六十一日目:暗黒舞踏 第四話
雪がシャルロッテに酒を飲ませて口を割らせようとしていた同時刻。
有栖川の部屋では、ドロッチャが退屈そうに紅茶を飲む。
「次の指示をしていただけるかしら? わたくしたち魔女は採点制度なので、コスモスの願いをはやく叶えて次に取り掛かりたいのですけど?」
「そんなにすぐ結果を出してどうするのよ、百日まで引っ張れるのよ? もっと三枝さんに苦しんでもらわなきゃ困るじゃない」
有栖川は眼鏡のフレームを指先で戻すと、パソコンでSNSの閲覧を続けた。
「電算部の連中はうまいことスケープゴートになったわ。まだコソコソやってるみたいだけどね。これで私が自由に書き込んでも、問題ないわ」
有栖川も、書き込みに便乗して学内の三枝亜耶や榊原洋一に関する、根も葉もない噂を打ち込んでいく。
「なにか次のオーダーはありますの?」
「そうね……そろそろ隣にいる幼馴染にも苦しんでもらおうかしら?」
ドロッチャも洋一の顔を思い浮かべると、わずかに眉を寄せる。
「アヤやその家族以外の人に手を出すのは、あまりよろしくないのではなくて?」
「彼がそばにいるせいで、三枝さんはなにかと頼っちゃうのよ。すごく大きなケンカをするとか、いっそ別れるくらいの感じのトラブルがあるといいわね。頼れる人もいなくなれば、さらに精神的に孤立していくでしょ?」
しばらく考え込んだ有栖川は、机の引き出しを開ける。
そこに仕舞ってあった過去に店舗から持ち出した『戦利品』に目がいく。
「気になる相手がドロボーって思ったら、普通は幻滅するわよね?」
契約した魔女を使いつつ、自らもSNSを使って標的を攻撃していく。
魔女として
翌朝、シャルロッテは次の国の魔女のもとへ旅立っていった。
洋一が自宅を出ると、亜耶はいつものように制服を着て待っていた。
「おはよ、洋一。昨日はごめんね。とりあえずお父さんの治療が始まるまで、学校に戻って授業を受けるよ」
「そっか、よかった。おじさん絶対に良くなるよ。だいじょうぶ」
二人のそばには、早朝の走り込みで二日酔いの抜けた雪が一緒に学校へと向かう。
教室に入ると、亜耶を心配していた彼女の女友達が何人か声をかけてくる。
その間の洋一は地味で大人しいクラスの日陰者になるが、亜耶がいつもの日常を取り戻せるのならばと、彼は安心して身を引いていた。
それから数コマの授業を終えたあとの、午後の休み時間。
突然に教室内でひとりの女生徒が声をあげた。
「うそっ! あたしの財布がなくなってるんだけど、どうしたのっ? 昼休みまではあったのに!」
途端にクラス内がざわめき出す。
ちょうどその時、校庭の木陰で座禅を組んでいた雪は、周囲で魔力の揺れを感じて瞼を開く。
付近を見回すと、上空で魔法スティックを振り終えて去っていくドロッチャの姿を捉えた。
雪はすぐさま立ち上がると空に向けて声を張る。
「ドロちゃん! そこでなにをしておる!」
「あら、ユキ。奇遇ね。もちろん仕事ですわ」
「その契約のせいで、私も洋一も困っている。いったい誰からどのような依頼だ!」
「それは……」
いつもなら高飛車に突っぱねそうな彼女が、珍しく言葉を濁す。
「もちろん言えぬのはわかっている。だがドロちゃんがいるという事は、やはり学内に召喚主もいると見て間違いないのだな!」
「さぁ。わたくしは何とも……」
雪は竹刀にまたがると、三階にある洋一のクラスの窓をのぞく。
気まずそうにしているドロッチャも、立ち去るでもなく雪とともに中を見守る。
教室内は財布がなくなったという女生徒を中心に、クラスメイトが取り囲む。
その時、一瞬だけ窓の外を見た眼鏡の女生徒がいた。
ドロッチャの隣にいる自分の姿に驚いた様子だったが、すぐ人混みに消える。
それを雪は見逃さなかった。
「あやつ……以前に、洋一と立ち話をしていたおなごではないか?」
それはアメリカの魔女、サマンサと行動を共にしていた時のこと。
眼鏡の彼女と洋一との運勢を占ったサマンサが引いたタロットカードは『塔』であった。
