第30話

 僕は銃口を下ろし、じっと博士の姿に見入った。

 この場で銃を捨てたら、アンドロイド組に『刺してくれ』と言っているようなものだろう。


 しかし、僕はそんなことに対する心配より、遥かに大きな感情を抱いていた。

 怒りだ。

 あいつは――ミヤマ博士は、生まれるべきでなかった僕たちに命を与え、実験と称して殺し合いをさせている。

 そう、生まれるべきでなかったのだ。それは自覚している。

 しかし、今現在、僕たちは生きている。レーナが言ってくれた通りだ。それなのに博士は僕たちに、むざむざ殺し、殺されろと言うのか?


「ふざけるな!」


 僕は叫んだ。足先から全身を震わせるような勢いで。


「出生がどれだけ不純だろうと、僕たちには命がある! 感情が、気持ちがあるんだ! それをあんたみたいな狂人に、踏みにじられて堪るか!」


 僕は視界の下方で、もう一人の僕が立ち上がり、同様に頭上を見遣るのを捉えた。

 もはや先ほどまでの殺気は感じられない。


 やや遠かったが、博士が苦虫を噛み潰したような顔をするのが、地上からでも分かった。


《おい、どうしたんだ、皆? 早く相手を殺さないと、地球へは行けないんだぞ!》


 僕たちは無言。代わりに、頭を高速回転させる。

 どうすれば、博士の制御下にあるこの軌道基地のシステムを掌握できるだろうか?


