ハッピー・サン・ジョルディ!

平賀・仲田・香菜

ハッピー・サン・ジョルディ!

「ユウキくんはサン・ジョルディの日をご存知かな?」


 新年度が始まり、幼馴染みであるシオリと登校中の発言であった。自信満々に、知ったばかりの知識を披露したいという欲に満ちたその表情に、ユウキは辟易としていた。こういう顔で話しかけられた時、いつも面倒な目に合わされてきたユウキがそう感じるのは当然ともいえる。幼稚園から高校生に至る今日までそうなのだ、当然といえる。

 ぴょこぴょこと揺れる前髪に、『わくわく』と口に出して言いかねないほどに前のめりなシオリに、ユウキは肩を竦めて返事をする。


「確か……親しい人と本を贈り合う日、じゃあなかったか」

「なあんだ、知ってたか」


 ユウキが自身なげに言い捨てる。シオリは『残念残念』と小声で呟き話を続けた。


「来たる四月二十三日。来週の日曜日こそがサン・ジョルディその日なのです!」

「ふうん、日付までは知らなかったな」


 どうせ朝のニュースで特集されていたのだろう、そう邪推しながら適当に会話を続けていた。


「もちろんユウキくんは私に本をくれるよね?」

「先週図書館から借りた本でよければ……」

「又貸しダメ絶対!」

「図書館に返しといてくれる?」

「パシリにしないで!?」


 じたばたと、抗議の意思を身体全体でシオリは表現する。

 迷惑とトラブルを持ち込むシオリと、彼女を手玉に取るように雑な扱いをするユウキ。幼少より続くこの様式美は、周囲の人より夫婦漫才とも評されることもしばしばだった。


「私もユウキくんに本を選ぶから! ユウキくんもちゃんと私に選んでね!」

「しゃあねえB○○K ○FF行くか」

「古本が悪いとは言わないけどプレゼントにはどうなのかな!? そして伏字に意味がないよ!?」


 ※※※


 週末、ユウキは一人で書店を訪れていた。言わずもがな、シオリへ送る本を選ぶためであった。口を開けばぞんざいな言葉ばかりが飛び出すユウキであったが、その実はシオリの悪癖に付き合い続ける誠実な面も持ち合わせていた。

 ユウキは書店という場所が好きであった。心躍る冒険譚、ときめきすら覚えるラブストーリー、背筋が凍えるようなサスペンス、一冊として同じ物語がないところが好きだ。参考書を買う同級生、バイトの大学生、店長のおじさん、多種多様な人が存在していて、その誰もが本を求めてこの場を訪れているという事実に笑みすら浮かべるほどだ。


「さて、何を贈ればいいものか」


 はたと、参考書のコーナーで足が止まる。ユウキは高校受験の勉強をしていた時を思い出す。


『私もユウキくんと同じ高校に行きたい!』


 シオリはユウキにそう言ったが、ユウキの志望校の偏差値は大変に高かった。ユウキは十分に合格圏内であったがシオリはそうもいかなかった。学校、喫茶店、図書館、お互いの部屋で二人はよく勉学に励んだものだった。模試、D判定、ラッキースケベイベントなど様々な障害を乗り越えて無事に二人が高校に合格したことは記憶に新しい。

 進学校の授業に音をあげかけているシオリに、よい参考書を選ぶのはどうだろうか。そう考えてみたが、何だか怒られそうな予感を敏感に察したユウキはコーナーから立ち去った。


 次に、絵本のコーナーが目に入った。ユウキはシオリが絵本を好んで読むことを知っていた。

 では絵本を贈るのはどうか。ユウキはシオリがどの絵本を持っているのかもよく知っていた。そこを避ければ彼女を喜ばさせることも容易だろうと考えた。しかし、ユウキは絵本の良さにいまいち理解を示せていなかった。

