六十一日目:暗黒舞踏 第三話

 学校から帰宅した洋一は、雪にこれまでの経緯の説明と相談をしていた。

 二日前の交通事故、電算部の消滅、ネットでの衆人環視と陰湿なイジメ――。


「江戸の頃から村八分むらはちぶとは言ったものだが……何も変わらぬな、この日本という閉鎖的な島国は。西洋のおなごたちと共に過ごしていると、尚更にうわべだけ取り繕った大人しい世間と、腹黒さを抱えた民衆の愚かさが見えてくるというものだ」

 腕を組みながら呆れた様子で息を漏らす雪だったが、瞼を開くと切れ長の鋭い目を洋一に向けて、彼に発破をかける。

「それにしても、洋一もどうだ? 直接ものも言えない卑怯者など無視して、三枝亜耶を守ってやる! 俺は気にしないぞ! くらいの気概はないものなのか?」

「でも、もし僕が別の魔女に狙われてるのなら、僕と一緒にいると、きっと亜耶にも迷惑かかるからって……今日は別々に帰ってきちゃったんだよ」

「ならぬ! あれだけ良い感じになったのに、お前が距離を作ってどうする? いっそのこと三枝亜耶と堂々と手を繋いだり腕を組んだりすれば、周りのおのこも彼女を諦めるではないか。それに木下を好いてるおなごたちにも我こそはと好機になるし、次第に陰口も減るであろう」

 普段、注目されることもない日陰者の洋一にはその発想がまったく無く、思わず手を叩く。

「そっか。魔女というか、先生みたいだね、お雪は」

 雪は突然に頬を紅潮させると、もごもごと口ごもりながらも語り出す。

「筋肉質で大女であるが、これでも私もおなごだぞ。江戸の頃はそれなりに、おのこから言い寄られていたのだ。師範である父の面子めんつもあるし剣の道があったので断ったが、そういうおのこは断ると、得てしてすぐに別のおなごを好いたりするものだ」

 日本人の先輩である魔女から魔法とは全く関係ない処世術を聞きながら、洋一は今後のことを考えていた時だった。

 途端に室内が暗澹として、ベッドのうえに魔法陣が描かれる。


 突如として現れた魔法陣からは、シャルロッテが飛び出した。

「はあっ!」

 よそから飛んできて着地したふりをするかのように両膝を軽く折った。

「ハローグッバイ! 呼ばれて飛び出てジャジャジャじゃがいも粉吹き芋ってね!」

「おぉっ、また来たな、ロッティ。先日は悪いことをしたな」

「無事に戻れてよかったね、ユキ。ヨーイチもこないだはホントにありがとうね」

「いや、僕は別に全然……」

 前回、シャルロッテと別れる直前にされたキスの感触を思い出し、洋一は顔を赤らめて言葉少なにうつむく。

「それで今日は何用だ、ロッティよ。また休暇か?」

「違うよ、今日はちゃんと査定業務の仕事だよ。六月の中間報告のために、日本にいる魔女の様子を見にきた新地しんちは、お初天神はつてんじんにお目にかかります、なんて言ったりしちゃうんだから」

