第3話


         ※


「おはよう、三人共……って、大丈夫かい、アル?」

「やあ、ポール。取り敢えず死んではいないけどね……」


 そう言って、僕はポールの挨拶に応じた。

 ポールはいかにも痛々しい、という気配を隠せずに、じっと僕を見下ろしている。


 見下ろすと言っても、決して僕たちを軽蔑しているわけではない。

 物理的に、僕やレーナよりもずっと背が高いのだ。すらっとした長身痩躯な彼は、頭二つ分は僕らより上背がある。

 確かに、女子の中でも長身なフィンとはお似合いだ。


 朴念仁と言われた僕でも、ポールとフィンが付き合っていることくらいは知っている。


「あれ? どうしたんだい、フィン?」

「……何でもない」


 厚めの眼鏡越しに、穏やかな視線を送ってくるポール。それでもやはり、フィンには恥じらいがあるらしい。

 二人は放っておいた方がいいだろうか? と思った矢先、より良案に至った人物がいた。レーナである。


「ねえポール、『彼』は完成したの?」


 そう問うたのだ。ポールは両眉を上げて、レーナに目を移した。


「ああ、そうだ! 君たちには報告しておくべきだったね。今日は恐らく、『彼』の誕生日になりそうだよ。今、エネルギーの充電作業中なんだ。帰りに僕のラボに寄ってみるかい?」

「まあ、素敵! 喜んでお邪魔します! ねえアル、あなたも来るでしょう?」


 そう言いながら、レーナは僕の腕を自分の両手で引き寄せた。

 

「ちょっ、レーナ! む、胸……」


 フィンに比べればささやかだが、押しつけられては意識せずにはいられない。こういう時のレーナは、本当に無邪気というか、自由奔放である。

 もしかして、彼女は僕を鼻血の大量出血で殺す気なのだろうか?


 そんな僕たちを、相変わらず穏やかな目で見つめながら、ポールはあははと快活に笑った。

 

「じゃあ、放課後に部室棟の研究室に一緒に行こう。四人で『彼』の完成祝賀会をしようじゃないか」

「はーい!」

「僕も行くよ。フィンは?」

「……付き合ってあげてもいいけど」


 満足げに頷くポール。


 今更ではあるが、『彼』を紹介しておこう。

 皆は『彼』と呼んでいるが、ポールは『トニー』と名付けている。彼が独力で開発を進めていたロボットだ。


 今の時代には珍しく、トニーは全身が金属と電子部品からできている。極めて頑強で、合理的思考力を有する機械だ。


「なあポール、トニーに搭載されてるAIって、どの程度の知能レベルなんだい?」

「人間で言えば、ざっと十五、六歳といったところかな。ちょうど僕たちと同じ年代に合わせておいたよ」


 自分たちより年上の人間の思考方法は分からないからね――と、ポールは付け足した。


 それもそうだな、と僕は深く納得した。

 僕たちが知っていることというのは、あまりにも少ない。それが人間についてであれ、社会についてであれ、宇宙についてであれ――そして、自分たちの起源についてであれ。


 そう思うと、早く学校を卒業して、働いてみたいと思えてくる。もちろん、地球に関わる企業に就職した上でだ。


 そんな妄想に耽っていた、まさにその時だった。耳を聾する警報が、その唸りを上げたのは。


「どわっ! な、何だ?」

「分からない! 火事か?」

「落盤事故かもしれない!」


 クラスは一気にざわめいた。皆が立ち上がり、あるいは机の下に身を隠し、状況を推し測ろうと必死だった。


 彼らの会話に出てきたのは、火事、地震、空気漏れ、落盤事故の四つ。だが、いずれも的確とは言い難かった。


 火事であればスプリンクラーが起動するはずだが、その気配はない。

 地震のような振動も感じられない。

 空気漏れの時に聞こえてくるはずの緊急隔壁の閉鎖音もしない。

 そして、落盤事故はそもそもあり得ない。厳重な地殻調査が為された上で、この惑星面基地は造成されているはずだ。


 では、一体何事なんだ?

 僕が自分の机の下で考えを巡らせていると、唐突に叫び声がした。


「待ってよ、ポール!」

「大丈夫だよ、フィン。少し状況を確認してくるだけだから」


 見れば、教室のスライドドアに手をかけたポールに、フィンが追い縋っていた。

 しかしポールは取り合おうとしない。言葉は優しかったが、その中には確固たる意志がある。


 ポールは極々軽く、フィンを押し離した。それだけで尻餅を着くフィン。


「ポール!」


 警報が止んだのをいいことに、僕も声をかける。


「どこに行くつもりなんだ?」

「職員室だ。先生たちなら、何か知っているかもしれない」

「た、確かに……。でも、今日は警備員さんはいるけど、先生とは一度も会ってないよ?」

「だったら尚更だよ。上手く言葉にできないけど、今の警報は何かのシグナルなんだ。僕たちを閉じ込めておくはずの」


 とポールが言い終えた直後のこと。


《扉を緊急封鎖します。危険ですので、離れてください。繰り返します―—》

「このままでは閉じ込められる。君も来るかい、アル?」

「……うん。連れて行ってほしい」


 ふと振り返ると、レーナと目が合った。


「ま、待ってアル!」


 レーナはさっと立ち上がり、僕に駆け寄ろうとして椅子に躓いた。


「レーナ! 大丈夫?」

「アル、時間がないぞ!」


 僕の腕を引くポール。


「心配しないで、レーナ! また会えるから!」


 そう言って、僕は振り返った。そして、緊急封鎖される直前の扉から勢いよく駆け出した。


         ※


 どうやら、廊下に飛び出そうとして成功したのは僕とポールだけだったらしい。他クラスの生徒の姿は見受けられない。皆、非常事態のアラームに怯んでしまったのか。


 一旦廊下を見渡したポールは、ゆっくりと振り返り、意味あり気なため息をついた。


「ど、どうしたんだい、ポール?」

「アル、君を連れ出しておいてなんだけれど……どうしてついてきたんだ?」

「えっ」

「僕が来たのは、学級委員長として皆を安心させる義務があると思ったからだ。そのために、先生方に会う必要があると考えた。だが、君は何も責務を負っているわけじゃない。繰り返すけれど、どうしてついてきたんだ?」


 僕は言葉に詰まった。明確な理由があったわけではないし、勝手に身体が動いた、としか言えない。それでも、強いて言えば――。


「レーナのためだよ。僕はレーナのことが好きなんだ。だから、彼女が危険な状況に遭う、っていうなら、何とかその事態を回避したい。彼女を、守りたいんだ」


 僕はじっと、ポールを見上げて淡々と述べた。我ながら『淡々と』と表現するのは変だけれど、ここで慌てふためいていても仕方がない。

 僕は、本気なのだ。今は我武者羅になるのではなく、落ち着いて冷静に事実を見極めるべきだろう。


「分かったよ、アル。一緒に行こう。職員室はこっちだ」


 大股で歩み出したポールに負けじと、僕は小走りでその背中を追った。


         ※


 ポールの後を追う過程で、今更ながら気づかされた。

 僕は職員室や、警備員室がどこにあるのか、さっぱり知らないのだ。ポールは委員会や部活動の監査を担っているから、知っていて当然なのだろう。

 対する僕は、何の役職も任されていない。だから知らない、というか、知らなくても支障がない。

 今のところ頼りになるのは、ポールだけだ。


 しばらく廊下を進むと、建物の材質が変わった。校舎として使われている鉄筋コンクリートではなく、青くて暗い質感の材質で建物ができている。

 その先は窓がなく、天井にぽつりぽつりと電灯が点いているだけの空間があった。何度か『引き返すべきではないか』とポールに進言しようと思ったけれど、彼の前で『レーナを守る』と大見栄を切ってしまった手前、弱音を吐くわけにもいかない。


 そんなことを考えていると、目の前に壁が迫ってきた。いや違う、ポールの背中だ。

 ポールが立ち止まり、僕がその背中にぶつかりそうになったのだ。


「ど、どうしたんだ、ポール?」

「……」

「ポール?」


 恐る恐る声をかけると、ポールの背中が再び迫ってきた。今度は僕が近づいたせいではない。ポールが背中から、こちらに倒れ込んできたのだ。


「うわっ! なっ、一体何が……!」


 何とかポールの身体を支え、踏ん張る。すると、ビリッ、と感電するような刺激が僕の両手を震わせた。


「ひいっ!」


 思わず手を離してしまう。だが、これ以上ポールが倒れ込んでくることはなかった。

 横合いから割り込んできた警備員に、背中を支えられたからだ。


 その時、僕は気づいた。恐らくポールは、非殺傷用のワイヤーガンで撃たれたのだ。そこから電気を流され、気を失った。

 しかし、僕がこの考えに至った時には、既に一歩遅かった。


「……悪いなアル、少し眠っていてもらうぞ」


 そう警備員に声をかけられた直後、鈍痛がぐわん、と後頭部を襲った。拳銃の把手で殴打されたらしい。息が詰まり、視界が回る。

 仰向けに倒れ込んだ僕の視界で認識できるのは、警備員の着けるヘルメットだけだったが、今の声で誰なのかは察しがついた。


「フレディ、さん……? どうして、こんなことを……?」

「脱走した被検体を二体共確保した。これより作戦に移る」


 被検体? 作戦? 何のことだ? 僕は疑問を抱きつつ、得体のしれない不安感の暗闇に呑み込まれていった。

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