未来の蜜蜂

白林透

未来の蜜蜂

 一人の少女が、緑の軽自動車を自動運転で走らせながら運転席で本を読みふけっていた。

 本のタイトルは『機械きかい反逆はんぎゃく あっという間にユートピア!』。

 2073年2月現在、ベストセラーとなっている書籍オールドファッションである。

 ちなみに本と言っても材質は紙ではなくマイクロファイバーポリフィルム繊維だ。

 極力きょくりょく、本の手触りを再現した物で、リサイクル可能で環境に非常にやさしい。

 夢のような素材である。


「ゴーヤ、今日の配達はあといくつ?」

『あと三件です。予想終了時間、午後四時三十八分』

「うわ、定時ギリギリだね」


 肩にかかる黒髪に、整ったまゆ。クリっとした目にはブラウンのひとみ

 そんな可憐な容姿に似合わない、深緑の全身ツナギを来た少女が本を顔に押し付ける。


「次の目的地までは?」

『二十三分です』

「一章くらいまでは読めるかなぁ」

『無理です』

「……今のは独り言だって」


 最近の自動車は高性能すぎて困る。走る以外の機能なんていらないのに。

 少女は読んでいたページにしおりを挟み、本のページ先頭へと戻る。もう、何度同じ動作を繰り返したか分からない。


「かくして2034年、世界は核の炎に包まれた」


 冒頭の一文である。なんとセンセーショナルな書き出しだろう。

 それだけで話が閉じている。出オチもいい所だ。


「ゴーヤ、かくから人が立ち直るのに何年掛かる?」

『一般的な観測から述べます。百二十年』

「だよねぇ」


 鬱々うつうつとする本の書き出しに反比例して、窓の外に広がる空は雲一つない快晴。

 けれど、その空にはゴマ粒のように浮かぶ点が複数個。

 貨物運搬用のドローン達である。

 このご時世じせい、人々は家から出ることなくほぼ全ての仕事が可能だ。

 かつては人の手が必須と言われた工場作業、建築現場、介護に至るまで全ての職は機械による全自動化が完了している。

 人が外に出る必要がなくなった事で、宅配サービス需要じゅよう鰻上うなぎのぼり。

 かつては劣悪な労働環境が横行し、軽視されていた運送業が世界の主要事業の一つにおどり出た。とはいえ、その荷物の殆どはドローンが運搬している。

 全てを陸路でまかなうのは不可能であり時間もかかる。陸路を使うのは、風の影響を受ける大きな物か家電のように重たいものだ。

 窓ガラス越しに、空に浮かぶ黒い点を指で押さえていく。ゴマをつぶすように。

 潰れるのは時間だけだけれど。


『サボってないか、美海みなみ


 唐突に無線が入ってきた。野太い声。同僚の後藤豪志ごとう ごうしだ。

 これさいわいと通信をオンにする。丁度ちょうどいいひまつぶしになる。


「はいはい、後藤さん。櫛塔美海くしとう みなみです。今日も元気に配達作業中であります」

『なんだそれ』

「ちょっと機械きかいチックに言ってみました」

『また流行はやりに影響されてるな』

「あら、わかります?」


 であります、は本の中に登場する旧型美少女アンドロイドの口癖くちぐせだ。


『お前は影響されすぎた。そこまで行くと長所じゃなくて欠点だぞ』

きもめいじるであります。……あ」


 しくじった。


『大丈夫ならいい。四時前には天気が崩れるからな』

「えっ、聞いてないんですけど」


 慌ててナビの画面を操作すると、確かに豪志ごうしの言う通りだった。


「めちゃくちゃ晴れてるのに」

『荷台に雨合羽あまがっぱを入れておいた。必要なら使え』

「……!! 流石、よっ、社長!」

『社長じゃない』


 それだけ言って、通信が切れる。

 まったく、もう少し暇つぶしに付き合ってくれればいいのに。


「雨と分かれば善は急げ。ゴーヤ、もっと飛ばして」

『既に法定速度です』


 かくして二時間後、私の体は多量の雨に包まれた。……のであります。



「あー、外に出たくない」

『配達指定時刻超過、七分前です』

「急かすねぇ、ゴーヤ号。お仕事を果たして参りますよ」


 座席でもぞもぞと合羽を着こんで扉を開いて飛び出し、車の後部へ素早く回り込んでトランクの扉を引き上げる。

 そこで雨風をしのぐのに一休み、――する暇はないので本日最後の荷物を引っ張り出す。

 サイズは美海みなみの両手で抱えるほどの大きな箱だった。この箱も強化マイクロファイバーポリフィルム繊維で作られているので、衝撃に強い、軽い、型崩れしない、水を弾く、の四拍子よんびょうしを備えている。

 くどいようだが、夢のような素材である。


「この重さ、絶対オプションパーツだ」


 今どきの荷物に伝票は無い。梱包こんぽう内蔵ないぞうされたチップで誤配達の可能性は限りなくゼロだ。

 重たい荷物を抱え上げ、クリーム色一色で装飾の無いマンションの玄関口をくぐる。

 この辺り一帯の建物は全て同じ色、同じ形だ。正六角形の強化ハニカム構造住宅。

 誰が呼んだが蜂の巣住宅だ。巣籠すごもりする人々の為に日夜にちや働き蜂ドローンが飛び交う姿は、確かに蜂の巣を連想させる。

 中央吹き抜けのを駆け上がり三階へ。蜂の巣住宅はドローンのスムーズな発着の為、建物の中心が空洞くうどうになっているのだ。代わりにエレベーターが無いので、陸路りくろを行く美海みなみには負担が増える。


