33.後宮も二度目なら(3)

「祥嬪殿。それは本当かい?」

「ええ、郭武官殿。この太監長の肩書を持つ男は、幾度となくそうした卑劣な手を取っては、わたくしや、ほかの妃嬪ひひんに罪をかぶせてきました」


 もとより太監長の弾劾を狙っていたからだろう、自誠が素早く食いつく。

 楼蘭ろうらんはそれに即座に頷き、厳かに告げてみせた。


「けれど、わたくしたちは逆らえなかった……。なぜなら彼は、陛下直属であるはずの『烏』を私物化し、その武力を威に恫喝してきたからです。金子きんすを奪い、心をいたぶり、操り、罪をかぶせ。その悪行は枚挙にいとまがありません。にわかには信じられぬでしょう。けれど、わたくしはこの告白が真実であると、天地に誓ったっていい!」


(爽やかに天地に向かって嘘つくよね!?)


 楼蘭は、己の天女然とした美貌をよく理解しているのだろう。

 天を指差す彼女には、巫女のような神聖さと迫力があり、そのはったりの効果は抜群だった。

 周りを取り囲んでいた大臣たちが、「『烏』を私物化……?」とざわめきはじめたのである。


「口を慎め、不届きな悪女め! 自分が毒殺の罪を暴かれたからと、この私を巻き込もうとするなど……! 祥嬪・楼蘭。自分がなにを言っているのか、わかっているのだろうな?」


 徐々に怪しくなってきた雲行きを察したのか、袁氏が口調を荒らげる。

 だが、「烏」による暗殺を匂わされても、楼蘭は動じなかった。


「ええ。よくわかっておりますわ」

「この――! 殿下! 殿下! どうか誤解のなきよう!」


 袁氏はばっと身を翻すと、顔を真っ赤にして輿上の皇太子を見上げた。


「なにもかも、この女の口から出まかせです。なぜ私が、陛下の信頼を汚すような真似をしましょう。私物化など、考えるのも恐ろしいことです。だいたい、証拠もなしに――」

「証拠なら、ここに」


 だがそれを、自誠が遮る。

 彼は懐を探ると、恭しい手つきで、小ぶりの金璽きんじを取り出した。


「まだ誰にも報告できていなかったのだけどね。なぜかあなたの政務室に、『烏』を動かすための金璽が隠されているのを見つけましたよ」

「…………!」


 袁氏が息を呑む。

 おそらく、内務府の方向から不審火が上がったことまでは把握できても、「賊」のその後の足取りまでは報告を受けていなかったのだろう。

 なにせ、内務府に残してきた手駒は、自誠がすべて片付けてしまったのだから。


「これは、罠です……」


 だが、袁氏はしぶとかった。

 彼はその場に跪くと、輿こしの上の「皇太子」に救いを求めてみせたのである。


「太監と武官はもとより折り合いが悪い。特に郭武官はその野心高さから、私を貶めようと幾度となく攻撃を仕掛けてきました。その金璽とて、彼が盗み出して私の室に仕込んだに違いがありません」


 彼は遺憾そうに首を振ってさえみせた。


「恐ろしい男です。少なくとも彼は、今の発言で、私の政務室に侵入した罪を認めたも同然。いいえ、私の室などどうでもいい。厳粛に守られるべき陛下の金璽を無断で奪った罪が問題なのです。まさに万死に値する重罪です」

「ほう」


 輿の上からは、短く相槌が返る。


「さほどに、問題か?」

「もちろんでございます。金璽、玉璽は皇族にのみ使用が許され、何人たりともその尊厳を冒してはならぬもの。許可もなしに奪おうなど、言語道断です」


 袁氏は、世間知らずの子どもに言い聞かせるようにして告げたが、しかし、続く返事に目を瞬かせる羽目になった。


「ならば、問題ない」

「は?」

「今そこで金璽を突き出している人物こそ、真の皇太子殿下なのだから」


 なにを、と袁氏が聞き返すよりも早く、輿の上の青年はひらりと地上に飛び降り、郭武官――いや、皇太子・自誠に向かって跪いた。


「郭氏が息子、玄より、皇太子殿下にご挨拶申し上げます」


 それから、彼は顔を上げ、へにゃりと情けない笑みを浮かべた。


「もう……替え玉生活は終えて、いいですかね……?」

「ご苦労だったね」


 自誠は軽く笑って、乳兄弟である玄を立たせる。

 並び立つと、二人の背格好はよく似ていたが、まとう威厳の差は明らかであった。

 どれだけ豪奢な衣装に身を包んでも、玄はさしたる印象を残さないのに、武官の衣装をまとった自誠は、ただそこに立っているだけで視線を惹きつけるのだ。


「いやあ、ろくに変装もしていないのに、よく見抜かれずここまで来ましたよお……」

「君のさっぱりとした顔立ちがいいのさ。それに、僕たちは、ずっと郊外に籠もってばかりだったからね」

「褒めるような口調で、影の薄さを指摘するの、やめてくれません……?」


 乳兄弟と気安い会話を交わしてから、自誠は太監長に向き直った。


「――というわけで、僕が父上の金璽に触れるのは、なんの問題もない。太監長の室に無断で踏み入ったこともね。次期皇帝と太監長ではどちらが格上か、さすがにわかるだろう?」

「…………」

「金璽は巧妙に隠されていた。意図的な簒奪であった証拠だ。金璽は、何人にも尊厳を侵されてはならぬものであり、破った者は万死に値する――だったね。ならば金璽を奪ったあなたは、どう罰されるべきかな?」


