SAVE THE CATシリーズ

『SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術』Chapter4 さあ、分解だ!

『SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術』

 ブレイク・スナイダー=著



 Chapter4 さあ、分解だ!


 もう脚本が書きたくって、うずうずしているだろう?

 そりゃ、そうだ。


 じゃ、そろそろ書かせてあげようか?

 いや、まだダメだ。もっとうずうずしなさい!


 でも、出発地点はもうすぐだ。今までにやり遂げてきたことを、振り返ってみよう。ログラインは出来あがった。〈一般市民〉の意見も聞いてアイデアはOKだと確認もした。自分の脚本と同じジャンルの映画もひと通り見たし、ストーリーにぴったりの主人公も悪役も作って、主人公の動機や葛藤も膨らました。さあ、今こそ集めた情報を総動員して、脚本の書き方を考えよう。


「さあ、分解だ!」。この叫び声を上げる時ほどゾクゾクする瞬間はない。


 いよいよ、頭に描いていたすばらしいシーン、アイデア、登場人物を〈ボード〉の上に乗せる瞬間が来た。何をどこに置き、どの登場人物が何をし、想像していたシーンがすべて必要かどうか・・・・・・それとも新たなシーンが必要なのか、考える時が来たわけだ。さあ、今後の時間を節約するためにも丁寧に吟味して、不要な部分はカットし、〈ビート〉を固めてしっかりした脚本の土台と骨組みを作ろう。


 いよいよ、構成について語る時が来たようだ。


 構成、構成、構成・・・・・・。


 いいアイデアが浮かび、〈誰〉を主人公にするかも、ターゲットとなる客層についても考えた。さあ、次は構成である。しっかりした構成をしておけば、脚本を売ったあとで本当に良かったと思うときが来る。なぜならこの業界には、クレジットの横取り野郎がいて、人が苦労して書いたシーンの順番を勝手に変えたり、セリフや登場人物をつけ加えたり削ったりするなんてことが、現実にあるのだ! でも構成を明確にし、脚本がなぜ、どのように機能しているかをはっきりさせておけば、心配はない。そんな連中がどんなにいじくり回しても、大丈夫。君の脚本は力強く、決して倒れることはないだろう。


 そして君の脚本であり続ける。


 心配しすぎもよくないが、構成さえしっかりしておけば、クレジットに自分の名前が残ることはまちがいない。全米脚本家組合(WGA)は他のどんな要素よりも、構成(ストーリーのビートを基にした組み立て)によって、最終的に誰の作品かを決めるからだ。脚本のクレジットをめぐって裁判で争った経験のある脚本家は言うだろう。スクリーンに自分の名前がクレジットされるということは、あのすばらしい再放送料なるもの――思いがけなくうれしい時に、さわやかなライムグリーンの封筒に入って送られてくる――も手に入る保証になるのだ、と。


 また、構成いかんによって、熟練した技、忍耐力のいる作業、魔法のようなストーリーテリングが本当に生きるかどうかが決まる。だから構成の仕方は、絶対に習得しなければならないテクニックなのである。


 私が構成というものを知ったのは、かなり後になってからだった。しかもそうとう困った状況になってやっと、その存在を知ったのだ。まだ脚本家として駆けだしの頃、私は書いた脚本を売るために次から次へとミーティングに出かけていった。映画会社のお偉方相手に自分のアイデアを売り込むのだが、コンセプトや〈クールな〉シーンの説明がひと通り終わると、それ以上何を話せばいいのかいつも言葉に詰まった。今でも忘れないが、初めて脚本を依頼されたとき、映画会社の重役に〈ターニング・ポイント〉はどうなってる? と聞かれた。いったいこの優しげなおじさんは何のことを言っているんだろう? 正直、まったくわからなかった。まだシド・フィールドの名前すら知らなかった頃の話だ(もちろん今では、シド・フィールドが映画の構成分析の生みの親だと思っている)。それから彼の著作『映画を書くためにあなたがしなくてはならないことシド・フィールドの脚本術』(フィルムアート社刊)を読み、脚本家に本当に役に立つものはこれだ!と感じたのである。


