『トラウマ類語辞典』はじめに:心の傷とは何か


▼心の傷とは何か


 大人になるまでの成長過程で経験した思いも寄らぬことや驚いたことを思い出し、心がざわつくことはないだろうか。たとえば、小学生の頃、あなたは科学の自由研究で3等賞を取ったことがあるとしよう。3等賞の黄色いリボンをつけた胸は、きっと母親に息ができなくなるほど抱きしめられ、褒めてもらえると期待に弾んでいる。ところがいざ帰宅してみると、母親はリボンには目もくれず、もっと上を狙えたはずだと言った。高校3年生のときには、こんなこともあった。学校のミュージカルの主役を選抜するオーディションを受けたけれど、結局他の子が抜擢された。結果が発表されたときのあの心境、特に、母親に不合格を知らせなければならないと思ったときのあの気持ち。大学受験のときには願書提出の締め切りを逃した。あのときも「兄さんは何の問題もなく入れたのにね」と冷たい一言を母親から浴びた。就職してからは昇進に縁がなかった。久々の家族の夕食会には失敗の二文字を知らない兄も同席していた。その隣に座っていたときの苦痛。


 あなた自身にこんな経験はないかもしれないが、ここではそういうことにして話を進める。あなたはいつも母親の現実ばなれした期待に応えることができない。やがて母親に愛されたいと思う気持ちは恨みへと変わっていく。そんな心境の変化は、一体どの時点で生まれるのだろうか。目標があってもそれを口にしなくなる、あるいは、事態が悪化し、頑張ったってどうせ失敗するだけだからと一切努力しなくなる、そんな境地に至るまで、一体どれほどの時間を要するのだろうか。


 残念ながら人生に苦しみはつきもので、いろいろと教訓を学んでも、そのすべて

が建設的とは限らない。我々生身の人間と同じように、物語のキャラクターもまた、簡単には払いのけられない、忘れ去ることのできない精神的トラウマに苦しんでいる。このタイプのトラウマをここでは心の傷と呼ぶ。心の奥に痛みを引き起こす負の経験のことだ(複数の経験が重なっていることもある)。長く疼くその傷には、家族や恋人、相談相手、友人、信頼している人など、身近な人が絡んでいることが多い。痛みはある特定の出来事に結びついているかもしれない。何か受け入れ難い真実を知って傷つくこともあれば、身体的な障害などのせいで精神的な傷を受けることもあるだろう。


 いずれにしても、つらい出来事は心の準備する間もなく突然起きることがほとんどである。キャラクターは一瞬にして傷つけられるという点で残酷であるし、長く尾を引くトラウマは、キャラクターの人生に大きな影を落とす(たいていは暗い影だ)。物語のキャラクターもまた生身の人間と同じように、人格形成期をはじめ、人生を通して多くの苦渋苦難を体験する。過去の痛みは断ち切るのが困難であるうえに、つらいことは畳み掛けるように起きることが多くて、心を苦しめ続ける。


 さて、物語をまだ書き始めてもいないのに、なぜキャラクターの境遇を知っておかなければならないのか、そんなことをしなくたって結局は、物語の中でキャラクターがどのような行動を取るのかに尽きるのではないか、と疑問を抱く人もいるだろう。その答えはイエスでもあり、ノーでもある。人は過去の産物だ。読者にとって信憑性や真実味のあるキャラクターを作り出したいのなら、キャラクターのも理解しておく必要がある。キャラクターはどのように育ち、どのような家庭環境にいたのか――過去の体験や環境は、何か月、何年も前のことであっても、当人の行動や動機に直接的な影響を与える。過去の体験が暗ければその影響はとりわけ強烈で、それによってキャラクターの人物像や信念、何を強く恐れているのかが決まってくる。揺るぎない、説得力溢れるキャラクターを作り出すには、彼らが体験した痛みを理解することが先決になる。


