最終話 そしてまた繰り返す
高杉晋作はいつもの一枚の布で作られた服を着て、いつものように朗らかに言った。
「リストの旦那、ニィちゃん。世話になったのぉ。面白い旅じゃった。もっとも土産話というわけにもいかんのが悔しいな。外国贔屓の
別れの時。
湿っぽい雰囲気にならないことは予想していたが、それでも彼の軽妙なノリは何一つ変わらず、ニーチェはその変わらなさにひとしおの寂しさを感じていた。
「高杉さん、ありがとうございました。きっと日本に帰ってからも、色々と巻き起こすんでしょうけど、ご武運を」
「そうじゃの。なに、ワシは運のええ男じゃ。それが今回でようわかった。戦場の矢弾じゃ死にゃせん。国で一息ついたらまた遊びに来る」
「間違ってイギリスに行かないでくださいね」
「カッカッカ。イギリスもんに顔見られたら、それこそイギリスと長州で戦争になるの。リストの旦那も元気でな」
高杉がそう言ってリストの腰を叩くとリストは俯いた。
通常なら俯いたら顔が見えなくなるはずだが、リストがあまりにも長身のために下唇を噛んで顔を歪めてる表情がニーチェと高杉にはよく見えた。
「なんじゃ? 腹でも痛いんか? 最後だからって馳走を食いすぎたの。ワシもほれ、見てみぃこの腹。この調子なら次に会う時はワシの方が背が伸びちょるかも知れんぞ」
「最後くらい真面目にできないのか、貴様は!」
「できるがの――」
そう言って高杉は居住まいを正した。
背筋を伸ばすと背の低かった彼も大きく見える。
「――フランツ・リスト、あなたから受けた恩に報いるよう、この高杉晋作、迷うこと無く進みます。あなたの音楽と深い愛は、この胸の中で永遠に鳴り響いていますから」
「……貴様というやつは!」
「こいつを、ワシじゃと思って大事にしてやってくれ」
高杉は懐からフンコロガシを取り出す。
しかしフンコロガシはリストに手に渡った瞬間に羽を広げて飛び去っていった。
「あいつ、飛べよったんか」
フンコロガシを追いかけるように見上げた空は、どこまでも青く、太陽の光が目を刺す。
眩しさのせいか目が潤んでしまうのをニーチェは袖口で拭った。
「まったく、最後まで。高杉、さらばだ」
「バイバイじゃ!」
高杉の乗った船はやがて小さくなり見えなくなった。
「日本人か……。もし弟子になりたいという日本人が来たら、教えてあげるのもよかろう」
そしてニーチェとリストの別れの時もやってきた。
「リストさん」
「フリッツ、我々もお別れだ。名残惜しいな。身勝手な話だが、この私はどこかでキミのことを自分の息子のように思っていた」
「光栄です」
「しかし、キミはこの私の息子ではない。違う光を持った素晴らしい人物だ。ピアノも、最悪というほどではない」
「ピアノはもうちょっと頑張ります。あなたにお目にかかれてよかった。あなたの子供はきっと、素晴らしい光を持った人だと確信してます。違う世界で出会ってもすぐにわかるような」
「フリードリッヒ・ニーチェ、迷え! 迷い、もがいて、それでもなお進め、キミにはそれができる。いつか誰も見たことのない、孤高の景色を見ることができるだろう。それはなかなかに良いものだぞ」
「ありがとうございます」
「さらばだ、フリードリッヒ・ニーチェ」
長身のニーチェはフロックコートを翻して背中を向けた。
ニーチェはその背中が遠ざかるのを見つめていた。
しかし、居ても立っても居られずに追いかけてリストのコートの裾を掴んだ。
「リストさん、そっちじゃない! こっちです!」
完
高杉晋作はその後、日本に戻り結婚をする。
そして尊皇攘夷の志士として名を残した。
彼は日本が近代に向かう礎をつくこととなった。
1867年、大政奉還を待たずに結核で亡くなる。
享年27歳。奇しくもジミ・ヘンドリックス、カート・コバーン、ジャニス・ジョプリンら偉大なロックスターが亡くなっている年齢であった。
フランツ・リストはその後、結婚をすると言っていたがなんやかんやで結局生涯独身を通した。
ローマで僧籍に入るが、その後も音楽は精力的に発表し続けた。
そして多くの弟子希望者に気軽に指導をし、音楽の裾野を広げることに尽力する。
その中には日本人もいた。
1886年、当時としては長命な74歳まで生きる。
天才じゃないサリエリにちょっと負けた。
フリードリッヒ・ニーチェはその後、古典文献学の教授となり、著作を発表していくこととなる。
その著作はのちに多くのものに影響を与える。
そして音楽家リヒャルト・ワーグナーと親交を深め、のちにワーグナーの妻となるコジマと出会う。
コジマの父は、音楽家フランツ・リストであった。
1900年、生涯独身のまま55歳で死去。
生の哲学者として現在でも彼の思想は息づいている。
超人ニーチェと神の死んだ世界 亞泉真泉(あいすみません) @aisumimasen
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます