六十一日目:暗黒舞踏 第二話

 電算部員の集まる情報システム教室を出た洋一は、とぼとぼと歩いていた。

 いつもよりも深く背を丸めて溜息をついていたが、自宅に戻る頃には、あれこれと悩み過ぎてすっかり意気消沈していた。

 彼の部屋では、雪が帰宅を待っていた。

「どうであった、洋一。三枝亜耶も元気にしていたか?」

「いや、亜耶のショックが大きかったみたいなんだ。学校も休んでさ」

「まぁ、仕方あるまい。昨日の今日だからな」

 洋一はカバンを置くと雪に向かい合って正座し、彼女に懇願する。

「せめて亜耶の心が落ち着くような、いい夢を見られるとか、ストレスが減るとかの魔法を使ってあげて欲しいんだ」

「うむ、それなら出来る。任せよ」

 雪は脇差から抜いた魔法スティックを構えて、一閃した。

「はあっ!」

 先端の星の輝きが消えたあとも、洋一は彼女の魔法スティックをじっと見つめていた。

「優しいおのこだな、洋一は」

「そんなことないよ……事故の時もなにもできなかった。あれで実際に亜耶がケガでもしてたらと思うと、自分は無力でどうしようもないヤツだってホントに思うよ」

「洋一が声をあげたから、他の客も気づいて被害が少なくて済んだのだろう? そう自分を責めるな」

「いや……僕だって学校に行きたくなくなるよ……」

 膝を抱えてぼんやりと考え込む洋一に、雪は三枝亜耶を立派に守れなかった自身の不甲斐なさを悔いているのだろうと感じた。

 だが、あれこれと深く悩む洋一に対して、自分ができるのはただ彼の考えに従い、手を貸すことのみ。そこに魔女としての共感や憂いは一切無いが、召喚主である彼の苦悩の表情を見守るしかできない無力感はあった。


 その頃、とある住宅。

 机の上にあるパソコンに向かい、学内SNSの裏サイトを閲覧している人物。

 それは洋一のクラスの学級委員、有栖川だった。

「なかなか面白いことになったけど、わたしが見た時よりもいくつか記事や書き込みが削除されているわ。さてはあの電算部のキモオタ達ね」

 その近くでは、アフタヌーンティーを楽しむドロッチャがいる。

「三枝さんにもまだまだ苦しんでもらわないといけないんだから、勝手なことするんじゃないわよ、まったく。わたしのパソコンスキルよりも無駄な知識ばっかりで……ホント迷惑なキモオタ達だわ」

「召喚時にも伝えましたけど、契約の内容は『アヤが退学するまで精神的、肉体的、環境的に徹底して追い詰める』というところでよろしいですわね? コスモスの願いの内容が漠然としていたので、そこはあらためて確認ですわよ?」

「構わないわ。さすがに命まで奪うのは寝覚めが悪いものね。でも追い詰める方法は妥協しないわよ」

 ティーカップを置いたドロッチャが有栖川に素直な疑問をぶつける。

「それでコスモスは、アヤが破滅したとして、なにが嬉しいんですの?」

「愚問ね。決まってるでしょ? 木下くんに三枝さんのことを諦めてもらうのよ」

 キノシタとは、先日ヨーイチと剣道で対決した、アヤを慕う青年だったか――。

 ドロッチャは学内スポーツ大会での記憶を呼び戻していく。

「なるほど、そういうことでしたのね……それならそのキノシタに自分のことを好きにさせるよう魔女に願えばよかったのではないですの?」

 有栖川はパソコン机から離れると、ドロッチャの向かいのテーブル席に座った。

 そして彼女のれた紅茶をカップにいでいく。

「少しでも可能性が残るなんてダメだわ。それは完璧とは言わないの。木下くんがこれっぽっちも三枝さんのことを想わないくらいに完全に排除しなきゃいけないから、わたしはそう願ったのよ」

 静かに紅茶を飲んでいたドロッチャは、片方の眉を上げた。

「これがコスモスの裏の顔なのかしら。むしろ、まじめな学級委員が裏の顔か……」

「そういうのが一番嫌なの、わたしは」

 有栖川は大きな溜息をつくと、眼鏡を外して髪留めをほどく。

「この世の愚かな連中は、外からしか判断できない情報に左右されすぎなのよ。わたしが学級委員だから? 成績がいいから? 大人に従順だから? だから、内面もいい子のはずだし、常にいい子でいなきゃいけないの? そんなの虫唾むしずが走るわ」

