24.戦うつもりじゃなかった(1)

 やあ精が出るね。

 見てくれ、来訪される皇太子殿下が、褒美に酒を振舞われたんだ。

 勤務中に呑むのはまずいだろうけど、匂いだけでも嗅いでごらん――。


 優美な顔を笑ませ、門前の太監たちに気さくに小甕こがめを差し出した自誠は、彼らが次々と気絶するのを見届けると、手際よく両手足を縛り、目に付かぬ茂み脇に転がした。


「悪いね」


 麗しい顔は、穏やかに微笑んだままだ。

 少し離れたところから内務府を見張っていた太監たちも、すでに同様の方法で無力化した。

 総出で皇太子の来訪を迎えなくてはならない時分のわりに、ずいぶんと厳重な警備である。

 さらなる刺客もありえるか、と、自誠は気を引き締め、脇に差した刀に手を置き直した。


(今日はもう、存分に暴れられる)


 これまで、武官として振舞い続けるために極力ことを荒立てずにいたが、「皇太子」が後宮にやってくる今日を限りに、この偽装も限界を迎えるだろう。

 逆に言えば、もう怪しまれるのを気にしなくてもいい。


 周囲の気配に注意しながら、素早く内務府の最奥に近付く。

 目算通り、中はもぬけの殻だった。


 広大な庫房こぼうや太監の詰め所を通り抜け、上等な調度品に溢れた空間へと踏み込む。

 太監長・袁氏えんしの執務室だ。


 扉脇にも、見張りの小姓が隠れていた。

 酒で気を引くのも難しいため、可哀想だが、脇を殴って気絶させる。

 すべてを淡々とこなし、自誠はとうとう、奥の文机までたどり着いた。


「さて」


 実を言えば、この内務府も、この四年の間に検めはしていた。


 毒物、金子、隠し扉、呪術具、恫喝の証拠。

 そうしたものがないかをつぶさに確かめ、いずれも空振りに終わっていたのだ。

 ここには、清廉潔白な勤務ぶりを表すような品しかありはしなかった。


 だが、金璽を標的に絞った今となっては、話が違う。

 自誠は、金璽や金印がずらりと並んだ一角に向かうと、それらを念入りにたしかめた。


 どれも上等な漆箱に入れられ、紐も折り目正しく掛けられている。

 一つ一つ開けてみれば、印面は朱のかけらひとつ残らずきれいに拭われ、手入れされていた。


 真っ先に、最も大きく、金で作られているものを検めたが、それは太監長自身の金印であった。

 小ぶりなものまで次々と開封していくが、烏を操るにふさわしい文面を記した金璽は見つからない。


(……いや)


 だが自誠は、ふと、ちゅうもない、武骨で大ぶりな銀印に目を留めた。

 印面はさほど大きくないのに、持ち手部分がやけに太い。


 側面にうっすらと細い線を見て取った彼は、はっとしてそれを手に取り、傾けた。

 掌に感じる、中のなにかが動く音。

 はたして、側面の線に爪を立てると、銀印は二つに割れ、中から小さな金印が現れた。


 繊細なちゅうからすの意匠。

 そして――古めかしい文字で刻まれているのは、「大天華国皇帝より烏に命ず」というほどの一文。


「……見つけた」


 興奮を押し殺し、金璽を握りしめる。

 素早く手巾に包んで懐にしまい込むと、彼はついで、偽装の銀印を収めていた漆箱を検めた。


 皇帝に代わり烏に「罰」を命じていたなら、そのやりとりの記録や、標的を恫喝するための書状などもどこかにあるはずだ。

 銀印と同じく、この漆箱になんらかの偽装の仕掛けを施している可能性もある。


 だが、器用な指先が、箱の底面に違和感を感じ取ったそのとき。


「なにをしておいでですか、郭武官殿」


 背後から声を掛けられた。

 振り向けば、年若い太監である。


 まるで磨かれた黒曜石のように鋭い瞳で、真っすぐこちらを射抜く相手に、自誠は悠然と笑みを浮かべてみせた。


「やあ。実は太監長に忘れ物を取ってくるように頼まれてしまってね」

「忘れ物、ですか」

「そう。ほら、この――」


 自誠は忘れ物を探るようなそぶりをすると、次の瞬間、目にも留まらぬ速さで、懐から取り出した匕首あいくちを投げつけた。


 ビュ……ッ!


