7.庇うつもりじゃなかった(1)

 昼下がりの後宮に、まるで鈴を鳴らすような、軽やかな笑い声が響いた。


「嬉しいですわ。珠珠さんと、こうしてまたご一緒できるなんて」


 上機嫌に唇を綻ばせるのは、蓉蓉ようようである。

 下級妃候補となった女たちに支給される、控えめな刺繍の施された――とはいえ、女官用のそれとは比べ物にならぬほど上質な――衣が嬉しいのか、その場でくるりと回り、裾を翻させている。

 もちろん彼女も、優れた教養を発揮したことで、揺籃ようらんの儀の掟に則り、下級妃候補へと上り詰めていたのであった。


 蓉蓉と、珠麗。

 見たところ、このたった二人が、女官用人材から登用された下級妃候補のようである。

 少ないようにも思えるが、もともと妃嬪ひひん候補としてやって来た貴族の女性たちや、なにより、残留を狙う現妃嬪たちと合わさることを考えれば、きっと妥当なところなのだろう。


(いや。全然、全っ然、妥当じゃないけど)


 重い足取りで蓉蓉の後ろに続いた珠麗は、怨念の籠もった溜息を落とした。


 郭武官にあっさり捕まったのは、二刻ほど前のこと。

 正体がばれやしないかと、蛇に睨まれた蛙のように硬直しているところを、彼は爽やかに抱き上げ、「妃嬪候補にふさわしい装いにしておいで」と更衣室へ放り込んだ。


 見抜かれなかったのは幸いだが、ごく間近に迫ったご尊顔に、いったいどれだけ寿命を縮めたものか。

 必死に顔を逸らし、小さく震えていると、なぜか彼の愉快そうな視線を感じた。

 きっと、人の怯える顔が好きという、嗜虐性に満ちた変態なのだろう。間違いない。


 その後も、胸元の焼印が見られぬよう、一人での着替えは死守したものの、個室を出た途端、郭武官の指令でやって来た女官たちに寄り集まられて、さんざんであった。


「まあ! なんと美しいお顔……それにこの、白く眩しい、まさに珠のようなお肌!」

「なぜこんな古風に、引っ詰め襟にしていらっしゃるのですか? ここは豪華絢爛を誇る天華国が後宮、今は胸元を大きく見せる着こなしが主流でございますよ。その胸元の豊かな果実は、絶対に主張せねば損でございます」

「わたくしどもにお任せください。珠珠様を今様の佳人に大変身させてみますから!」

「後生だからやめて!」


 熱心に言い寄られて、というか、ごく自然に胸元をはだけられそうになって、思わず絶叫したものである。


 胸元を開けた着こなしが今様。

 そんなことは知っている。

 かつて後宮にいたときは、自分とて唯一の武器たりえる胸元を強調したものだったし、なんなら花街では、ほぼ剥き出しくらいの着こなしを目の当たりにしてきたものだ。


(でも、今そんなことしたら、死んじゃうから!)


 羞恥心で、ということではなく、物理的に。

 焼印を見られては、即座に牢に連れて行かれて殺されてしまう。


 よって珠麗は半泣きになって「はしたないから! 死んじゃうから!」と騒ぎ立て、なんとか、この襟をかっちりと寄せた今の着方に落ち着いたのである。

 顔も髪も好き勝手に飾り立てられてしまったが、もはやそちらを交渉する気力は残っていなかった。


 すっかり美貌を露わにした珠麗をちらりと見やってから、蓉蓉はうっとりとした様子で両の指先を合わせた。


「聞きましてよ、珠珠さん。扇情的な着こなしを勧めた女官相手に、涙ながらに貞節のなんたるかを訴えたのでしょう?」

「……はい?」

「『我が白肌を許すのは、この世にたったお一人の、尊き方との枕辺まくらべのみ。今暴こうとするならば、この喉突いて死にましょう』……。ああ、なんと奥ゆかしくも凛とした宣言でしょうか。今時珍しい貞淑ぶりであると、女官たちはおろか、宦官まで興奮に頬を染めて噂していましたわ」


