三十九日目:雪は魔法少女? 第一話

 洋一の部屋では、魔女のために用意したカーペットに置かれた丸テーブルで、頬杖をついたシャルロッテが腐っている。

 少し癖のある赤毛をさらに指先でくるくると丸めながら、中空に視線を彷徨わせては、何度となく溜息をつく。

 自身を魔女に登用した張本人であり、彼女と仲良しであるはずなのに、雪にしては珍しくシャルロッテをほったらかしにして、庭で日課の鍛錬をしていた。

 そこに帰宅した洋一は違和感ある光景を目の当たりにして、声を掛けるべきか悩んでいたが、黙って通学カバンを置くとイスに座る。

「ぬはぁ……どうしたらいいのかな?」

 いかにも構って欲しいと言わんばかりのシャルロッテのひとり言を洋一も無視して、明日の宿題に取り組もうと机に向かった。

「どうしたらいいと思う、ヨーイチ?」

 名前まで出されたらこれ以上の放置は難しかろうと、洋一も諦めて返事をする。

「ロッティこそどうしたのさ。お雪もいないのにこんなとこでサボってて。協会から怒られるんじゃないの?」

「そうじゃないって。あたしは真剣に悩んでいるっていうのに、ホントにもう、北斗二号函館ゆきだよ」

「冗談を言う余裕あるなら、まだロッティはだいじょうぶそうだね」

 シャルロッテの相手をするのをやめて、改めて机に向かい直す洋一に対し、彼女はすがるように彼の腕に掴まる。

「うそうそ、ごめん! ちゃんとするから相談に乗ってよ!」

「……んもう、いったい何なのさ。そもそも僕は魔女と契約中の単なる人間だよ? ロッティのお願いを聞ける立場じゃないんだけど」

「これ見てちょんまげ……あっ、今のも無し! これ見てよ」

 シャルロッテが差し出したのは、一枚の羊皮紙であった。

 紙面のインクが細かく蠢くと、ドイツ語とおぼしき文字だったものはみるみる洋一にも読める日本語へと変換されていく。

 それは以前、サマンサが雪に送った手紙と同じ仕組みのようだった。

「えっと……『新規魔女獲得強化月間』? どういうこと?」

「要するに、新しい魔女を増やすために逸材を探しなさいってことなのね。あたしの在籍する人事部の査定部隊にいる他の仲間にも一斉通達があったのね。仲間も世界中あちこち飛び回ってるんだけど、あたしはせっかくだから穴場狙いで、ユキの次に来る東洋の魔女がいないかと思ってここで頑張ってるんだけどね」

「そうなんだ。大変だね。僕も勉強を頑張るからさ」

「いや、ちょいちょい。それで終わりっ?」

 話を切り上げて勉強を再開するために椅子を回す洋一を制止しようと、シャルロッテが背もたれを強く押すと、彼の身体は椅子ごとピタリとシャルロッテの正面で止まる。

「ヨーイチはあたしのこと嫌いなの? 日本はライバルの魔法少女協会が強いって前に言ったじゃない。だから、敵よりも先回りしていい魔女候補がいないか探そうと思ってたのにぃっ! お願いだから助けてよっ!」

 今まで会った魔女の中では一番若そうに見えて、かつ天然なのか計算なのか、同じベッドに寝てきたり腕を掴んできたり、距離感も非常に近いシャルロッテは潤んだ瞳で洋一にしがみついて食い下がる。

 困ったように洋一もシャルロッテの顔を見下ろすが、ゆったりとした白のブラウスから彼女の胸元がわずかに見えると、にわかに顔を赤らめて、無下にするのを気の毒に感じてしまうのだった。

「あのさ、だったらお雪に相談してみたらいいんじゃないの?」

「だからユキにも聞いたってば。そしたら『私は現代の事情に詳しくないので洋一に聞いてみてはどうだ?』とか言い出すんだもん。だからこうしてヨーイチに聞いてるんだってば」

 声を落としたり表情や仕草をころころ変えて、雪のモノマネをしながら必死に説明をしているが、どうしても洋一にはふざけているように見えてしまうのが、彼女の残念なところであった。