「へぇ、僕とお雪以外にまだ日本で魔女と契約してる人がけっこういるんだ」

「そうだよ、守秘義務なので詳細は答えらんな……って、うそっ!」

 協会本部から届いた調査報告書の挟まったバインダーを見たシャルロッテが、驚愕の声を上げる。

「あらまぁこりゃまぁ。いま日本で契約してる魔女にドロちゃんがいるね」

「ホントに? ドロちゃんが日本にいるの?」

 なにやら不穏な事態を察知し、互いを見る洋一と雪。

「ねぇ、お雪。やっぱ、もしかしてこれって、そういうことなのかな?」

「わからぬが、そういうことで間違いないのであろうな」

 深刻そうに察し合う二人に、シャルロッテが割って入る。

「どうしちゃったの、京都どうしちゃ大学。もしかしてドロちゃんが日本にいるのがまずい?」

「いや、ドロちゃんか他の魔女のせいかはわからぬが、洋一と誰か別の召喚主の契約が、反発し合っている可能性が高いのだ」

 それを受けて、バインダーを隠すように読んだシャルロッテが、表情を曇らせる。

「うん。あたしは立場上、守秘義務があるからね。ユキも引き続き頑張ってね」

 洋一が手元を覗き込もうとすると、シャルロッテは慌ててバインダーを閉じる。

「たとえ召喚主でも、これは見ちゃダメだよ。それにドイツ語だしヨーイチにはわかんないよ」

「ぜったいおかしいよ! ロッティが普通に喋り出す時点で怪しいじゃん!」

「だって、言えないんだから言えないもん! ホント神様って意地悪なんだから!」

 狼狽してギャグも言えずに、逆にまともな会話を始めるシャルロッテに、洋一もただならぬ事態を理解した。

「こうなると考えたくはないが、洋一か三枝亜耶、どちらかを恨んでいる者がドロちゃんと契約したとしか思えぬ」

 雪も眉間を押さえながら、思考を整える。

「そして、その魔法は確実にふたりを狙っている。洋一が三枝亜耶と付き合いたい、などという生半可なものではない。お前たちに相当な危害を加えるつもりだろう」

「このままだと、僕らも身が持たないじゃん……でも、その理由ってなんだろ?」

「それはわからぬ……が、先程も伝えたとおり、恨みを持つ者の仕業だ」

 相手の意図は不明だが、向こうのしっぽは掴みたい。

 洋一もなにかとっかかりがないかと頭を捻る。

「そうだ、契約してる最中は、僕にもロッティやドロちゃんの姿も見えるんだよね。学校の通学範囲の中で別の魔女を連れていそうなやつを探してみればいいんじゃないかな」

 雪は静かに首を横に振る。

「でも、私みたいに召喚主の家で留守番をしていたら、外にはおらぬぞ?」

 それも確かに、と洋一は腕を組み直してまた考え込む。

「仕方ない……まずは日本にいるっていうドロちゃんを探して会いにいくか。契約内容は守秘義務があるんでしょ? でも、ドロちゃんがどこにいるかでおおよそ召喚主の正体はわかるもんな。それでダメなら、次の魔女を探すしかないよね」

「あー、ヨーイチ。それも『本当は』禁止だよ。契約中の魔女たちが偶然に出会う以外には、お互いの干渉はダメなんだよね。まさに、召喚主どうしの思惑が交錯してる可能性があるから。あたしもドロちゃんも、前は休暇中や契約なしのフリーの時に来たから、問題ナッ寝具シング売り場は三階です、でございますなんだよ」

 シャルロッテはおもむろにバインダーを片づけると、出発の準備をする。

「それじゃあユキ、頑張ってね。ヨーイチ、ゴメンね。ドロちゃんに会ったら他の国に行くから」

 スカートの端をつまむと頭を下げて、シャルロッテは床を蹴る。

「とおっ!」

 そのまま彼女は白煙と共に消えていった。

 漂う煙を見ながら、洋一は腕を組んだまま思考を続けたが、途方に暮れてベッドに座り込む。

「それにしても、困ったね……ロッティは他の魔女とは違って、ほうき以外の移動が中心だから後を追うこともできないし。冗談ばっか言うのに妙に口は堅そうだし」

「いや、まことに心優しい友だな、ロッティは」

 雪はわずかな笑みを浮かべて、何度もうなずいていた。

「どういうこと?」

「全てこっそり教えてくれたではないか。洋一の行動範囲でドロちゃんと偶然に会う可能性が高いということ、洋一とその召喚主の思惑が交錯しているということだ。関係なければ関係ないと、ひと言いえば済む話なのに、細かく解説してくれたであろう。つまりお前と三枝亜耶が恋仲になるための障害になり得る契約なのは間違いないようだな」

「じゃあ、小中高の学校とかご近所、昔の塾の誰かを警戒していれば……」

「ドロちゃんの召喚主を特定できる、ということだ」

 しかし、それでも容疑者の数は膨大で、特定は至難だろう。

 果てしない捜査と作業になるのは洋一にも容易にわかった。


 翌朝。

 昨日はバラバラに帰宅してしまい、洋一も気まずくはあったが、亜耶は彼を心配して玄関先で待ってくれていた。

「あっ、亜耶……昨日はごめん。ちょっと取り乱してたみたいで」

「電算部のこと? あたしも友達から聞いたよ。なんかSNSでひどいこと書き込んでたんでしょ?」

「違うって! それは誤解だよ。僕もずっと一緒にいたけど、みんなは陰口とか心無いことを書いてるやつを勝手に削除したりしてくれてたんだから……僕のこととか、その……亜耶のこととか」

