夜の中で出逢った少女 -2
「……嘘だ」
否定したいわけではなかった。ただ、信じられなかった。あまりに相手の存在が大きすぎて。
「……あなたがそう思うのも、無理ないでしょうね。私はあまり認知されていないから」
だからエルダがそう言った時、オリバーは面を食らってしまった。嘘だと言ったことを、真にとられるとは思っていなかったから。けれど人々の口に上る、数少ないエルダの評判を思い出す。確か、病に侵されたとかで。
「えっと、その」
「オリバーが驚くのも仕方ない。一般人が王族の顔を拝むなんざ、そうそうある話じゃない」
そういうレナードこそ、なぜ王女と並んでいるのか。剣の腕の確かさといい、もしかしたらどこかで相応の立場にある人かもしれないとは、考えたことがなかったわけではないけれど。
「レナード先生は何なの、実は城仕えとかなの。王女様の、何?」
「レナードは私の護衛なの」
「はあああ⁉」
エルダからの返答に、オリバーはそれこそ少女の正体を知った時よりも驚いた。初対面な上、王女という遠すぎる存在には呆けるばかりだが、ずっと身近にいたレナードの素性の方が、はるかに心を揺るがしたのだ。
「え、嘘でしょだって、それってつまり、レナード先生も結構偉い身分の人ってことじゃないの」
「ああ、俺はそんな大層な人間じゃないぞ。確かに城仕えの人間ではあるけど、階級は全然高くない」
目を剝いたオリバーに向かって、レナードは手をひらひらと振った。
「だって私、そんなに大事にされていないもの」
エルダのつぶやきのような言葉に、オリバーは瞬く。
「……って、こんな言い方、レナードに凄く失礼ね。私の傍仕えの人たちが適当に選ばれているっていうんじゃない。選ばれた人の方が、貧乏くじなんだもの」
ふるふると頭を振ると、エルダの細い髪が弱々しく揺れた。
「そんな言い方、するもんじゃないですよ」
レナードが窘めるように言った。自分と変わらぬ年頃の子どもに丁寧な言葉遣いをする師を見て、オリバーは改めて目の前の少女の存在を思い知る。
「そうね。私は私にできることをやるしかない。腐ってる場合じゃないよね。レナードたちがいてくれるだけでも、心強いもの」
「それで、これからどうしようっていうの」
いつもと変わらぬ口調でライエが問う。
ライエのエルダへの態度は飾らない彼女らしいし、けれどそれで許されるものなのだろうかとも思う。オリバーの思案をよそに、エルダも構う様子もなく続けた。
「呪いを食い止めるつもりよ。なにがどこまでできるかは、わからないけど」
「それは自分のことも?」
「どうしたって、私自身の呪いとも向き合うことになると思う」
エルダが纏う、袖のない外套の合わせがはだける。初めてエルダの手が見えた。ゆっくりと持ち上がる両の腕を見て、この少女は体のどこまでもが細いのだと、オリバーは思い知る。
「え……」
その細い両手首に見つけた、奇妙で、だけど覚えのあるそれ。オリバーは思わず声を上げて、けれどそのまま絶句した。
エルダの両手首に、文字が刻まれていた。
まるで珍しい細工の腕輪のように。忌々しい手枷のように。両腕とも手首を一周するように、文字が刻まれている。
それはオリバーの額に刻まれたものと、よく似ていた。
「これが私に刻まれた呪い」
胸の前に掲げられた両腕と、エルダの視線が真っすぐとオリバーの方を向いていた。自分に突きつけられるようなそれらを、オリバーはただ見つめているしかできなかった。
「厄介な呪いもあったもんだよ。私じゃまともに対抗できやしない」
忌々し気にライエが吐き捨てる。
「ライエには感謝しています。度々登城してもらっては、呪いが進行しないように魔法をかけてくれて」
そんなことをしていたのか、と初めて知った事実にオリバーは内心で感心する。
「まあ魔女も魔法使いも、今じゃたいした数いないからね。魔法の条件や素性から言ったら、私が適任だろう」
「ライエには、お母様を助けてほしいの。お母様の傍に仕えて、出来うる限りのことをもって呪いに対抗してほしい」
「エルダはどうするつもりなの」
胸元に置かれたエルダの両手が、ぎゅっと固く拳を握る。
「私、レイラ島に行きます」
――レイラ島。人類未踏だった頃から魔女の棲んでいたという、ヴェルレステ史の始まりとなった島。
「私や、お母様を襲う呪いを産む元となった、あの島へ。呪いを解く鍵は、きっとレイラ島にあるから」
エルダの緑色の瞳は、強い決意を宿していた。目の合ったオリバーは、思わず問いかける。
「はじまり島へ、行くん……ですか?」
エルダが首を傾けた。
「あなたは今まで一度も、レイラ島に帰ったことはないの?」
「帰る?」
オリバーが聞き返すと、エルダは確かにうなずいた。
「だってあなた、レイラ島から来たんでしょう?」
衝撃にオリバーは、一瞬言葉を忘れた。
上陸できないとされているはじまり島。魔女伝説も相まって、半ばおとぎ話に出てくる島のように思っていた。
そのはじまり島から、自分は来たんだって?
「違うの?ライエにそう聞いたことがあるのだけれど」
「エルダ、オリバーは自分がレイラ島で暮らしていたってことを知らないんだ。この子は呪いを受けて、記憶を失ったんだから」
ライエの言葉に息を飲む。
「俺って、呪われてるの?」
呪いなんてあるわけがない、と否定した。話を聞く限り、ライエが呪いをかけるなんてことはなく、むしろそれを解き、対抗する立場だったようだ。それはいい。けれど、自分にも何か呪いがかかっているなんて。
「額の文字みたいのって、呪いの痕なの?」
エルダの腕にもあった文字。彼女はそれを呪いと呼んでいた。
「そういうことだね。オリバーにうちに来る前の記憶がないのは、呪いのせいだ」
呆然とする。自分が何者かわからないと心を曇らせる原因が、呪われていたからだなんて。
「そっか。この額の文字って呪いの印なんだ」
「オリバーの記憶はね、呪いに奪われたんだ」
ライエはオリバーの額に触れた。
「ひどい呪いだよ」
オリバーを労わる手に、掻き乱れた心が静かになっていくのを感じた。
そうだ。たとえ記憶がなくても、自分には優しくしてくれる人がいる。
「でも、確かに自分のことはちゃんと知りたいけど。呪いって痛いとか苦しいとか、そういうものだと思ってたから、そういうのと比べればマシだよ」
強がりでもなく本心でそう言えば、ライエは険しい顔をした。
「自分の母親まで忘れることの、どこがマシだっていうんだ」
心が震えた。記憶の芯はびくともしないのに、心臓が早鐘を打つ。
「はは、おや?」
「オリバーの母親は、レイラ島にいる」
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