船上の襲撃者 -4
「情けないわ」
医務室の寝台の上で、フランチェスカは息を吐いた。
「まだ先は長いのに。いくらライエさんの薬が効くからって、たちどころに治るものじゃないし」
医務室にはフランチェスカとレナードの二人だけだった。強盗騒ぎで船内が緊張したせいか、気分が悪いという乗客が数名いるらしい。船医は二人を残して往診に行った。
その隙に、フランチェスカはライエから預かった魔法薬を服用した。船医には悪いが、魔法による治療に寛容な医者ばかりではないから、黙って使ってしまう。
「フランはしばらく、怪我を治すことだけに専念してろ。あとのことは俺がどうにかするから」
「エルダ王女には今、私達しかいないのに」
エルダに割かれる人間の数は、常に限られている。
呪われた王女、忘れられた王女と遠巻きにされ、王妃が懐妊してからは、あからさまに切り捨てにかかろうとしているものまでいた。
「……本当の意味で切りかかってくるなんざ、冗談じゃない」
エルダを守り切ったということだけで、安堵などできなかった。
フランチェスカの肩に巻かれた包帯。血の気の引いた顔に、少し話すだけで切れる息。
「痛むか?」
「そりゃあね。でもライエさんの薬は痛み止めも入ってるでしょう。止血もしっかりしてもらったし、じきに落ち着くわ」
フランチェスカは、また疲労の滲む息を吐いた。
「それに、この程度で済んだともいえるのかもしれない。相手がもっと力が強くて、体が大きくて、手練れの人間だったらどうなってたかわからない」
「相手、気づいたのか」
俺は拘束してる時に気づいたけど、とレナードが言うと。
フランチェスカは小さく頷いて、目を伏せた。
「王妃様の、腹心の侍女」
「……だな」
「私は切り付けられた時にわかったわ。あまりの形相だったから、信じられなかったけれど」
王妃の傍に使える侍女。王妃が輿入れの時に生家からそのまま連れてきた者だ。歳も近く、主従でありながら姉妹のようであり、親友のようである二人。もしかしたら王妃は、夫である王よりもずっと信頼し、頼っているかもしれない。
「あの方なら、王妃様が人殺しを命じても遂行するかもしれない」
そこまで言って、フランチェスカは頭を振った。
「王妃様が、エルダ王女に危害を加えるような命令を下したとは思わないのよ。母親が娘をなんて、そんなことあってたまるもんですか」
「あれは命令なんかじゃないだろう。……王妃が、『呪われた子どもを殺せ』と喚き散らしていたというのは、耳に入ってる。乱心していたのは確かだろう」
「ただそれを、周りは諫めなくてはならないのよ。絶対に聞いてはいけない。呪いをエルダ王女のせいにして責め立てたり、ましてや排除することで解決しようだなんて、絶対にあってはならないんだわ」
険しい顔で、フランチェスカは毛布を握りしめる。
「フランはエルダ王女に非道な命令を下されたら、どうする?」
レナードに問われて、フランチェスカはわずかな間、考えて答える。
「まずはレナードに相談するかしら」
フランチェスカの回答に、レナードは瞬きした。
「それは頼ってくれて、どうも」
「……でもね、あの侍女の方にはね。誰もいないのよ、王妃様以外は。祖国を離れ、ただ二人だけで異国であるヴェルレステに遥々来て、王宮に入って。心から信頼し合えるのはお互いだけ」
ヴェルレステ国民の誇りである王宮は美しい。けれど王宮は宝石箱ではない。美しいものだけが詰まっているわけでなく、人間が納まっている。
城にたくさんいる全ての人間が清いわけでも、また人間を形作る全てが正しいわけでもない。何かが大きく間違っているかもしれなくて、誰かが敵かもしれない。
その渦中で立ち続けることの、なんと過酷なことか。
「そうなったら、あの侍女の方にとっては、王妃様が唯一の存在になってしまう。何を言っても正しいことだと信じ、聞いてしまうかもしれない。たとえそれが戯言でも」
「あの人、王妃がエルダ王女を出産する時に、産婆と一緒に取り上げてまでいるだろう。そうまでした子どもを、傷つけようだなんて」
わざわざ王妃の元を離れて、船に乗り込んでまで。かの人をそこまで追い詰めた、あるいは、奮い立たせた忠誠心。
「取り上げた者の責任、みたいなものも感じているのかもしれないわ。後は、母が子どもを害するような、そんな悲しいことが起きる前に、自分が手を汚そうとしたか。……真相なんてわからないけど、でも」
フランチェスカは虚空を睨むようにした。揺らがない瞳。
「同じ侍女として、私はあの人を絶対に許さない」
大きく息を吐いて、フランチェスカは起こしていた身をゆるゆると寝台に横たえる。
「ごめんなさい、少し休んでいい?」
「おお、寝ろ寝ろ。休んで体力を回復するのが一番だ」
レナードはフランチェスカに毛布をかけてやる。
「もう少しまともに戦えると思ったのになあ。結局、父さんは私に護身術程度の剣術しか教えてくれてなかったってことよね。うう、父さんめ」
「城に給仕するったって、兵士じゃないんだから。そんなことで先生に恨み言吐くな」
レナードの言葉に、フランチェスカは小さく笑った。
フランチェスカの父は、王宮で剣術指南役を務めた官であった。民間の子どもにも広く門戸を開いており、レナードは幼い頃からその教え子だったのだ。
「先生には本当に世話になったからな」
「オリバー君がレナードのことを先生って呼んでるのを聞いていると、あなたが父さんに剣術を学んでいた頃の事を思い出しちゃうわ」
懐かしくなっちゃう、と呟きながら、フランチェスカは目を伏せた。
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