上永冬華の懊悩
砂鳥はと子
上永冬華の懊悩
目が覚めると、眼前に柔らかで豊かな塊があった。思わず私はそこに顔をうずめた。温かで程よい弾力があり、触れていると幸せな気分になれる。
腕を伸ばし、しっかりと抱きつくと力強く抱き返された。静かにゆっくりと髪を梳かれる。
ずっとずっと好きだった人の腕の中は、想像以上に私に幸福感を与えてくれる。
私はこの人と結ばれるために今までがあったのではないかと錯覚するくらいに、何もかもがしっくりくる。
できるなら私の愛おしい人、
「ふーちゃんって意外と甘えん坊よね」
頭の上から、少し掠れたハスキーな声が降って来る。私が一番聞きたい好きな声。
部屋はまだ薄暗い。起きるには早いし、このまま甘えていよう。
手にしたばかりの幸せは一つ一つ噛みしめなくては。
私と椿先輩が初めて出会ったのは、大学生の時だった。サークル勧誘のビラを配っていた、やたら明るくて美人な椿先輩に惹かれて大して興味もない「ボードゲーム愛好会」の新歓コンパに参加することになった。
椿先輩の笑顔は一度見たら忘れられないような、優しさと華やかさに溢れていて、今思えば一目惚れだったのかもしれない。恋愛という意味ではなく、純粋に人して魅力があって、そこに私は惹きつけられてしまった。
「私、二年の
「いえ。何となく興味あったので。私は
「ふゆかちゃんね。ふゆって季節の冬?」
「はい。季節の冬に難しい方の華で冬華です」
「そうなんだー。きれいな名前。やっぱり冬生まれなの?」
「名前褒めてくださって、ありがとうございます。私、十二月生まれなんです」
「そうなんだー。私は二月なの。同じ冬生まれ同士仲良くしてね」
お互い冬生まれの親近感もあって、眩しいくらいのきらきらな笑顔と共に、私の椿先輩への好感度は更に上がった。
コンパに参加して、椿先輩と話しているうちに楽しくなって、サークルもそこに決めてしまった。
我ながら単純である。
気づいたら二人で遊びに出かけるようになって、お互い女しか好きになれないことが分かって、更に私たちの仲は深まった。
未だに閉鎖的な田舎から出て来た私からしたら、女が好きだと気兼ねなく話せる椿先輩はかけがえのない存在となっていた。
私への呼び方もいつの間にか「冬華ちゃん」から「ふーちゃん」になった。
椿先輩だけが呼んでくれる、特別な呼び方。
当時、私は住んでいたアパートの隣人に片想いをしていた。椿先輩はバイト先の先輩に片想いをしていて、私たちは共に年上の女に恋をしていた。
こんな恋の話を相談できるのも椿先輩だけ。好きな女がいかに素晴らしいか熱く語り明かしたこともあった。つい昨日のことのように思い出せる。
何より椿先輩は勝手気ままな私をいつだって受け止めてくれた。
私は当時から彼女の包容力に甘えていた。
あれは夏休みが明けた頃だった。
「ふーちゃんさぁ、バイト探してるって言ってたけど見つかった?」
「いえ、まだですけど。何でですか?」
「今私がバイトしてるところ、人辞めちゃって探してるんだよね。良かったらふーちゃん来ない?」
大好きな先輩であり、友人であり、同士でもある椿先輩の頼みとあっては断る理由もない。私もバイト先は探しているところだったし、椿先輩がいるなら安心して働ける。
それに、私は興味があった。椿先輩が片想いしている人に。上手いこと恋の手助けもできるかもしれない。私は二つ返事で承諾した。
私たちのバイト先は大学からほど近いファミレス。働いてる人たちもみんな気さくで朗らかで、いい職場だった。
私より三つ年上の
その人が椿先輩の片想いの相手だった。
実際にはもっと年上なのではないかと思わせる落ち着きと、品の良さ。溢れ出る母性。派手さはないが、清楚な面立ちと振る舞い。
私も会ってみて、椿先輩が好きになるのも納得できた。
夏目先輩が椿先輩と両思いになれる可能性がどれくらいあるか分からないが、私はなるべく二人が一緒にいられるように立ち回った。