 固唾を呑んで展開を見守る大臣たちの前で、自誠はゆったりと首を傾げる。

 袁氏は一度奥歯を噛み締めると、やがて不自然に笑いだした。


「ふ……、ははは」

「太監長?」

「罰されるも、なにも」


 彼は口元を歪め、大きく両手を広げてみせた。


「金璽は、奪ったのではない。間違いなく、私が陛下から直々に賜ったものですよ」

「笑止。金璽の下賜など、吏部尚書のいかなる記録にも残されていない。金璽ほどの重大なものが、口約束で手渡されると?」

「口約束ではない、密命と言うのです。お疑いなら、陛下に直接お尋ねになればいい。陛下が私に全幅の信頼を置いていることは、ご存じでしょう? 陛下はご心身の不調に苦しんでおられた。そこで、信頼厚きこの私に『烏』を統括する権限を託されたのですよ。我が右腕に成り代われと、この私の右手に、直接金璽を握らせたのです」


 袁氏の口調は揺るぎなく、態度は自信に溢れている。

 後宮を管轄とする役職でありながら、三日にあげず本宮に召されるほど重用されているのは事実ではあったため、一同は口をつぐんだ。


 それを見た袁氏は、我が意を得たりとばかりに、大きく口の端を引き上げた。


「判断力に自信をなくされた陛下を支えるべく、陛下のご意志のもと賜った金璽を用いて、なにが悪いのです? 金璽を隠したのは、陛下の名声に傷が付くのを恐れたゆえ。そうとも、私が正式に全権を委任された忠臣であるからこそ、命じられる『烏』の側とて、私に従ったのではありませんか!」


「烏」の名を出され、いよいよ周囲は袁氏の主張に呑まれていった。


「たしかにそうだ……」

「金璽が奪われたものだったなら、『烏』が黙っているはずがない……」

「おわかりいただけたようで、何よりです」


 袁氏は鷹揚に頷くと、自誠に向かって、憐れむような視線を送ってみせた。


「思い込みのあまり、先走ってしまわれたようですな。とはいえ、そうした誤解や暴走も、若さゆえです。これよりのちは殿下にも忠義を尽くす身。もちろんこたびの理不尽な糾弾は、聞かなかったことにいたしましょう」


 だが彼は、立ちつくしたままの楼蘭を振り返ると、こちらには底冷えのするようなひと睨みをくれた。


「だが、こうした無礼な女を後宮にのさばらしておけば、殿下のためになりますまい。祥嬪は私の名声を汚し、ひいては陛下を侮辱した。彼女からは妃嬪の地位を剥奪し、一族郎党極刑に処すべきかと」

「よくも――」


 狡猾に窮地を脱してみせた相手に、楼蘭は青褪めている。

 だが、彼女が抗議の声を上げるよりも早く、袁氏は酷薄に目を細め、付け足した。


「そうそう。ともに私を侮辱した、珠珠。そなたもだ。なにやら祥嬪と仲良さげにしていたではないか。ともに冥土に送ってやろう」

「ええっ!?」

「なんですって……!?」


 驚きに息を呑む女たちをよそに、袁氏は短く「捕らえよ」と太監たちに命じる。


「太監長。越権である!」

「いいえ、皇太子殿下。これもまた忠誠心です。花園を美しく保ち、害虫があらば即座に排除するのが、太監長である私の本分でございますゆえ」


 自誠は鋭く叫んだが、ここは後宮――太監長の管轄。

 優位を確信した袁氏は、捕縛を強行した。


「おやめください!」

「なぜ珠珠さんまで巻き込む必要があるのです!」

「この……! 珠珠様に触れるな!」


 三貴人や蓉蓉、夏蓮が必死になって抗議するが、男の力に敵うはずもない。

 袖を強く引っ張られ、危うく胸元を露出しそうになった珠麗は、ひえっと身頃をきつく合わせた。


(おおおおおおい、楼蘭んんんんんん!)


 脳内では、楼蘭の肩を掴んで激しく揺さぶる。

 こやつが、自分の復讐を優先して返り討ちにあったせいで、自分まで巻き込まれて処刑まっしぐらではないか!


「あ――あんたに、忠誠心なんて言葉を口にする資格があるのかしらね、太監長!」


 窮地に追い込まれた珠麗は、火事場の馬鹿力で太監を突き飛ばし、力の限り叫んだ。

 なにせ元は豚体型だったので、肺活量には自信がある。周囲がぎょっとした隙をつき、勢いのまま続けた。


「信が厚かったから、皇帝陛下から権限を委譲された? 右手に金璽を握らされた? 嘘おっしゃい、あんたがそう仕向けたんじゃないの。皇帝陛下のお体を蹂躙して!」

「なんだと?」


 不穏な発言に、周囲の空気が一気に張り詰める。

 が、そんなことに構っている余裕はなかった。


 本当なら、宮廷の陰謀だのなんだのには一切関知したくなかったが――ここで太監長を倒さねば、自分が殺されるのだ。

 持ちえる情報、その真偽が明らかでないものも含め、すべてを切り札に戦うしかなかった。


「奴婢風情が、みだりに陛下を呼ぶでない! 不敬である。者ども、即座にこの者の舌を切り落とせ!」

「いいや、太監長」


 太監長は激高したように命じたが、それを自誠が制した。


「彼女の声には迫真の響きがある。話だけでも聞いてみようじゃないか」

「なりません、殿下。儀の刻限も押しており、そのようなことをしている時間などは――」

「若さゆえの敏捷さを活かして、民草の声を聞き取るのが皇太子の本分なんだ。僕が本分を果たそうというのに、邪魔しないでくれるかな」


 抗議は、先ほどの揶揄を取り込んだ皮肉で封じられる。


「さあ、珠珠。続きを」


 真剣な顔で続きを促した自誠に頷き、珠麗は唇を湿らせた。


「……花街の貧しい妓女が身ごもったとき、楼主は妓女に、頬紅を贈る風習があるのを、ご存じですか」

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