 誰だ、尾ひれはひれどころか、手足や翼まで付けて噂を流したのは。


 珠麗はひくりと口の端を引き攣らせ、顔もわからぬ誰かのことを、脳内でたこ殴りにしてやった。


「お願いですから、せめてあなたは、そんな噂に加担しないでもらえますか」

「まあ、悪い噂ではございませんのよ。珠珠さんを褒め称える内容ですのに。この調子でしたら、珠珠さんは、もしかして嬪にだって――」

「それがなお悪いのよ! どうか、今後一切、私を美化したり、持ち上げたりするようなことを言わないで。絶対よ!」


 興奮のあまり、敬語も取れてしまったが、もういいと割り切った。


 今日はなんという一日だろう。

 やることなすこと裏目に出て、目立たず城外に追い出されるつもりが、気付けば、下級妃候補として注目を集めてしまうだなんて。


(私の気力はどん底よ……!)


 両手で目を覆って嘆く珠麗は、「なんと謙虚な……」と感心したように呟く蓉蓉に気付かなかった。


「さあ、珠珠さん。立ち話もなんですし、早く宮に落ち着きましょう。こちらですわ」


 なぜだかにこにこと上機嫌な蓉蓉は、広大な後宮を迷わずに進む。

 ぶっきらぼうな太監に、「二人は儀の間、白泉宮はくせんきゅうに住むように」とだけ告げられ、去られてしまったのだが――おそらくこれも、噂の下級妃候補を試してやろうという嫌がらせの一種だろう――、蓉蓉はまるで戸惑う素振りも見せず、先ほどから最短距離を進んでいた。


「ああ、さすがに白泉宮は遠いですわねえ。でも、あの梅の木を曲がればもうすぐですわ」

「……ずいぶんと詳しいのね」


 思わず、呟く。

 珠麗には、この蓉蓉という少女が不思議であった。


 少しばかり上品な商家の娘程度かと思いきや、ほかの候補者を圧倒する教養の持ち主で、やたらと後宮の内情に精通している様子の彼女。


(本人は女官候補から運よく妃嬪候補になったって言ってるけど、本当は、もともと妃嬪候補になれるくらい、高い身分なんじゃ……?)


 不審な思いを込めてじっと見つめていたら、蓉蓉が「まあ、珠珠さん」と驚いたように振り返った。それから、にっこりと、意味深な笑みを浮かべる。


「……巻き込まれてくださいますの?」

「絶対いや!」


 珠麗は食い気味に耳を塞いだ。


 花街、貧民窟で、後ろ暗い連中と付き合ってきた今こそわかる。

 この世には、触れないほうがいい事柄も多く存在するのだ。


 彼女は敵国の諜者かもしれないし、妃嬪の暗殺を命じられた刺客かもしれないし、珠麗と同じくかつて追放された妃嬪かもわからなかったが、今日にでも後宮を去るつもりの珠麗には、関係のないことである。


「まあ、そうおっしゃらずに。わたくし、珠珠さんがすっかり気に入ってしまったのですわ。実はわたくし――」

「わー! わー! 聞こえない! 聞こえません! 不用意に踏み込んで悪かったわよ。もう二度と踏み込まないから、そちらも踏み込んでこないで!」


 頑なに首を振っていると、諦めてくれたらしい。

 蓉蓉は残念そうに眉を下げると、話題を変えてくれた。


「では、気が向いたら仰ってくださいね。それにしても、珠珠さんと寝泊りまでご一緒できるなんて、楽しみですわ」


 彼女がそう言うのは、白泉宮なる貴人用の宮で、珠麗と蓉蓉が宮を共有することになっているからである。

 本来なら、珠麗たちのような平民の妃嬪候補者は、女官房に部屋を与えられるのだが、今年は貴人の宮の一名分が空いたとかで、そこに住まうことが許されたのだ。


 妃は一人一宮、嬪は二人で一宮、貴人は四人で一宮を分け合って住む。

 つまり宮の四分の一の空間に二人を詰め込むことになるので、かなり手狭になるはずだったが、もちろん、女官部屋に比べれば圧倒的な好待遇と言える。


 さらにはお付きの女官や太監も与えられるらしく、「早くも、姫君のような生活ですね」と蓉蓉は微笑んでいたが、珠麗としては、罵り声を抑えるのに必死だった。


(厳重な警護に、監視人員まで付いてくるとか……!)