「ふーちゃん、昨日はありがとう〜。おかげで小夜子さんと二人きりになれた〜」
「いい後輩は持つべきものですよね。良かったですね、椿先輩」
めちゃくちゃ幸せそうな椿先輩に私はとてつもない満足感と、何故か焦燥感を覚えていた。
何だか椿先輩が遠いところへ、手の届かないところへ行ってしまうような、妙な焦り。
(私、嫉妬してるのかな。椿先輩に)
片想いとは言え、好きな人との時間を増やしている椿先輩。一方、私は隣人のお姉さんとはあまり会えない日々が続いていた。
会えないせいか、最近はあまりお姉さんについて想いを馳せることも減ってきている。
どうにもなりそうもない自分の恋はこの際、胸の奥へしまっておこう。今は椿先輩を幸せにしたい。
私は自分の中に渦巻く正体不明の感情については考えないことにした。
街中がクリスマスの飾りつけで賑わう頃。椿先輩は風邪でしばらくバイトを休むことになった。
何となくいつも一緒にいる人がいないつまらなさを抱えていた、そんなある日。
夏目先輩は見るからに嬉しそうにしていた。
「何かいいことありました? 夏目先輩」
声をかけると、こちらまでその嬉しさが伝播してきそうな笑顔を向けられる。
「あ、分かる? 今日はずっと締まりのない顔になっちゃいそう」
夏目先輩は手で顔を覆う
「何かあったんですか? 気になりますね」
「実はね、気になってた人に告白されて付き合うことになって」
照れくさそうに微笑む夏目先輩。
私の脳裡には椿先輩がちらつく。
(もしかして⋯⋯、まさか)
知らない間に二人の仲が進展したのか。
私の心臓はどくんどくんと、喜びなのか不安なのかよく分からない高鳴りで拍動する。
「夏目先輩、おめでとうございます。お相手の人、どんな方か聞いてもいいですか?」
「同じ大学の先輩だった人で、今はもう卒業してしまったのだけど、たまにメールでやり取りはしてて⋯⋯」
相手は椿先輩ではなかった。
その後の夏目先輩の話はよく覚えてない。始終幸せいっぱいの顔だったことだけは思い出せる。
(何なのよ。椿先輩がどれだけあなたを好きだと思ってんの)
私の中には怒りが湧いていた。
(あんなに、想われてるくせに!)
夏目先輩が椿先輩を裏切ったように感じでしまった私は、ただただ腹立たしかった。
それとは別の感情も私の中にはあった。
(椿先輩、失恋しちゃうよね)
紛れもない、喜び。
怒りの裏から滲み出るのは喜びだった。
私は椿先輩が失恋することを喜んでいた。
その時に私は気づいた。
いつの間にか椿先輩のことを好きだったことに。
恋の相談にのっていたら、その相手を好きになっていた。なんてよく聞くけど、実際に自分がなるとは思わなかった。
同士として、少しでも椿先輩が好きな人と幸せであって欲しいと思っていたはずなのに。
だけど、私は失恋に喜んでしまった。
椿先輩は誰かのものになったりしないことに、心の底から安堵してしまった。
「知ってたよ。小夜子さんに好きな人いるの」
椿先輩はビールを
風邪も治りバイトに出られるようになった椿先輩は、真っ先に夏目先輩から話を聞かされたらしい。
夏目先輩としては、お気に入りの可愛い後輩に、自分のことを早く報告したかったのだろう。相手の傷口に塩を塗るような行為だとも知らずに。
「でもさぁ、それでも恋愛感情ってすぐに消えたりしないじゃない。想いが通じないって分かってても、好きな気持ちって抑えられないんだよね。ふーちゃんもそうじゃない?」
今にも涙が溢れそうな椿先輩を見て、胸が締め付けられる。
「ですね⋯⋯。椿先輩、今日は付き合いますよ。どこまでも。私は飲めませんけど」
私はビールの缶の蓋を開けて、椿先輩に渡す。
「私がすっごい酔いどれになったらどうすんの、ふーちゃん」
「ちゃんと面倒見ますよ。私はよくできた後輩なんでね」
「言うね〜。ありがとね、ふーちゃん」
切なさが滲んだこの時の椿先輩の笑顔は未だに忘れられない。