 精神的トラウマといえば、キャラクターの人生を永遠に変えてしまうような、ある特定の出来事を思い浮かべることが多いが、心の傷は様々な形で現れる。確かに、人が殺されるところを目撃した、雪崩に巻き込まれた、子どもの死を体験したなど、が引き金となって心に傷を負うことはあるし、職場いじめにあった、心を蝕むような人間関係に悩むなど、によってトラウマが生じることもある。また、貧困生活、アルコールや薬物に依存している親に見捨てられた体験、暴力的なカルト集団の中で育った経験など、にいたために、心に痛手を負うこともある。


 いずれにしても、こうした体験は心に傷跡を残す。傷は精神的なものでも、体の傷と同じように傷跡が残る。心の傷はキャラクターの自尊心を損ない、ものの見方を歪ませ、不信感を生み、他人との関わり方を決定づける。そのせいでキャラクターは目標を達成できない。だからこそ、書き手はキャラクターの過去を深く掘り下げ、彼らが体験したはずのトラウマを浮き彫りにしなくてはならない。一つひとつの傷には闇がある。その闇によって、キャラクターの心は過去に縛られ前進できずにいるばかりか、自分は幸せにはなれないと思い込み、深く満たされない気持ちを抱え込んでいる。そういう意味でもキャラクターの過去を理解することは重要なのである。


● 心の傷に付きまとう暗い影:偽り


 トラウマを経験するのはつらいことだが、その最悪な部分がトラウマそのものとは限らないのが、運命の残酷ないたずらである。実は、最悪なのはトラウマの中に潜むである(これは、誤信念または 誤信とも言われる)。この場合の偽りとは、間違った論理から導き出された結論のことで、キャラクターは、精神的に脆い状態に陥ると、自分の苦しい経験を理解または正当化しようとして、どういうわけか、悪いのは自分だと思い込んでしまう。


 まるでメロドラマのように聞こえるかもしれないが、これは何もフィクションに限ったことではない。考えてみれば、現実でも、つらい出来事を心の中で整理するときは、そんなふうに思い込んでしまうものである。悪いことや自分の理解を超えたことが身の上に起きると、それをなんとか理解しようともがくのが人間のさがというもの。「こうなることがなぜ見えなかったのか」「なぜもっと早く行動に出なかったのか」と疑問を自分にぶつけてしまう。あるいは、失望して「社会に裏切られた」(あるいは政府や神に裏切られたのでもいい)と思うこともあるだろう。そうすると自分を責め始める。自分がもっと価値ある人間だったら、あのとき別の選択をしていれば、別の人を信用していれば、もっと気をつけていたら、もっと自分をガードできていれば、違った結果になっていたと思い込んでしまう。


 この偽りが、(自分は取るに足りない人間だ、能力がない、だまされやすい、欠点が多い、価値がないなど)と結びつくと、キャラクターを破滅の道に向かわせる。この偽りは、キャラクターの自尊心やものの見方だけでなく、当人にも弊害をもたらし、だんだんと本心を人に打ち明けるのを躊躇い、人を深く愛したり信頼したりできなくなり、誰にも気兼ねせずに生きていくことができなくなっていく。


 たとえば、結婚5年目を迎えたある日、妻が同性愛者であることを知ってしまうキャラクターがいたとする(彼をポールと呼ぶことにしよう)。夫婦にはローンで買ったマイホームがあり、子どもにも恵まれて、これ以上の幸せはない結婚生活を営んでいるように見える。ところがある日、ありのままの自分をやっと受け入れられるようになった妻が、ポールをまず椅子に座らせて、秘密を打ち明ける。もしくは、妻が別の女性と性的アイデンティティを模索していたことをポールが知ってしまう。いずれにしても、彼は娶った妻が実は自分の思っていた人ではなかったことを知ってしまう。そのショックは大きく、彼の人生はこの先混迷の一途を辿る。


