第2話

「よし。同級生への暴力行為の罪で、お前ら五人の身柄を拘束する」


 淡々と告げる警備員。血も涙もない、とはまさにこのことか。不良たちに同情する気にはなれなかったけれど。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」


 後ろ手に手錠をかけられながら、番長が抗議の声を上げる。


「あ、あいつらだって俺たちに暴力を振るったぞ! あのアマ、俺の子分を皆ボコボコに――」

「事情は聴取室で聞く。今は黙っていろ」


 すると、警備員の増援が到着した。一人の不良に一人の警備員がつく形で、次々に不良たちを連行していく。誰もが自動小銃を手にしているのが気になったが、それだけ警備任務は危険を伴うのだろう。


 屋上に残されたのは、僕とフィン、それに最初に仲裁に来てくれた警備員だ。

 

「全く飽きないな、君も」

「えっ?」


 突然警備員が、僕に声をかけてくる。ヘルメットの両脇を掴み、ゆっくりと取り外した。

 そこにあったのは、浅黒く無精髭を生やした厳つい男性の顔だった。


「あっ、フレディさん!」


 僕は自分の顔面から、緊張が解けるのを感じた。


「やあアル、大丈夫か、怪我の方は?」

「は、はい! フレディさんこそ、助けてくださってありがとうございます!」

「ま、生徒の無茶を鎮圧するのも、俺たち警備員の任務の内だからな」


 ふと、僕は違和感を覚えた。フレディさんの『鎮圧』という言葉が、脳裏に引っ掛かったのだ。まるで暴徒を相手にしているような言葉運びではないか?


 まあ、いいか。

 僕がこの星の学究施設の学究施設に来てから、フレディさんはよく僕に構ってくれた。僕の地球に対するこだわり、悪く言えば執着心を理解してくれているのだ。

 そんな彼が、実際に生徒に銃口を向けるはずはあるまい。


「俺も女房と娘が地球にいるんでな。お前の気持ちも分からんでもないぞ、アル」

「ありがとうございます。でもあの不良、どうして僕の名前を知っていたんだろう……」

「ちょっとあんた、自分の立場を知らないの? どれだけ有名になっているか!」

「は?」


 フィンの言葉に、こてんと首を傾げる僕。フィンは呆れた様子で腕を組んだ。

 そうすると、ただでさえたわわな胸部が強調されて見えてしまうが……いや、一体何を考えているんだ、僕は。


「聞いてんの、あんた?」


 フィンがずいっと顔を寄せてくる。お陰で僕は、現実に引き戻された。


「あ、ああ、何だっけ?」

「あんたが有名だって話! 地球オタクとしてね!」

「ぼ、僕がオタク?」


 フィンは顔を戻し、やれやれとかぶりを振った。


「アル、あんたほど地球に憧れてる生徒、あたしは知らないよ」

「そういうものかな」

「それもそうだ、フィンの言う通りだよ」


 向こうに加勢するフレディさん。


「お前の愚直さというか純粋さというか、頭が下がる」


 そう言って、ニヤリと口元を緩める。そしてこちらに背を向けながら、こう叫んだ。


「おーい、レーナちゃん! もう出てきても大丈夫だぞ!」


 しばしの沈黙の後、屋上に出る階段から、おずおずと小柄な姿が現れた。

 扉の端を掴み、ゆっくりと顔を出す。それから僕の目に映ったのは――。


 セミロングの綺麗な金髪、同じく綺麗な青色の瞳、すっと整った鼻筋と口元。僕のガールフレンド、レーナだ。ジャージ姿のフィンと違い、制服であるブレザーを着用している。

 本人が小柄であるために、逆に制服に着られているかのようだ。


 小動物じみた動きで、とてとてとこちらに歩み寄ってくるレーナ。僕は片手を上げて勢いよく振った。

 ぱあっ、と明るくなるレーナの表情。しかし、それも僅かな間のことだった。

 すぐに顔をこわばらせたと思ったら、はっと口に手を遣ったのだ。


「あ、アル! どうしたの、傷だらけじゃない!」


 か細くも温かい声音を目一杯張り上げ、僕の姿に見入る。


「いやあ、ちょっと階段で転んで――」

「何言ってんだよ、アル。ちゃんと伝えなさいよ、虐めに遭ったって」


 気楽さを装って後頭部に手を遣った僕は、その姿勢のまま固まった。

 フィンの奴、余計なことを……。


 案の定、レーナははっと息を飲み、『そんな酷いことがあったの⁉』と言った後絶句した。


「だ、大丈夫だよ、レーナ! ほら、僕は元気だから」

「でも、擦り傷だらけじゃない!」

「ああ、まあ……」


 視界の隅で、フレディさんが大きく肩を竦めた。『あとは勝手にやれ』とでも言いたげな様子である。


「取り敢えず、三人共教室に戻るんだ。もうすぐ一限目が始まるぞ」


 素っ気なくそう言い放ち、階段を下りていくフレディさん。

 僕は『自分は大丈夫だ』と繰り返し、レーナを宥めながら、呆れ顔のフィンに背中を押されて屋上を後にした。


         ※


 僕たちは足早に廊下を歩き、教室へと向かった。望遠鏡を返却すると、備品整理の係員さんが怒り狂っていた様子だったが、大丈夫だろうか。興奮で脳の血管が切れなければいいけれど。