 ドロッチャは有栖川が怒りを吐露するほどに、彼女が抱える深い闇に吸い込まれていく錯覚を覚えた。

 だが、それは嫌悪するべきものではない。

 あくまでビジネスとしての契約であるが、それは彼女にも似た闇があるから。

 ドロッチャが魔女になる前、ハンガリーの侯爵の娘としての忌々しい過去を。

 それでも有栖川に肩入れをしないのは、魔女の規則であり彼女の矜持きょうじだ。

 あとは、この手のタイプはそれなりに見てきたというのもある。

 むしろ魔女と契約したくせに、魔法の力だけに頼らず不器用に進んでいくヨーイチこそ面白い人間だとすら思えた。

「ねぇ、次はこういうことってできる? 目的の対象じゃなければ可能でしょ?」

 有栖川はドロッチャにメモを差し出す。

「あまり、契約内容とは関係なさそうな連中ですけど……でもコスモスが望むなら、問題ありませんわ」

「そう……ならお願い。まだまだこれからよ、三枝さん」

 有栖川はまるでこれまでの会話が他人事のように、静かに紅茶を飲み始めた。

 それと向かい合わせに座るドロッチャは、有栖川の顔から視線を落とす。

『ユキとヨーイチはこれからどうするつもりかしら? 至高の魔女に私情は禁物だというのに……』

 ドロッチャはカップを覗き込んで、琥珀色の液体に映る不安を隠せない自身の顔を黙って見続けた。


 交通事故に巻き込まれてから、二日目の朝。

 洋一が自宅の玄関の扉を閉めると、亜耶は自宅の前に立っていた。

「昨日はごめんね、洋一。なんかゆうべは、寝てる間にすごくほっとした夢を見れたら、あんな事故に遭ったのが嘘みたいに落ち着いてさ」

「そっか。それならよかったよ」

 雪に依頼した魔法は効いたようで、比較的、元気そうになった彼女の様子に、洋一も安堵する。

「それで、どんな夢だったの?」

「……内緒よ」

 亜耶はなにやら照れ隠しのようにぷいと振り向き、駅に向かって歩いていく。

 ふっと笑みを浮かべて、洋一は足早に亜耶の後を追いかけた。


 洋一たちが学校に着くと、彼のクラスの前に上級生の電算部長が待っていた。

「あっ、部長。おはようございます。二年のフロアに来るなんて珍しいっすね」

「榊原氏、ちょっとよろしいかね?」

 突然に廊下の隅に連れられると、部長は小声で立ち話を始めた。

「電算部が休部に追い込まれた。理由は部活動と称して、不穏なサイトの閲覧をして遊んでいるだけだということだが……急にだよ。ゆうべの職員会議で急遽、決まったらしい。学校に関する裏サイトの存在も明るみになったが、職員も学校もその存在を認めると、校内のイジメの可能性も認めるとして、臭い物にはフタをしつつ、さも我々が執拗しつように書き込んで遊んでいたとして、収めるつもりだよ」

「どういうことっすか! なんで電算部が? なんにもしてないのに!」

「でもアドレスもログイン方法も知ってるから、自宅でひそかにSNSの下品な書き込みの削除は続けますがね。こうして、外面がキモいだの性格がオタだのというだけで、社会はそういうレッテルを平気で貼る……ごく普通の顔をしてる静かな生徒ほどいやしい言葉で平然と相手を傷つけるような裏があるのに、それを大人は認めようともしない。これだけ世間でSNSでの事件が多発しているのにも関わらず、だよ。拙者も悔しいが、いつの日か正義は勝つと信じて、いまは隠密活動をするつもりだよ」

 落胆する部長であったが、それでも洋一を慰撫するように、彼の肩に手を置く。

「また、いつの日か情報システム教室で会う日を楽しみにしていますぞ」

 前髪をさっと払って、ポケットに片手を入れたまま去っていく部長を見送る洋一。

「いったい、どうなっちゃったんだよ……ホントに魔法で僕が狙われているのか?」

 狼狽した洋一が教室に戻ると、亜耶が心配そうに見てくる。

「どうしたの、急に元気なくなっちゃったけど……電算部でなにかあったの?」

「もう、信じられないよ。この世の中は」

 洋一は混乱した頭を整理しきれず、ただ力無くつぶやくだけだった。

 言葉こそ聞こえないが、そんな二人の会話を遠巻きに見守っていた有栖川は、わずかに口角を上げる。


その日の放課後。

 洋一は念のため情報システム教室に向かうと、室内は暗く鍵がかかっている。

 間違いなく、休部に追い込まれていたようだった。

 そんな彼の姿をみて、ひそひそと会話をしながら足早に通り過ぎていく女生徒たち。

 はやくも電算部も、SNSの餌食になっているのだろう。

 もしかしたら、自分が電算部員と勘違いされたのかもしれない。

 そう思うと、居たたまれなくなった洋一も急いでその場を離れた。

 通用門から校舎を出ていくと、校庭で練習をしていた亜耶が駆け寄ってきた。

「ねぇ洋一。今日は少し早く部活終わるみたいだから待っててよ。一緒に帰ろ」

 まさに部長からSNSでの噂やイジメのこと、事実無根の罪を負わされた電算部の休部の話を聞いた直後で、こうして亜耶と会話している今も誰かに監視されているのでは、という恐怖から、洋一は視線を学校中にせわしなく向ける。

