四十五日目:剣の道に生きる魔女 第四話
学内スポーツ大会を翌日に控えた金曜日。
放課後での教室では亜耶が陸上部に向かう準備をしながら、洋一に声を掛ける。
「じゃあね、洋一。今日も剣道を頑張ってね」
「えっ? なんで亜耶がそれを?」
「だって、あんなに頑張ってたんだから、せっかくなら結果を出したいじゃない。剣道がイヤになるまでとことんやってみたら?」
手を振って別れる亜耶の姿を見送りながら、洋一も首を傾げる。
すでに雪の魔法によって、今日は全校生徒から自分が剣道部で練習をしていたという事実が消えているはずであった。
「なんか聞き間違いだったのかな?」
カバンを持って電算部へ向かおうとする洋一に、こんどは木下が呼び止める。
「榊原くん。今日は剣道部へ来ないのかい? あれだけ頑張っていたんだ。明日のスポーツ大会は残念だけど、いっそのこと、このまま入部したらどうかな?」
「えっ? 木下くんまでなんでまた……今日はちょっと帰ろうと思うんだけど」
「なんだ、もったいないな。あんなに頑張っていたのにこのまま辞めちゃうのか? 練習がしんどかったかい? せっかく対決をしたかったのに残念だ。それじゃ」
落胆した、というよりは呆れて去っていく木下を見て、洋一はいよいよ頭を混乱させる。
「お雪がまた魔法を失敗したのかな?」
洋一は頭を掻きながら、改めて電算部へ向かう。
部長や部員のメンバーはいつものように、パソコンを前に歓談している。
「おぉ、久しぶりですな、榊原氏。ここ最近は来られなかったですな」
「えぇ、そうですけど……理由はご存知ですよね?」
「なんだ、また三枝さん絡みかね? まったく幼馴染チート属性のリア充というのは大したものですな」
電算部のメンバーは剣道に打ち込んでいた真相を知らないようで、純粋に電算部に顔を出さなかったという事実のみを把握していた。
そこで先日、階段で立ち話をした同学年の部員に話しかける。
「最近は、なんか学校の裏SNSに書いてあったかい? その……僕のこととか」
「えっ? 榊原くんはまるで催眠術で武士みたいに落ち着いてテストの成績を伸ばしてた、とかくらいは書いてあったかな?」
「それよりもちょっと後の、魔法少女の話ってどうなってる?」
「さぁ……それっきりこの街には現れてないみたいで、新しい話は聞かないけど」
皆はスポーツ大会に関する記憶だけを失ったことで、現実世界は巻き戻り、洋一や木下の剣道対決に関する書き込みは全て消えていた。いや、無かったことになっていた。
『なんだろ、お雪の魔法にムラがあるのか……変な感じになってるな』
亜耶と木下に残る記憶。
懸念事項ではあるがとりあえずの不安は消えたことで、洋一は会話もそこそこに、電算部を早々に退散した。
自宅に戻ると、雪とドロッチャがアフタヌーンティーをしている。
「おぉ、帰ってきたな、洋一。いよいよ明日だぞ。さっそく取り掛かるか」
だが、スポーツ大会のプリントを持ち帰ったあの日よろしく、話しかけても反応の薄い彼の様子を不審に思い、雪はまたも眉を寄せる。
「なんかさ……亜耶と木下は、今までの剣道部で練習してたこと知ってるっぽいんだよ。でも他の生徒はちゃんと忘れてるみたいだし……どういうことなんだろ?」
それを聞いた雪はドロッチャの顔を見るも、彼女は平然とお茶をしている。
「ドロちゃん、お前なにかしたな?」
「あら、わたくしがユキとヨーイチの『契約』に関して、何か邪魔をしたかしら?」
「まったく貴様は……洋一、行くぞ」
ドロッチャを睨みつけていた雪だったが、気持ちを切り替えて洋一と庭に向かう。
「ともかく、明日は予定通りだ。魔法でお前を剣道の試合にねじ込む。これまでの練習の成果を出して、思い切りやってこい」
今日はもう雪の魔法は使えない。
軽めの柔軟体操や足さばきのほか、雪が打ち込む竹刀をただ避けて受けて払うだけの練習だ。
魔女と契約をした召喚主ならば、触れることも竹刀を打ち合うこともできる。
課題は動体視力の鍛錬。
雪が鋭く振る竹刀はまだ避けきれない洋一だが、明日に備えて体力を極力温存し、肉体的ダメージを蓄積しないようにするのが目的。
そこはさすがの元・剣術師範の娘だった。
彼の身体に竹刀が直撃する寸前で、雪はぴたりと手を止める。
「ダメだ! もっと切先と相手の動きを見ろ!」
雪と対峙している洋一は、ひたすらに竹刀を避けて受けて払い続けるだけ。
彼から攻め込むことはせず、相手の剣の動きだけをじっと見た。
やがて日没も近くなり、空が徐々に暗くなっていった頃。
庭に面した道路から聞き慣れた声がした。
