ガラスの靴じゃ歩けない

 その日、私は異世界でシンデレラになった。

 比喩的な意味ではない。まごう事なき正式なシンデレラだ。ガラスの靴にも選ばれた。その時の私の想定の甘さといったらない。友達の少ない冴えない高校生から一気に有頂天人生の始まり。夢なら夢で構わない。はたしてどんなイケメン王子様が現れるやら――と期待に胸を膨らませていたのだ。

『選ばれし勇敢なるシンデレラよ――私の剣となり、永劫の闇夜を切り裂くのです』

 それからなすすべもなく、私はこの異世界を救う旅に出ることになった。



 幾多の苦難を乗り越えた勇者。全てを切り裂く聖なる剣と、何ものにも怪我されぬ純白のドレスを女神に与えられ、強靱な翼をはためかせ空を舞う竜を駆り、永遠に続く闇夜を切り裂き朝をもたらしたとされる英雄――それが、こちらの世界でのシンデレラ譚である。いや確かに詳細をぼかしてあらすじだけにまとめればシンデレラと言えるのかも知れないが、小麦粉から作ってるから麺とパンは同じくらいの暴論だと私は思う。

 私は冴えない女子高生だ。剣を握ったことなどあるはずもない。今までの人生で持った武器らしいものなんて子供の頃に買ってもらった魔法ステッキくらいのものである。

 確かに――最近ちょっと異世界転成ものにハマっていた。別に現実が大嫌いだとかそういうわけではない。少しだけど友達もいたし、家庭環境も円満だった。ただ少し物足りなさは感じていたが、それにしたって『こんなもんだろう』で済む程度のものでしかなかった。

 いくらチート転生だとしても世界を救う旅なんて私は求めてなかったのに。

「今代のシンデレラは本当に覇気がないですね。村娘の方がまだマシというものです」

「じゃー村娘と旅してよ女神様」

 やれやれ、と首を振る女神様は手のひらサイズで私の肩に乗っている。ガラスの靴に選ばれた時にはきちんと人間サイズだったのだが、マナの無駄遣いとのことでこうしてマスコットサイズになっている。

「本当にあなたは……。何度も言いますがきちんと《聖者の靴》を身につけなさい」

「やだよアレ足痛くなるもん」

 ガラスの靴は荷物袋の中だ。あんな硬くてインソールもない靴として機能するのか疑わしいものを履いていられるわけがない。足が痛くなるまで三分もかからなさそうだ。

「あれはあなたが救世主である証明です。それを身につけないなど……」

 またお説教が始まるようなので、私は視界に広がる海を眺めることにした。船の上から穏やかな海面を見ているととてもこの世界が危機に見舞われているようには思えない。

 まだ空は明るい。まだ朝だからだ。これがあと数時間もすると日が沈み始める。その夜は日に日に長さを増し、やがて《永遠の夜》が訪れる。全ての生き物が眠りにつき、そのまま衰弱し緩やかに滅んでいくという。

 実際にその影響は現れていて、例えばどこかの森が枯れたとか、砂漠が広がっているとか、家畜の元気がないだとか――そういう話も結構聞かされた。現代人の私としては日照時間が減ればそりゃそうだよね、って思ってしまうわけだけど。

 正直なところ、私にはこの世界を救う理由はない。何も知らない世界だ、助けたい知り合いもいなければ愛着のある故郷があるわけでもない。失いたくないと思うに至るほどの思い出が、この世界にはなかった。

「……それでもあなたにしか出来ないのですよ」

「声に出てた?」

「その表情は見飽きました」

 なんだかんだでこの女神様とも半年近い付き合いだ。うだうだと考えながらも旅を続けて、今まさに海まで渡ってしまっている。学校には通わないといけないなんて思うのと同じくらいの気持ちでこんなところまで来てしまった。

「女神様は、この世界のこと好き?」

「頭の悪い質問ですね」

 だいたい返事が罵倒になるのなんとかならないのかこのミニ女神。誇らしげな表情を見れば答えは分かるけど。

「私にはまだ分かんない。お風呂も毎日入れないし、ふかふかのベッドもないし、スマホの充電も出来ないし、好きなマンガの新刊もないし」

 友達と馬鹿話も出来ないし、気になっていた先輩もいないし、お母さんの作る甘い卵焼きも食べられない。移動手段は馬でお尻が痛くなることこの上ないし、お気に入りだったスニーカーは土汚れですっかり真っ黒だし、剣なんか振り回させられているせいで手にはマメが出来てしまった。

 何度も何度も命の危機を味わった。殺さなければ殺される状況も何度もあった。相手が魔物だと言っても命を奪っていることに違いはない。蚊を潰すのとはわけが違う。痛みを訴え逆上し、怒りと共に襲ってくる――そういう感情を見せる生き物を、私はこの手で倒してきた。

「まるで果物みたいだな、って思ったんだよね。オレンジとか柑橘系」

 聖剣の切れ味のお陰なのだろう。それは思った以上に容易かった。はりつめた皮を裂いて、柔らかい果肉を分断して、硬い種を割る。死体は残らない。命を奪った瞬間に、魔物たちは灰に変わって行く。

 知りたくなかった。感触が手に染みついている。

 死にたくなかった。私も――きっと魔物たちも。

「重荷を背負わせたことは承知しています」

 女神様が腰を上げて、ゆっくりと私の腕をつたいおりていく。あんなに尊大なのにデフォルメサイズで動きがちまちましているせいで愛くるしいことこの上ない。

「確かに……あなたは命を奪いましたが、それでもより多くの命を救っているのです」

 手のひらにおりた女神様は、私の指を一本ずつ撫でていく。くすぐったい。

「慰めてくれてる?」

「世界を救えるのはあなただけですからね。こんなところで気落ちされて放り出されても困りますから」

 ぺち、と小さな手で指をはたかれる。慰めタイムは終了らしい。

「あのさ女神様、アウグス村で食べたご飯美味しかったね、子供たちも元気でさ」

 そう――世界を救う理由なんて、なかった。

「グラシオス渓谷の景色も凄かった。あの桜に似た花、なんて名前だっけ」

「幸運でしたね、ラシオールは夕暮れにしか咲かぬ花です」

 伝説のシンデレラほどの使命感なんてない。あのやんちゃな子供たちの笑顔や夕暮れに染まる白雪色の花をもう一回くらいは見てもいいかな、なんて思うだけだ。

「この世界にはたくさんの素晴らしいものがあります。全てが終わったら、あなたにそれを見せる旅をしてもいいかもしれませんね」

 私の指につかまりながら、女神様がふっと微笑んだ。見たことのないそれに言葉を失って、

「何をじっと見ているのです。別に……あなたのためではありません。それで世界を救う気になるというなら安いものだと思っただけです」

 私は旅をする。消えないものが増えていく旅を。この素直じゃない女神様と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ショートショート集 影沼いど👁 @id-Kgnm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