瞳の中のコバルトブルー

岩井喬

第1話【第一章】

【第一章】


「うーむ……」


 僕は唸りながら、古ぼけた筒で星空を覗いていた。

 これは、天体望遠鏡というものだ。

 望遠鏡の起源は十七世紀前半にできたというから、かれこれ五百年の歴史がある、ということになる。

 

 もちろんこの望遠鏡は、そんな骨董品ではない。しかし、基礎原理は変わらず、五百年前のままだ。今――二十二世紀からすれば。


 僕はそっと目を離し、眉間に手を遣った。

 流石に今日は目を使いすぎたようだ。それでも、授業開始までは星空を眺めているつもりだ。たとえ『その星』が見つからなかったとしても。


 僕が再び望遠鏡を覗き込もうとした、その時だった。

 ことん、と何かが頭にぶつかった。再び顔を離し、その『何か』を拾い上げる。空になったペットボトルだった。


「よう、アレックス。今日も精が出るなぁ、えぇ?」


 声のした方を見ると、そこにはこの建物、すなわち校舎屋上に配された貯水タンクがあり、その上には数人の男子生徒が陣取っていた。


 僕は連中を無視して、再び天体観測に臨もうとした。しかし、横合いから思いっきり肩をど突かれた。男子生徒のリーダー格、番長みたいな奴が、ちょうど僕のそばに立っている。


「お前、このポンコツで何を見ようとしてたんだ? ガールフレンドのシャワールームか?」


 下卑た笑いが、僕を包囲する。だが、僕は平然と答えた。


「いつもと同じ、『あの星』だよ」

「あぁん? 何言ってんだ?」

「地球のことさ」


 すると、下卑た笑いは哄笑に取って代わった。


「バッカじゃねえの、てめえ! こっから見えるかよ、地球なんて! ただでさえ、地球行きのワームホールが展開されてるってのに、その向こう側にある星なんて見えるかよ!」

「でも、地球は太陽光で輝いて見えているんだ。そのコバルトブルーの色彩の一片くらい見えるかも――」

「ごちゃごちゃうっせぇんだよ、てめぇは!」


 実にあっさりと、僕は殴り飛ばされた。ばったりと屋上に横たわる。微かに鉄の臭いがする。


「さて、何が見えんのかな……って、どういう仕組みなんだよ、これ」

「このつまみをいじるんじゃねえの?」

「いや、このネジだろう」

 

