四十五日目:剣の道に生きる魔女 第一話

 六月の第二土曜日は、恒例の学校イベントであった。

 それは学内スポーツ大会。

 普段の体育の授業とは異なり、全校生徒が各種競技に参加して、学年ごとに優勝クラスもしくは個人での成績優秀者を決めるものだ。

 それを通知する案内のプリントがホームルームに配布された。

 そこには自分が参加を希望する競技を選択して返却しなければならない。

 運動が苦手な洋一には、年一回といえど苦行ともいえるイベントなのだった。

「はぁ。亜耶はいいよな、陸上部だから。短距離走かリレーに出られるだろ? 僕はなんにも得意なものがないからな」

「洋一は去年のスポーツ大会はなんに出たんだっけ?」

「卓球だよ。五人チーム対抗の総当たり戦で、五回やって全部負けたけどね」

 それを聞いた亜耶も、昨年の彼の成績を思い出したようで苦笑する。

 なにせ洋一の卓球チームは早々に敗退し、いつの間にか校庭で、順当に勝ち進んだ亜耶のいるリレーチームの応援をしていたくらいだ。

「じゃあ、あたしと一緒にリレーやる?」

「ダメだよ! リレーとバスケはスポーツ大会の花形じゃないか! そんな中に混じって迷惑かけらんないって」

「クラス対抗なら勝ちにいくために総力戦になったりするけどさ、運動部の子も普段からずっと同じ練習ばっかりだから、敢えて違うスポーツしたい子もいるんだよね。それに大会を盛り上げるために、運動部は部員の半分しか自分とこの競技に参加できないルールで成績を均等にしてるんだもん」

 それゆえ運動部でない洋一は、どこの競技に参加しても苦戦を強いられるのだが。

 敢えて他のスポーツもしたいだなんて、運動音痴の彼には気の知れない話だ。

 そんな二人の会話がひと段落したところで、他の女生徒が亜耶に声をかける。

「ねぇ、亜耶は今年も陸上のリレー出るの? 一緒にバドミントンやらない?」

「やっぱ三枝さんには、水泳のメドレーに出て欲しいのよね」

 わいわいと女子に囲まれる亜耶に、洋一はすっかり蚊帳の外。

 かと言ってテスト前後になっても、クラスいちのイケメン木下のように勉強の相談をされるということもなく、地味とは無色透明な個性なのだろう。

「まだすぐ提出ってことじゃないから、しばらく悩んでもだいじょうぶか」

 誰にともなく独り言をいいながら、静かにプリントをカバンにしまう洋一だった。


 放課後、洋一は部活に向かう亜耶と別れて帰宅した。

「帰ってきたな。学校はどうであったか」

 雪に対する反応も薄く、洋一は力無く座りカバンからプリントを出した。

 そんな彼を不審に思い、雪も手元の紙を覗き込む。

「なんだ、スポーツ大会……? 学内での運動か?」

「そうなんだよ、毎年これに出るのが億劫でさ」

「ちょっと見せてみろ」

 雪が洋一から預かったプリントを見ると、実施予定の競技が一覧で記載されており、さらに下段には参加希望の競技、出席番号、氏名を書く枠があった。

「三枝亜耶はどれに出るのだ? 同じ競技に出ればよいではないか」

「亜耶はリレーだけどさ、僕も誘われたけどダメだって話をもうしたの。すごい足の早いやつばっかりだし、人気の競技だから。足を引っ張れないよ」

「何を怖気づいているのだ。臆せずリレーに出れば、あの娘と接近できるではないか」

 呆れたようにプリントを見直した雪は、ある文字を発見して笑みを浮かべる。

 すると洋一の机の上にあったペンを取り、勝手になにかを書いていく。

「ちょっと、お雪! なにしてんだよ!」

 そこに書かれた文字は、剣道。

「剣道なんかやったことないって。また今年もおとなしく卓球でいいよ」

「何を言うのだ。剣の道だったら私が教えられるぞ」

「はぁ? だってスポーツ大会は来週の土曜だよ? 今から始めて間に合うわけないじゃん」

 突然に雪が洋一めがけて竹刀を放るので彼も咄嗟に目を瞑ったが、無意識に動いた両手は顔前でしっかりと竹刀を掴む。

「以前、何度か魔法で災難にあっていたところを見たが、なかなか洋一は勘と反射神経は良いみたいだな。運動は練習と慣れだ。天性の才能や技量などは無い。運動音痴だなどというのは、秘めた力をまだ磨いていないだけだ」

