六十一日目:暗黒舞踏 第五話
雪の隣に堂々と座ったにも関わらず、有栖川は無言で弁当箱をつつく。
その様子を雪が鋭い目つきでじっと窺う。
だが、有栖川はそちらには視線も合わせず、話しかけることもなく昼食を摂り続けていた。
雪は握り飯を飲み込むと、突然に両手を天に突き上げ、大きく伸びをした。
「まったく、よい気候だな。鬱陶しい梅雨が来る前は暖かくて最高ではないか」
だが、有栖川は彼女の発言には反応しない。
「魔女を使って、悪だくみをするには最高の陽気だとは思わんか?」
すると、有栖川はようやく口に運ぶ箸を止めた。
「表は大人しい真面目な学級委員。裏では他人を貶める悪党とは、よい性格だな」
「わたしが契約した魔女だけでなく、あなたもそういうこと言うのね」
「ようやく喋ったな。では逆か?
「どっちもよ」
箸を置いた有栖川は、校庭で遊ぶ能天気な男子たちを見ている。
「どちらもわたしの顔。それを理解できない者は多い。愚かな人間ばかりよ」
「世間が理解していないのではない。明るみにしていないお前に、後ろ暗い気持ちがあるからではないか? 規律や人間関係を無視して、堂々と私を理解できない他人を
平静を装っていたはずの有栖川も、色をなして雪に反論する。
「あなたがわたしの何を知ってるの! 知った風な口をきいて!」
「堂々としろ、と言ったろ。何を怯えている? 腹を立てるということは、痛いところを突かれたと明かしているようなものだぞ」
和装で同じ日本人らしいこの魔女はドロッチャよりも相手がしにくいのか、有栖川も冷静さを戻すよう深く息を吐く。
「わたしは知ってるのよ……あなたが榊原くんと契約した魔女だって。あなたたちはなにを企んでいるの?」
「その言葉をそのまま返すぞ。ドロッチャという魔女となにを企んでいる?」
有栖川は足元に置いた水筒からひとくち飲むと、雪に視線を向ける。
「あなたがどう邪魔をしようと、わたしは負けない。あなたの頼りない召喚主にもせいぜい伝えてちょうだい」
「頼りない? 私の召喚主はまっすぐで努力を惜しまぬ立派な者だぞ。少なくともお前よりはな」
「どうとでも言ってなさい」
有栖川は食べかけの弁当にふたをして、立ち上がる。
「待てっ! お前は三枝亜耶をどうするつもりだ!」
雪には一瞥もくれずにそのまま校舎へと入っていった。
放課後。
有栖川はバレー部も図書委員会も欠席し、足早に帰宅する。
自宅では留守番のドロッチャが優雅なアフタヌーンティーをしていた。
眼鏡とヘアゴムをはずした有栖川は、学習机の椅子に深く腰かける。
「ねぇドロッチャ。次の魔法をお願い」
その指示を受けて、ドロッチャはカップを静かに置く。
「いいですわ。どのようなことを願うのかしら?」
「こうなったら魔女と契約した者どうし真剣勝負よ。もっと三枝さんの家族や友達、隣にいる榊原くんに被害が及んで、たっぷり悩んでもらわないと」
有栖川はドロッチャの座るテーブルに移動して、カップに紅茶を注ぐとじっくりと味わう。
その動作はまるで一服の午後の休憩のようで、これから魔女を使って他人を破滅に陥れようという人間の様子ではないとも言えるし、犯罪者が犯行前後で敢えて休息を取るとも言える様子だった。
鼻腔と喉に広がる甘美な紅茶を味わった有栖川は、深く息を吐いた。
「こないだは三枝さんのお父さんだったけど、今回はお母さんをターゲットにするわ。それだけじゃない。榊原くんが彼女を守るなら、どんどん壊してやるわ」
洋一と雪は自宅へ戻る。
亜耶の家の前では彼女の母がちょうど帰宅し、郵便受けを確認していた。
「あら、洋ちゃん。こんにちは」
「おばさん、こないだはありがとうございました。亜耶から聞きましたけど、おじさんのこと、大変ですね」
「ごめんね、心配かけて。あの子もちょっと不安がってるみたいだから、洋ちゃんは亜耶のそばにいてあげてね」