それから椿先輩は失恋を忘れるかのようにお酒を飲んでいた。
まだ未成年だった私は一緒に酔いどれになることはできなかったけれど、椿先輩が満足するまで付き合うつもりだった。
そこまで飲んだくれでもない椿先輩は、途中で眠くなったのか、テーブルに突っ伏して動かなくなった。
私は側に置いてあったブランケットを肩にかける。
「大丈夫ですよ、椿先輩。次の恋はきっと叶いますから」
すっかり寝ているものと思って声をかけたのだが、伏せた顔から嗚咽が漏れてくる。
「⋯⋯⋯好きだった。⋯⋯⋯好きだったのに」
私は泣いている椿先輩に寄り添って、躊躇いつつもどきどきしながら手を握った。
柔らかな椿先輩の手がぎゅっと握り返して来る。
私はまたそれに嬉しくなって、失恋を喜んだり、触れられたことを喜んだり、我ながら最低だと思った。
(いつか、私が椿先輩を幸せにできたらいいな。⋯⋯いや、できたらいいなじゃない。絶対幸せにする!!)
椿先輩が私を見てくれることはないかもしれないけど、少しくらい望んだって罰は当たらない。
その後の椿先輩はというと、美容師さんと付き合ったり、学内の図書館の事務員さんを好きになったり、それなりに恋を謳歌していた。
私に意識は向くことなく、あくまでも友だちとしての関係が続いた。
三年生になる少し前、私は東京から遠く離れた実家に呼び出されていた。
「冬華は東京の会社に就職するつもりなのか?」
「そのつもりだけど」
私が地元ではなく東京の大学を選んだのは、閉鎖的で古びた因習が残る田舎から出たかったからだ。
私の返答に父も母も嫌そうな顔をする。
「お姉ちゃんみたいにこっちで結婚したらどうだ。女なら働くよりその方がいいだろ」
父は当然と言わんばかりに時代錯誤なことを言い出す。
私の姉は昨年、地元の人と結婚した。
地元で育って、勉強して、就職して、結婚して。両親が望むような人生を歩んでいる。私にはとても楽しそうとは思えない人生を。
「冬華、いいお話もあるのよ」
母が言い出した時に、やはり私はここで生きていくのは無理だと悟った。
「あのね、お父さん、お母さん。私、大事な話があるの」
二人は不安そうに目を揺らしながら私を見つめる。いい話ではないと感じ取ったのだろう。
「私、女の人が好きなの。だから、姉さんみたいに結婚できないし、子供を作るのも無理なの」
そこから先は予想通りの修羅場だった。
父も母も怒った。
私がたかだか同性が好きというだけで、まるで人殺しでもしてきた娘を相手にするような態度に、私の気持ちはすっかり冷めきっていた。
「お前みたいな娘は必要ない!! 二度と帰って来るな!!!」
最後に父にそう怒鳴られて家を追い出された。
(これがいわゆる勘当というやつか)
状況にそぐわない冷静な自分に苦笑い。
何もかもが私の想像を越えない展開に、悲しいとか寂しいなんて感情は芽生えず、ひたすら虚しさだけが残った。
しかし言いたいことを言えてすっきりした部分も少なからずある。
父や母が怒り狂おうが、私の恋愛対象が男になるわけではない。
私は人目に触れないよう静かに実家を後にした。
新幹線に乗り、東京に戻る。
(椿先輩にお土産買うの忘れちゃった)
夜の真っ黒な車窓を見つめながら、そんなことに気づく。
(会いたいなぁ。会いたい。椿先輩に)
好きな人に会って、好きな人の好きなところを実感したい。
疾走する新幹線さえ遅く感じるほどに、私は椿先輩に会いたい気持ちが先走っていた。
「ふーちゃん、どうしたの、こんな時間に」
新幹線を降りた私は真っ直ぐ椿先輩の家へと向かった。夜九時を過ぎているのに、嫌な顔を一つせずに出迎えてくれた。
「私、田舎に行ってくるって言ったじゃないですか。お土産買ってきたので、椿先輩に渡そうと思って」
私は紙袋を渡した。
「これ東京のお土産だよね⋯」
私が持って行ったのは東京駅で買ったお土産だ。東京と言えば誰もが思い浮かぶであろう、定番のお土産。地元で買いそこねたので、無難なものをと思ったらこれになった。