「魔法でパッと身体能力を上げてくれればいいんだけど?」

「良いのか? 確かに皆は魔法で増強した洋一の姿に感心するであろう。だが、私との契約は残り五十五日だ。すると来年の大会は、お前個人の力でまた同等まで練習する必要があるのだぞ?」

 そう言われると、洋一も何の反論もできず呻き声だけを上げる。

「無事に終わった褒美には、魔法で三枝亜耶がぐっと惚れるような仕掛けを用意してやろう。それまでは私と剣道の練習だ。いいな」

「すごい気乗りしないけど……まぁ仕方ないか。上手い人に教われるんだったら」

「では、早速参る」


 洋一と雪は部屋を出て自宅の庭に降りていく。

「はあっ!」

 雪が魔法スティックを振ると、剣道の防具と竹刀が二セットずつ出てきた。

「そもそも僕は剣道のルールも知らないんだけど?」

「いきなり詰め込んでも大変だろうから、簡単に解説してやろう。おおざっぱに有効な打突は面、胴、小手、突きの四つ。五分以内にこれを二本先制したら勝ちだ」

 雪は竹刀を持つと、張られた弦をつまんではじく。

「これがいわゆる刀であるところの背の部分になるので、この弦が常に上になるように構える。そして弦の無いほうが刀の刃だ。つまり実際の刀だとするならこうだ」

 雪は剣道ではなく浪人の斬り合いのようなポーズを取る。

 弦の張られた側は、洋一に対して背を向けるように構えた。

「剣道では刀の先、つまり竹刀の先端から四分の一までのところで打突しないと有効にならない」

 いまだ気乗りしていない洋一は次々と進められる説明がすんなりと頭に入らず、口をぽかんと開けていた。

「次は禁止事項だ」

 さらに雪は指を順に折りながら、解説をしていく。

「試合中に相手を転ばせたり、自分が倒れたり、互いに場外に出たり、竹刀を落とすのも禁止だ。あとは鍔迫つばぜり合いといって、空虚に試合時間を稼ぐのも禁止だ」

「へぇ、普通の時代劇とか、グラディエーターとかだと、剣どうしがぶつかったまま押し合うってシーン多いけどね」

「あれは実際に斬られまいとする命のやり取りだからだ」

 さらに、雪は竹刀をまっすぐ構えると、わずかに片足を前に出して前方に重心を置く。それからさっと竹刀を振り下ろした。

「有効な打突とは、充実した気勢、適正な姿勢で、正しい方向に竹刀を振り、正しい位置で打突する、つまり先端の四分の一までで元気よく打突せよ、ということだ」

 すると洋一にも同じ動きを促す。

 彼も見よう見まねで、ひょろりと竹刀を振り下ろした。

「充実した気勢、たとえば今の洋一のようにふにゃっとしたりオドオドしたり、なよなよした声であったり、まぐれ当たりをして、やった斬ったわーい、などとはしゃぐと一本とならぬ、ということだ。あくまで剣道は適正で健全なスポーツなのだ」