江戸生まれの自分には意味も分からないが、その絵は落雷によって崩壊する建物。
雪は言いようのない不安に襲われた。
学級委員の有栖川の報告で、急遽、担任教諭がやってくる。
学内SNSによるネットいじめの可能性に加え、今度はクラス内での盗難事件だ。
苦虫をかみ潰したように、教員は生徒たちに着席をうながす。
「財布がなくなったということだが、よく探したのか? なくしたり落としたりしそうな状況だという心当たりも全くないのか? では……あまり
教員は、はじの生徒から順番にカバンの中身と財布を確認してまわった。
校則違反で持ち込みを禁止されているものがあっても、口頭注意で済ませていく。
亜耶の番が終わり、教員が洋一のカバンを覗き込んだ。
「これは榊原の財布で間違いないな?」
「ちょっと! それあたしの!」
被害に遭った女生徒が駆け寄り、教員と中身を確認すると、彼女の保険証が入っていた。
一気に騒然とする室内。
洋一も驚きのあまり口を開けたまま固まり、亜耶も彼を不安げに見守る。
「こら、お前たち静かにしなさい。これはどういうことだ、榊原?」
いったい何が起きたのかと、洋一は教員の持つ財布を見て言葉なく首を横に振る。
その光景をほうきや竹刀に乗って浮かびながら、窓の外から見る魔女ふたり。
「そういうことか。今度は洋一を貶めたということだな」
「どうかしら? わたくしの魔法の結果はなんとも?」
雪は呆れまじりに息を吐くと、脇差から出した魔法スティックを振る。
一方、教室では洋一が教員から詰められていた。
「榊原、どうした? 黙ってたらわからないぞ?」
「いえ、全然、僕も身に覚えがなくて、そもそも僕の財布もどこにもなくなってるんですけど……」
「ちょっと事情を聴くから、君たちはカバンを持って教員室にきなさい」
洋一を睨みつけながら、女生徒が自席へと戻った時だった。
「……うそ! 財布がある!」
女生徒がカバンの中から取り出したのは、彼女のものと全く同じ財布。
教員がその中を確認すると、洋一の図書館の貸出カードがあった。
「なんだ、お前たち同じ財布だから間違えたのか?」
「あれ? なんでだろ。体育か化学室に移動するとき間違えちゃったのかな……先生すみませんでした。みんなもごめんね、騒いで! 榊原くんも間違えて勝手に疑っちゃって、本当にごめんね!」
彼女の勘違いということでクラス内は笑いに包まれ、騒動は収まった。
膝から力が抜けて椅子にもたれる洋一に、亜耶が声をかけてくる。
「それって洋一のいつものお財布じゃないよね? 買い替えたの?」
「……家族の持ってたやつね、たぶん」
洋一の無罪放免を喜び、雪は窓の外から教室に向かって大きく手を振った。
それに気づいて、また眼鏡の女生徒はわずかに窓の外を見る。
これで今日の魔法は二人とも打ち止めだ。
そのまま雪はドロッチャとともに飛び去っていく。
「さて、どこに帰るのだ? 私の気配を察知したあの眼鏡のおなごの家か?」
「……ユキとお茶をするために、ヨーイチのお宅に向かいますわ」
「まぁよい。洋一に土産ができたからな。たっぷりと茶でも飲むか?」
有栖川が帰宅すると、疲れ切った顔のドロッチャが待っていた。
雪から執拗な尋問を受け、はぐらかすのに精一杯だったからだ。
「コスモス。あなたがわたくしと契約しているのがバレましたわ」
「あの剣道部みたいな服を着た魔女に?」
「だから、時間や場所を限定して現場で魔法を使うのは危険ですのよ。魔女はわたくしだけではないわ。ましてやこうして、バッタリ会ってしまう可能性もあるわけだから……」
「じゃあ、あの和風の魔女は、榊原くんと契約してるのね?」
動揺することなく、あの一連のトラブルの中でも有栖川はそれを冷静に見抜き、逆に質問を返されたことでドロッチャも途端に口をつぐみ、黙って紅茶を飲む。
「そうでしょ? 榊原くんをドロボーにするつもりだったのに、彼が無事でいるってことは、あの魔女は榊原くんの魔女よね!」
