第4話


         ※


「ん……」


 暗闇に、光が差した。真っ白な人工的な光だ。僕はぼんやりとした感覚の中、自分の身に何があったのかを思い出そうと試みた。

 

 そうだ。非常アラームが鳴って、ポールと一緒に廊下に出たんだ。そして、職員室に向かう廊下で警備員に気絶させられて――そこから先の記憶はない。


 眩しさのせいで目を開けるのに抵抗があった僕は、ひとまず自分の姿勢を確認することにした。硬質なソファのようなものに、深く腰を下ろしている。お世辞にも座り心地がいいとは言えない。


 そこからゆっくりと立ち上がろうとした僕は、しかし上手く行かずにソファに引き戻された。


「うわっ!」


 ようやく僕は、ぱっと目を見開いた。慌てて肘掛に載せられた手に目を遣ると、手首が拘束されている。肘掛の上に半円を描くようなパーツがあり、そこに腕を通すような形になっているのだ。


 その無機質な輝きに、僕は背筋に嫌な震えが走るのを感じた。


「なっ、何だこれ……」


 何度も手先を開いたり閉じたりしてみたが、見事に手首にフィットしていて、ぴくりとも動かない。


 眼前にあるのは、見慣れない真っ白な壁だ。六角形を組み合わせた、いわゆるハニカム構造を描くようにパーツが重ね合わされている。

 それにしては、上方が暗い。すっと見上げると、電装部品の類がごちゃごちゃと椅子の上部から張り出してきていた。


 一体、僕の身に何が起こっているんだ? 慌てて左右を見回すものの、暗い遮光板のようなものが肘掛の外側に配され、周囲を窺うことはできない。

 

 僕がごくりと唾を飲んだ、その時だった。


「おーい、誰かいないか?」

 

 思いの外近くで声がした。


「聞こえたら返事をしてくれ!」

「ポール? ポールなのか?」

「その声、アルだな? 君は無事か?」

「な、何とか……」


 僕とポールがこの怪しげなソファに座らされている。もしかして、勝手に教室を出たことで、何らかの罰を受けるのだろうか?

 しかし、この場にいるのは僕とポールだけではなかった。


「あれっ、ここはどこだ?」

「一体何なの、この手錠は!」

「ちょっと、誰がこんなことを……」


 声の反響具合からして、ここは随分広いフロアのようだ。それに、皆の言葉を聞く限り、全員がこのフロアの存在を知らない。

 一体この場で、何が行われるというのだろう。


 ふと、頭上でカチリ、と音がした。

 何事かと首を曲げて見て、僕は再びぎょっとした。HMD――ヘッドマウント・ディスプレイが、芋虫が首を伸ばすようにして僕の頭に被さってくる。


「わっ、止めろ止めろ!」


 僕が騒ぎ立てると、一旦HMDは動きを止めた。僕があまりに暴れるからだろう。

 その頃には、このフロアのあちらこちらから騒ぎ立てる声が響き始めていた。最早言葉の一語一語は判然とせず、反響して強化されたり、打ち消し合ったりして、あたりは騒然としていた。


 そんなフロアに、キィン、という耳障りな、しかしこの中では明瞭な音が響き渡った。

 鎮静効果のある音だったらしく、急速にフロアは静まり返っていく。それからフロアを支配したのは、これまた明瞭な、そして人工的な機械音声だった。


《落ち着いてください、皆さん》


 数秒間の間を置いて、この言葉が三回繰り返された。その頃には、もう誰も騒ぎ立てはしていなかった。


《現在の状況をお伝えいたします。あなた方、すなわち本校生徒諸君は、特別学習班に選抜されました。ここにいる全員が、第一次適合者です。学年・クラスを問わず、全員が条件を満たしています》


 特別学習班? 聞いていないぞ、そんなもの。それも、全員が適合者だって?

 僕は喜んだり、嬉しく思ったりするよりも早く、反発を覚えた。無理やり連れてこられたのだから当然だ。教室に残った皆が、どうやって連れてこられたかは知らないけれど。


《違和感や反抗心を抱く方がいらっしゃるのは当然でしょう。我々特別学習班担当チームは、あなた方を超音波で気絶させ、ここに運び込んだのですから》


 ああ、そうだったのか。僕とポールほど、暴力的な目に遭った生徒はいないらしい。

 しかし、ここにいる全員を運び込むとは、随分と手間がかかっただろう。手錠を掛けていくにしても同じく。

 そうまでして、このHMDを被せたいのだろうか?