「こんにちは。もしかして、そこにいるの洋一くんですか?」
亜耶が塀の向こうから呼び掛けていた。
「あれ、亜耶。もう部活が終わった時間なんだ」
「やっぱ洋一だったんだね。剣道部の道場を覗いたんだけど、洋一がいなかったからさ。そのまま帰ってきたら、なんかお庭から物音が聞こえたから。ちゃんとおうちで自主練してたんだね」
洋一が無言で塀の反対側にいる亜耶を指差すと、雪も呆れとともに同調した。
明らかにドロッチャによる妙な魔法の妨害が入ったであろうことは、これでわかったからだ。
「ちょっと、待っててくれよ。すぐそっちに行くから」
洋一は慌てて靴を抱え、リビングから玄関へまわる。
「ごめん、遅くなって」
「すごいじゃない、ホントに家でも練習してるんだね。ビックリしちゃった。武道場に洋一はいないし、副顧問の藤堂先生も急に退職したみたいだったから。でも親戚なら、いつでも先生がトレーニングしてくれるんでしょ? これからも剣道を続けるの?」
「いやぁ、ホントにこのスポーツ大会までだよ。最初から雪ともそういう約束だったからさ」
自分と同じように名前で呼ばれるほど、彼にとって近しい女性。
亜耶はほんの少しだけ下唇に力を入れた。
「でも、もったいなかったね。せっかく洋一がこんなに練習したのに、スポーツ大会は剣道で出られないなんて」
「もし、剣道で出てたらさ……木下も剣道部じゃん。たぶんあいつも……剣道にすると思うんだけど、対決できたら同じクラスの亜耶はどうするかなって……」
途端にくすくすと笑いだす亜耶に、洋一はわずかに腹を立てて見返す。
「なんで? 木下くんは剣道に慣れてるし手強いだろうけど、ちゃんと洋一を応援するよ」
「そっか……そうだよね、はは……」
洋一は心底、喜んだ。
木下に並べて比べられたら敵わないが、自分が亜耶の近くに居ることで防波堤になっていると勝手に思い込んでいたが、亜耶は自分だけを見てくれているということが、何より嬉しかった。
「じゃあ明日、バレー頑張ってね。時間があったら、あたしのリレーも見にきてよ」
「もちろんだよ、それじゃ」
互いに握り拳をぐっと重ねて、健闘を祈り合う。
「どうだ見たか? 余計なのだ、ドロちゃんは。ああして洋一と三枝亜耶は互いに心を通じ合わせているのだ」
「あら、好転したのはわたくしの魔法のおかげかも知れませんわ」
竹刀とほうきにまたがって上空をただよう二人は、あいさつを終えて別れていく洋一と亜耶の姿を見下ろしていた。
ついに学内スポーツ大会、当日。
夜明け前に雪は魔法を使い、剣道に参加する予定の生徒を一名、洋一に変えた。
朝を迎え、登校すると各種目の出場生徒が貼り出されていた。
そこに木下が声を掛けてきた。
「おはよう。やっぱり剣道の出場メンバーが榊原くんになってたね。どういうことなんだか僕もよくわからないけど……ともかくも、対戦できたら嬉しいよ。正々堂々よろしく」
他の女子の視線を前提にしているのか、隣りにいる亜耶を意識しているのかは不明だが、彼は洋一に握手を求めてくる。
朝から隙のない爽やかなイケメンを見て嫉妬しつつも、男から見ても羨む容姿に、洋一はぼんやりと口を開けていたが、亜耶に小突かれて慌てて握手を返す。
「でもホント、洋一が剣道に出られるようになってよかったね。人数調整がうまくいったのかな?」
「うん、そうかも。そりゃまぁ嬉しいよな……」
洋一が窓の外に視線を送ると、当人よりも開会を今や遅しと待ちわびる、魔女たちが手を振っていた。
全校生徒が校庭に整列すると、校長により開会が宣言され、各競技に別れる。
洋一は武道場に向かい、防具を身に着けた。
学年混同のメンバー構成になり、さらに戦力バランスを考慮して、各チーム五名のうち剣道部員が入る枠は数人のみと決められていた。
先鋒から大将までを選んで対戦を繰り返し、先に五敗したチームが敗退。
勝利したチームが次へと進んでいく、勝ち残り戦。
審判を務める顧問から、最初の対戦開始が宣告される。
どのチームも先鋒・次鋒はたいていが未経験、もしくは元経験者というレベルの部外の一般生徒による試合が続く。
中堅以降の剣道部員同士の対戦となると試合は熱を帯び、観戦する生徒たちも俄然、盛り上がる。
ドロッチャは道場の上部にある神棚に、お構いなしに腰を降ろして試合を見守るが、剣術道場出身で日本人の雪は、その付近を竹刀に乗って浮かんでいた。
「あぁ、真剣な男たちが息を乱しながら、長くて堅いモノを握って全力で競い合うなんて、胸が熱くて興奮して……なんだかわたくしも濡れてしまいますわ。ほら、掌にこんなに汗が」