 だが、そう悠長に考えていられるほど、時の流れは甘くなかった。


《やむを得んな……。これでは私だけが犯罪者ではないか》


 そう言いながら、博士は立方体の壁面にあるパネルを操作した。

 直後、地面から真っ白い煙が立ち昇った。


「うわっ、なんだこれ……? げほっ! けほっ……」


 まさか、毒ガスか! これで僕たち――サイボーグ組もアンドロイド組も――を殺して、証拠を隠滅する気なのか。

 視界には濛々と白煙が立ち昇り、視野は五メートルと利かなかった。それでも何とか口元に手を遣り、周囲を見渡す。


 サイボーグ組のレーナとフィンは、僕同様に咳き込んでいる。それだけだ。

 しかし、アンドロイド組はそうはいかなかった。透明な液体を吐瀉していたのだ。


 あの液体は、彼らの血だ。臓器に致命的な損傷を受けているに違いない。

 そうか。これが『サイボーグは頑強』と評された理由なのか。

 僕は咄嗟に駆け出して、レーナの背後にいたもう一人の自分に声をかけた。


「大丈夫か!」

「……ぐほっ! がっ……」

「くそっ!」


 僕は最寄のガスの排出口に足を載せ、噴出を防ぎながら、相手のアルを横たわらせた。


「しっかりしろ、アル! お前は僕なんだ、こんなところで死ぬなんて……あんなに憧れていた地球に降りられずに死ぬなんて、許さないぞ!」


 喚き立てたはいいものの、相手はだんだん瞳から光を失い、息を細くしていく。もう為す術がない。

 その時、思いっきり胸倉を掴まれた。ぐいっと顔を近づける、もう一人の僕。


「……レーナを……レーナを、守り通してくれ。僕にはできなかったが、君にならできる」

「な、何を突然――」

「たの……む……」


 するり、と僕の胸倉にあった手が滑り落ちる。

 彼は完全に息絶えた。確かめるまでもない。もし僕が彼と同じ立場だったら、間違いなく最期にそう告げるだろうから。


「アル、大丈夫か!」


 そう言葉を飛ばしてきたのはフィンだった。そちらを見遣ると、フィンも膝を着き、レーナの肩を擦ってやっていた。

 レーナもまた、毒ガスを吸わされた。それのみならず、アンドロイドたちが死んでしまったことに悲しみを覚え、泣き出してしまったのだろう。


 その時上方、それも樹上を越えた遥か頭上で、何かががたん、と音を立てた。


《むっ、な、何だこれは? う、うわ、うわあああああああ!》

「ッ! こっちだ!」


 僕は白煙の残滓を払い除けながら、レーナとフィンに向かって叫んだ。

 僕の真っ赤な視界には、浮遊から落下に転じた博士のガラス部屋が映っている。反重力装置の支えを失ったようだ。


「レーナ、行くよ!」


 フィンに急かされ、レーナは腰を折ってその場を離れた。直後、件のガラス部屋が地面に打ちつけられた。鋭く耳に刺さるような打撃音と共に。


 僕はさっと自動小銃を掲げ、軽く咳き込みながらもガラス部屋に銃口を向けた。


「何が、起こったんだ……?」

「皆様、ご無事ですか?」


 きゅるきゅると愛嬌のある音を立てながら、トニーがそばにやって来た。

 ロボットだから呼吸する必要もなかったのだろう、怯んでいる様子はない。

 僕が振り向くと、トニーはそれを感知したのか、こう語り出した。


「このフロアの管制システムを乗っ取りました。ミヤマ博士に利用価値はありませんので、皆様が窒息する前にガスを停止し、代わりに博士のガラス部屋を落としました」

「どうしてそんなことができたんだ? 博士は、この基地のシステムは自分しか制御できないと――」

「盲点がありました」

「盲点?」


 頷きながら、相変わらず淡々と告げるトニー。


「わたくしのそばのガス排出口が妙に大きかったので、詳細に調べましたところ、それがガス排出システムの中枢に接続されていることが判明しました。そこでコンピュータ・ウィルスを仕込んだところ、上手く機能したのです」

「そこからこの基地全体のシステムを乗っ取った、ということか?」

「左様です。まだ一部だけですが」


 僕は目を逸らし、再びガラス部屋を見遣った。

 ガラスは床面以外が全て砕け散り、周囲の地面にきらきらと輝きを与えている。

 室内からは黒煙が上がっていて、何かの電子機器が損傷したことを示していた。


「下がるんだ、レーナ。フィン、僕と一緒に博士の様子を確認しよう」

「分かった」


 僕とフィンは自動小銃を掲げ、ゆっくりとフレームだけになったガラス部屋に近づく。

 黒煙で、中の状況は見えない。警戒を怠るなということか。


「フィン、何か見えるか?」

「待ってくれ。まだ煙が――ッ! 皆伏せろ!」


 フィンに何があったのかと問う間もなく、爆発音が響き渡った。一気に黒煙が吹き払われ、ガラス部屋の中が露わになる。


 そこには、フィンが仰向けに倒れ込んでいた。両腕を失った状態で。


「だ、大丈夫か、フィン!」

「ま……だだ……。博士が、手榴弾を……」

「分かった、もう喋るな!」


 僕は膝立ちの姿勢で、ガラス部屋の奥に目を凝らした。衝撃で骨折でもしたのか、足をぐしゃり、と歪めた博士がそこにいて、二発目の手榴弾のピンを抜こうとしていた。


「止めろ! これ以上死人を出すな!」

「だ、誰が……。誰が貴様らサイボーグを、人間扱いするものか!」


 そう叫んだ博士に向かい、僕は一発、発砲した。それは綺麗に博士の右肘に吸い込まれ、生々しい音を立てて、手首から先を弾き飛ばした。


「あ、あぁ、ああああ! 私の、私の腕が! ど、どこに行ったんだ? 腕、腕ぇ!」


 僕はその無警戒な背中に、容赦なくもう一発撃ち込んだ。

 博士はあたかも人形のようにばたんと倒れ込んで、動かなくなった。


 僕は無言で、しかししっかりとした足取りで博士に近づいた。

 すぐそばにしゃがみ込み、囁く。


「確かに僕たちは人間じゃない。じゃあ、それを造り出したあんたは何なんだろうな?」


 ホルスターから拳銃を抜き、立ち上がって左後頭部に狙いを定める。


「くたばれ、怪物」


 パァン――。その発砲音は不思議と大きく響き渡り、続いてチリン、と薬莢がガラス片の海に落ちた。


「アル!」

「……」

「アルってば!」

「何だい、レーナ」


 僕は拳銃を仕舞いながら、ゆっくりと首を巡らせた。僕が目の前で人一人を殺したのに、レーナはそれを何とも思っていないのか?

 訝しんだが、振り返ってみてようやくその理由が分かった。


「フィンが……死ん、じゃった」


 急速に視界の赤色が薄まり、フルカラーの色合いが戻ってくる。

 フィンの両腕部、そして胸部からの出血は、こうして見た方がやはり生々しかった。


 フィンの遺体を挟んで、僕の反対側にいるレーナ。しばしの間は耐えていたが、すぐにその場にへたり込んでしまった。

 奇跡的にガラス片がそこまで散らばってはおらず、足を切りはしなかったようだが。


「私たち……私たち、これから何人の大切な人を失えば許されるの?」

「許される?」


 僕が語尾を上げて問うと、レーナは答えた。


「だって私たち、本当は生きてちゃいけない存在なんでしょう? 博士が言ってた実験とか、外宇宙開発の計画とか……。みんな最初から何もかもなくなってしまえばいいのに!」

「止めろ!」


 最後まで聞いてから、僕はレーナを遮った。


「今は生きてるんだって言ってくれたのは君だろ、レーナ! 僕たちは生き延びて、何とか協力者を探すんだ! おい、トニ―!」

「はい、アル様」

「僕が博士の右後頭部を残した意味、分かるよな?」

「はい、承知しております」

「じゃあ、頼む」

「かしこまりました」


 そう言って、キャタピラ音を立てながら、トニーは博士の死体にメスを入れた。

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