 それを聞いた亜耶は怒りの色を浮かべて、洋一の腕を掴む。

「なんで、あたしのことまで書いてあるのよっ!」

「いや、先生や他のやつの悪口も書いてあるよ? だけど、あの……亜耶や僕のことも嫌いなやつがいるかもしれないからって意味でさ」

「ほんと卑怯者ね。洋一が言うんなら電算部じゃないのかもしれないけど。それにしたって、陰でコソコソして本人の前で言えないなんて臆病なんだから」

 やはり、彼女は心の真っ直ぐな人物であった。

 それには洋一も素直に安心した。

「ともかく、あたしはそういうの気にしないから。言わせておけばいいじゃない」

「そうだな……そうかもな」

「さっ、学校行こう。無視してどーんと構えていればいいんだから」

 学校に到着したあとも平然とする亜耶に対し、洋一はどうしても周囲の視線を気にして、疑心暗鬼となっていた。


 それから時間は流れ、昼休み。

 一緒に弁当を食べるために亜耶は椅子を反対向きにするが、通学カバンの中からかすかに聞こえる着信音に気づき、スマートフォンを取り出す。

「なんだろ、お母さんからだ……」

 だが、亜耶はメッセージを読み進めていくうちに、みるみる顔色を失くしていく。

「どうしよ……どうしよ……」

 尋常でなくうろたえていく亜耶の様子は、洋一もこれまで見たことが無いほどだ。

「お父さんの体調が悪いって……ちょっと先生に早退をお願いして、病院にいくね」

「うん、気をつけてな」

 亜耶は弁当箱を閉じて、カバンを持ち教員室へと向かっていく。

 それを不安げに見送る洋一。

 亜耶の様子を案じて視線を送る木下。

 彼女が出ていく姿を一瞥もせず、静かに食事を続ける有栖川。

 それぞれに昼休みのひと時を過ごしていく――。


 放課後、洋一はひとりで帰宅する。

 自宅が視界に入ると、そのすぐ近所である亜耶の家の前で彼女が待っていた。

「亜耶、病院はもう終わったんだ……それで、おじさんとおばさんは?」

「まだお父さんたちは病院に残ってお医者さんと話してるよ……あたしは帰るように言われたけど」

 明らかに憔悴し、悲嘆に暮れた彼女の口ぶりに洋一も気を揉む。

「お父さん、末期の胃がんなんだって……手術や治療をしても、もう長くないかもって。一生懸命にお仕事して、洋一と同じ学校に通わせてくれて、ずっと頑張ってたのに……こんなのひどいよ……」

「マジかよ……でもまだ、治るかもしれないじゃん。そのために病院に残って治療法とか聞いてるんだろ?」

 気休めの慰めのつもりではないが、洋一が亜耶の肩に手を置くと、こらえきれずに彼女は嗚咽を上げる。

 泣きじゃくる亜耶に対して、なんの言葉をかけるべきか。

 洋一もまた、無力感にさいなまれていた。

 片方が弱っていたら、もう片方が慰める。

 子供の頃のケンカやケガだったら、当時はそれで済んだかもしれない。

 だが、今はもう片方にも尽くす手は無い。

 そんな二人の様子を、雪も洋一の家の屋根から見守る。

 規約に従った魔女のルールとはいえ、雪もこの稼業に割り切れないものを感じていた。


「どうか、お願いします!」

 洋一は雪に向かって深々と土下座をしていた。

「お願いだから、魔法で亜耶のおじさんの病気を治してあげてよ!」

 だが、困惑したように彼女も洋一の姿を見るしかできなかった。

「それは可能だが……相手の魔法、すなわち向こうの召喚主が願う想いが強力だと、拮抗してしまい、うまくいかないことも多い。洋一は三枝亜耶のお父上と付き合うという契約ではないだろう? 彼女を想う気持ちはわかるが、こちらのが悪いのは明白だ。魔法で完治できるかはわからぬ」

