推定悪役令嬢は地雷原で華麗に踊る

加藤有楽

第1話

 オッス、オラ悪役令嬢のルイーザ・クライシェ! 普通の女子大生だったオラは、ある日通学途中に愛車のスクーターで事故っちまった! ブロック塀に激突する直前で気を失ったオラは、気が付いたら悪役令嬢のルイーザになっちまってたぞ! しかも、ここはどうやらオラが死ぬ前に読んでた小説の世界みてぇだ! 小説の登場人物に転生するなんて、漫画みてぇでオラわくわくすっぞ! 

 ご本人どころか某芸人にすら申し訳ないレベルの似てないモノマネで私の置かれた現状を整理してみたが、何一つ事態は好転しなかった。むしろ虚しさだけが募った。あと自分のモノマネの才能の無さも証明された。因みにモノマネの流れでわくわくすっぞ! と言ってしまったけど、全くこれっぽっちも現状にはわくわくしていない。現代日本の一般的な女子大生だった私は、スクーターでの通学途中、道路に飛び出してきたネコチャンを避けて自損事故を起こし、気が付けば小説の登場人物に転生していた。……今、さらっと言ってみたけどマジでどういうことだよ小説の登場人物に転生って。ナントカ転生って漫画や小説はSNSの広告欄で親の顔より見た覚えがあるけど、まさか自分自身の人生において転生って言葉を使う時が来るとは思わなかったわ。私、そんなに日頃の行いが悪かったのかな。勉学もバイトもそれなりにこなす、真面目な学生だったけれども!? 何がいけなかった!? ゼミのグループラインの名称を、プロフェッサーHAGEと愉快な仲間たちにしたこと!?

 思わず両手の拳を握りしめたところで、背後からおずおずと声をかけられる。

「あ、あの、ルイーザ様? お気に召しませんか……?」

 その声に、私はハッとして目の前に意識を戻した。今の私は悪役令嬢のルイーザ・クライシェだ。ルイーザはこれから妹のエルマと庭園を見渡せるテラスでお茶の約束をしており、支度をするため、鏡に向かっていたのである。後ろで支度を手伝ってくれていたルイーザ付きのメイドさんが、鏡を見つめたまま無言で拳を握りしめたルイーザにおろおろと声をかけてきたわけだ。いやいや、ゴメン。わざわざ支度を手伝ってくれていたメイドさんをビビらせる意図は全く無かった。そりゃ悪役令嬢やってる主人が急に拳握りしめたら怖いわな。今のは私の過失だわゴメン。

「いいえ、そんなことなくてよ。素敵だわ」

 慌ててメイドさんを振り返り、安心するように笑顔を見せつつフォローしてから、改めて鏡に写るルイーザを見る。彼女は豊かな金髪の美しい少女だった。というより、美女と言った方が適切かもしれない。歳は確か十八、九で、翡翠のような瞳はきりりと光り、オブラートに包みまくって言えば、勝ち気そうな印象を与える。まぁ、悪役令嬢っぽい見た目、と言えば分かってもらえるだろう。性格キツそうな美人、というやつである。悪役令嬢、基本的に美人系が多いからねそういうもんだからね。因みに髪型は縦ロールとかではない残念ながら。

 またしても無言で鏡を見つめてしまった私に、再びメイドさんが恐る恐る声をかけてきた。

「ルイーザ様、そろそろお時間が……」

 いやホント度々申し訳ない。別にメイドさんに怒っているわけではないので。ホントに。そう思いつつ、慌てて時計に目をやると、約束した時間をやや過ぎてしまっている。

「エルマは待ちくたびれているわね。参りましょう」

 そう言って立ち上がると、上質な生地で作られたであろうスカートがふわりと広がった。先程から、お付きのメイドさんだの庭園のテラスでお茶だの高そうな服だのといっているが、ルイーザ・クライシェは悪役令嬢の名の通り、名門貴族のクライシェ家のお嬢様である。長女かつ長子なので、男女の区別なく長子相続のこの世界では、このクライシェ家を継ぐ娘でもあるのだ。正真正銘の超絶お嬢様である。そんな超絶お嬢様の前世(?)が平凡な女子大生の私とは、私も十分可哀想だが、ルイーザも可哀想である。しかも前世(?)の記憶を思い出した途端、思考回路が完全に『私』になっちゃってるからな! どうしてこうなった!?


