きてるだけじゃ考える時間なんてなかなか持てないから。立ち止まる時間も、考える時間も、贅沢品だから。
なにがいいのかなって考え始めて、すぐにふわっと記憶の中から何かが鼻をくすぐった。
――スープ、だ。
昨日ほっとして、泣いちゃったあのスープ。あったかくて、しょっぱくて。
Mは甘いものって言ったけれど、うん、あたしにとってはあのしょっぱさも、とってもほっとする味だった。
「――ホクトくんは?」
一緒にラジオを聞いていたホクトくんを振り返る。ホクトくんは真剣な顔で口元をおおっていたけれど、あたしの声に慌てて顔を上げた。
「あっ……わりぃ、何?」
「あ、ラジオの話。ホクトくんだったらほっとするとき何を口にするのかなぁって」
「え……あー、うん、何でも……っていうか嗜好品なんて上でしかなかなか……」
まぁ、そりゃそうか。頷いて、それからあたしはホクトくんの顔を覗き込んだ。
「どうしたの、顔色悪い」
「え。いや……声、マジで俺がしゃべってんのかって感じで。いや、俺が聞いてる俺の声とはちょっと違うんだけど、ボイス撮ったやつとかだと確かにこんなだっけって……気持ち悪いなって思ってたところ」
ああ……そっか。そうだよねぇ。やっぱり、同じ声に聞こえるもん。
「なんで、だろう?」
「いやそれ、俺が知りたいけど」
そりゃそうか。
ふたりで顔を見合わせて黙り込んでしまう。そうするうちに、ラジオからいつものお別れの声が聞こえてきた。
それじゃあ、今夜はここまで。
toi toi toi!
世界のどこにいても、きみに幸せが降り注ぎますように。
甘くてやさしいMの声に、ホクトくんがふうと息を吐いた。
「理由、一個増えたな」
「理由?」
すっと、ホクトくんが『ほし』を指す。
「行く理由。どうせなら、これの正体も暴いてやる」
――Mの、正体?
言われた意味が一瞬理解出来なくて、ぽかん、と間抜けに口を開けてしまった。だって、ラジオはラジオで、MはMでしかなくて。それはどこかおとぎ話めいた感じがしていて、まさかその人に直接会って、それが誰か調べようだなんて、考えたこともなかったんだ。
でも。もし、もし本当に『ほし』に行くのなら。
Mに、会える――?
「ふっ、間抜けな顔」
ホクトくんがくすりと笑ってあたしのおでこをぴんっとはじいた。
「呆けるのはあと。さって、と。――シンの情報、得るぞ」
その言葉に、心のどこかがすうって冷えた。そう。今、一番大切なのは、シンを助けること。そのための情報を得ることだ。
きゅっとくちびるを引き結んで、あたしは強く頷いた。
「行くよ」
★
ホクトくんがくれたのは、ふたつ。耳に引っかけるだけの通信機とお手製のアイ・スコープだった。どうやって入手したのかは知らないけれど、内部の地図データが入っている。もちろん完璧じゃないし古いから、あんまり信じるな、とは言われたけれど。でも、あるのとないのとでは全然違う。
センサー感知も出来るから、ある程度なら見て避けられるんだって。すごい便利。
データセンターの外壁はつるつるで、見る限り掴まれるところもない。忍び込むには難しそうだけれど、でも、意外と人の目そのものは少ない。なら、いくらでも方法はある。
シンがいれば、簡単なんだけど。
「いけそうか?」
「うん。うーん。ちょっとだけ、肩借りられる?」
「肩?」
「足場にさせて貰いたいんだ、ごめん」
高さを稼ぐのにほかにいいのが見当たらない。ほんの少しでもいいから、高さを稼ぎたい。そう伝えると、怪訝な顔のままホクトくんは頷いてくれた。少し距離をとって、息を整える。片手にマオ・マオを抱きしめた。――走る!
ホクトくんの数歩手前で強く地面を蹴った。飛ぶ!
たんっ! とあたしは片足をホクトくんの肩に乗せる。ぐっと足首に力を込めて、さらに高く――飛び上がる。
「っ……!」
ホクトくんの噛みしめた声が少しだけ聞こえて、それから夜空が視界いっぱいに広がる。届け。届け――!
toi toi toi!
心の中で唱えたその瞬間。
ぐっと伸ばした手が塀のてっぺんにひっかかる。マオ・マオを抱く方とは逆の手。だんっ、と勢いで塀にぶつかりそうになって、足で思いっきり塀を遠ざけるように蹴る。勢いがついて、そのまま後ろ向きに回って。視界が地面を、空を、捉えて。
――すたっ、と。
思ったより軽い音をたてて、あたしはデータセンターの内部に降り立った。くちびるを引き締めて、少し耳をすます。ぴりぴりと肌が粟立つ。よし。問題なさそうだ。
「ホクトくん、降りたよ。問題なさそう。進むね」
「お……あ、ああ」
耳につけた通信機を触って話しかける。ほとんど声に出ないくらいの小さなささやき声だったけれど、しゃべるときの振動を拾って、ちゃんと音にして届けてくれるらしい。
とはいえ、ホクトくんの呆然としたような声は少し想定外だった。
「どうしたの?」
「え。あー、いや。お前すげえなって……」
びっくりしている、らしい。声を殺してあたしは笑う。
「ありがと。じゃあ、いってきます」
「ああ、頼む。スコープの画像は共有してるから」
「オーケイ」
ならかけたままの方がいいのかな。すちゃっとアイ・スコープを頭から目元に下ろして、あたしとマオ・マオは並んで走り出した。
まずはどうやって建物の中に入ろうか。入り口はいくつかあったけど、どの扉もセキュリティはしっかりしてそうだ。人気のない裏側へと回った。
やがて、ひとりの男の人が扉から出てきた。ゴミ、かな? 何かを持って出てきて、それを外のゴミ箱に入れた。それから戻る。――いま。よく、見て。
「虹彩認証」
耳元でホクトくんのささやき声がした。ちいさく頷く。瞳で個人を特定するやつだ。ということはカードとかじゃないから盗んだりもできない。なら、一緒に入るしかない。
「ちょっと派手にやっていいかな」
「……捕まるなよ」
「もちろん」
しばらく待つと、また一人出てきた。今度はただの休憩みたいで、ぐーっと伸びをしたり体をほぐしているようだ。マオ・マオの背中をそっとなでる。分かってるヨ、とでもいうように、マオ・マオの目が瞬いた。そのまま、マオ・マオがゆっくりと歩いて行く。
「え……? ロボット・ドッグ?」
ワンッ、とマオ・マオが犬の鳴き声で答える。
「どこの研究室のだ……? あ、こら」
カリカリっとマオ・マオが開けろと催促するように扉をひっかく。その間に、あたしは息を潜めてそっと距離を詰めていく。
「お前、戻り方分かるか?」
案外あっさりとその人はだまされてくれた。マオ・マオを無造作に抱き上げる。
「んじゃ、行くか?」
……実はいい人なのかもしれない。だとしたらちょっと、申し訳ないけれど。そんなことも言ってられない。シンを助けなきゃ。
シュンッと小さい音とともに、白い扉がスライドした。マオ・マオを抱いた男の人が虹彩認証を終えて扉を開けたんだ。そのまま中に入ろうとするその背中を――
ダンッ!
「ごめんなさいっ」
蹴りつけた。小さな悲鳴とともに前のめりに倒れる人の背を飛び越えて、中に入る!
「割と容赦ないよね、ナナセっテ」
「悪いなとは思ってる!」
拾い上げたマオ・マオの言葉に返事しながら走り出す。すぐに、警告ブザーが響いた。
「侵入者だー!」
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