 もはや天が自分を見捨てたとしか思えない。

 かくなる上は、夜中にこっそり逃げ出そうなどと考えていたのだったが、どう考えても無理ではないか。


(なんとかして、このへんの東屋にでも放り出してもらえないかしら)


 やがて白泉宮にたどり着き、その手前の梨園にわを見ながら唸っていた珠麗だったが、そこに来て唐突に救いは訪れた。


「ようこそ、白泉宮へ。けれど、歓迎はしないわ」


 門をくぐった途端、数名の女官に囲まれた下級妃が、まるで通せんぼをするように立ちはだかったのである。

 派手な衣をまとったのは、すらりと背の高い、気の強そうな釣り目の女だった。


(あら、紅香こうか


 こちらを睨み付けているのが明貴人の称号を持つ紅香であると見て取って、珠麗は目を瞬かせた。

 かつて、交流があった下級妃である。

 後宮の中でも若い部類だった珠麗よりさらに幼く、妹分として可愛がっていたのだったが、気の強さは健在とはいえ、容姿はずいぶん大人びた。

 彼女も、もう十八になるのか。


 紅香は、珠麗と蓉蓉のことを順番に眺めると、見下すように顎を上げた。


「珠珠に、蓉蓉ね。話は聞いていてよ。蓉蓉はともかく……珠珠なんて名前で、よく選抜に残れたものだわね。その名を聞くだけで、皆顔をしかめたはずだけど」


 のっけから、名前にケチをつけられる。

 やはり後宮全域で己の名は禁忌なのだと、珠麗は改めて衝撃を受けた。


「私は、明貴人・紅香。ただし、同じ貴人の候補だからといって、あなたたちと仲良くする気はさらさらないわ。あなたたちはしょせん、運のよさでここまでやって来ただけの、薄汚い奴婢。いくら部屋が空いたからといって、遠慮なく妃嬪の宮に踏み込んでくるなんて、本当に礼儀を知らないのね。分を弁えなさいよ」

「そんな……」


 吐き捨てるような言い草に、蓉蓉が眉を顰める。


「お言葉を返すようですが、わたくしたちは、厳正な選抜を経て、この場に残ったのでございます。そのような仰いようはあんまりですわ」

「そんなの、他の候補の質が低かっただけに決まっているでしょう。この後宮にいるのは、天下の誇る才媛たちなのよ。まぐれに舞い上がって明日恥をかくくらいなら、今、さっさと後宮を出て行ったらどうなの?」

「なんという――」

「そうですよね!」


 怒りでさっと頬を染めた蓉蓉を遮り、珠麗は声を上げた。

 紅香が意図せずに差し出してくれた救いの手が、ありがたくてならない。

 「は?」と怪訝そうに眉を寄せる相手に、珠麗はなんとか笑みを堪えて言い募った。


「ご発言、至極ごもっともでございます。そちらの蓉蓉はともかく、この私に、後宮に残る資質なんて欠片もないというのは、自分自身で重々承知しておりますもの。ええ、ええ、今すぐにでも、出ていくべきだったのですよね。今すぐにでも!」


 重要なことなので二回言い、珠麗はひしと紅香の手を取った。


「私自身、郭武官という方に無理やりこの場に後宮に残されてしまい、身の丈に合わない展開に困惑していたのです。太監様に言われるままにこの場に来てしまいましたが、貴人様が仰るのですもの。従っても許されますよね? だってご命令ですもの、仕方ないですよね?」


 お願い、そうだと言って。

 門番以下すべての監視要員相手に、「明貴人に言われたので後宮を去りまーす」でごまかすことを、どうか許して。


 珠麗としては、純粋にそうした言質を取るべく縋りついたのだったが、紅香の反応は予想とは違った。

 みるみる青褪めて、手を引き抜いたのである。


「べ……べつに、出て行けと言ったのは言葉の綾にすぎないわよ。逃亡なんかして、その罪を私にかぶせようと言うのなら、そんなこと、絶対に許さないわ」

「え」


 あっさり掌を返されて、珠麗はぽかんとした。

 とそこに、くすくすと、穏やかな笑い声が響く。


「相手は一枚上手でしたわね、紅香様」

静雅せいが様……! いつから見ていたの?」


 なんと、先ほど鏡の件で関わった、純貴人・静雅である。

 彼女は品のよい挙措でこちらに近付くと、珠麗に向かって口元をほころばせた。


「後宮中の憧れである郭武官と、揺籃の儀で審査権を持つ太監を敵に回すだなんて、一介の下級妃にできるはずがない――先ほどの件といい、弱みを突くのがお上手ね、珠珠さん」