「『362』、ここだ」


 抱えた荷物の座りを確認し、インターホンのカメラに目を合わせる。


照合しょうごうしました』

「……あれ?」


 照合の合図が出たというのに、一向に反応が無い。本来ならロックが解除されて扉が開き、玄関の荷受けスポットに商品を置いて終わりなのだが。


「故障? 時間ギリギリなのに」


 ここで待たされて、配達遅延はいたつちえんなんて笑い話にもならない。やきもきする事数十秒、ようやく扉が開いた。


「お待たせしました」


 生気のない顔がそこにあった。完全な無表情のメイド服の女性が立っている。


「お荷物です」

「有難うございます」


 抱えた荷物を差し出す。少し古いタイプのアンドロイドだなと思った。

 恐らく、荷物は彼女をバージョンアップさせるための交換パーツだ。

 彼女の手が箱に触れた瞬間、ポケットに入れた端末が配達完了の通達で震えた。

 リミットギリギリ。胸を撫で下ろす。


「外箱は回収いたしますか?」

「主人に確認してまいります」


(あー、時間かかる奴だこれ)

 彼女が背を向けると同時に、扉も閉まる。五分で回答が出れば御の字。

 こんな事なら、本を持って来るべきだったか。


「おねーさん、こんにちは!」


 溌溂はつらつとした幼い声は私の後方こうほう、中央の吹き抜けを挟んで対面、一つ上の階から。

 振り返ると、ピンク色の雨具あまぐに身を包んだ七歳ぐらいの少女が手を振っている。

 手を振り返すと、少女は笑顔で階段を駆け下りてくる。


「走ると危ないよ」

「大丈夫!」


 少女が目の前まで来たので、美海みなみひざを折って目線の高さを合わせた。


「こんにちは」

「おそろいだね!」


 雨合羽の事を指しているのだろう。私は笑みを作って「そうだね」と答える。


「ここに住んでるの?」

「うん」

「お父さんとお母さんは?」

「お母さんは家の中にいるよ。お父さんって何?」


 あら、そっちの家庭でしたか。

 今時、シングルは珍しくない。

 言い方は悪いけれど、今は血液をしかるべき機関に送り育児審査いくじしんさ通過つうかしさえすれば、ボタン一つでコウノトリではなくドローンが子供を運んでくる。


「ううん、気にしないで。お母さんは外に出ないの?」

「うん。外は寒いし、怖いんだって。お姉さん、名前は? 私はマイ!」

「マイちゃん、良い名前だね。お姉さんはミナミ、だよ」

「かわいい!」

「ありがとう」


 こんな交流、いつぶりだろう。

 一人でいる事に慣れた人達は、感情や表情を表に出さない。だから、彼女のように天真爛漫てんしんらんまんに笑って会話を交わすなんて殆ど無いのだ。


「マイちゃん、雨が降ってて外は危ないから家に戻った方がいいと思うよ」

「大丈夫。トウヤが居るから。ほら、出てきた」


 彼女が見上げる先。グリーンの合羽を着た端整たんせいな顔つきの少年が階段を下りてくるところだった。

 彼が静かにお辞儀したので、私も立ち上がってお辞儀じぎを返す。

 彼はアンドロだとすぐに分かった。彼が居るなら、彼女も安心だ。


「ご迷惑をお掛けしたでしょうか?」

「そんなことありません。楽しかったです」


 彼は「そうですか」と再び浅くお辞儀をして、マイの手を取る。


「お姉ちゃん、バイバイ」


 手を振りながら歩いていく少女に、「バイバイ」と手を振り返す。そのしぐさがいちいち可愛くて、ずっと見ていたいと思った。

 そんな少女の姿がエントランスから外へ消えてからしばらくした頃。

 背中の扉がガチャリと開いて現実に引き戻される。

 私は素早くたたずまいを正して、扉に向き直った。目の前には、相変わらず不愛想なメイドさんが顔を覗かせている。


「今日は、回収不要だそうです」

「分かりました。またの御利用ごりよ―――」


 バタン、と扉が閉まる。

 蛇足だそくのセールストークぐらい、聞いてくれても罰は当たらないのに。


「よろしくお願いします」


 私は素早くきびすを返して、階段を駆け下り始める。

 その足取りは多少弾んでいた。

 少しケチはついたけれど、晴れやかな気分だ。久々にいい仕事をしたと思う。


「ただいま、ゴーヤ号」

『おかえりなさい。本日の配達業務は終了です。本社へ帰投します』

「よろしく」


 走り出す車に揺られながら、端末を操作して後藤ごとうさんとの通信を開く。


『どうした? 作業完了の報告はちゃんと届いてるぞ』

「聞いてくださいよ、社長。実はさっきとてもいいことがありまして」

『聞きたくないが言ってみろ』

「人の女の子に会ったんです! アンドロイドより人間らしい!」

『ほぉ、珍しいな』

「少しお話しちゃいました」

『ほどほどにな。浮かれて事故じこするなよ』

全自動ぜんじどうなんだから事故するわけ……あ、ごめんなさい」


 今の発言は、


「コホン。櫛塔美海9410 373、安全運転で帰投きとうするであります!」

『やりすぎだ、馬鹿』


 人から感情が欠落し始めて半世紀。


『人より人らしく』をスローガンに、後藤510運送うんそうは今日も街を駆ける。

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未来の蜜蜂 白林透 @victim46

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