自分も夫の看病や家庭の切り盛りで大変であろう。少し疲れた様子だったが気丈に振る舞う彼女を見て、洋一もうなずくしかできなかった。
洋一が別れのあいさつをしようとした時だった。
雪は、わずかに周囲へ向けられた魔力を感じた。
その直後、亜耶の母は突然に側頭部を押さえて、膝から崩れる。
洋一は相手の両肩を掴んで、咄嗟に受け止めた。
「ちょっと、おばさん。だいじょうぶですか! おばさん、しっかり!」
「だいじょうぶ、心配しないで……」
雪が急ぎ魔法スティックを振ると、三枝家じゅうの全てのドアが開く。
そして亜耶の母の身体は、まるで綿のように軽くなった。
「洋一、はやくお母上を中へ!」
その頃、学校のグラウンドでは陸上部の部活動が行われていた。
亜耶は家庭での悩みや迷いを振り払うかのように、練習に没頭する。
そのさなか、別の教員が駆け寄って顧問へなにやら伝えだした。
「三枝くん。いま同じクラスの榊原くんから連絡があって、キミのお母さんが倒れたようなんだ。すぐに自宅へ戻りなさい」
「本当ですか!」
慌ててロッカールームに向かうと、スマートフォンには洋一のメッセージが残る。
制服に着替えた亜耶は校舎を飛び出していった。
通学路を急いで戻り、自宅へと駆けこむ。
リビングのソファに横になる母のそばでは、洋一と彼の母が看病をしていた。
室内の様子を見て、亜耶は洋一の母に頭をさげる。
「おばさん、すみません。ねぇ、お母さんだいじょうぶなの?」
洋一の母は亜耶に向けて、静かに語り掛ける。
「すぐ救急車を呼んだほうがいいかと思ったんだけど、三枝さんがだいじょうぶだからっておっしゃるから、横になってもらったのよ」
すると、娘の声を聞いた亜耶の母が起き上がろうとしたので、それを制止する。
「まだ無理なさらないで、横になっててください」
それから、洋一の母はキッチンを借りて三枝家の夕食をつくった。
その間も、亜耶は自分の母の様子を見ている。
洋一は自分にできることはもう終わったと、退散することにして静かに席をはずす。
玄関先で靴を履いていると、亜耶が駆け寄ってきた。
「ありがとね……洋一だけじゃなくて、おばさんにまで迷惑かけちゃった」
「気にするなって。母さんも迷惑だなんて思ってないよ。手伝えることがあれば言ってくれよ」
元気で快活さが取り柄の亜耶だったがすっかり落ち込み、わずかに涙を浮かべる。
「なんで、あたしにばっかりこんな……」
長い時間を過ごした幼馴染。
どちらか片方が沈んでいたら、もう片方が慰める。
だから今日は、洋一が亜耶の肩をそっと叩く。
その腕に誘われるように、亜耶は彼の胸で声を殺して泣き出す。
洋一はただ彼女が落ち着くのをじっと待つ。
そんな風に支え合ってきたのに、苦々しい思いだけが洋一の頭をもたげる。
榊原家の庭では雪が竹刀を振っていた。
彼女もまた自分の魔女としての立場や無力さを振り切るように、切先を払う。
そこに帰宅した洋一が、リビングに腰をおろして雪に話しかけた。
「お雪、ありがとう。今日は亜耶のおばさんのこと、魔法で助かったよ」
「うむ……それなんだが。昼間、有栖川が私に堂々と声をかけてきたぞ」
「うそっ! 有栖川さん、そんなこともしてくるのか!」
雪はリビングに上がり、洋一の向かいに正座をする。
「むろん、有栖川が自身の願いについては口を割らなかったが『わたしは負けない』と言っていた。三枝亜耶のお母上とお父上……そして隣にいる洋一。その仲間である部活動の友。彼女の周りにあるものをことごとく破壊するつもりだ」
「もう病んでるよ。自分で木下に告白すりゃいいじゃん。なんで亜耶をそこまで追い詰めるんだよ……」
洋一は血の気が引いて身体が崩れていく感覚をおぼえ、床に腕をついて支える。
「もはや正常な思考ではないのだろう。それでいて向こうはしっぽを出さない。周囲に助けを求めても魔女のしわざなどと言っても誰も信じまい。これは強敵だぞ」