「規約による守秘義務ですわ。わたくしは何も言えませんの。もちろん、わたくしもあなたとの契約は明らかにしないという約束を守ったのよ、コスモス」
「SNSからの攻撃を邪魔する電算部を休部にしたのはよかったわ。でも今日の結果を見るに、隣の腰ぎんちゃくにまで魔女がいるとするなら、なおさら邪魔になるわ。彼の契約内容がわからないけど、和風の魔女がわたしの邪魔をしてくるなら、榊原くんに退場してもらった方がいいかしら? それとも、さっさと三枝さんを追い込んだ方が、彼もダメージが大きいかしらね」
有栖川のひとり言に、ドロッチャも相手をせず彼女から視線を反らした。
だが、あごに手をあてながら中空を見てじっと思案するその姿は、狂気すら感じられた。
同日夕方、洋一の自宅。
正座をして神妙に語り出す雪の前で、洋一は想定外の話に大声をあげていた。
「うそっ! その特徴って学級委員の有栖川さんじゃん!」
「間違いない。教室内が騒然としているのに、ただ一人、私とドロちゃんがいる外を見たのだからな」
彼女がドロッチャと契約したとすれば、その願いとはなにか。
しかし、これまでの出来事を思い返しても、彼女の望みが想像もつかない。
洋一たちが居合わせた店に車が突っ込んできたのは亜耶も同伴だったので理屈はわかる。だが自分に窃盗疑惑を持たせる意味が理解できずにいた。
「整理すると、有栖川さんはドロちゃんと契約をしてるっぽくて、それで亜耶が狙われていて、でも亜耶だけじゃなくて、亜耶のお父さんや僕まで狙われて……」
「おそらく、洋一が幽霊部員をしている部活動とやらもな。三枝亜耶やその周りにいる者を貶めると、彼女の願いが成就するということだ」
「だとすると、亜耶が被害を受けて有栖川さんが助かること……有栖川さんはバレー部だし図書委員会だし、成績も亜耶より上だし……そんなに接点ないけどな」
「そう言えば、あのおなごは洋一に何度となく声を掛けてくるのだったな。お前を利用して三枝亜耶を出し抜くという可能性はないか?」
「どうかな? 僕や亜耶に有栖川さんと競ってることなんて、あるのかないのか」
洋一は腕を組んで、うろうろとせわしなく室内を歩く。
剣の道に生きたとはいえ、魔女になる前にはそこそこに男から声を掛けられた経験を基に、雪も異性としての視点や、江戸の頃から女が好む噂話などで推測していく。
「よもや、好いたおのこが一緒だということはないか?」
「やめてよ、亜耶に好きな男がいるなんて……自信なくなっちゃうから」
洋一は情けない声を上げて、雪の腕にすがる。
「その有栖川とやらがお前を好いて、三枝亜耶を排除しようとしているくらいの自信は持てぬのか……まぁ、だとしたら窃盗犯に仕立てたりはしないであろうな」
男女ともに平等で距離感も近く、快活で裏表ない性格の亜耶に、好意がある男子生徒は多いと聞く。
だが、有栖川も感情の起伏は浅いが『氷の姫』の異名をとる程の美人ではある。
そこに彼女が魔女を使ってまで亜耶を狙う理由が洋一にはわからなかった。
「ふむ。あとは、三枝亜耶を好いたおのこを有栖川が好いた、ということかな?」
「……まさか、亜耶のことを好きなやつって……たくさんいるけど。でも名前までパッと思いつくのは、同じクラスの木下ぐらいしか」
「なるほど。木下というと、あのスポーツ大会で洋一を負かした剣道部の色男か。確かにあやつは剣の筋も良いし、顔も良い」
「いやまぁ、そりゃ木下はカッコいいけどさ……」
雪のとても素直な意見に召喚主として、せめて契約した魔女の彼女くらいは味方でいてほしいと思った洋一は、大きく肩を落とす。
「仮にだぞ。有栖川も木下とやらに気があるとすると、三枝亜耶を排除して、木下を自分に振り向かせよう、という魂胆ではないのか?」
「マジかよ……有栖川さんが木下のこと好きだなんて、教室にいてもこれまでそんな素振りはなかったのに、知らなかった……」
折に触れ、彼女は洋一に声を掛けてきた。
通学路のあちこちの店で偶然に顔を合わせることもあった。
その時はてっきり、自分に気があるのかと有頂天になっていた。