 それって、三幕構成のこと? そう、そのとおりだ。


 でも、三幕構成だけじゃ充分じゃなかった。だだっ広い海で泳ぐのと同じで、幕と幕の間が広すぎて、途中で迷ってパニックに陥り溺れてしまうのだ。だから迷子にならないよう、途中で目印になるような島が必要だった。その島を与えてくれたのは、ヴィキ・キングの『How to Write a Movie in 21Days(21日間で映画を書く方法)』(いかにも一獲千金的で怪しげなタイトルだが)だった。しかしそれでもまだ〈ミッド・ポイント〉とサブプロットの間には大きな隙間があり、うっかりすると大失敗しかねない恐ろしさがあった。


 だから私は、自分独自の構成用テンプレートを作ることにしたのだ。


 それまでに見た映画や読んだ脚本術の本を参考に、ブレイク・スナイダー・ビート・シート(BS2)なる独自のテンプレートを作ってみたのである。一つの海に15の島を配置するように、一枚の紙(シート)に15のビートを書きだしたのだ。


 こんな感じで。


 ブレイク・スナイダー・ビート・シート(BS2)


 脚本のタイトル:

 ジャンル:

 日付:


 1 オープニング・イメージ (1):

 2 テーマの提示 (5):

 3 セットアップ (1~10):

 4 きっかけ (12):

 5 悩みのとき (12~25):

 6 第一ターニング・ポイント (25):

 7 サブプロット (30):

 8 お楽しみ (30~55):

 9 ミッド・ポイント (55):

 10 迫り来る悪い奴ら (55~75):

 11 すべてを失って (75):

 12 心の暗闇 (75~85):

 13 第二ターニング・ポイント (85):

 14 フィナーレ (85~110):

 15 ファイナル・イメージ (110):


 とってもシンプルでしょ?


 アイデアを売りにミーティングに出かけるときは、事前にこの真っ白なシートを埋める。空欄が全部埋まるまでは、絶対に行かないと決めているのだ。そもそもたいしたスペースでもないし、各ビートを埋めるための説明はわずか一、二行で充分なのだ。ログラインと同様、たった一、二行のビートがまとめられないようだったら、まだアイデアが明確でない証拠だろう。そんな試行錯誤の段階でミーティングに行ったら、すぐさま撃沈、最悪の場合、溺死である。それに空欄を必死に埋めようとすると、実は脚本自体に問題があったことに気づく場合もあるのだ。


( )のなかの数字は、ビートの起こるページ数を示している。脚本の総ページ数は、優秀な騎手の体重くらい――だいたい110(ポンド)枚だ。もちろんもっと長いドラマもあるけれど、各ビートが脚本のどのあたりに来るかのタイミングはほぼ同じである。だから《ターニング・ポイント》、《ミッド・ポイント》、《すべてを失って》のビートは、どんな脚本を書く場合にもBS2のページ数どおりに来るようにしている。以前に書いた脚本『ブランク・チェック/一○○万ドル大作戦!』が映画化されたときも、映画開始から5分――つまり脚本上では5ページ目――でテーマがはっきりと提示された。当然ミッド・ポイント、《すべてを失って》、《第二ターニング・ポイント》も、BS2のページ数どおりに起きた。脚本の段階でも、映画化されても、起こるタイミングは同じだったのだ。それは脚本の段階であらゆる角度から分析・検証し、抜かりがないよう綿密に構成したからだ。だからあとからクレジットの横取り野郎が現れても、結局手を出せなかった。構成がそれだけゆるぎなかったからである。


 BS2で使う用語のなかには聞き慣れないものもあるだろう。《お楽しみ》っていったい何? 心配無用だ。ドラマにもコメディーにも使われている。じゃ、《心の暗闇》は? これも聞けば〈ああ、そのことね!〉と納得するはず。これまでにさんざん見てるシーンだから。


 BS2を是非、脚本執筆の手助けとして使ってほしい、と言われても、どんなものかよくわからないんじゃ、使おうったって使えないね。じゃあ、まずは各ビートの意味について説明を聞いてほしい。


 他に選択肢はあるかい?

