夜明けまで

「とりあえず飲んで?」

 部屋の隅のテントにあかりを寝かせてから、カペラとリゲルはあたしを椅子に座らせて、あたたかいスープを出してくれた。

 スープなんていつぶりだろう。野菜のかけらとお肉も少し浮いていた。なんてぜいたく。

「い、いただき、ます」

 両手でカップをつつみこむ。手のひらにじんわりと熱が伝わってきた。あたたかい。ゆげがほわほわとほっぺを湿らせていく。

 ひとくち、すする。くちびるが熱い。しょっぱさと、野菜から出たらしい少しの甘みが口いっぱいに広がっていく。いい匂い。喉から、体の奥までじんわりと熱を放っていく。

 美味しい。美味しいって、すごい。どうして、涙が出るんだろう。

「わっ、大丈夫? いろいろ心配だもんね、泣いちゃうこともあるよね」

 ニコニコっとカペラが笑う。

「とりあえずあのワンちゃんは、大丈夫。ホクトくんすごいから」

「そうなの……?」

「そうだよ! カペラたちのリーダーだもん!」

「リー、ダー?」

 あたしも、みんなのリーダーって言われる。あの辺一帯の孤児のリーダー、夜の蝶ナナセ、って。でもここには、大人もいるのに?

 大人は多くない。ぱっと見で数人だけ。でもそれでも、大人がいるのにあたしとそう年も変わらなさそうな子がリーダー? そもそも、リーダーって、なんの?

「そう」

 頷いたのはリゲルだった。カペラと同じ顔だけど、ずっと落ち着いている。

「ここは反抗者の拠点だよ。そしてホクトはここのリーダー。ぼくたちは、反抗者。『ほし』との対決を望むものだ」

 カペラとリゲルはそれからゆっくりと、ここのひとたちのことを話してくれた。

 最初に反抗者として動き出したのは、ホクトくんらしい。きっかけは、二人は話してくれなかった。でも、ホクトくんは『ほし』に住む人とあたしたちみたいな『地上』に住む人が分けられているのはおかしい、って思ったんだって。

 それで、最初に軍のちいさな施設をひとつこわしちゃったらしい。

 よく分かんないけど、たぶんめちゃくちゃすごいことなんだと思う。それで、一部の備蓄を盗んでみんなに分け与えたりしてたって。その頃に、カペラとリゲルと、その両親が仲間になった。両親――ミラさんとすばるさんは、あかりの側にいてくれたふたりだった。

 そうして少しずつ仲間を増やしていって、いまみんなは軍に歯向かうための準備をしているんだって。ちなみにこの場所は、最初にホクトくんがつくった基地で、いまはあちこちに拠点があるそうだ。

 知らなかった。ふつうにあたしたちが生きている足の下にこんな場所があったなんて。

 知らなかった。あたしたちが生きるためだけに一生懸命になっている間に、そんなことをしていた人たちがいたなんて。

 反抗者って名前はシンとかマオ・マオとかから時々聞いていたけど、だって、興味なんてなかったんだもん。ちょっとだけ、居心地が悪い気がした。

「さて。ホクトくんはもうちょっとかかるみたい。一度寝よ? カペラもうねむくって」

「あ、ごめんね! えと、でもあたしは……」

 眠れる気がしない。マオ・マオのことも、シンのことも、みんなのことも心配だ。

「――無理はしないようにね、休めるときには休まないと体が持たないよ」

 そう言ってくれたのは、すばるさんだった。あたし、お父さんっていたことないから分かんないけど、きっといたら、こんな感じなのかな。

 みんなは眠った。ホクトくんは、別の部屋にいる。この部屋の奥には簡易の扉があって、そこを抜けた先がホクトくんの部屋なんだって。作業をしたり作戦を練ったりするから、ってことで、ホクトくんだけ部屋があるらしい。