 今度は用意した竹刀をゆらゆらと振る雪。

「これが高校生用の竹刀だ。男用と女用で重さが十六もんめ……およそ六十グラム違うのだが、私は実際の真剣を持っていたくらいなので、洋一と同じものを使用する」

「いや、それでもこれを構えたり振ったりするのって、すごい大変そうだよ」

 雪と同じように竹刀を手首で振ってみる洋一だったが、彼の華奢な腕はとても重量を支え切れずに、切先はへろへろと虚空を舞った。

「ではまず最初の打突、面だな。振り下ろす動作をしてみよ」

 雪からの指示で洋一も竹刀を構えると、一気に縦に振る。

「えいっ!」

「切先が震えているな。声も腹から出せ。もっと手首を固定して、五本すべての指に力を入れてサッと下ろしてみろ」

 洋一も何度となくやってみるが、上手くいかないのか雪も納得しない。

「仕方ないな、目に見えるように相手を作るか」

 雪は庭にある物干しざおを縦に突き立て、そこに防具の面を被せる。

「あれが相手の頭だとするな、そうしたら……」

 指導に熱心になるあまり、雪は洋一の背中から両腕を回す。

 途端に背後からふわっと女の子の香りがする。

 竹刀ごと手を握られると、江戸時代生まれにしては豊かな胸が背中に当たった。

「もう違っているぞ、この弦がある方が上だと言ったであろう」

 ほぼ同じ背丈の雪の、静かで低めの声が洋一のすぐ耳元で聞こえる。

 彼の手をぐるっと捻り、竹刀を回転させると、さらに密着する上体。

「それから、このように構えて、切先をよく見て……」

 雪が竹刀の先を固定するように力を入れると、背中に強く当たる柔らかい感触。

 彼女の両腕も両肩も、ぴったりと洋一に添えられる。

「こういう感じでまっすぐに……こうだ」

 ゆっくりと竹刀を下ろすと、乾いた音と共に物干しざおの防具に当たった。

「どうだ、わかったか?」

「ありがとうございます!」

 妙に素直に礼をのべる洋一に、剣術のすばらしさを理解してもらえたかと、雪も満足げにうなずく。

「これはすごくいい……いや、すごく上手くいきそうな気がする。ねぇ、お雪。来週のスポーツ大会に備えてもっと僕に指導してよ」

「うむ。それにはまず素振りだ。さらに基礎体力も無ければ五分の試合も持つまい。走り込みをするぞ。加えて夕食後は筋肉を鍛錬するがよい」

「……そ、そんなに?」

「スポーツ大会は来週の土曜日であろう? 特急訓練だな」


 翌日。

 はやくも全身の倦怠感と筋肉痛に見舞われた洋一は、力無く歩く。

 いつも以上に背を丸めていた彼の姿を見た亜耶が、朝の挨拶をしてきた。

「おはよ、洋一。スポーツ大会の競技は決めた?」

「なりゆき上ね……剣道になっちゃったんだよ」

「うそっ! どうして急に?」

「親戚の……といっても、亜耶もたぶん知らない遠い親戚の人が近くに住んでてさ。その人は剣道が上手いから、ぜひ僕もやれってことになって……」

 彼の指先にはすでに、いくつものばんそうこうが貼られている。

「僕はなにもスポーツしてこなかったから、皮がよれてマメだらけでさ……キツいなほんと」

「でもすごいね、頑張ってよ。リレーの無い時間は洋一のこと見にいくから!」

「いや、一週間じゃ無理だって。あまり亜耶に情けないところ見られるのもさ……」

「洋一がスポーツに目覚めてくれたのは嬉しいよ。じゃあ、あたしも勉強を頑張らないと洋一とおんなじにはならないね」

 自分と同じになるとは。

 その発言の意味をあれこれと勘繰り、胸を躍らせる洋一。

「とりあえず、僕も頑張ってみるよ。やるだけやってみるけど」

 亜耶は彼の背中を大きく叩いて、気合を入れた。

「よく言った! 頑張ってね」


 放課後。

 自宅でいつものように雪との練習があるので、洋一は帰宅の準備をしていた。

 すると上下ジャージ姿のすらりとした長身の女性が廊下に立っているのが目に入った。

 それは雪だった。

 珍しく和装以外の服を着て学校に遊びにきたのか、と洋一も声を掛けようとした。

「あ、藤堂とうどう先生。こんにちは」

 突然に他の生徒が雪に声を掛けたので、洋一も仰天して雪の顔と生徒を二度見する。

「ゴホン……あー、榊原くんはいるか?」