 もちろんないよね!


 オープニング・イメージ(1)


 映画の第一印象――映画のスタイル、雰囲気、ジャンル、スケールーはすべて《オープニング・イメージ》で決まる。例を挙げてみよう。『アラビアのロレンス』(62)のオープニングでは、一台のバイクが猛スピードでイギリスの田舎を疾走し、事故を起こす。『市民ケーン』(41)では、何とも不気味な大邸宅が見えた後、謎めいた市民ケーンの姿が映る。もっとおバカな映画でも同じだ。たとえば『アニマル・ハウス』(78)のオープニング。フェーバー大学創立者の銅像の下に書かれた〈知識は素晴らしい〉という言葉が映る。かなりのインパクトだ。三作とも《オープニング・イメージ》によって、観客はこれから自分がどういう映画を見るのか想像できるし、作品のスタイル、ジャンル、テーマが明確に象徴されている。


《オープニング・イメージ》はまた、主人公の出発地点を示す場でもある。観客がこれから一緒に旅をする主人公の〈使用前〉の映像を見せる場なのだ。ということは当然、〈使用後〉の映像――どんな変化が起きたか――を見せる場もある。オープニング・イメージと対になっている、ファイナル・イメージである(BS2のビートは他にも対になっているものがある)。両者はブックエンドのように脚本の両端におかれ、はじめと終わりでどんな変化が起きたかを示す。この二つのシーンはプラス(+)とマイナス(-)のように真逆になっているので、ストーリーの劇的な変化や感情の大きな変化が見えるのだ。実は面白い作品かどうか、きちんと変化が描かれているか確かめるために俳優が目を通すのは、たいてい最初と最後の10ページくらいなものだ。だからそこではっきり書かれていなければ、君の脚本はその場で〈却下〉の箱にポイされることになる。


 オープニング・イメージの役割は重大だ。映画全体のスタイル、雰囲気を設定し、主人公を紹介して〈使用前〉の主人公の映像を見せる。つまり、観客を映画館の座席に押さえつけ、「この映画は面白いんだ!」と主張するわけだ。もうジャンルの勉強は散々したのだから、オープニング・イメージが秀逸な作品を挙げてみよと言われたら、軽く6本くらいは挙げられるだろう? その例を考えてみれば、オープニング・イメージが優秀なものは、たいてい作品全体も優秀だってことがわかるはずだ。


 テーマの提示(5)


 構成のしっかりした脚本では、冒頭から5分あたりで登場人物の誰か(たいていは主人公以外の人物)が問題を提起したり、テーマに関連したことを口にする(たいてい主人公に対して)。たとえば「よく考えてから願いをかけるのじゃぞ」とか、「奢れる者は久しからず」とか、「お金よりも大切なのは家族でしょ」といったセリフである。もしくはこれほどあからさまじゃなく、会話のなかの何気ないひと言として表現されることもある。主人公はこの時点ではその意味をはっきり理解していないが、やがてその言葉がとても重要な意味を持っていたことに気づくのである。


 これが、テーマの提示である。


 良い脚本には必ず、脚本家の論点や主張がいろいろな形で提示されている。こんな人生ってどう思う? 君は賛成か、反対か? こんな行動、夢、目標には価値があるだろうか? 財産と幸福はどちらが大切か? 組織で優先されるべきは個人だろうか、組織だろうか? まず最初にテーマが提示されるのだ。そして次に、テーマについての議論が展開される。主張に対する賛成意見・反対意見を吟味しながらさまざまな角度から問題をとらえたり、主張の是非を証明したりする。優秀な脚本はコメディーであれ、ドラマであれ、SFであれ、必ず〈何かについて〉主張している。しかも冒頭で! まず最初に自分の作品をはっきりと表しているのだ!