 改めて己の境遇に頭を抱えつつ、私は庭園が見渡せるテラスを目指してクライシェ家の広大な屋敷を歩く。十九世紀ヨーロッパ風の重厚な屋敷はどこも現代日本レベルの清潔さと生活レベルが保たれており、私はつくづくこの世界が現実のものではなく、フィクションの世界なんだなぁと実感する。いやだって、現代日本人から見たら、十九世紀ヨーロッパでもなかなかカオスだよね正直。ぶっちゃけ私は生きていく自信がない。衛生観念的な意味でもマジで無理。そんな私ですらなんとか生きていけるこのフィクションっぽい状況下、そしてルイーザを初めとする人々や世界観、舞台となるこの屋敷などから推測するに、私はこの世界が間違いなくある少女小説の世界で、私がその中の悪役令嬢であるルイーザになってしまったと判断したのだ。

 その少女小説は、とにかく節操なく何でも読むタイプの読書家の友人に、軽めの読み物で面白いやつを貸してくれ、と頼んだら、二重の紙袋いっぱいに貸してくれた十数冊のうちの一冊だった。読書家の友人が薦めてくれただけあって、軽めの読み物ながら、冒頭だけで私はこの世界に引き込まれた。掴みからめっちゃ面白かったんだって。マジで。ラノベという概念が生まれる前から存在していた老舗レーベルの、新人だという作者が書いたデビュー作。なかなかの逸材が出てきたもんだと、謎の上から目線でそう思ったこの小説の世界の中心、つまり主人公がこれからお茶をする相手である、ルイーザの妹、エルマである。妹と言っても、貴族ものドラマでよくある、異母姉妹というやつなのだが。

 私がつらつらと考え事をしている間に、ルイーザはエルマとお茶の約束をしたテラスに到着した。見事な庭園が見渡せる豪華なテラスには、お茶の準備を万端に整えたメイドさんたちと、手持ち無沙汰に椅子に座っている少女がひとり。ルイーザが一歩テラスに足を踏み入れると、メイドさんたちは一斉に頭を下げる。いやぁ、これ、ルイーザにとっては当たり前なんだろうけど、私は未だに慣れないんだよね。めちゃめちゃ恐縮しちゃうんですよ、だって現代日本の一般的な女子大生がこんなに多くの人に頭を下げられることそんな無いからな!? 申し訳ないけど私そんな立派な人間じゃないんですよいやルイーザは立派なんだろうけど!

 メイドさんたちが頭を下げたので、座っていた少女もルイーザの到着に気づいたらしい。ぱっとこちらを振り向き、どぎまぎした様子で立ち上がった。この少女が本日のお茶のお相手、この世界の中心、主人公のエルマ・クライシェである。ルイーザとは全く系統の違う甘やかな優しい顔立ちに、やや幼い印象を与える琥珀色の大きな瞳。悪役令嬢がキツい感じの美人なら、主人公は正反対のほんわか癒し系美少女。定番の布陣すぎて納得しかない。やや細すぎる体型は気になるが、その他はまごうことなく、亜麻色の髪の乙女、という見た目のエルマは、ぎこちなく膝を折って淑女の挨拶を見せてくれた。

「ルイーザお姉様、ごきげんよう」

「遅れてごめんなさいね、エルマ。待ちくたびれてしまったでしょう」

「いえ、そんな……」

 姉妹がお互いに顔を合わせたところで、周りに控えているメイドさん含めて、部屋の空気が一気に硬化する。いや、皆そこまで表に出す? 私だって空気そんなに読める方じゃないけど、流石にこれは分かるよ? いや、状況考えれば仕方ないけどね?? 貴族とはいえ姉妹だけのお茶の集まりにそこまでの緊迫感は必要ないはずだが、なにしろルイーザとエルマは異母姉妹であり、お互い初めて顔を会わせたのはたった一月前。こうして二人きりでお茶をするのは初めてである。仕えているメイドさんたちにすれば、どう転ぶかあらゆる意味で心配で仕方ないのだろう。だからって皆態度に出しすぎだからな!!?

 そもそもこの小説は、主人公のエルマが唯一の肉親である母親を失うところから始まる。天涯孤独の身となり、貧しい生活を送るエルマのもとへ、クライシェ家からやって来た使者が、母親がエルマに語ることの無かった真実を暴露する。実はエルマは名門貴族クライシェ家の娘で、ようやく行方を探し当てた父親がエルマをクライシェ家に迎え入れたいと言っているというのだ。母を亡くしてから貧しい生活を送っていたエルマは、このまま野垂れ死ぬくらいなら、と恐る恐るクライシェ家の門を潜ったーー。いや、あらすじにするとびっくりするぐらいテンプレなんだけど、描写がめちゃめちゃ上手くてすんごい面白いんだよ信じて。全ての描写が丁寧で美しいお話なんだ……。私にプレゼン能力が無いばかりに、ガチでテンプレなありがち小説のあらすじになっちゃってるけど。まぁ、とにかく、そんなテンプレな展開で名門貴族のお嬢様になったエルマの前に現れるのが、腹違いの姉であるルイーザなのだ。こちらもテンプレであるが、ルイーザは本妻の娘で長子、次期当主としてありとあらゆる教育を施された正真正銘の超絶お嬢様で、エルマはもともとクライシェ家でメイドをしていた母が、クライシェ家を辞してから生んだ正真正銘の庶子である。最低限の読み書き計算はできるが、名門貴族のお嬢様としての能力はほぼゼロ。しかも母親が亡くなってからクライシェ家にやって来るまでの間は極貧生活を送っており、かなり貧相な娘になっていたのだ。そんな娘を妹です、と紹介されたところで、超絶お嬢様のルイーザがどう思うか……ていうかこれ、ルイーザの父親がクソ野郎なんだよね。妾の子とか小説での頻出ワードだけど、現代日本の女子大生の感覚で言えばマジクソとしか言いようがない。現代日本並みの清潔さを誇るこの世界なら、そんなにホイホイ子供死なないだろそんなあちこちに種付けする必要ある?? ……ごめん。超絶お嬢様のルイーザが口にするには、種付けは品が無さすぎたわ。反省します。

 お嬢様には不適切な罵詈雑言は心の奥に仕舞い込みつつ、ルイーザもエルマに挨拶を返してから椅子に座る。これから貴族の姉妹のお茶会のスタートなのだが、ルイーザとエルマが席についた途端、周りに控えているメイドさんたちの様子が更に緊迫したものに変わる。主人公と悪役令嬢がサシで茶ぁしばくわけである。ヒロイン、悪役令嬢、お茶会。何も起きないはずがなく……という状況で、周りのメイドさんたち以上に緊張しているのが、実は私自身である。マナーや言葉遣い、立ち振舞いには全く不安はない。なにしろ今の私には、いつの間にか言語から立ち振舞いから何から何までそれっぽく変換されている異世界転生お約束のアレが適用されているのだ多分。なにしろ、何か喋ろうとすると口から出てくるのはあまりにも流暢なお嬢様口調だし、所作に至っても正に淑女のふるまいが出てくるのだ。ティーカップって取手の部分に指を通して持つんじゃなくて、取手を摘まんで持つものだって知ってた!? 私はこの前ルイーザが勝手にやってくれて初めて知った! 正直便利だとは思うけど、勝手に身体が動くのはめっちゃ怖い! 操られてる感ハンパないし、異世界転生者がこれを当たり前に受け入れてるなら、皆メンタルつよつよ過ぎない? ……緊張のあまり思考が逸れてしまったが、とにかく私は緊張していた。ティーカップに伸ばす手も若干震えているのが分かる。

「今日はお姉様がお好きだと聞いて、この茶葉を……ルイーザお姉様?」

 一生懸命茶葉について説明していたエルマが私の手の震えに気づいたらしい、不思議そうに声を掛けてきた。小首をかしげてこちらをうかがってくる様子はとても可愛らしいが、私はこの妹とお茶をするのに大変緊張している。

「大丈夫よ。急いで歩いて来たものだから……」

 そう誤魔化して、大きく息を吸い込む。何故私が急にこんなに緊張しだしたか、理由は簡単だ。実は私、この世界の元になっている小説、このお茶会が始まるシーンまでしか読んでないんだわ。つまり、この先どうなるのかさっぱり分からないのである。