「ふーちゃんどこに行ってたのよ。まぁ、いいや。おいで」
部屋に招かれて上がる。
リビングの私が定位置にしている場所に座る。
「ふーちゃんの故郷って東京だっけ? 違うよね」
椿先輩は台所でコーヒーを用意しながら、私に話しかける。
「違いますよ。向こうで買うの忘れたんで」
「だったら別に買わなくてもよかったのに」
「椿先輩に買って帰るって約束しましたから。ありがたく貰ってくださいね」
「うん。まぁ、貰えるものは貰っておくけどさ、何であれ?」
「逆に東京にいると食べないじゃないですか」
「確かにね。それもそうだ」
椿先輩が淹れてくれたコーヒーを持って来たので受け取る。
「ありがとうございます、椿先輩」
心の中にはまだ勘当された時のもやもやが漂っている。でも椿先輩の明るい顔を見ていたら、それも晴れそうな気がしてくる。だからこそ、私はこの人が好きなんだ。
「ふーちゃん、何かあった?」
「⋯⋯⋯何も」
椿先輩は鋭い。私の恋心以外には。
「何もないのにこんな時間に来ないでしょ、ふーちゃんは」
「⋯⋯⋯。愚痴りたくなるような楽しくないことはあったかな」
「愚痴は聞いてほしい? 必要ない? 聞いてほしいなら聞くよ」
心配そうに見つめられて、ぐっと来る。涙腺がじわじわと刺激されるが、こんなことで泣き顔は見られたくない。
「必要なかったら来ないか。ふーちゃん、話したいこと全部話しな。私でいいなら聞くから」
椿先輩は子供にするみたいに、私の頭を撫でる。
「家族がいなくなりました」
私は今日、実家に帰って起こったことをありのまま話した。
椿先輩は私の愚痴を静かに聞いてくれた。私が同意してほしい時は同意してくれて、怒ってほしい時は怒ってくれて。
私の感情に寄り添いながら聞いてくれた。おかげで話終える頃には、余分なものを全てきれいさっぱり捨て終えたような爽快感すらあった。
「私はふーちゃんの味方だからね。ふーちゃんの家族がふーちゃんを勘当するなら、私がふーちゃんの家族になる。いつでも側にいるから、困った時は私を家族だと思って頼ってね。いい?」
真摯な瞳で見据えられて、この人は嘘とかその場限りではなく私を家族のように大切に思ってくれるのだと伝わった。
私としては家族よりも恋人の方がいいけれど、それは贅沢というものだろう。
「椿先輩が家族かぁ。悪くないですね」
「可愛げないこと言うな」
頭をこづかれる。
私は椿先輩さえいてくれたら、この先も生きていける。そんな希望すらも、私はこの人から貰った。
椿先輩は五月に内定をもらい、就職先が決まった。
これにより私がどの会社に就職したいかも定まった。
勘当された身だし好きに生きてやる。
それならとことん好きな人を追いかけようって決めた。
椿先輩の彼女になれなくても、死ぬまで特別な存在として、心に残りたい。
翌年、私も椿先輩が就職した会社の内定をもらった。その上、同じ部署の先輩後輩になり、運命さえ感じた。
ここまで来たら、私と椿先輩の恋が始まってもおかしくない、と私は無駄に自信を持っていた。
しかし、私たちの関係が恋愛に発展することはなかった。
「冬華、私すっごいタイプの女落とした!!」
私の気など知るはずもない椿先輩は、さらりと私にとって残酷なことを言い出す。
あげくに呼び方がふーちゃんから冬華になってしまった。
相手がいるのに私の出番など来るはずもなく。
翌年になり、椿先輩はその人と別れたあとは、また別の年上の女性と恋に落ちていた。
私は椿先輩の恋は応援しない。いや、できなかった。そのかわり反対したりもしない。そんなことをしたら、余計惨めになると思ったから。
常にそんなスタンスで椿先輩の恋路を見守ってきた。
私はただ指を咥えてるだけ。
椿先輩からしたら私は友だちで同士という関係が強すぎて、今更恋愛対象になどならないに違いない。
(これから更に女に磨きをかけて何としても椿先輩を振り向かせる!!)