 もし君の作品が〈何も〉主張していないとしたら、それはまずい。自分が言いたいこと、テーマは何なのか、よく考えよう。初稿が出来あがるまでテーマが曖昧だったりすることもあるが、よく考えて明確になったら、とにかく冒頭で主張しよう。私は必ず5ページ目で提示している。


 テーマは絶対に冒頭で。競売の最低額はそこで決まるのだ。

 テーマを宣言したら、次はそれを証明しようじゃないか。


 セットアップ(1~10)


 脚本の最初の10ページ(多くても12ページまで)は、《セットアップ》と呼ばれ、読み手が関心を持つかなくすかの境目となる場所である。今までに見た印象的なセットアップ――冒頭の10分間を思いだしてみてほしい。主人公、ストーリーのテーマや目的がいきいきと設定されていたはずだ!


 さらに、メインストーリーに出てくる登場人物の紹介も行なわれる。優秀な映画を見ればわかるが、必ず開始から10分以内で、登場人物全員が画面に登場する(もしくはその存在がほのめかされる)。だから、脚本の段階でも必ず10ページまでに、これを行なわなければいけない。


 さらにセットアップでは、登場人物の特徴やのちに起こる問題の原因となる行動も提示され、主人公が最後に勝っためにはなぜ、どのように変化すべきなのかが示される。たとえば、空想の世界に生きる孤独な作家(『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』)、イケメンでロはうまいが、心の冷たいやり手の外車ディーラー(『レインマン』)、かわいいけれどオツムの軽い女の子(『キューティ・ブロンド』)などがいい例だ。


 主人公に必要なものや欠けている部分がある場合、それを見せるのもこのセットアップだ。私はこれを直すべき6つのことと呼んでいる。ただし6つというのは私が勝手に決めた数字なので別の数字にしてくれてもかまわない。重要なのは、ここで主人公に足りないものをしっかりと見せる――もう一度繰り返そう、見せる――ことだ。直すべき6つのことは、繰り返しのモチーフや伏線として使われることもあり、また時限爆弾と同様にやがて爆発して主人公の身に災いが降りかかったりする。けれど最後には直っていくものだ。『ビッグ』(88)を例に取ってみよう。セットアップでわかるのは、主人公の少年が「この乗り物に乗るには背が足りない」こと、つまり身長を伸ばさなきゃいけないってことだ。けれど直すべきことはそれだけじゃない。ガールフレンドだっていないし、プライバシーもないし・・・・・・。だが二幕目で少年は不思議な魔法にかかって大きくなり、これらをすべて手に入れるのである。伏線として使う場合、うまく効くかどうかは、セットアップの段階ではっきりと伏線を見せているかが勝負になる。


 あ~あ! 最初の10ページでもうこんなにやることがあるのか・・・・・・!


 そのとおり。映画会社のお偉方相手に勝負するなら、これくらいのことはやってのけなきゃダメだ。


 最後に、セットアップについてもうひと言。映画のストーリーは三つの世界に分かれていると私は思っている。三幕と呼ぶ人もいるが、私はテーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼと呼んでいる。テーゼとは最初の10ページと第一幕の残りの部分で、ここで観客は冒険や旅が始まる前の世界(=〈使用前〉の主人公の世界)を見るのだ。そこにはいかにもこれから大きな嵐がやってきそうな、嵐の前の静けさが漂っている。もちろんそのままであり続けられるはずはない。変化せずにとどまるということは、死だから。物事はすべて変化するものなのである。


 きっかけ(12)


『ロマンシング・ストーン』(84)のジョーン・ワイルダー(キャスリーン・ターナー)は、届いた小包がきっかけで南アフリカに行くことになる。『レインマン』(88)のトム・クルーズは父親の訃報の電話を受け、『キューティ・ブロンド』(01)のリース・ウィザースプーンは食事中、フィアンセにフラれる。これらはすべてきっかけである。電報、解雇の知らせ、妻の浮気現場を目撃、余命あと3日という宣告、ドアのノックの音、使いの者などすべてそうだ。セットアップでは〈使用前〉の世界がどんなものかを観客に伝えた。きっかけでは、その世界をぶっつぶすのである。ドッカーンと!


