37.後宮も二度目なら(7)
「四年前……なぜ、私を陥れたの?」
気付けば、問いはぽろりと口から零れ落ちていた。
「決まっていますわ。あなたが嫌いだったからです。無才で、だらしなくて。そのくせ、ひとり能天気に、のびのびと過ごしている様子が、ひどく苛立たしかった」
吐き捨てるような告白は、まさに悪女にふさわしい内容だった。
「わたくしたちは、同じ日に
それが最も許せない、とばかりに、楼蘭は声を荒らげた。
「あなたは、いつも人に囲まれ、無邪気に人を信じきっていた! 昔も、今もよ!」
「そこじゃない!」
だが、珠麗はぎっとまなじりを吊り上げると、それ以上の音量で叫び返した。
「そんなこと聞いちゃいないわよ! なんで『私を』じゃなくて、なんで『陥れたの』って、そこを聞いてんのよ!」
怒鳴りつけられると、楼蘭は一瞬、戸惑ったように瞳を揺らした。
「え……?」
「べつに私、皆が言うほど無邪気な人間じゃないわ。あんたに陥れられたんだって確信するのに三年もかかって、周りからはさんざん馬鹿にされたけど、あんたが怪しいってことくらい、焼き印を押されたその日には、もうわかってたわよ」
珠麗はその場に立ち上がり、正面から楼蘭を睨み付ける。
脳裏に、あの四年前の出来事が、息苦しいほど鮮やかによみがえっていた。
「なのになんで私が、あんたが犯人だと確信できなかったかわかる? それはね、あんたの吐いた血が、本物だったからよ。胃液と混ざって、生温くて、変な匂いがした。ぐっしょりと汗を掻いて、手足はがくがく震えて……あれは演技なんかじゃなかった。あんたはたしかに、毒を飲んだのよ」
珠麗にはそれが不思議だった。
楼蘭の症状は劇的で、一歩間違えば本当に命を落としてしまうだろうことは明らかだった。
ただ相手を陥れたいがために、そこまでの危険を人は冒すだろうか。
たかだか女一人を追放するために、自分の命を懸けるだろうか。
「あんたは死にかけてでも、なにかを得ようとしていた。なにかとは、なに? 私の死? いいえ、そのままにしておけば、私は斬首されるはずだったのに、あんたは命乞いまでして、殺させはしなかった。あんたの考えが、四年前の私にはさっぱりわからなかった!」
おそらく楼蘭は、本当に流産したのだ。
いや、お腹の中に子がいたかどうかは、彼女にしかわからないが、少なくとも、自身を死の淵に立たせてまで、楼蘭はことを仕掛けた。
その必死さが、珠麗を混乱させた。
「でも……今は、あんたがなにを求めて戦っていたのか、知ってる。ううん、求めたんじゃない。あんたは、死に物狂いで逃げ出そうとしていたのよ。たった一人で、悲鳴を飲み込みながら。だからこそ、私は思わずにいられない」
目の前の楼蘭は震えている。
繊細で華奢な体、ほっそりとした手。
それをきつく握りしめ、相変わらず一人で佇んでいる彼女を見て、なんだか珠麗は泣き出したくなった。
「なんで、私を陥れたの? どうして
「……は」
まるで息を吐くように、楼蘭が泣き笑いを浮かべた。
「あなたを、頼れと……? 家族すら、わたくしを、救えなかったのに……?」
「そこで諦めるからいけないのよ! 頼る相手を間違えたなら、ほかの相手を頼ればいいでしょ!? 少なくとも当時の私なら、あの巨体で陛下を二、三発殴ってやったし、袁氏を闇討ちしてあげたわよ!」
つられて、珠麗まで涙ぐんでしまった。
「それくらいには、あんたのこと、好きだったわよ……っ!」
「…………っ」
ぼろりと、先に涙をこぼしたのは、楼蘭だった。
彼女は何度も唇を引き結び、嗚咽を堪えようとしたが、そのたびに失敗し、まるで子どものように泣きじゃくった。
彼女にとって、涙とは武器。
こんなふうに、制御もなしに零れていいものではない。
そんな失態を許したのは、今と、四年前のあのときだけだった。
珠麗が太監たちに連れ去られ、牢に残った蝋燭をぼんやりと見つめていた、あのとき。
後宮で唯一温かだった「友人」の今後に、楼蘭は思いをはせたものだった。
これから彼女は、焼き
自分のように。
痛みに呻き、けれどその傷に同情を得ることなど叶わず、怯えて過ごす。
男の汚らわしい欲に苦しめられ、清らかな魂の一切を失って、深く深く、冷えた闇の底に沈んでゆく。
『……汚らわしいこと』
独白も、皮肉の笑みも、本当は自分に向けたものだった。
歪んだ唇の横を、たったひと筋、涙がこぼれていったことは、楼蘭だけしか知らない秘密だったのに――。