 妻の真実を知った直後、ポールは裏切られ、傷つき、怒りに苦しむ。やがてショックが落ち着き出すと、彼もまた我々と同じように過去を振り返り始める。何かサインのようなものを見逃してはいなかっただろうか、今まで気に留めたこともなかったが、些細なことにも気が回っていれば、こんな悲しい否定された気持ちを味わわずに済んだのではないか。「二人が付き合いだした頃にもっとよく見ていれば、こんなことにはならずに済んだのに。いやそうじゃない、自分は愚かすぎて見えていなかった」とポールは自分に嘘をつくのである。


 ポールにはこの哀れな状況を避けられなかったことは、我々第三者の目には明らかである。だが彼には自分の欠点しか見えてこない。今思えば予兆はあったのに見逃していた、いろいろとうまくやれていないことがあった、自分は夫として至らなかった、と後悔が後を絶たない。そのうち自分も悪かったと思い始める。こんなふうに傷を内面化させると、自分の内面に欠けているものがあって、それがいけなかったのだと誤った結論に至ってしまう。「自分には何か間違ったところがある。人生のパートナーとしては失格だ」とポールは自分に見当はずれな烙印を押してしまう。


 こうして「自分のような欠陥だらけの人間は結婚に向いていない」という偽りが心に芽生えるのである。


 偽りはいったん形成されると、有害な細菌のように自己増殖し始める。キャラクターの心に深く入り込んで蝕み、自尊心を傷つけ、自信を喪失させ、新たな恋愛を始めようとしても自分は相手の期待に応えられないから、遅かれ早かれ、相手は自分から去っていく、そんな恐怖心が生まれる。


 人は自己不信や罪悪感が原因で自分に欠陥があると思ってしまうものだが、必ずしもそうとは限らない。心の傷がそれほど深く内在化していないケースだと、別の形で偽りが表出することもある。ポールの状況を例にとってみると、「みんな嘘つきだ。言葉とは裏腹なことを腹では思っている」「愛なんて長続きしない。遅かれ早かれ、人は言い訳を見つけて相手を捨てるものだ」と彼が刃を世間に向け、厭世観を漂わせる可能性もある。


 この種の偽りが生まれると、人は世の中を決めつけてしまうものだ。確かにポールの目から見れば、妻は彼女の言葉どおりの人ではなかったし、嘘をついたし、彼を捨てたのも事実である。ポールの結論は歪んでいるかもしれないけれど、こうした「事実」を知ってからは、自分をさらけ出せないし、他者と深く関わり合うこともできないし、人に見捨てられ、否定されることを恐れている。ポールは、過去からつらい教訓を学び、また同じことが起きるに違いないと思い込んで、恐怖心を募らせている。


 不安と恐怖心から生まれた偽りは破壊的な力を持ちはじめ、その威力を逆転させるまでは、キャラクターは幸せも充足感も感じられないし、内面の成長も阻まれたままである。キャラクターを軸にした物語だと、主人公は自尊心を持てず、心の底から幸せを感じることもできず、いくら目的を達成しようと努力しても、この偽りに邪魔されてしまう。主人公がこの誤信念を打ち破らないことには、自分が求める大切なものを手にするのは当然だ、とはどうしても思えないのだ。


● 心に食い込んでいく恐怖


 何ものをも恐れないキャラクターは心の傷ごときで躊躇してはならないと主張する作家もいる。もしそうだとしたら、その意見は現実からかけ離れている。精神的トラウマの苦しみからは誰も免れられないのが悲しい現実だからだ。生身の人間に言えることは物語のキャラクターにも言えるはずだ。つまり、どんなに屈強で勇敢な主人公でも、心の傷には、その主人公を力強さとは逆方向へ引っ張る力がある。主人公が、無差別暴力事件に巻き込まれて愛する人を失う、醜い姿に変身してしまう、あるいは、肝心なときに何も決められない性格でも構わない。苦しみもがくうち、主人公の心には今まで経験したこともないような強いが生まれ、心に深く食い込んでいく。主人公は「あんなつらい思いは二度とごめんだ」と、あらゆる手を尽くして一心に痛みを避けようとする。