 正直言って、私はこのきっかけの瞬間が大好きだ。映画のなかでこれがなかったりうまくいってないと、ものすごくさびしいしイライラする(他にもイライラすることは多々あるが――せっかくクールな映画なのに、まともな〈危機一髪〉のシーンがないとか)。なぜなら人間誰でも生きていれば、人生を変えるような瞬間(=きっかけ)が必ずあり、それこそまさに人生を感じさせるものだからだ。ただし人生を変えるきっかけは、必ずしもいいことばかりだとは限らない。時には悪い知らせに姿を変えているときもある。でも冒険や旅が終わる頃には、そのきっかけによって主人公は幸せにたどりつく。


 私の場合、最初のうちはきっかけの瞬間がうまく定まらないことが多い。セットアップが長すぎたり、ディテールが多すぎてストーリーがもたついてしまい、12ページにあるべききっかけが20ページになっていたりする。これじゃダメだ。いらない部分をカットして、本来あるべき場所(12ページ)にきっかけを置かなきゃいけない。でもそのために泣く泣くお気に入りの部分を削ってみると、実は退屈な繰り返しがあったり、効率の悪い見せ方をしていたのに気づくことがある。ああやっぱりBS2は必要だったんだと改めて悟り、助かったと思う。きっかけは何かが起こる最初の瞬間だ! ああ、ありがたい! きっかけがなかったら、脚本を読む側はイライラするし、「プロットのない脚本」という烙印を押されるだろう。そりゃ、そうだ。関心を引く瞬間がないのだから。きっかけは――12ページ。絶対に。


 悩みのとき(12~15)


 12ページから15ページを占めるこのセクションに、私はよくとまどったものだ。12ページのきっかけで、妹が海賊にさらわれたという電報が入ったとする。やるべきことはわかってる! 助けに行くに決まってるじゃないか! だったら、どうして今すぐ行動しない? なぜわざわざ一幕目の終わりまで引っぱらなきゃいけないんだ?


《悩みのとき》とは――よく考えるための時間なのだ。「そんなことできるわけない!」って主人公が言う最後のチャンスである。自分の目標は実現不可能なんじゃないかと疑問に感じ、いろいろ悩む。本当に行くべきなんだろうか? 思い切ってやったほうがいいのか? たしかに危険だ。でもどうしよう? それともこのままのほうがいいのか? 等々。


 以前にシェルドン・ブルと《金の羊毛》の脚本を書いたことがある。第一幕で少年はスパルタ式の高校を退学になり、家に帰ることになる。ところが家族はいつのまにか引っ越していた! これは困った。学校には戻れないし、かといってこのままここにいるわけにもいかない。引っ越し先はわかっているのだから、行こうと思えばいける。問題は行く決心をするかどうかだ。この町を出て、家族の住む場所へ向かうべきか? つまりここはその旅の大変さを示し、主人公が悩む場所なのだ。ただしコメディーなので、なるべく笑えるように料理した。主人公はとりあえず親切なタクシーの運転手のおかげで町の外れまで着く。けれどもその先にはいかにも不気味そうな道が続いているじゃないか。家族のもとに行くには、この道を行くしかない。ひえ~! でも通りすがりのドライバーと話をするうちに、だんだんと恐怖心も和らいでくる。こうして気持ちを明るく切り替えて、主人公は家族のところへ向かう決心をし、旅立つのである。


 悩みのときで重要なのは、何かしらの疑問を抱くということだ。『キューティ・ブロンド』の主人公のエル・ウッズはフィアンセにふられたことがきっかけで、ハーバードのロースクールに行こう!と決心する。「でも、現実問題として、本当にいけるの?」当然こういう疑問が浮かぶはずだ。この疑問に対し、エルは答えを出さなきゃいけない。その答えは・・・・・・エルはロースクール適正試験にパスし、お色気たっぷりのビデオ論文を作って入学の許可をもらう。「大丈夫! いけるんだ!」これで答えははっきり出た。さきほど挙げたロードムービー版〈ホームアローン〉の主人公と同様に、エルも自信をもって第二幕へ進んでいくのである。《悩みのとき》の疑問にきちんと答えを出したからこそ、主人公は自信を持って前進できるのである。


(ぜひ本編も併せてお楽しみ下さい)

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