 連中はしばらく望遠鏡をいじくりまわしていたが、すぐに興味をなくしたようだ。


「分っかんねぇ! もういいや」


 番長がさっと手を払う。故意にか偶然にか、その指先が望遠鏡に触れ、望遠鏡は人工重力に引っ張られて倒れ込んだ。


 ガシャン――レンズが割れ、鏡筒が傷むのが分かる。

 その途端、僕の頭の中で何かが弾けた。

 天体望遠鏡を壊された。その事実が、僕の地球に対する憧れの念を踏みにじったように思われたのだ。


「お前、よくも!」


 僕は立ち上がり、番長目がけて突進した。が、まともな喧嘩などしたことのない小柄な僕は、番長の腰巾着に易々と殴り飛ばされた。

 微かに鮮血が舞う。どうやら、唇を切ったらしい。


「俺たちは帰るぜ、アル。邪魔して悪かったな」


 へへっ、と嫌味ったらしい笑い声を残し、番長が立ち去ろうとする。

 しかし、僕はこんな結果に納得してはいなかった。


「くっ!」

「うおっ!」


 立ち上がり、低い姿勢のまま、背を向けた番長にタックルを仕掛けたのだ。前のめりにぶっ倒れる番長。


「てっめぇ……。おいお前ら、容赦すんな。半殺しにしちまえ!」


 すると、番長含め五人の不良たちは、ざざっと僕を包囲した。彼らとは初対面だが、喧嘩慣れしているのは火を見るよりも明らかである。

 僕はその素早い挙動に目を奪われ、正面にいた不良の拳を回避できなかった。


「ぶふっ!」

「そうら!」


 殴られた横から蹴り込まれるスニーカー。脇腹に激痛が走る。思わずうずくまったところで、頭上から肘鉄が降ってきた。


「がっ!」

「おらどうした、アル? そんな体勢じゃ、地球なんか見えねえぞ!」


 番長には、再び笑い声を上げる余裕が生まれたらしい。


「……まだだ」

「あん?」

「ぼ、僕は、必ずこの目で地球を見て、そして降り立つんだ……。たとえ何があったとしても……」


 僕の声に何かを感じたのだろうか。番長はしゃがみ込んで、僕の髪を掴み上げ、ぐいっと頭部を持ち上げた。視線を合わせ、鼻先が触れ合うような距離で喋り出す。


「どうしてそんなに地球に拘るんだ? 似たような星なら、いくらでも見つかってるじゃねえか」

「でも、僕たち人類が生まれたのは地球だ。僕は一人の人間として、どうしても地球に触れてみたいんだ」


 その毅然とした物言いに、番長は笑みを引っ込め、思いっきり顔を顰めた。


「……分かってんだろうな、アル? この学校を出たって、地球に行けるようなエリートになれる奴なんてほとんどいねえんだぞ?」

「分かってる。去年の卒業生で、地球研究チームに配属された人はいない。うちの学校からは、もう十年も地球研究チームは出ていない」

「だったら!」

「僕は諦めない」


 うっ、と微かに息を飲む番長。その顔は、大型類人猿――ゴリラ、といっただろうか――のそれを連想させた。

 

 すると、番長の顔にもう一つの異変が起こった。つつっ、と鼻血が流れ出したのだ。先ほどの僕のタックルで、床に顔面を打ちつけたらしい。


「うわっ! 俺、血を出してるじゃねえか!」

「ば、番長!」

「てめぇらは下がってろ! 俺が直々にぶちのめしてやる!」


 何故鼻血くらいで、こんなに慌てているのだろう? 僕だって流しているのに。

 とにかく、番長の怒りのメーターは完全に吹っ切れてしまった。

 僕は襟首を掴まれ、無理やり引っ張り上げられる。


「もう死んでも知らねえからな!」


 そう言って番長が右腕を振りかぶった、その時だった。


「ぐあっ!」

「ぶへっ!」


 彼の背後で、子分二人が勢いよく弾き飛ばされた。それはそれはすごい勢いだった。ごろごろと転がり、屋上のフェンスにぶつかってようやく止まる子分。


 僕が番長の肩越しに向こうを見遣るのと、くるりと身を翻す少女の姿があった。


「そこまでだよ、番長さん」


 その声に、番長は僕をゆっくりと手放した。残る子分二人も、慌てて振り返る。


「げっ! ば、番長、このアマ……!」

「そうだ、こいつ女番長っすよ! 格闘訓練の女子部門で、いっつも優勝してる……!」


 じり、と距離を取る子分。がばりと振り返る番長。

 数秒の後、番長は息を震わせながら笑い出した。


「はっ、ははっ、ふはははっ……」

「おや、あたしの顔に何か付いてるかい?」

「女番長――確かフィン、って言ったよな? 勝てると思ってんのか? あの二人は伸びちまったが、俺とあと二人、合わせて三人を相手にできると?」

「まあね。あたしの親友のボーイフレンドなんだよ、そいつは。無事に連れ帰らなけりゃ、あたしもメンツが立たない」


 フィンはそう言って、指を組んでポキポキと鳴らした。


「かかれ、二人共!」

「う、うああああ!」

「く、くそおおお!」


 視界の両端から迫ってくる、二人の子分。確かに数の利はこちらにある。だが、僕は知っている。フィンのクラスメイトとして、彼女が本気を出すとどうなるか。


 フィンは俯き、深く息を吐いた。そして、子分の腕が自分の肩にかかる寸前、ざっと屈み込んだ。

 二人には、フィンが突然、眼前から消えたかのように見えただろう。衝突を避けてたたらを踏んだ二人の足元が、勢いよく払われた。

 フィンは両腕を床について、そこを中心に身体を回転させたのだ。


「ぎゃっ!」

「うべっ!」


 ぶっ倒れる子分たち。そのままくるくると回転し、フィンはバックステップしながら床に足を着いた。ふわり、と漆黒のポニーテールが揺れる。


「あ……」


 あまりにも呆気ない顛末に、番長は固まってしまった。番長とて、男子の格闘訓練では指折りの実力者だろうに。


 番長の脳内に、既に僕の存在はなかったようだ。一気に足を屈伸させ、勢いよくフィンの下へと低姿勢で接近した。


「こんのおおおおおおお!」


 フィンが迎撃態勢を取った、その時だった。

 ズタタタタタタタッ、と今までにない金属音が響き渡った。


「全員そこを動くな!」


 はっとして、番長は足を止めようとした。が、思いっきりつんのめり、本日二度目の転倒を味わった。同時に、チリリリリリリリン、と鋭い音が追随する。

 その音に、ようやく僕は、屋上で銃器が使用されたことを理解した。


 ゆっくりとフィンが道を空けると、そこにはやはり、警備員の姿があった。黒い手袋、防弾ベスト、それにフルフェイスのヘルメット。その手には、武骨な自動小銃が真上を向けて握られている。


 がしゃり、と自動小銃を水平に向け直し、警備員はヘルメットの側面を操作した。どうやら、この場にいる人物たちの顔認証システムとリンクさせ、ここにいるのが誰なのかを確認しているらしい。

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