「お雪に有栖川さんの後をつけてもらってドロちゃんの魔法を使うタイミングがわかったところで、お雪が近くにいないから僕じゃどうにもできないし、いい加減にしてくれって有栖川さんに直接文句を言っても、僕が頭おかしいやつにされちゃうだろうし……」
このままでは防戦一方なので、反撃の方法がないか洋一も思考を巡らせる。
「カウンターアタックは? こっちにきた魔法を相手に跳ね返すとか」
「互いの契約にも干渉するから、無理だな……引き受けならできるのではないか?」
「どういうこと?」
「三枝亜耶に向かった魔法を、そのまま他人が受けることだ。ここでいう他人とは、当然ながら魔女の意思の及ぶ召喚主……つまり洋一が三枝亜耶への魔法を受け取ると決めれば、その災難は洋一のもとへ向かうであろう」
洋一は、しばらく腕を組んだまま思案をする。
あと三十三日を切った自分の命も大事だが、今の自分が一番大事にしたいもの。
それは最も近くにいて、最も大切な幼馴染。
彼女がいなければ、自分の命があったところで意味はない。
「……いいよ、わかった。僕が亜耶の代わりになる。亜耶にドロちゃんの魔法がきたら、あいつと交代するよ」
「うむ。それには常時、私の魔法を使用した状態となる。三枝亜耶本人やその家族、周囲の者、あと肝心の洋一自身の願いを叶える魔法は一切使えぬぞ、よいな?」
雪は日付がかわった深夜、新しい魔法のためにスティックを振った。
それからというものの。
なぜか教室の椅子から釘が飛び出していて、洋一はズボンをひっかけて盛大に破ってしまい、クラスじゅうにパンツを丸見えにしてしまったり。
化学の授業では、薬品の取り違えで発生した気体を思いっきり吸い込み、喉を痛めたり。
街中では歩いていた目前で頭上から看板が落下し、あわや大けがを負う寸前、という事故に遭ったりした。
いくら魔女の魔法は日に一度きりとはいえ、いつ発動するかもわからず常に緊張に晒され、さらに災難を引き受けたことでさすがの洋一も憔悴しきっていた。
魔力の揺れを感じ取った雪が、直前に警告をくれるくらいしか防御ができないのも一因だった。
ある日の放課後。
家庭の都合ということで、しばらく陸上部を休部した亜耶が一緒に下校する。
「洋一、だいじょうぶ? ここんところ災難だね?」
「平気だよ、だってこれも誰かの代わりに自分がツイてないなら人助けだと思えば」
奇妙なことを言いつつ、疲れ切って歩く彼の様子を亜耶も心配そうに見る。
「やめてよ、洋一まで倒れちゃうとか。なんかあたしのまわりにいると、みんな不幸になるから……」
「気のせいだって。亜耶が考えすぎなんだよ。亜耶だって家のこと大変だろ?」
先日、母が倒れてからは彼女も忙しそうにしていた。
父のいる病院に寄る日は、駅で別れる。
一緒に帰る時は、自宅で母の代わりに家事をする。
そんな日々を送っていた。
「亜耶もあんまり
「そうだね……ありがと」
魔法を常時使用していることで、雪もただ同行するしかできない。
二人の会話を聞きつつ、竹刀で飛行せず、ともにゆっくり歩きながら見守る。
それでも亜耶に対してけなげな洋一の姿を見て、雪も思わず笑みを浮かべる。
「ねぇ、洋一」
亜耶はふと立ち止まり、彼の腕を掴んだ。
「もし洋一がウチの近所に引っ越ししてこなかったら、洋一はどういう生活をしてたと思う?」
「どうだろ? 前の家の記憶はほとんど無いけど……地味さは変わらないと思うよ。女子と会話する機会なんかほとんど無いし。だから今はこうして亜耶と会えてよかったって普通に思うけどね」
「じゃあ、オトナになってあたしとバラバラになったら、洋一はどうする?」
「はっ? いや……そんな亜耶とバラバラになるなんて、意識してなかったけど……今はお互いの進路のことまで考えらんないじゃん。それにまだ家のこと色々大変なんだろうし、僕や母さんで手伝えることがあれば言ってくれよ」
「そうだね……そうだよね、ごめん」
それからまた亜耶は歩き始める。
彼女の発言に妙な不安を覚え、洋一と雪は互いに視線を合わせた。