 恐れを感じたことがない人など誰もいない。「あの裏道を歩くと強盗に襲われるかもしれない」「子どもたちだけで裏庭で遊ばせても大丈夫だろうか」と理屈抜きに、私たちは恐怖心と背中合わせに日々を生きている。恐怖心は人間の生存本能の一部であり、私たちは起こりうる危険に対し常に警戒態勢を敷いている。


 ところが、心の傷を取り巻く恐怖心となると話は別だ。危機を回避できても、恐怖は消えるどころか、不安や自己不信をエサにしぶとく残って増長する。


 トラウマに襲われるとすっかり脆くなるように描かれるキャラクターは、自分で自分を守らないと、あの負の感情が苦悶を呼び、また嫌な思いをすることになると確信する。恐れほど人を突き動かすものはなく、キャラクターは、この恐ろしい予感は的中するという思いに囚われ、それ以外のことは何も考えられなくなっていく。たとえば、戦闘を目前にした軍人が机の上に地図を広げるときは、まず机上のものを払いのけるが、それと同じでキャラクターも、新たな脅威が迫っているのを感じたとたん、さっきまで心を占めていたものは消え失せるか重要でなくなる。緊急事態の発生に頭の中で至上命令が下り、何が何でも危険は未然に防がねばならない、そんな心境に陥ってしまうのだ。


 この場合、恐怖を操っているのは他でもない、キャラクター自身である。だからを作って、自分をさらに苦しめる可能性のある人や状況を隔ててしまう。そうなるとダメージも大きくなる。ハリウッド映画界のストーリーメーカーとして活躍するマイケル・ヘイグは、この壁を「心の鎧」と呼び、キャラクターはその鎧に身を固め、つらい経験を寄せつけないようにしていると言う。


 心の壁は、キャラクターの性格的欠陥、自己抑制的な態度、歪んだ信念、問題行動がないまぜになってできている。これらはすべて、自分の脅威となる人を遮断するために、キャラクターが積極的に自分の中に取り入れてきたものだ。だからこの壁は有害なのである。キャラクターが悲痛な出来事を体験したときに感じた負の感情を回避しやすくするのも、この壁なのである。


 恐怖とは忌避にほかならない。だからキャラクターは心の壁をがっちりと閉ざしてしまうのだ。心の傷に絡んでいる恐怖を解いていくと、キャラクターが自分にとって不快な状況や問題をはぐらかしている現状が見えてくる。たとえば、親密な人間関係を築くことを恐れているキャラクターなら、自ら進んではみ出し者になっていく。そうすれば人と距離を保つことができるし、人付き合いを一切避けて通れるからだ。同じ恐れを抱いていても、悪意を持って権力と支配を追求し、冷酷で容赦ない専制者の仮面をかぶって、他人を決して寄せつけないという場合もあるだろう。


 だが、問題解決の手段として忌避を使うと、予想もしなかった負の結末が待っている。現実の世界でもそれは同じだ。キャラクターにとって心の壁は防護壁かもしれないが、実は、自分を恐怖の殻に閉じ込めている。殻の中は暗く、恐れの対象だけが光に照らされ、片時もキャラクターの脳裏を離れない。心の傷は絶えず疼いているが、油断して迂闊に人を近づけてしまおうものなら、古い記憶が蘇る。それだけではない。人と安全な距離を保つために自ら取り込んだマイナスの性質や否定的な態度で、何度も自分を抑制してしまう。心の傷は決して癒えることがなく、苦痛が繰り返されるのを恐れるキャラクターの行動や選択は、毎回その恐怖に左右されてしまう。


 満ち足りた気持ちになりたいから行動するのではなく、恐怖に突き動かされて行動するキャラクターは、ありとあらゆる問題を抱えることになる。親しい人とうまく関係が築けない、ひとりになりたがる、人生は自分が望んでいたり夢に描いたりしていたものとはまったく違う、と不満が後を絶たなくなるのだ。



(このつづきは、本編でお楽しみ下さい)

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