「べ、べつに今日はいいよ。ひとりで帰るから」

「なんか用事があるの? ないんだったら一緒に……」

「いいから放っといてくれよ!」

 大きな声をあげて拒否をする洋一に驚いて、亜耶が肩をすぼめる。

「……あ、ごめん。なんか一緒にいると、僕も亜耶も危ない目に遭いそうだからさ」

「こないだの気にしてたの? もうそれは済んだことだし、あたしはむしろ……」

「とにかく、ごめん。ちょっと先に行くから」

 亜耶の姿には一瞥いちべつもせずに、洋一は足早に校門へと向かっていく。


「最高よ、ドロッチャ! 本当に魔女ってのはすごいわね!」

 興奮を抑えきれないように、パソコン画面上のSNSのスレッドを閲覧したまま、有栖川は笑う。

 そこには、さっそく電算部員が悪辣あくらつな記事をここに書いていたという真偽も定かでない話題で盛り上がり、彼らを非難し断罪する書き込みで炎上していた。

「わたくしも魔女として、いろんな人間と契約しましたけど、中々ですわね」

 ドロッチャの感心とも皮肉とも取れる言葉を耳にして、有栖川は眼鏡を外す。

「そうしてある一部分だけ判断して、わたしの人格まで決めつける連中は無知蒙昧むちもうまいだわ。魔女ならよくわかるでしょ?」

「そうですわね……」

 有栖川は机からテーブルに移ると、ドロッチャに相対して座る。

「そういえば、ドロッチャはなんで魔女になったの? ハンガリーの侯爵の娘だったんでしょ? 魔女狩りでもされたから死後に本物の魔女になったのかしら?」

 矢継ぎ早に出される質問に、ドロッチャも紅茶を飲む手を止める。

「わたくしはちゃんと生きてますわよ。魔女狩りに遭ってたなら、魔女になんてなってませんわ。わたくしも環境を変えたくて、自ら選んで魔女になったのですわ」

 ティーカップを皿に置いたドロッチャは、伏し目がちに遠い過去を語る。

「……侯爵の娘なら、食べるにも困らず、国民の税金で安穏と幸福に暮らせるなんてことはありませんわ。まだ時代は中世、幼い頃から政略結婚をさせられたり、そうしたらその小国を併合するといって、今度はまだ若い夫が毒を飲ませられたり、それだけでなく……」

 実家である侯爵の父の城に戻ったあと。

 毎晩、寝室で眠っていると、扉がノックされる。

 父は決まって、自分を寝かしつけにやってきた。

 禍々まがまがしく卑しいあの眼つきで。

 あの時間がやってくる、夜が恐ろしかった。

「……それはともかく、今は魔女をして良かったと思ってますわ。仲間の魔女もいい方たちばかりだし、労働条件も悪くないし、なによりも……」

 魔女になったあとの召喚で、偶然にも政敵との契約により、人間の時に親であった父が殺される瞬間を目にした。

 そこになんの感情もなかった。

 こうして自分は魔女の道を進むと決めたのだから。

「中世の女として、自分がこうやって自立したって思えるのは、感謝ですわね」

「そう……大変なのね、魔女になる前も」

 有栖川は自分から尋ねておきながら、生返事で紅茶を注いで飲む。

「コスモス、そう言うあなたも相当じゃないかしら? 優秀な学級委員が万引きをして得たノートで偶然に魔女を召喚したなんて、誰が信じてくれるかしらね?」

「あの商品を手に取ったドキドキとする瞬間、カバンに入れて店を出るまでの緊張からの解放と弛緩は、たまらないものがあるわ。その時、わたしは絶頂に似た快感をおぼえるの。世間から求められる姿と真逆であるわずかな背徳感と、その高揚感は最高よ」

 ドロッチャは、有栖川の発言を表情も変えずに静聴する。

 だが、文字通り黙って話を聞いているだけで、そこにはなんの共感も軽蔑もない。

 さして彼女には強い印象も残っていないかもしれない。

 まるでお茶の時間に流れる音楽のように。

「コスモスが解放しているのは、ストレスなの? それともあなたの心?」

 カップを一旦置いたドロッチャは、敢えて有栖川の闇に踏み込む。

 それに対して、彼女は語るうちに徐々に表情を歪めていく。

「世間が勝手にわたしに与えるイメージかしら? 皆が立派だ、真面目だと言い続けると、その期待に応えなきゃいけない。じゃあ、そのわたしのストレスを皆は理解していると思う? 好き勝手なことを言うわりに、成績が落ちたり、所作が乱雑だったり、いい子でなくなった時に、勝手に幻滅するでしょ? 本当にウンザリするわ、そういうの。だからわたしは自分なりに世間に対して折り合いをつけているのよ」

 いつもドロッチャとともに飲むストレートの紅茶がまるで渋く苦みばしったように、有栖川は歯を食いしばると、角砂糖を追加した。

「木下くんと一緒になるまでは、わたしは負けない。三枝さんにも世間にも。自分が欲しいと思うものを手に入れるために、世間が望む姿を維持するために、裏でどれだけの努力をしているか。わからない愚か者は一生わからなくていいわ」

 有栖川はぐいっとカップの紅茶を飲み干すと、ベッドに倒れ込む。

 ドロッチャも彼女の述懐を聞いているうちに、すっかりと冷めてしまった紅茶を飲み残してカップを置く。

「まったく、不味まずいですわね。今日の紅茶は……」

 紅茶の表面に映る自分の姿を消すように、ドロッチャはカップを揺すった。

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