 驚いて微動だにできずにいると、雪は彼の姿に気づき、笑顔で手招きする。

 それから二人は、並んで廊下を歩いていく。

「ちょっと、なんでお雪が学校にいるんだよ。しかもまた姿を見せちゃってさ」

「どうせ毎日、魔法で道着や防具を出すくらいなら、架空の存在を仕立てる幻術を使ったほうが楽だ。より大勢の剣道部の生徒たちに揉んでもらう」

「マジでっ? 剣道部で修行するの?」

「最終日にはちゃんと魔法で剣道部の記憶も消しといてやる。連中も半数はスポーツ大会でも剣道を選択するだろうからな、強敵揃いだぞ?」

「そう言えばさ、さっきの藤堂先生ってなによ?」

 足早に廊下を進んでいた雪が、突然にぴたりと立ち止まる。

「まだ言ってなかったか。魔女になれば苗字などは不要だからな。私の名は藤堂雪。江戸は日本橋、茅場町にあった剣術道場の師範、藤堂虎太郎こたろうの娘。今はこの学校の体育の臨時講師で、剣道部の副顧問という設定だ。頼んだぞ」

 それからまた、つかつかと歩き始める雪の背中を見て、洋一も愕然とした。

 あとは、マンツーマンの密着指導が無くなったのも、やる気が削がれた一因だった。

「ほれ、早くしろ」

 雪の声に追い立てられるように、小走りで駆けていく洋一。


 やがて到着したのは、剣道部と柔道部が使用する畳張りのふたつの武道場。

 その片方に入ると、生徒たちが雪に一礼する。

「藤堂先生、よろしくお願いします!」

「皆に紹介だが、ここに仮入部希望の者がいる。よろしくしごいてやってくれ」

 挨拶をうながしても、いまだもじもじとする洋一の背中を強めに叩く雪。

「あ、えっと、二年の榊原です。ぜひ見学させてください」

 部員たちは面を外すと、一様に礼をしてくれた。

「剣道は礼節を重んじる。洋一……榊原くんもくれぐれも気をつけること」

 だが、防具を取った部員の中に見慣れた顔を発見して、洋一も息を呑む。

 それは同じクラスの人気者、木下であった。

 細身で端正な顔立ち。そして汗をかいて髪を湿らせた様子はまさに画になる男で、洋一も文句のつけどころの無い木下の貴公子ぶりを見て、委縮する。

 だが、それでもさすがは女子人気の高い好青年。

 笑顔で寄ってくると、洋一に握手をする。

「まさか、榊原くんが剣道に興味を持ってくれるなんて嬉しいよ」

「はは……よろしくお願いします」

 防具のない木下の素顔を、女子マネージャーや見学の女生徒が恋焦がれた瞳で見ていた。


 さっそく部員の練習が始まるが、洋一には三年生の副部長が個別指導をしてくれることとなった。

 まずは剣道部での一日の基本的な部活の流れ。競技のルールから教わる。

 防具の着け方、手入れの方法なども。

 洋一が副部長の指導のもと、実際に防具を装着するのを雪が見守る。

「防具は身を守るだけでない。キチンと着けないと美麗に見えず格好悪いぞ。榊原くんもよく慣れておくことだ」

 全ての防具を着け終えると、洋一の足腰にずしりとのしかかる重量。

 洋一は面の隙間から、弱々しく雪や副部長を見る。

「これで動くことができると思えないんですけど」

「榊原くんはこれから通学カバン以外に、五キロの負荷をかけたリュックで登下校するがよい」

 さらには、練習前の基礎的な柔軟体操や足さばきの実技が続く。

 大粒の汗を流しながら肩で息をする洋一は、早くも音を上げるように恨みがましく雪を見る。

 だが、彼女に鼻で笑われたような気すらした。

 すでに他の生徒は実戦的な打ち合いの練習を始めており、洋一の個別トレーニングの間も、道場には竹刀の乾いた音が響く。

 それからおよそ、三時間後。

「本日の練習は以上」

 部長の号令により、全員が畳に正座したのち一斉に礼をする。

「どうであったか、榊原くん? 剣道部に入部するかね?」

 不敵な笑みで茶化してくる雪を見返す気力も無く、洋一は全身で荒い呼吸をする。

「持たないような気がします……」

「まぁよい。仮入部の間だけでも、しっかりと稽古をつけてもらうんだな」

 ぐったりとうなだれる彼の視界から、雪の下肢は畳を擦る足音も立てずに静かに消えていった。

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