 僕が訝しく思っていると、『手荒な手段を講じてしまい、誠に申し訳ありません』とのアナウンス。

 それはそうだ。ちゃんと口頭で説明してくれれば、僕たちも簡単に納得できただろうに。


 いや、待てよ。それは違う。

 問題はこの手錠だ。こんなものを嵌められるのに納得する人間はいないだろう。

 やはり、半ば強引にでも僕たちを連れ込む必要があった、ということか。


 そこまで考えが及んだところで、再びフロアがざわめき始めた。


「だったらこの手錠を外せよ! もう用済みだろう!」


 そうだそうだと、皆が賛同の声を上げる。僕はそこまでする気にはなれなかったけれど、皆の方が人工音声より正しいのは確かだと思った。


 すると、ふと違和感が鼓膜を打った。

 人工音声の向こうから、ため息が聞こえたような気がしたのだ。


《致し方ありませんね、もう少々、辛抱して頂きます》


 やや口調が生々しくなる。この胸騒ぎの原因は何だ? 動けない僕たちに、何が起ころうとしているんだ?


 その答えは、直後にやって来た。突然背中がソファの背もたれに押し付けられたのだ。

 まるで、強力な磁石に引き寄せられるように。

 僕は、うっと息を詰まらせた。


 その隙を逃さず、HMDがするりと僕の頭部に被さってきた。本格的に、人工音声の主が動き出したということだろうか。僕の胸は、不吉な高鳴りを増していく。

 皆がどうなったのか。今何が起こっているのか。周囲の状況が全く掴めない。


 HMDの内側は真っ暗だ。何も映されてはいない。ということは、これはHMDを模した何かなのだろうか?


 そこで、僕の思考はぷっつりと切れた。

 と言っても、気絶したわけではない。それよりも、遥かに悪い。

 今まで経験したことのない、想像すらしたことのないような激痛が、僕を襲ったのだ。


 まるで、耳から棘だらけのゴルフボールを流し込まれ、その一つ一つが、頭蓋骨の中で跳ね回っているような。

 凄まじい灼熱感が脳みその表面にこびりついて、じりじりと焼き尽くそうとしているような。

 頭頂部から流し込まれた超低温の液体窒素が、そのまま脊髄までをも破壊しながら流れ込んでくるような。


 気絶できるものなら、すぐにそうしてしまいたい。だが、それが行き過ぎて死ぬようなことにはなってほしくない。


 自分たちが何に巻き込まれたのかは分からない。しかし、僕は生き残らなければ。

 僕には夢がある。地球に降り立ち、人類の足跡を追ってみたいという夢が。

 何があろうと、ここで死ぬわけにはいかなかった。


 辛うじて残された僅かな理性が、そう声を上げている。だったら、今を乗り越えるしかない。


 そこまでの考え、否、本能的な何かに突き動かされた時だった。僕は自分の身体が、急に軽くなるような感覚に囚われた。

 今までの激痛が、嘘のように引いていく。僕は今、どうなっているんだ?


 疑問に答える代わりに、HMDらしき機械は僕の視野に干渉してきた。僕はぎゅっと目を閉じていたから、通常のHMDの有する機能ではあるまい。

 半ば無理やり、僕の脳に刻みつけてくるような視覚情報。もしかしたらこの時、僕は疑問の声を上げていたかもしれない。これは一体、何が起こっているのかと。


 記憶の断片が、割れたガラスのように煌めいては消えてゆく。しかし、その背後には常に同じ光景がある。

 コバルトブルーに輝く、海と大地からなる巨大な球体だ。


 その時、僕は確かに感じた。自分は地球に招かれているのだ、と。

 自分の胸が、内側から心をノックする。周囲の反対を押し退けてでも、そして今すぐに、地球に向かえ。そんな言葉が、じわりじわりと僕という人間を染め上げていく。


 本来なら、催眠術にでもかかっているのではないかと疑うところだろう。しかし、僕にそんな気はなかった。

 地球行きを渇望していたのは、僕が生まれてからずっとなのだ。学校に通い始める前からの本能なのだ。だったら、その時機が多少早まったところで、何の問題があるだろう?


 最後に僕の脳裏に刻まれた光景。それは、宇宙から見下ろす極地のオーロラだった。

 僕にはその揺らめきが、妖しく手招きしているように見えた。


 HMDは、唐突にその役割を終えた。

 僅かな鈍痛を頭蓋の内側に残し、消えていく映像。やがて、HMDはゆっくりと僕の頭上へと引き上げられた。


 僕はソファに深く腰掛けたまま、しばらく瞬きと呼吸以外の挙動を取れないでいた。

 手錠が外されたことに気づいたのは、数分後のことだっただろうか。

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