「別に日本人の魔女じゃなくてもいいじゃん。なんでこっちで探してるの?」

「ユーラシア支部も拡大してきたから、アジアとヨーロッパに分けられないかって話も出てるんだよね。でも、東洋の魔女ってまだユキだけでしょ? アジア支部って分区するには、ちょっとメンバーが足りなさすぎるから、ここで一気にメンバーを増やせば、あたしの査定も良くなるのよ。お願いだからヨーイチ、一緒に魔女さがしてよぉっ。臨時ボーナスが出たら、ゼッタイにヨーイチに還元するからさぁ」

 必死に懇願するシャルロッテが腕に抱き着いてくると、見た目は雪ほどではないが、ドロッチャや亜耶よりは豊かな胸の感触が彼の身体に伝わる。

 これをドロッチャのように計算でしていれば本物の魔女だが、シャルロッテには他人にそう思わせない無垢な幼さ――ある意味、無神経な幼稚さ――もあり、健全な男子、洋一は簡単に心を揺さぶられていった。

「……僕じゃ大した力になれないかもしれないよ?」

「さすがヨーイチ! ありがとーショコラに粉砂糖てなことでよろしくね!」

 その時、洋一の部屋のドアを開けて雪が入ってきた。

 日課の鍛錬を終えて、手ぬぐいで汗を拭きながら室内に声を掛ける。

「どうだった、ロッティよ。洋一もさすがに困っていたであろう?」

 ところが、雪が室内で見たのは、嬉しそうに洋一の腕に掴まるシャルロッテの姿であった。

 その胸をばっちりと彼の腕に押し付けながら。

「あっ、ユキ。ヨーイチも協力してくれるってさ」

 すると雪はわずかに眉を寄せるも、何もない風を装ってうなずいた。

「うむ、そうか……洋一もお前自身の三枝亜耶と恋仲になるという契約の達成もあるのだが……ロッティは私の大切な友でもある。助けてやってくれ」

「うん、ごめんねユキ。ヨーイチのこと借りるからね」

 シャルロッテは雪に笑顔を向けると、小さなポシェットからフレームの厚い丸レンズで冴えないデザインの眼鏡を取り出した。

「ロッティって目が悪かったの?」

「ちがうよ、これは『魔女判定メガネ』だよ。これで、基礎能力の高い魔女っ子を探して声を掛けてるんだよね」

「お雪の時もそれ越しに見てから声を掛けたの?」

「そう。でもユキの時は単に、女の子にしては超人離れした体力や剣のスキルに反応しちゃったみたいなんだけどね」

「だとしたら、あんまり参考にならないなぁ……」

 シャルロッテは両手の親指と人差し指で円を作ると、自身の両目のレンズの前にくっつける。

「というわけで、ヨーイチ。さっそく魔女っ子探しに、れっつらゴーだよ!」

「いや、今日はもう学校から帰ってきたから。だったら明日、一緒に学校に来なよ」

 洋一も困惑した様子で雪の顔を見る。

 だが彼女は洋一に対して何の反応をするでもなく、早々にクローゼットの中に隠れてしまった。


 翌朝。

 いつものように亜耶と玄関前で合流してから、学校に向かう洋一。

 その脇には、シャルロッテが一緒に歩いていた。

 彼女は査定業務が中心で長距離移動をこなすために、ほうきよりは魔法陣での移動を続けるうちに、単独のほうき乗りが下手くそになってしまったとのことだった。

 確かに洋一も、雪の竹刀に同乗した彼女の姿しか見たことがない。

 やがて教室に入ると、洋一と亜耶はそれぞれの座席に着く。

 その間もシャルロッテは廊下から学内じゅうの女生徒を細かく見回していた。

 亜耶の周りに女友達が会話にやってきたタイミングで、洋一は廊下に出てシャルロッテに声を掛ける。

「どうかな、ロッティ。それっぽい女の子はいた?」

「そう簡単にはいないね。むしろ強いて言えばアヤだよ。というか、ゼッタイにアヤは魔女の素質あると思うんだよね」

「はぁっ、亜耶? ダメだってば。それってお雪と一緒で、陸上部だから体力あるってだけでしょ? だいいち亜耶が魔女になっちゃったら、僕と付き合うって契約はどうなるのさ。僕だけ死んじゃうじゃん」