私は決意した。
したのだが次こそはチャンスを掴んでやる、と勢い込んでいたら、椿先輩は異動で別の部署になってしまった。
離れるのは寂しいけれど、逆に違う部署になったことで恋愛しやすくなったようにも思える。私は前向きに考えた。
近くにいすぎないことで、少しは私を意識してくれるんじゃないかと淡い期待を抱きながら。
だがその期待は椿先輩本人から粉々に打ち砕かれた。
「どうしよう、冬華。私、上司のこと好きになっちゃったかも」
久しぶりの恋の相談は、上司に本気になったという全く聞きたくない類のものだった。
しかも相手はやり手で美人の年上の女。
この時の私はこれからその女についてことあるこどに聞かされるなど知る由もなかった。
「椿先輩、まだあのおばさん好きなんですか?」
ついつい嫉妬で口が悪くなる。
「うるさいなぁ。いいでしょ。別に」
「三年も片想いなんてすごいですねぇ」
と言いつつ私がそれ以上に椿先輩に片想いしていることは、棚の上にぶん投げておく。
椿先輩はかなり片想い中の上司には本気だったようだ。実りそうもないのに相変わらず好きなまま。
しかし片想いしすぎて寂しいのか、最近は一夜限りのお遊びにも手を出している。
どうせその辺の女に手を出すなら私に出してくれたらいいのに、なんて冗談でも言えない。
「
「椿先輩がおばさん好きなんて改めて考えるとショック」
「何とでも言え。冬華はいつからそんな意地悪になったのかなぁ」
「私はいつでも最高に可愛いくて優しいじゃないですか。変なこと言わないでください」
私が可愛くないのは私が一番分かっている。
もっと素直で可愛げがあったら、と思うものの生来の性格が真っ直ぐになるわけでもない。
(もし私が告白したら椿先輩はどんな反応するんだろう)
無下にあしらわれることはないと思うが、距離を置かれたりしたら私は寝込むかもしれない。
勇気も出ず、憎まれ口を叩いていたら五年が過ぎてしまった。
あれは去年の年末のことだ。
椿先輩も含め、仲のいい職場の人たちとクリスマスパーティーをすることになった。
つい数日前まではいつもと変わらなかった椿先輩は、背中に重い空気を背負っていた。どうも落ち込んでいるらしい。
「これからパーティーするってのに、何なんですか、その辛気臭い空気」
私たちは電車でパーティー会場となる先輩の家に向かっていた。
「冬華には関係ない」
明らかに拗ねている。
「パーティーにあのおばさん課長がいないから凹んでるんですか? 確か誘っても断られたんでしたっけ? ノリの悪い女ですよね」
「好きに言ってて」
重苦しいため息を最後に、椿先輩は目を閉じてしまった。
こうなっては私もいつもの憎まれ口を叩きにくい。
「⋯⋯⋯失恋、したとか」
ほんのり期待感と心配を混ぜつつ、探りを入れる。
椿先輩は面倒くさそうに目を開くと、私を虚ろな瞳で見つめる。
「さぁね」
いつか見た失恋した後の寂しそうな顔で、私は確信した。
何があったか分からないが、椿先輩は失恋したのだ。
私は口の端が上がりそうになるのを堪えて、おとなしく黙った。
やっと椿先輩からあの女の話を聞かなくて済む。
チャンスは巡って来た。
どうせ私は好きな女の恋も素直に応援できないクズなのだから、利用できそうなものは利用して今度こそ椿先輩を手に入れてやる。
どうやって椿先輩を私のものにしようか。考えるだけで楽しくてたまらない。
私は最高のクリスマス迎えた。