ところが、亜耶とケンカをした時は、わざわざ仲直りするよう注意をしにきた。
他の男子に隙を与えるから、と。
これまでの彼女の不可解な動きやその理由を推測すると、洋一も記憶の点と点が繋がっていく。
「そういうことだったんだ。僕に声を掛けてきたのは、亜耶を嫉妬させるため。それに僕に亜耶のそばにずっと居させて、木下を諦めさせるため。でも木下は振り向かなかった。それで逆恨みして、ドロちゃんと契約して亜耶を狙ってる……どうしよう、もしそうだとしたら亜耶が危ないよ!」
「危ないのは彼女だけではない、洋一も同じだ。なりふり構わぬやり方を見たであろう」
雪は正座をしたまま腕を組んで、ぐっと精神集中をする。
微動だにせず、禅の修行のように、思考を深く研ぎ澄ませていく。
「そうなると、有栖川と木下をさっさと恋仲にしてしまうことだな。願わくば、三枝亜耶の身の安全を確保したうえでな」
「でもさ、それで有栖川さんが引くと思う? ドロちゃんとの契約を達成しないと有栖川さんも死んじゃうんだし……それに、ペアを組むのがあのドロちゃんだよ? 例えばもっと乱暴な、亜耶が邪魔だから命を奪うなんて願いだったら、どうしよう?」
「そうなった時は……残念だが、先に洋一だけでも成就しておけ。お前が三枝亜耶と付き合っていれば、願いは達成したことになり、お前は契約終了後も命は助かる」
「そんなのやだよっ! 亜耶がいなくなるかもしれないのに付き合って、はいおしまい、なんて納得できないよ! くそっ、どうしたらいいんだ、こっちからやめろって言ってもやめないだろうし」
洋一も焦燥感から落ち着きをなくし、爪を噛みながら神経質そうに足をゆする。
「有栖川さんやドロちゃんを監視することはできないの?」
「一番最初に伝えたであろう。法を侵すことはできぬ、と。他人の私生活を覗き見することは条例違反であるし、そこに干渉しあっている魔女がいれば、なおさらだ」
「僕がお雪に有栖川さんを妨害する魔法を頼むってのも、干渉するから出来ないんだよね?」
すっかりと思考の迷路に入り、苦しむ洋一。
雪とともにあれこれ考えながら、なんとか逆襲や自己防衛の端緒を開こうとする長い夜は更けていった。
次の日。
洋一と亜耶、そして雪は学校へと向かう。
すると彼の机の上には小さな板チョコが置いてあった。
「榊原くん、昨日はごめんね。お詫びのしるし」
財布を紛失したと訴えた女生徒が、両手を合わせたまま肩をすぼめる。
「あぁ……別にいいのに。そんな気を遣わなくても」
自分の席に戻る女生徒の姿を見届ける洋一に、亜耶が冷やかす。
「洋一もこのごろずっと頑張ってきたからね。なんだかんだでモテてきたんじゃないの? 有栖川さんとかもそうだし」
「そんなことないって! 有栖川さんなんか絶対に……たぶんそんなことないんだから、全然モテてない……じゃん」
割と大きな声で迂闊に口走ってしまい、洋一は慌てて口元を押さえ、声を尻すぼみに小さくすると、有栖川に聞かれてはいまいか、ちらと彼女に視線を向けて様子を探った。
「……どうしたの、洋一?」
「なんでもない。亜耶は気にしなくていいよ」
今日は有栖川の死角となる位置から、教室内の様子を窺っていた雪だったが、やがて授業が始まると、剣道場で鍛錬をしたり、校庭で座禅を組むなどして時間を潰していた。
それでも、またドロッチャがどんな魔法でやってくるのか、周辺で魔力の変化がないかに神経をとがらせる。
やがて昼休みとなった。
生徒たちは自席で弁当を食べたり、購買部でパンを求めて行列を作っている。
校庭では早くも昼食を食べ終えた男子生徒がサッカーに興じている。
雪は木陰に腰を下ろし、竹の皮に包んだ弁当を広げていた時だ。
「となり、いいですか?」
雪は声の主の顔を見るなり、握り飯をかじろうとした口と手を止める。
それは、魔女である自分の姿を視認できる眼鏡の女生徒。
「……お前が有栖川か」
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