 明かりはそこからずっと漏れている。

 時間だけが過ぎていく。何もできない。あたしいま、待つしかできない。

 いま何時なのかな。もうずいぶんと真夜中だと思う。マオ・マオ、ちゃんと治るのかな。

 部屋の真ん中のテーブルに肘をついて、祈るようにおでこに両手を当てた。

「toi toi toi」

 どうか。どうか。マオ・マオも、シンも、みんなも、ちゃんとまた会えますように。

 その時、背後で呆れたようなため息が聞こえた。驚いて振り返る。

「おまじない頼みかよ、俺のこと信用しろって言ったのに」

「ホクトくん!」

 いつのまに部屋を出てきたのか、少しすねた顔のホクトくんが立っていた。その手には。

「っ、マオ・マオ!」

「ほらよ。静かにしろよ、みんな起きちゃうだろ」

 マオ・マオを渡してくれながら、ホクトくんが顔をしかめる。

 マオ・マオを抱きしめた。小声で呼びかける。

「マオ・マオ……?」

「ちゃんと起動してるヨ。泣き虫だネ」

 ――しゃべった……!

 思わず大声を上げそうになって何とか奥歯をかんでこらえる。視界がうるうるとにじんできた。だって。だって。ちゃんとしゃべってる。いつも通り耳もしっぽも動いている。目は正常時のグリーン。……マオ・マオ、無事だ!

 ホクトくんは微笑んで、くいっと親指を動かした。

「外、行くぞ」

 ……そと?

 静かに、静かに。みんなを起こさないように。

 元来た道をゆっくり戻って、外に出た。出るときはちょっと緊張したけれど、幸い静かな街並みが広がっているだけで、セイバー軍の気配もなかった。

「わ……」

 世界はうっすらと青白く光っていた。朝がもうすぐ来るときの、世界の色だ。夜空がゆっくりと起き始めるときの光。息がつまるほどきれいな濃い青色が、白に溶け始める時間。星がまだ、空に輝いている夜と朝の間の時間。

「もうこんな時間だったんだ……」

「手間取って悪かったな。旧式だしわりと面倒くさかったんだぜ、それ」

「旧式言わないでくださイ」

 マオ・マオがふんすっと鼻を鳴らす。アハ。いつものマオ・マオだ。いつも通りのマオ・マオだ。うれしくなってちょっと笑って、それから、あっと思わず声を上げていた。

「マオ・マオ! いま、何時? もう朝になっちゃった?」

「夜明けまでという意味ならあと十五分だヨ」

 ――間に合う!

「ちょっと付き合って!」

「え? ちょっ……!」

 ホクトくんの手を引いて走り出す。このあたりで朝日が見れそうな場所はすぐ近くの工場の上だ。すぐそこまで走って行って、それからざっとあたりを見渡す。オッケー!

「上行こう!」

 ホクトくんの手を離して、壁を蹴って近くの建物に登っていく。

「今のルートで登れるよ! はやく!」

「待て待て待て。俺はサルじゃない」

「サッ……」

 失礼な! 蝶と言われるのはうれしいけれど、サルってひどい!

「ナナセとシンの身体能力を基準に考えるのはちょっと間違っているとボクは思うネ」

 ……むぅ。シンならついてこれるのに。ちょっと面倒くさい。

 仕方ないから、いくつか遠回りしてホクトくんを引っ張り上げた。工場の屋根にのぼった時には、ホクトくん、ずいぶんゼエゼエ息が上がっていた。

「……お前マジでこんなこと毎晩やってんの」

「毎晩だネ」

 マオ・マオの言葉に、ホクトくんはちょっとげんなりした顔をしていた。失礼な。

 ――って、そんなことより。いまは。

「みて、ほら! 朝焼け!」

 指の先。

 ごちゃごちゃとした街中の一角から、白く眩しい光が突き刺すようにのぼっていた。空気がりんと冷たい。世界中がやわらかい青と赤の混じった色にかわっていく。

 地上は全然きれいじゃない。街にはゴミがあふれているし、動いてていいのか分かんないくらい真っ黒い煙を吐く工場や建っているのがやっとみたいな廃ビルもある。『大雨』のあとの穴ぼこだってなおされないままの場所もある。そんな町だけど。でも。

「きれい」

 朝日がきらきらと屋根や壁を、地面を照らしている様子は、きれいだ。

 工場の汚いコンクリートの屋根におしりをつけて座る。このコンクリートだって今は冷たいけど、お陽さまが当たればきっとあったかくなるんだ。

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