「えっ、それじゃ……亜耶のおじさんは……」

 力無く上半身を起こした洋一に対して、雪は静かにうなずく。

「今回の標的は三枝亜耶で間違いないであろう。ちょうど昼頃、庭で素振りをしていたのだが、彼女の家からわずかな魔力の揺れを感じた。三枝家こそが真の被害者だ」

 洋一はふたたびひたいを床に着けると、ぐっと堪えるように拳を握る。

「じゃあもう、僕におじさんの病気を移してよ。それなら亜耶も喜ぶから……」

「馬鹿を言うな! お前が三枝亜耶を守ってやらねばならないであろう!」

「お願いだよ……お雪、お願いだから……亜耶を助けてよ」

 洋一が顔を上げると、彼は恥ずかしげも無く男泣きをして懇願した。

 彼の涙を見た雪も心がさざ波立つが、どうにもしてやれない無力さは自分も同じであった。それでも契約した魔女として、召喚主に寄り添ってやりたいと願う。

 普段であれば洋一の肩や背中を叩いて慰撫する雪だったが、鍛錬でごつごつと節ばった指先で洋一の頬の涙をぬぐった。

「おのこが泣くでない……三枝亜耶のお父上が少しでも快方に向かうよう魔法だけは使う。だが結果に期待はするな」

 おもむろに立ちあがった雪は、脇差から魔法スティックを抜くと一気に振る。

「洋一がしっかりと彼女の心を守ってやれ。まだ相手の契約はあるのだ。これから二の矢、三の矢が攻め寄せてくるのだぞ」

 雪は洋一の頭に手を乗せ、彼の髪をくしゃっと掻き分けた。

「……少し走り込みをしてくる」

 洋一から隠すように苦悩に顔を歪めた彼女は、窓から竹刀で飛び去って行った。


 翌朝。

 玄関先には、制服ではなく私服の亜耶がいた。

 その手には大きなトランクを持っている。

「亜耶、おはよ。それは?」

「お父さんの荷物。急を要するってすぐに入院することになったの」

「そっか、おじさんもきっとよくなるよ。僕も信じてるから」

「ありがと……だから今日は学校を休むから。ごめんね」

 亜耶の気休めになるとも思えない安易な言葉しか言えない自分が情けなくなるが、それでも彼女はこの朝の登校前にわざわざ時間を作り、こうして顔を見せてくれたのが洋一は嬉しかった。

 五十音順で出席番号がひとつ前の亜耶の席。

 欠席や早退の続く、本人不在の机をぼんやりと洋一も眺めた。

 学校に到着しても、ひとりの授業はなんとなく退屈に感じられた。


 休み時間になると、有栖川が近づいてきた。

「榊原くん。このレポート課題の資料、三枝さんに渡しといてくれるかしら?」

「あぁ、うん。預かっとくよ」

「よろしくね。三枝さんのこと」

 立ち去る間際に、彼女はわずかに笑ったような気がした。

 それは単なる愛想笑いなのだろうと、洋一もさして気にすることもなかった。

 放課後、亜耶の家のインターホンを鳴らすが、まだ留守なのか反応はない。

 仕方なく、スマートフォンでメッセージを送る。

『レポートを預かってるから、落ち着いたら渡すよ』

 すると、程なくして返信があった。

『ありがとう。お父さんの病気はかなり進行はしてるけど、なんとか手術か抗がん剤で頑張れる方法がありそうだって』

 雪の魔法が病魔と戦ってくれているのだろうと、それを読んだ洋一も安堵した。

 そして、形式的なものなのだろうが、この『ありがとう』の後のハートマークの記号が彼をわずかに高揚させた。


 洋一が自分の部屋に戻ると、室内に充満する酒の匂い。

 真っ青になった雪は床に倒れ、シャルロッテは顔をスカートと同じくらいに真っ赤にしていた。

「なにやってんだよ、お雪! のんきにお酒なんか飲んで!」

「違うよ、ヨーイチ……ユキったら、あたしからアヤのこととかドロちゃんの召喚主とか秘密事項をあれこれ聞き出そうと、飲ませるんだもん……そしたらこれで、倒れてこてん、数学、理科、社会……ウチに帰って返り討ちってね」

「ぬぅ、さすが西洋の魔女。不覚っ」

 カーペットに突っ伏したまま、弱々しく頭を抱える雪。

 近くには大量の酒瓶が散乱している。

「……もしかして、お雪が亜耶のこと心配して、ロッティを喋らそうとしたの?」

「こんな魔女はじめて物語だよ。普通は割り切って活動するもんだよ? 召喚主のためにこんなに何度も無茶する子いないもん。下手したら規約違反でクビなんだから。ユキといい関係になったんだね、ヨーイチは」

 酔いは回っているものの、彼女が平然としているのはさすがのドイツ人であった。

「というわけで、今日はもう休暇申請したから。それじゃあ、おやすみ」

「あっ、あのさ……ロッティ!」

「……どうしても喋れないの。ホントにごめんね。でもヨーイチなら絶対にうまくいくと信じてるよ。あたしもヨーイチのこと……ずっと応援してるからね」

 シャルロッテは四つん這いで洋一のベッドに勝手に入っていく。


 一方、ぐでんと潰れる雪に洋一は冷凍庫から保冷剤を用意して彼女の額に乗せた。

「おぉ……心地よい。すまぬ」

「ごめん。お雪にまで迷惑をかけて……自分が亜耶を守らなきゃいけないのに」

 雪はしばらく苦しそうに呻いていたが、そばで見守る洋一の膝を叩く。

「とりあえず、洋一も三枝亜耶も心配だ。当面の間は学校に同行して、なにか起きたらすぐに魔法で対処するとしよう……」

「ありがと。でも今日はゆっくり休んでよ。二日酔いだと魔法も上手くいかないよ」

 それから間も置かず、雪はすやすやと寝息を立て始めた。

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