今、自分を取り繕うことなど忘れ、楼蘭は心のままに泣いた。
「なにも、できない、白豚妃の、くせに……。で、……でき、も、しない、ことを……っ、よく、言います、わ……っ」
「できるできないじゃない。こういうのはもう、気合いの問題よ」
珠麗も、鼻を鳴らして言い返す。
彼女とて、実際に皇帝を殴りにいけたかはわからない。
けれど、四年前も今も、楼蘭に必要だったのは、きっと手を差し伸べられることだったのだと思った。
ともにあると。
力になると、示されること。
そうすれば少しだけ心が落ち着いて、もっといい策が浮かんだかもしれない。
楼蘭にはよく回る知恵があったし、珠麗には度胸があったのだから。
一途な女官も、控えめとはいえ好意的な妃嬪仲間も、有能な武官の知り合いもいたのだから。
ふうっと息を吐き出し、涙の余韻を散らす。
横で静かにやり取りを見守っている自誠に視線を向けると、珠麗はこう切り出した。
「皇太子殿下。祥嬪・楼蘭の処遇について、お願いしたいことがございます」
「なんなりと聞こう」
「この大馬鹿者に、自刃なんて高貴な死に方を許したのでは、私の怒りが収まりません。彼女には、ぜひ生き恥を晒してもらいたいと思います」
ついで楼蘭に向き直り、具体的には、と続けた。
「彼女を、花街へと追放してください。私がかつて追放されたのと、同じ妓楼にです」
驚きに息を呑む楼蘭の視線を、真正面から受け止める。
もう一人で、寒々しく立ってんじゃないわよ、と思った。
「花街とは独特の王国。幾重にも囲いに覆われ、ときに国の法すら届かない。厳重な檻の中で、残りの人生を過ごすといいのです」
花街の女は、何重もの塀と用心棒に守られ、外部からはけっして傷付けられることがない。
その中でなら、もう「烏」にも、皇帝の威光にも怯えずに、過ごせるだろう。
「楼主は厳しく、焼き印を押された女など、妓女として遇したりなんかしません。彼女はすでに、背中に鏝を当てられているようだから、客を取らせることもないでしょう。花街女のくせに、男に抱いてももらえず、一生下働き。ざまあみろです」
意図を正確に理解した楼蘭が、鼻の先を赤くする。
信じられない、とばかりに首を振った彼女に、珠麗は祈った。
誰にも心を許さず、たった一人で戦ってきた楼蘭。
どうか彼女にも、頼れる仲間があってほしいと。
「花街は厳格な序列社会ですからね。上は下を絶対庇護、下は上に絶対服従。息苦しいほど濃厚な人間関係に、せいぜい悩まされればいいのです。かように過酷な刑を彼女には課すので、その家族には、これ以上の罰は望みません」
花街の女は、身内を絶対見放さない。
激しい派閥争いもあるが、上級妓女から下働きまで、一蓮托生となって、互いの心を預け合うのだ。
そこで楼蘭も、今度こそ、心から信じられる相手に出会えればいいと、そう願った。
遠慮なく、縋れる相手に。
「珠麗、様……」
震える声で、楼蘭が名を呼ぶ。
白豚妃ではなく、珠麗の名を。
それはもう、四年ぶりのことだった。
ひっく、と喉を鳴らしてから、彼女は、か細い声で続けた。
「ありがとう、ございます……。そして、……本当に」
後から後から頬に流れる涙のせいで、天女のような美貌はぐしゃぐしゃだった。
「本当に、申し訳、ございませんでした……っ」
「……私も」
珠麗は思い切って、彼女に腕を伸ばしてみる。
以前、あの誰もかれも善良だと信じて疑わなかったころ、自分はしょっちゅう、こうして誰かに抱き着いていたものだったっけ。
きゅ、と肩に腕を回してみると、楼蘭の体は、自分の記憶以上にほっそりとして、頼りなかった。
まるで、とびきり美しくて、儚い、霞のように。
「必要なときに気付けなくて、ごめんなさい」
四年前、自分は愚かで、無頓着で、大切な友人の苦悩にすら気付かなかった。
そしてそれが引き起こした事態は、もう二度と取り返すことなどできない。
けれど願わくば、今度こそ。
彼女には幸せになってほしいと――そう思った。
*******************
次話、エピローグとなります。
カクヨムさまでは、一足早くこの後22時に投稿させていただきます!
途中、周回遅れ更新となってしまっていてすみませんでした…これでご容赦いただければと。
楽しんでいただけますと幸いです。
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