「……アル」

「……」

「アルってば!」

「ふぇ? あ、何?」


 僕が慌てて視線を巡らすと、声の主、フィンが僕のすぐ隣を歩いていた。反対側にはレーナがいる。


「ちょっとはガールフレンドの身にもなりなさい、って話よ。全く、他人に心配ばっかりかけて。ちょっとは見守ってる女の子の気持ちを汲んであげなさい」

「ああ、いいのいいの、フィン。アルの地球好きは、今に始まったことじゃないから」

「あんたもあんただよ、レーナ! アルのことが大切なら、首に縄でもつけておかないと!」

「僕はレーナのボーイフレンドだ。ペットじゃない」


 きっぱりと言い切った僕の横で、かあああ、と何かが熱される音がした。


「あれ? どうしたの、レーナ?」

「……」


 反対側から小突かれ、僕は何事かとフィンの方を睨む。即座に睨み返された。


「公共の場で言うことじゃないわよ、そんなの! ま、今は人があんまりいないから、勘弁してあげるけど」

「ん?」


 僕とレーナが付き合っていることがバレると、都合が悪いのだろうか?

 恐らくそうなんだろうな、と僕は思う。確かに、この事実を公言されたら、僕だって恥ずかしくもなるだろう。


 僕はそっと歩みを遅らせて、学舎の窓の外を見遣った。

 そこに広がっているのは、色が二色。夜空の黒と、地面の灰褐色だ。


 ここは、僕が調べたところでは月――地球の衛星である、あの月だ――に類似した環境の惑星のようだ。

 大気は存在せず、この惑星を照らす太陽からは、情け容赦なく熱と放射線が降り注ぐ。だからこの学舎と警備員用の宿舎、それに、そこに住まう人々の生存に必要な設備を囲むように、巨大な耐熱ガラスで一帯が覆われている。

 ちょうど、超巨大なコンタクトレンズが、凸部を上にして月に貼りついているような形だ。


 このガラス素材には、適度な遮光性があり、耐放射線性能もしっかりしている。

 自転の関係で、今こちらは夜側。だから空が黒いのだ。


 また、この耐熱ガラスの内側は、人工重力場となっている。僕たちが祖先から受け継いだ骨格や筋肉の強度を維持するためだそうだ。


「ちょっと! 何ボサッとしてんのよ、アル! 一限に遅刻するわよ!」

「そ、そうだよアル、私も遅刻しちゃうよ~」


 フィンとレーナが交互に声をかけてくる。


「だったらレーナ、あんた、一限サボってアルとデートでもしてきたら?」

「ぶふっ⁉」


 突然の提案に、僕の鼻から止まりかけた鼻血が噴出した。


「ちょ、フィン! あなた何言い出すの⁉ ああ、アル、アル!」

「やれやれ、若いのは血気盛んだね」


 自動小銃にセーフティをかけ、背負い直しながら、フレディさんはかぶりを振った。


「じゃ、俺は詰所に戻るよ。アル、くれぐれも気をつけろよ」

「えっ、何にですか?」

「恋人を泣かせるな! 以上!」


 言いたいことは言い切った。そんな雰囲気を醸し出し、フレディさんはくるりと背を向けた。


「わ、分かりました」


 とその背中に呼びかける僕。その横で、レーナは顔を真っ赤にしていた。


「ん~~~!」

「ど、どうしたの、レーナ?」

「察しなさいよ、そのくらい! 恋人って言われて恥ずかしがってんのよ!」


『全く、フレディのおっさんはデリカシーがないんだから』――そう言いながら、軽く手刀を浴びせてくるフィン。どうして僕が叩かれないといけないんだ。

 

 何だか悔しくなってきた僕は、フィンに対しても言ってやった。


「そんな男勝りなことばっかりやってると、ポールに愛想尽かされるぞ!」


 ぴたり、とフィンの手が止まる。同時にじりじりと顔が朱に染まっていく。


「あっ、あんたみたいな朴念仁に言われたくないわっ!」

「おっと!」


 唐突に殺気を帯びた手刀を、僕は何とか回避する。

 そうこうしているうちに、僕たちは教室前に到着した。

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