第67話 過ちを肯定すると、人生になる
前回までのあらすじ
超人軍団と吸血鬼軍団の戦いの幕は切って落とされた。
数で勝る吸血鬼軍団に超人軍団はそれぞれの個性を活かした戦い方で対抗する。
フランツ・リストはピアノを奏で、その音楽は超人軍団の意気を上げた。
しかし増援が次々とやってくる吸血鬼軍団に対し、超人軍団は次第に圧され始める。
そんな中で、戦いそっちのけでひょうきんなことをしていた高杉晋作は、ノートンが振りまく疫病のウィルス株を発見する。
それは日光に当たると無害化してしまうものだった。
やがて吸血鬼たちもその行動に気づき、最後のアンプルを奪い合う戦いになった。
☆
岩壁に囲まれた地形は音を反射させて増幅させる。
戦いが始まった時は溢れていた雄叫びや悲鳴も、段々と少なくなっていった。
それでもフランツ・リストの音楽だけは勢いを失うこと無く、彼は大きな手で縦横無尽にピアノを叩き続けた。
高杉は最後のアンプルを握り、吸血鬼の群れを交わす。
その目の前にジョシュア・ノートンが立ちはだかった。
「どうしようもないバカがいなければ、そなたの師もそうならずにはすんだのではないか? いずれは死ぬだろう、しかしバカによって理不尽に殺される世界を正したいのは余と同じ思いのはずである」
「それはどうもワシの考えとは違うのぉ。ヌシの言うことはようわかる。松陰先生は
「そう思うなら投げ捨てればよいではないか? すぐさまそうしない己の行動こそが、心の内を物語っておるのだ」
「迷うところが人間の良さじゃろ。それにこういう重い仕事はワシには向かん。リストの旦那、受け取っちょくれ!」
高杉はリストに向かってアンプルを渡そうとした。
「貴様というやつは、たまには責任という言葉を背負ってみてもよかろうに。しかしその役目はこの私ではない。フリッツに渡すのだ!」
ニーチェは思ってもみなかった言葉にむせそうになった。
「なんでボクに!?」
「この私はもう老いた。人類の未来は、若者であるキミが決めるべきだ」
リストの言葉とともに高杉からアンプルを託される。
ノートンはアンプルを握りしめるニーチェを見て飴が溶けていくように笑みを浮かべた。
「よぉく知っておるぞ、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ。そなたは若くして超人となった。優れた資質を天から認められた存在である。この世界では多くの者がそなたを認め、敬うであろう。しかしどうだ? その病をなくしてしまえば、そなたはただの少年だ。何者でもない。フランツ・リストの加護もなく、ひねくれた孤独な少年としての未来があるのみだ。考えるまでもなかろう」
ニーチェは手の中のアンプルを見る。
世界の在り方を変える分水嶺が今自分の手の中にある。
不思議なもので、そんな大事なことにも関わらず心は落ち着いていた。
自分は世界に比べたらちっぽけだ。
それは旅をして痛感していた。
そしてその世界すらも、見方を変えれば自分と同じようにちっぽけなものに思えてきたのだ。
「あなたの言い分はわかります。否定はしません。世の中は公平ではない。能力を見れば明らかに有するものと無いものがいます。そして歴史に残されているあまねく人物は能力の高い者です。世界は優れた能力を持った者が進めてきました」
「その通りである」
「でもその先ってなんなんですか? 優れた世界でも涙を流す人間がいる。それは本当に優れた世界なんですか? どこを目指してるんですか? そもそも目指すべきゴールなんてあるのですか?」
「多くのものが涙を流さずに住む世界がゴールであろう」
リストのピアノが転調し、力強いリズムを刻み始めた。
目の前の圧倒的強者として立ちはだかるジョシュア・ノートン。
しかしニーチェに恐怖心はなかった。
知っていたらだ。
彼もまた、傷ついて、立ち上がり、己の信念を貫こうとした弱者であっただろうことを。
「違います。ゴールなんてないんです。正しい世界なんて幻想です。善も悪もない。神は死にました」
「それはすべてを投げ出した者の詭弁だ」
「理想の世界はゴールなんかではないんですよ。早くその場所にたどり着くというルールであれば優れた能力のあるものが多いほうがいいでしょう。落ちこぼれなんかにかまってはいられない。そんな競争をしているのならば正しい。ただ、そんな競争は本当にあるのですか? あなたが勝手にゴールを決めて競争をはじめてるだけですよ。――」
ニーチェの背後で爆発音が響く。
超人たちはギリギリの状態でなんとか立ち続けているだけだった。
しかしニーチェは確信していた。
この場にいる超人たちがニーチェを信じてくれていることを。
それだけでニーチェはどこまでも戦える。
「――在り方なんです。どこに向かってもいい。向かっているそのこと、歩みこそが世界なんです。世界とは、人とは、道程です。最終的に決着がつく時、それは死ぬときかも知れない。世界が終わるときかも知れない。その時に沢山楽しい思い出があればいい。競争ではなくてそういう道程なんじゃないですか? だとしたら、そこに優劣なんて必要ない。劣っているかどうかも決めることはできない。足の遅いもののおかげでゆっくりと景色が見れる。勇気のないもののおかげで奮い立つ歌を共に歌うことができる。考え方一つで、この世界は絶望から救われる」
ノートンはニーチェを大きく開いた眼で見つめて低い声で言った。
「戦争が起きるぞ」
「嫌なことです。そんなことはボクだって望んではいません。だけど、失敗をして、痛い目を見て、それで理解できることもある。正しく理想的な世界に向かって疲れ果てて駆けるより、許して認めあって歩んでゆく世界、その場所のほうがボクにとっては理想です」
「目指すべきものがなくなれば人は迷う」
「それでも自らの意志で進む、それが超人だ。ボクたちは皆、誰もが超人になることができる」
ノートンが問いかけ、ニーチェが答える。
今や吸血鬼や超人たちも、その問答を見守っていた。
「人が醜く動物のようになるとは思わないのか?」
「思いません。人の奥には美を求める魂がある。この音楽を聞いてわかるでしょ」
ニーチェがそう言うとリストが立ち上がり勢いよく鍵盤を叩いた。
「このフランツ・リストが、お聞かせしよう」
ニーチェは最後のアンプルを握り、その手をノートンの前に差し出した。
「あなたにもそう考えざるを得ない思いがあったのでしょう。ボクなんかが想像できないほど辛いことなのかも知れない。そんなあなたを間違いだと糾弾することはしません。ボクたちは誰もが間違い、それでも自分を信じて生きる。これはお返しします」
ノートンはアンプルを受け取りニーチェの顔を交互に見つめた。
「確かにこれが最後だが、また造ることはできるのだ。そなたがそのアンプルを割っていたなら、すぐにでも二の矢にて行動を起こすつもりでいた。まさかこうなるとはな。どうしてだ? どうしてそこまで人を信じられる?」
「信じられませんよ。それでもやっていく。それが人ってものでしょ」
ノートンはアンプルを地面に叩きつけて砕いた。
「余も、人である」
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