「え……」


 そんな意図はまったくなかったのだが。

 困惑していると、静雅は「わかっている」とばかりに頷いて、それから蓉蓉にも一瞥を向けると、改めて礼を取った。

 軽く膝を曲げるだけの、同階位者同士が交わす挨拶である。


「改めて、ごきげんよう、珠珠さん、蓉蓉さん。わたくしは、純の称号を頂き、この白泉宮を預かる貴人の一人、静雅。お二人の入室を歓迎いたしますわ」


 年長者としての貫禄を見せつけて、彼女はそのまま、ぶすっとした紅香と、それからもう一人を呼び寄せた。


「すでにお聞き及びでしょうけれど、こちらは明貴人・紅香様。そして、あちらは恭貴人・嘉玉かぎょく様よ。嘉玉様、あなたもご挨拶を」

「は、はい……」


 そうしておずおずと出てきたのは、色白の肌とほっそりとした体つきの小柄な女性である。

 年は紅香と同じほど――けれど、消え入りそうな声がなんとも頼りなく見える、そんな彼女にも、珠麗は見覚えがあった。

 やはり、かつて交流のあった下級妃だ。


(相変わらず、庇護欲をくすぐる佇まいよね……ううん、ますます痩せたかしら)


 四年の歳月がもたらした変化に、なんとなくしみじみしている間に、貴人二人と蓉蓉はつつがなく挨拶を済ませる。

 なんとなく雰囲気が穏やかなものになり、そのまま皆で宮へ引き返そうとしたが、しかしそこで、紅香が声を荒げた。


「お待ちなさい! まだ、そこの二人を殿内に上げていいとは、認めていなくてよ! せめてその珠珠という奴婢ぬひのほうは、放りだしてちょうだい!」

「まあ、紅香様。武官と太監の命に抗えるとでも言うの?」

「それは、言わないけれど……! でも、このまま貴人と同様に遇してしまっては、祥嬪様のお怒りを買うわ。すでに、わざわざ使者を立てて、牽制されたもの」


 祥嬪しょうひん――楼蘭ろうらんの名を聞くと、静雅は物憂げに目を細めた。

「……行動のお早い方ですこと」

「元はと言えば、あなたのせいでしてよ、静雅様。あなたの女官が鏡を割ったから祥嬪様はお怒りになったの」

「けれど、本当のところを言えば、道の往来でぶつかってきたのはあちらのほうでしたわ」

「なら、そこの奴婢がいけないわ。静雅様が大人しくしていれば、丸く済んだ話だったのに、その女が浅知恵を吹き込んだものだから、騙された祥嬪様が大恥を掻いて、その怒りをこちらにぶつけてきたのよ」


 紅香の発言から、案の定楼蘭は「破鏡」で大恥を掻いたらしいと知って、珠麗はにんまりと笑みを浮かべかけた。

 が、その影響は、思わぬ形でこちらに返ってきているらしい。


「祥嬪様は、『善良なふりをして人の陥れる悪党は、近くに置かぬ方が身のためですわ』と仰ったの。わかる? そこの女を宮に入れたらただじゃ置かないということよ。お得意の教養の部をすでに終えたあなたはいいでしょうけれど、私が活躍できるのは、明日以降なのよ。ここで祥嬪様の不興を買えば、太監に根回しされて、女官にまで落とされてしまうわ」

(ああ、そういえば、紅香はが得意なのだったっけ)


 話を聞きながら、珠麗は久々に、後宮の女たちの特技を思い出しはじめた。


 経典に明るく思慮深い純貴人・静雅に、流麗な画才を誇る明貴人・紅香。

 そしてたしか、恭貴人・嘉玉は舞が得意だったか。

 それぞれ技芸では上級妃にも並ぶと評された貴人たちだったが、容姿や家格で今一つほかに及ばず、皇帝の寵愛も薄かった。

 だからこそ、どちらかといえば才能に比重の置かれる揺籃の儀に賭けているのだろう。


 そして、楼蘭はこの四年でしっかりと、下級妃たちに怯えられる程度には権勢を誇っているようだった。


「ねえ、嘉玉。奥ゆかしいのは結構だけど、あなたも他人事じゃなくってよ。この女を追い出さなくては、困るのは私たちなの。協力してよ。そうだわ、いざとなったら太監たちには、祥嬪様に命じられたと明言すればいいのよ」

「で、でも、祥嬪様は、やんわりと忠告されただけで、『追い出せ』までとは――」

「わかりました」


 紅香に巻き込まれた嘉玉が、おろおろと反論したのを、珠麗はきっぱりと遮った。


「では、私、宮には一歩も踏み入りません」

「珠珠さん!?」


 蓉蓉が驚いたように声を上げる。

 しかし、珠麗はそれに構わず、笑顔で押し切った。


「ひとえに、妃嬪様に無礼を働いた私が悪いのです。かの方のお怒りは当然かと。それに皆様を巻き込んでは、私のリョウシンが許しません。お付きの女官も太監もいりませんので、どうぞ私を門前の梨園に放り出してください。白泉宮の敷地内と言えば敷地内ですので、これで太監様たちの命に背いたと、皆さまが罰を受けることもありません。ご安心を」


 ありもしない良心なんて言葉を使ったものだから、歯が浮いて噛みそうだ。

 もちろん珠麗が野宿を願い出たのは、少しでも自由を確保するためだった。


 即日での後宮脱走は難しそうだが、少なくとも常に女官に囲まれているよりは、一人でいたほうが、なにかと安心である。

 それに屋外なら、植物の節を使って、礼央直伝の犬笛を作ることもできる。

 そうしたら、王都にも少数散らばっているという彼の仲間に、連絡を取ることができるかもしれない。


「そんな……珠珠さんが、このような横暴に従う道理はありませんわ! だいたい、こんな寒い時期に屋外で夜を過ごそうものなら、すぐに病を得てしまいます。罹ったのが伝染病なら、即座に後宮を追い出されますのよ」

(その手があったか!)


 眉を寄せて言い募る蓉蓉に、珠麗は内心でぺしん!と膝を叩いた。


 ならばなおさら屋外で過ごして、明日には病を装おう。

 もともと、胡麻を大量に食べると発疹が出る体質なので、厨にさえ忍び込めれば、偽装も容易だと思われた。


「病を得たなら、それが天命ということだわ、蓉蓉。私のことはいいから、あなたはちゃんと宮に上がるのよ。あなたには、なんの咎もない話なのだから」


 心配そうにこちらに詰め寄ってくる蓉蓉には、釘を差しておく。

 これで正義感を燃やした彼女が「それならわたくしも共に」などとやってこられては、計画が台無しだ。


「珠珠さん……」

「ね、お願いよ。絶対、私のことは気にしないで。大丈夫、これくらい、なんでもないわ」


 それは、掛け値なしの事実である。


 ここ王都は、直近まで暮らしていた玄岸州に比べれば、冬とはいえずいぶん温暖で、雪すら降っていない。

 梨園には東屋もあるし、寝るときは土をかぶればいいし、しかも土はよく整備されて、虫も蛇もいなそうだ。

 そこここに篝火かがりびはあるわ、池もあって水は汲み放題だわ、花街から貧民窟までを徒歩で踏破した、あの地獄のような日々と比べれば、快適すぎて涙が出そうなほどである。


(なんか私、本当に強くなったのねえ。自分で自分を褒めてあげたい気持ち! だって誰も褒めてくれないから! すごい! えらい! 超きもちー!)


 珠麗はぐっと唇を引き結び、込み上げる興奮をなんとか抑え込んだ。

 ここでにやにや笑いだしては、単なる変態だ。


「珠珠さん……」


 蓉蓉が、静雅が、嘉玉が、思わしげに。

 紅香でさえばつが悪そうに、うち震える珠麗を見つめていたことに、そんなわけで、彼女が気付くはずもないのだった。

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