一方の有栖川は、自宅でパソコンを閲覧していた。
「まったく、あのキモオタども。まだ邪魔をしてきて……厄介な連中ね」
学内SNSから定期的に削除される記事や書き込みをみて、怒りをあらわにする。
「ダミーでわたし自身の話も書いたりしたのに、これじゃバカバカしいわ。とにかく三枝さんと榊原くんの書き込みが消えないように、もっと扇動しないと」
ドロッチャは紅茶を飲みながら彼女の様子を黙って見つめる。
『わたくしが西洋の魔女なら、コスモスはさながら東洋の鬼ですわね』
だが、その鬼の怒りはすぐにドロッチャにも向けられた。
「だいたい、あの和風の魔女が邪魔をするから、ぜんぶ榊原くんに不幸が行ってるじゃないのよ! あなたの力はその程度なのっ?」
奥歯を強く噛み締めたまま、有栖川はドロッチャを睨みつける。
そんな彼女の怒りは意にも介さず、惚れっぽく遠い目をして語るドロッチャ。
「ヨーイチの愛の力ですわね。アヤへ向けたわたくしの熱い魔法を、彼が深い愛ですべて受け止めているのですわ!」
「まったく、ホントに邪魔なやつね……じゃあもう、素直に彼を苦しめた方が三枝さんのダメージが大きいかしら?」
ドロッチャは手で割ったスコーンにお気に入りのローズジャムを塗りながら、有栖川には一瞥もくれずに話し出す。
「コスモス、迷走してますわよ。あなたの願いはアヤを退学にすることでしょう? 自分の気持ちに自分の足元をすくわれたら、無意味ですわ」
「……そうね。だったら三枝さんのおうちを弱らせるのが一番ね。家庭のことであれば、彼女も退学を決意せざるを得ないでしょうし」
優雅にアフタヌーンティーを楽しむドロッチャの時間を邪魔するかのように、お茶のためのテーブルに移った有栖川は、細かくテーブルを叩いて性急な催促をする。
「もっとドロッチャの魔法で三枝さんが苦しむ様子もつぶさに見たいわ。何か方法はないの?」
「まぁ、のぞきとは悪趣味な。そもそも法や条例を侵すのはタブーですわよ」
「もう関係ないわ、今更よ。早くして」
呆れ気味に息をひとつ吐き、ドロッチャは水晶球を取り出す。
「規約違反の強要は、召喚主に跳ね返ることがありますわ。知りませんわよ……」
「これからは、三枝さんが弱っていくのをじっくり見物させてもらうわ」
それから数日経ったが、洋一には身代わりのトラブルは起きなかった。
すっかり安心していたが、それは彼の油断だったと後に知ることとなる。
亜耶はかわらずに家の手伝いがあるせいか、少し疲れの色を見せていた。
それでも洋一の前では元気に振る舞うが、それは長い付き合いで普段と様子が違うのは彼にもよくわかった。
そんな亜耶の身を案じつつも、なんのトラブルも無い時間は流れていく。
いつしか緊張感は徐々に緩み、洋一も学校から戻るとベッドの上で横になり、漫画を読んでくつろいでいたりした。
視線は漫画に集中したままページをめくりながら雪に話しかける。
「なんか、最近はドロちゃんの魔法も落ち着いたっぽいね。これで亜耶も安心するといいんだけど」
すると、部屋で座禅をしていた雪が瞼を開く。
「そうではない。三枝家ではなにやら魔力を感じるぞ」
その発言に驚き、洋一は手を止めて上半身を起こした。
「だって、僕には身代わりみたいなことは起きてないよ?」
「たとえばお父上やお母上を狙い、さらに三枝亜耶を追い詰めているのかもしれぬ」
「それをぜんぶ僕が魔法で受けるって話じゃなかったの?」
「馬鹿を言うな! お父上の病とお母上の心労、三枝亜耶への不幸、すべて洋一に寄ってみろ。お前が身心ともただでは済まないぞ。魔法の対象は三枝亜耶のみだ」
その時、自宅のインターホンが鳴った。
階段をあがってくる足音が徐々に近づき、扉がノックされる。
部屋を訪問してきたのは亜耶だった。
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