「我々の声は洋一に聞こえるのだ。あやつを混乱させるのではない!」
魔女たちがそんな雑談をしている間に試合は進み、やがて洋一の参加するチームの出番となった。
「うむ? ドロちゃん、ついに洋一たちの試合が始まるぞ」
「つっ……ついにヨーイチの順番ですのっ?」
すると突然に、雪よりも興奮したドロッチャが洋一に向けて絶叫をする。
「負けることをこわがるのはおよしなさい! たとえ負けてもわたくしは、あなたに責任をおしつけたりしない。それより力を出しきらないプレイをすることこそを恐れなさい!」
「どうした、ドロちゃんよ?」
「ユキ……いいえ、藤堂さん。いま最も彼を傷つけるのは同情や憐れみよ」
「お前は波打った癖毛の金髪でハンガリーの侯爵の娘というだけであろう! 洋一はエースをねらっているわけではないのだ、落ち着け!」
洋一チームは剣道部員が二名。幸いにも仮入部で個人指導してくれた副部長が混ざっていた。
だが彼のチームには一年生が二名いたので、二年生の洋一はそのまま中堅となってしまった。
対する相手チームに剣道部員は三名。大将には剣道部長、そして副将には偶然にも同じクラスの木下。
観戦する生徒たちの下馬評では、戦力差は歴然であり木下チームの圧勝だろうと思われていた。
まずは先鋒どうしの対戦が始まる。
両チームとも一敗し、次鋒どうしの対戦では洋一チームの生徒が破れた。
いよいよ、中堅の洋一の出番となった。
防具の奥から、緊張の眼差しで相手の次鋒を見ていると、副部長が励ましに洋一の肩をたたく。
彼にはすでに記憶が無いにしても、指導してもらった日々の感謝を洋一も思い返す。
「ヨーイチ! ここで一気に男をあげたら、わたくしから夜のご褒美ですわよ!」
「落ち着け、洋一! 相手の刀をよく見るのだ!」
お互いに剣道は未経験とはいえ、こちらは二週間弱の修行がある。
洋一が緊張で震える指先にぐっと力を入れると、互いに礼をする。
審判を務める教員の合図で、竹刀を構えた。
「はじめっ!」
相手の生徒は短期決戦とばかりに、すぐに駆け寄って振りかぶってくるが、雪との修行のおかげか、造作もなくそれをかわす。
一気に胴に竹刀を入れる。
その後も、難なく次の一本を取り、相手の次鋒を討ち取った。
「見事だ! 落ち着いて良く見た! 頑張ったな!」
「ヨーイチ、すごいですわ! 口だけの男じゃなくなりましたのね! では次に勝ったら、ご褒美でわたくしが口だけでする女になって差し上げますわよ!」
次の相手の中堅は、剣道部員の後輩だ。
仮入部のときに一緒に部活をしたが、四月に入部した彼のほうが剣道の練習は二か月ほど早い。もしかしたら中学以前から剣道をしていた可能性もある。
固唾を飲み、相手を見据える洋一。
試合開始の宣告がされる。
やはり日頃の部活で慣れているぶん、後輩部員は細かく打ち込んでくる。
だが、彼の太刀筋は雪の比になるものではなかった。
相手の竹刀の切先を難なく避ける。
そして、がら空きになった小手や胴に打突を決めていく。
主審が右手の旗を上げて、洋一の勝利を宣告する。
未経験者を自称していた洋一が一年生の部員を破るという思わぬ結果に、歓声をあげる道場の見物人たち。
「たいしたものだ! ここまで腕を上げるとはな。洋一、いいぞ!」
「ヨーイチ、次は口だけじゃないですわ!
熱気に当てられ、ドロワーズを脱ごうとするドロッチャを雪が制止した。
相手チームの副将、同じクラスの木下が前に出る。
互いに目を合わせるが、木下は余裕の笑みを浮かべていた。
彼を意識すると、先程よりも指先が震えてしまい、洋一は強く拳を握る。
それを見物していた彼のファンクラブから、歓声が上がった。
こちらの応援団は見えない魔女ふたりのみ。
対して、向こうは数多くの女生徒が見守る。
ここで情けない姿を見せると、亜耶に嫌われてしまう。しかも相手は亜耶に好意があるという木下。彼には絶対に負けるわけにはいかない。
大きく肩で息をすると目を瞑り、緊張をほどこうと、洋一は努めて冷静に振る舞う。
一方その頃、校庭にあるマラソン用トラック。
順当に予選を勝ち進んだ亜耶のリレーチームは、決勝までしばしの休息の時間だった。
そこに仲良しの女生徒が駆け寄ってくる。
「ちょっと、榊原くんと木下くんがこれから剣道場で対決するらしいよ! 亜耶、はやく見にいきなよ!」
「うそっ! ごめん、少しいなくなるからっ!」
慌てて駆け出した亜耶は、剣道部の道場へと向かった。
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