 刃は銀色の軌跡を描いて、まっすぐに相手の首を狙う。

 だが、太監はわずかな動きでそれを躱し、素早く跳躍して自誠と距離を取った。

 利き手とは反対の、死角にあたる場所へだ。


「ふうん。優男と評判の皇太子・・・にしては、まともな太刀筋だ」


 ビンッ、と音を立てて壁に突き刺さった匕首を無感動に眺め、青年は嘯く。


「目的のためとあらば躊躇なく人を殺そうとする姿勢は、評価しないでもない」


 急襲されたというのに、不自然なほど悠然としている相手に、自誠は警戒の姿勢を取った。


「君も、太監というには、やけに敏捷びんしょうな身のこなしだね」


 刀に手をかけながら、目を細めて相手を検分する。


 精悍な体つきの、長身の男。

 鼻筋は通り、目元は涼しげで、美男と言っていい。

 その割には、去勢した太監特有の中性的な雰囲気はなく、刃物のように鋭い印象だけがある。

 無造作に立っているようで、どこにも隙がなかった。


「……見たことがない顔だ」

「そりゃ、妓女のように麗しいあんたのご尊顔に比べれば、印象度で劣る。悲しいな」


 自虐のような口調でありながら、自誠を皇太子と知って妓女に例えるなど、不敬にもほどがある。

 自誠は剣呑に目を細め、今少し相手の正体に踏み込んだ。


「いいや。太監の顔は全員記憶している。君はこれまで、どの部署でも見たことがない。確実にだ。太監長の用心棒かい?」


 そして、問いかけの言葉と同時に、目にも止まらぬ速さで刀を引き抜き、その首元へと斬りかかった。


 キン――ッ!


 楽器のように澄んだ音が響き、自誠は、刀が弾かれたことを知る。

 なんと、相手がなにげなく掴んでいるのは、文机から拾い上げた文鎮だった。


 鈍器でもあるそれを、勢いよく叩きつけられそうになったところを、身をよじって躱す。

 すると続けざまに拳、膝が襲い掛かり、埒が明かないと踏んだ自誠は、傍らの壺に飛び上がりざま、それを蹴り倒して相手の足場を封じた。


 ガシャン!