再び目が覚めると、柔らかくて温かい腕の中にいると気づく。
あまりに強引に椿先輩と関係を持ってしまったので、正直不安はある。
自分から仕掛けておいてあれだが、あんな方法で椿先輩が私に手を出してくれるとは思わなかった。
だが、もう後には引けない。
きっと椿先輩はまだあの女への想いを完全に断ち切れたわけではない。
でもこれから私に夢中にさせればいい。
今度こそ、私を好きにさせてやる。
私は椿先輩の頭を自分の方に引き寄せる。
「んん⋯⋯冬華ぁ、痛い」
「ごめんなさい。でも私、キスしたいんで。あと呼び方、戻してくださいね」
「冬華?」
「もう、呼び方!」
「はい、はい。ふーちゃんね。ふーちゃん」
椿先輩の方からキスしてくれる。
こんな満足感がこれから増えていくのかと思うと、最高に痺れる。
「何でその呼び方がいいの?」
「ふーちゃんって呼び方するの、椿先輩だけですから」
他の誰にも「ふーちゃん」とは呼ばせないし、呼ばせなかった。こう呼んでいいのは世界で椿先輩だけ。
特別な意味なんてないあだ名でも、私にとってこの呼ばれ方は特別なのだ。
社会人になってからはあだ名呼びは良くないと思ったのか、いつの間にか冬華呼びになっていたけれど。
それを密かに寂しいと思っていたので、やっと元に戻り私としては嬉しい限り。
「椿先輩、これからもたーくさん、愛しますからね。失恋なんて忘れさせてあげますから楽しみにしててください」
「本当にふーちゃんって、ふーちゃんだよね。昔はもっと可愛らしかったのに」
「何言ってるんですか? 私は今も昔も可愛いですよ。椿先輩のためだけに」
じぃっと椿先輩が私を見つめる。
「あのさ、ふーちゃん。本当に昔から私のことが好きだったの? そんな素振りなかったよね?」
「ありましたよ。椿先輩が鈍感なだけです。鈍感すぎてムカつく」
「だってふーちゃんが今更私を好きなんて思わないでしょ。普通。ふーちゃんは私のどこが好きなの?」
私は再び顔を寄せて、椿先輩とたっぷりキスを交わす。
「全部ですよ。全部。椿先輩の全てが好きなんです」
「具体性がない」
「分かりにくかったですか? 今説明したのに。仕方ないですね。もっと体で感じ合いましょうか」
「朝だよ、ふーちゃん」
「愛し合うのに時間は関係ありません。どうせ休みなんだから、いいじゃないですか」
私は椿先輩の手を取って、自分の体に這わせる。
「私は椿先輩の優しさも、明るさも、無邪気さも、顔も、声も、手も何もかもが好きなんです。気づいたらそうなってたんです。理屈じゃないんですよ。いい加減分かってください」
「理屈じゃない、か。確かに恋ってそういうものだよね。ふーちゃんに触れて楽しいのも理屈じゃないし」
椿先輩は気分がのってきたのか、私を抱きしめる手が強くなる。
「そのままもっと私を好きになってください」
「本当、ふーちゃんって生意気。でもそこが可愛いんだよね」
私たちは春の朝日が差し込んだ部屋で、快楽に沈み込んだ。
私はこれから先もまだ椿先輩にやきもきするのだろう。
でもそれだっていつかは幸せに変えていきたい。
椿先輩も私も一緒に幸せになって、私たちが選んだ道は間違ってなかったって死ぬ前に思えたら最高だ。
二人の最高のために、私はこの恋を満開にしてみせる。
上永冬華の懊悩 砂鳥はと子 @sunadori_hatoko
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