 とりあえずね、あの、言い訳をさせてください! 冒頭から描写が丁寧で美しく、めっちゃ面白かったんですけど、もう家を出なくちゃならない時間でね!? とりあえず大学行って授業受けたら、次の授業まで少し間があるから、その時続きを読もうと思って鞄のなかに放り込んでね!? そしてそのまま事故った次第です! ちょっと待って私がルイーザに転生したのそれが原因か!!? そうかも!! なのでね、実のところルイーザが悪役令嬢かどうかも確定情報じゃないので! 性格キツそうな美人っていうビジュアルと、主人公の腹違いの姉という関係性、初めてエルマに会ったときになかなか辛辣な言葉をかけていたことなどを加味して、私がそう思っているだけなので、現段階では悪役令嬢(推定)が正しい表現です! ごめんなさい! これからは、ちゃんと悪役令嬢(推定)って表記します! でもエルマが主人公なのは間違いないから! 逆に言えばそれしか確定情報が無いんですけど! 小説のタイトルも、今流行りの『成り上がり令嬢はスーパーイケメン俺様貴族に変態かよお前ってこっちがドン引きする程溺愛される』みたいな分かりやすいやつじゃなかったし、表紙のイラストも、貧民時代のボロい服を脱ぎ捨てて夜会服に身を包んだエルマが描かれているまさかのピンイラストだったし、裏表紙のあらすじは読んでない! せめてタイトルが名は体を表すタイプだったらよかったのに……。もしくは表紙イラストも、せめてエルマのバックに恋のお相手とライバルキャラの顔ぐらいは入れて欲しかった!! 絵師さん、あまり少女小説の挿絵で見かけない方で得した気分だったけど、今としては恨みしか無い! 情報量が少ないんだよ! バックがクライシェ家の屋敷だけってどういうこと!? 少女小説なんだから、イケメンの一人や二人、表紙にブッこんでおいても良かったと思うんですけどね!? あと裏表紙のあらすじを読まなかったのは私のせいですすみません! 友人おすすめのやつだったから、間違いないと思って確認しなかったんだわ……これは私の怠惰が招いたミス……。いや家を出たあとにこんなことになると知ってたら、授業捨てても小説読みきりましたけどね!?

 懺悔と後悔を始めたら本当にきりがないので、私はとりあえずティーカップを口に運んだ。ふわりと花の香りが広がる少し甘いお茶は、ルイーザの好物のひとつで、エルマがルイーザのためにお茶を用意したのがよく分かる。

「美味しいわ」

 思わず口をついて出た呟きに、エルマはぱあっと顔を輝かせた。美少女の笑顔はプライスレスだが、ルイーザがこの笑顔にどう対応したらいいかが全く分からない。誉める、熱すぎると難癖をつける、エルマの頭にお茶をぶっかける等々、反応をシミュレートすればするほど選択肢が広がっていくばかり。初手からキッツい感じでいっちゃっていいのか、初手から飛ばしていったものの万が一ルイーザが悪役令嬢ポジじゃなかったらどうするのかとか、懸念事項は目白押しで方向性すら分からなくなり、結局一歩も動けなくなっているのだ。なんだここは!? 地雷原か何かか!!?? しかし、ここが地雷原であっても、まさか無で茶をすするマシーンと化す訳にもいかない。私は今、悪役令嬢(推定)の超絶お嬢様、ルイーザ・クライシェなのである。

「わざわざ私の好きな茶葉を用意してくれたのね、嬉しいわ。先程の挨拶も大分良くなっていたようだし、ちゃんと勉強しているのね、エルマ」

 にこりと笑顔を見せれば、エルマは恥ずかしそうに頬を押さえて俯いた。礼には礼で返す。いくら悪役(推定)とはいえ、ルイーザは超絶お嬢様である。流石に冒頭から人の道を外れる訳にはいかないだろう。少し甘いお茶を口にして、私は改めて腹を括った。いいじゃねぇかやってやるよ。悪役令嬢(推定)だろうとなんだろうと、地雷原でも華麗に踊れる姿をみせてやろうじゃないの!!

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