 激しい音を立てて砕ける壺に、青年は後ろに跳んで距離を取り、片方の眉を引き上げる。


「皇太子のわりに、行儀の悪い戦い方をする」

「物惜しみしない、王者らしい戦い方だと受け取ってくれないかな」

「俺たちの血税をなんだと思っているんだ」

「見た感じ、君は税を収めない類の人間のようだけどね」


 軽口の応酬をしながらも、二人は荒々しく攻撃しあった。


 技量のほどは拮抗、いや、青年のほうが強いだろうか。

 なにしろ彼は、脇に差した刀を抜きもせず、周囲に転がった文具や破片でしか応戦していない。


 ふむ、と、やがて納得したように、青年は頷いた。


宇航うこうよりは強いな」

「君は、何者だ。僕を皇太子と断じるなら、その僕の問いには答えてしかるべきだ。太監長の手の者か?」


 挑発するように問えば、青年――太監に扮した礼央りおうは、興覚めしたように戦闘態勢を解いた。


「やめてくれ。あんな小物を主と仰ぐ趣味はない」

「では、誰を仰ぐ?」


 刀を握る手を緩めぬまま、じり、と距離を詰める自誠の前で、礼央は悠々と、片手で天を指した。


「空を制する『烏』が仰いでいいのは、太陽こうていのみ」

「…………!」


 自誠が目を見開く。


「では、……いや、若すぎる。ということは、君は――」

「ただし、好いた女のことならば、仰がずとも、慈しむ」

「なんだって?」


 ひっそりとした独白に自誠が眉を寄せると、礼央は、まるで値踏みするような視線を寄越してきた。


「眉目秀麗、文武両道。自ら武官なんぞに扮する無謀さはあるが、勘もさほど悪くない。甘えた考えに溺れず、さっさと人に斬りかかれる冷徹さも認めよう。だが――」


 そこで、彼は初めて目を細めてみせた。


「その冷徹さでもって、あいつ・・・に躊躇いもなく、焼き印を入れさせたわけか」

「なにを――」


 言っている、と自誠が言い切るよりも早く、礼央は窓に駆け寄り、大きく声を張った。


「曲者だ! 助けてくれ、太監長様の室に、曲者が!」

「なにをする!」

印璽いんじを奪おうとする賊が入った! 太監たちよ、急ぎ内務府へ!」


 肩を掴もうとする自誠をものともせず、礼央は火鉢横の油壺を相手の足元に叩きつける。

 同時に、懐から取り出した火種をこすり、それを飛び散った油の中に放り投げた。


 ぶわっ!


 炎はまるで、調度品を、そして自誠の衣の裾を舐めるようにして燃え上がる。

 放火犯は自身であるのに、礼央はぬけぬけと言い放った。


「賊が火を放った! 火事だ! 誰か、助けを!」

「くそ……っ」


 遠くから、大量の足音が聞こえる。

 やはり、袁氏はまだ駒を残していたのだ。

 いや、出火して煙が立てば、せっかく内務府を離れた袁氏自身も戻ってきてしまうだろう。


 自誠は迷いなく、剣で己の衣を切り捨てると、勢いよく床に転がって残りの炎を消す。

 床に膝をついた自誠を、礼央は冷ややかに見下ろしていた。


「あんたに不足はないが、気に食わない。俺が跪くに値する相手かどうか、試させてもらおう。真に天の加護厚き皇太子なら、劣勢に追い込まれても撥ね退ける天運があるはずだ」

「……この僕の資質を測ると? 次代の頭領は、『烏』らしからず、ずいぶんと忠義を知らない御仁のようだ」


 礼央をひと睨みしてから、自誠は窓に足をかけ、室を飛び出た。

 証拠の金璽は手に入れたわけだから、あとは逃げるほかない。


「追え! あそこだ!」

「あれは……郭武官か!?」


 煙に引かれて集まってきた太監たちが、続々と自誠を追いかけるのを見守りながら、礼央は肩を竦めた。


「むしろ、らしい・・・と言うべきだ。烏は人を試す生き物だからな」


 ついで、いよいよ広がりはじめた炎から、すいと漆箱を救い出す。

 先ほどまで銀印が――いや、「烏」を動かす金璽が収まっていた箱だ。


「まったく、親父ときたら、こんなちっぽけな印で操られるとは。これだから宮仕えなんて」


 うんざりした口調で箱を放り投げ、再び受け止める。


「……底を、探っていたか」


 そこでふと、先ほどの自誠を思い出し、礼央はくるりと箱を引っ繰り返した。

 闇社会では、物を隠せる調度品が人気のため、この手の細工は熟知している。


 難なく、底に隠されていた紙の束を引っ張り出すと、礼央は眉を寄せた。


 女の字だ。

 家族に宛てた手紙と見える。


 差し出し人は――きょう 楼蘭ろうらん

 後宮では祥嬪しょうひんと呼ばれる――珠麗の友人だった女だ。


「へえ?」


 礼央は内容を一読すると、それを懐にしまった。

 ひとまずは、皇太子の足掻きぶりを見届ける必要がある。


 すっかり炎に包まれた室を悠然と横切り、礼央はその場を去った。



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すみません、明日からは1日1話投稿、20時のみとさせてください!

最終話はカクヨムさんのみ、ちょっと早めに投稿させていただく予定です。

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