 自らの領分に及ばない分野を人に贈答する。これにユウキは首を捻った。自分が良さを知れていないものを贈ることに釈然としなかったのである。ユウキは次へ向かった。


 次のコーナーへ向かう途中、ユウキは気付きを覚えた。


「ーーなるほど、本を贈るとはこういうことか」


 相手の嗜好を考える。自分の好きを伝えたい。贈り物とはかくも楽しいものなのか、そうユウキは感じ、足取り軽く本屋を回った。


「やっぱりこれかな」


 ユウキは一冊の本を手に取り、明日のサン・ジョルディの日に備えた。


 ※※※


「約束のブツは持ってきたんだろうねえ……?」


 ノリがうぜえ、そう感じたユウキはシオリの発言を無視していた。ベッドに座ったシオリは、不満気に足を揺らし、背中から毛布に倒れ込む。


「うう……汗臭い」

「人のベッドに何たる言いよう」


 二人はユウキの部屋で互いの贈り物を持ち集まっていた。シオリはベッドから起き上がるその勢いのままに立ち上がる。


「さてさて、ユウキくんはどんな本をこのシオリちゃんに選んでくれたのかなー?」

「お前こそ真面目に選んだんだろうな」

「この私を甘くみちゃあいけないよ? いくら私が砂糖菓子のように可愛い女の子だからってね」

「砂糖菓子の中でもカルメ焼きとか落雁って感じだけどな」

「絶妙に可愛くないお菓子だね!?」


 日常ともいえる軽快なやり取りを終えたシオリは咳払いを一つ吐いた。そして、ごそごそと鞄から本を取り出した。


「私がユウキくんに選んだ本はこれだ!」


 それは去年に発売された一冊の推理小説だった。


「ユウキくんは推理小説好きでしょう? ホームズも金田一も最近の流行も。私も最近はたくさん読んでるの!」


 ユウキくんに触発されてね、と照れながら付け加える。


「だからこの一冊なのです! 去年読んで一番面白かったやつを選んでみました!」


 ユウキは目をパチクリとさせて、何も言わなかった。無言のまま、自分の鞄から一冊の本を取り出した。


「ーー同じ本?」


 ユウキは頷く。本棚の分まで合わせれば、全く同じ本が三冊もその場に存在していた。恐らくシオリの部屋にも同じ本があるのであろう。

 その事実に、シオリは声を上げて笑った。


「あはははは! こんなことがあるんだね!」

「そうだな、これには驚かざるを得ない」


 ユウキも釣られて頬が綻んでいた。普段は皮肉ばかりを言っていた彼も、今日ばかりは彼女に向ける目を柔和であった。


「驚きましたけど、私はなんだか嬉しいな」


 シオリは続ける。


「私もこの本はすごく面白いと思ったんだ。ユウキくんもこの本が面白いと思った」


 ユウキは黙って頷いていた。


「お互いがさ、好きな本が一緒で読んでほしいとも思った。好きなものがおんなじって、私は嬉しい」


 シオリは感じたことを素直に吐露し、素直に頬を染めた。真っ直ぐに、辿々しくも、ユウキの目を見て伝えた。

 話を聞いていたユウキも同じであった。シオリの伝えたいことを全て受け止めたようと、目を逸らさずに聞いていた。その頬もまた、紅を点していた。


 ※※※


 その日、二人は折角だからと本は交換をして別れた。そして一つ約束をした。


『来週末には二人で本屋に行き、お互いのお勧めを改めて紹介し合う』


 ユウキは一人、部屋で考えていた。


 ーー今度は何を勧めようかな。

 ーー少し恥ずかしいが絵本を教えてもらおうかな。


 来年のことを言えば鬼が笑うというが、来週のことを考えれば誰が笑うだろうか。きっと、シオリには浮かれすぎだと笑われるだろうななどと考えていた。


 ベッドに横になり、シオリがくれた本を手に取る。一年ぶりに読んでみようかなと、ページをめくると一枚の栞が落ちる。

 手に取ると、そこには手書きの文字が書かれていた。


『この本すっごく面白いよ! 私は最初から最後まで興奮しっぱなしだった!』


 それはシオリからのメッセージであった。同じ本を贈りあってもこれの分だけ負けてしまったかな、ユウキは苦笑した。無意識に栞を裏返す。


『犯人が池田だとは全く気付かなかったよ! ユウキくんはわかるかなー?』


 ユウキは栞を握りつぶした。

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