「ちゃんとヨーイチと付き合ってから魔女にさせてあげるから」

「どっちにしても、亜耶が居なくなるんじゃダメだって。却下だよ」

 洋一が納得しないことに、少しばかり不満そうに上目で睨むシャルロッテ。

 だが視線をさっと廊下に向けると、嬉々としてある女生徒を指差した。

「あっ、ヨーイチ。あの子もいい感じだね」

 それは学級委員の有栖川だった。

「どうしたの、榊原くん。そんなところで。じきに授業が始まるわよ」

 シャルロッテの姿が見えない有栖川は、手ぶらでぼんやりと廊下に立ち、せわしなく周囲を見ている洋一に訝しそうな顔を向けながら、そのまま教室内に入っていく。

「有栖川さんは確かに頭も良くて成績もいいし、運動ならバレー部も兼任してるけどさ。その眼鏡って魔法のスキルとか、魔女らしい才能を見いだす機能ってないの?」

「ヨーイチのお眼鏡にかなわない? なんちゃって」

「ちょっと曇ってるような気がするんだよね」

「じゃあレンズを拭こうっと。ともかく、今の候補はアヤとあの眼鏡の女の子ね。せっかくだしヨーイチの方からもそれとなく聞き出してよ」

「なにをさ?」

「もちろん、本人にやる気が無かったら意味ないもん。魔女とか魔法とか、そういうのが好きかどうかを確認してよ」


 昼休み。

 うさぎのストラップを貰ってからすっかりと仲直りした亜耶は、洋一と昼食を摂るために、イスを反対向きにして、出席番号がひとつ後の彼の机に向き合う。

「あのさ、亜耶って子供の頃に好きなアニメとか漫画ってあった?」

 洋一自身もやや唐突な会話の切り出しだと思ったが、亜耶は日頃の雑談と疑わずに変わらぬ様子で返事をしてきた。

「どうだろ、あたしはあんまりすごく夢中になるっていう程じゃないけど、でも嫌いじゃなかったけどね……洋一のお部屋の漫画ばっかり見てたから、男の子向けのやつのほうが、見てたかな?」

「女の子向けのやつって興味なかったわけ?」

「そうでもないよ。女の子の友達の家に行ったりした時は、一緒にアニメをみてたけど」

 そばで会話をじっと聞いていたシャルロッテが、洋一の肩をつんつんと突いて、もっと話題を掘り下げろとスコップを握るように両手を回転させる。

「どういうやつ?」

「うーん……魔法少女ものとか?」

 その単語を聞くと、シャルロッテは露骨にがっかりする。

「僕は女の子向けのアニメってよくわかんないけど、そもそも魔法少女ものと魔女ものってどう違うの?」

「魔法少女のほうが可愛いじゃない。『魔女』ってタイトルが付いてるものもあるけど、やっぱり女の子はキレイなカッコして悪者と戦ったり、人助けするのがドキドキして楽しめるかな?」

 エプロンのポケットからペンと紙を取り出したシャルロッテは、慣れないローマ字で必死に洋一への指示を綴る。

『マジョ、アコガレルカ、キイテミテ』

 少しばかり視線を反らして溜息を吐いた洋一は、亜耶に向き直り改めて質問をする。

「もし、亜耶が魔法少女とか魔女になれるって言われたら、なってみたい?」

「なにそれ、ハロウィンみたいなコスプレってこと? もう高校生だもん。さすがに恥ずかしいよ」

「違くて、もしそういう魔法が本当に使えたらって意味」

「そうね……洋一みたいに勉強できるようになりたいから、自分のことにしか魔法を使わないかもね」

 シャルロッテは頭を搔き乱して、赤茶色の癖毛をぼさぼさに爆発させていた。

「うん。まぁそりゃ当然だわな……」

 亜耶との無為な会話を切り上げて、弁当を食べ終えた洋一と亜耶。

 すると、すぐ近くにシャルロッテが近寄って来た。

 なんとなく悔しそうに下唇を突き出したシャルロッテは洋一の腕を掴むと黙って廊下まで引っ張っていく。

「ちょっとトイレ行ってくるから」

 亜耶に対して適当な言い訳をしながらも、洋一は後ろに重心を置いて倒れそうなまま、よろよろと歩き出した。

 廊下の隅に立つ洋一とシャルロッテは、互いに腕を組んで頭を突き合わせていた。

「ね、ロッティ? だから亜耶はダメだったでしょ?」

「むぅ……そしたら、ヨーイチ。こんどはあの眼鏡の女の子に声を掛けてよ」

「有栖川さんに? 無理無理。成績もいいから塾だって行ってるだろうし、バレー部に図書委員もやってるんだよ? あんなに忙しそうでマジメな人は、絶対に魔法少女になんか興味ないって」

「んもう、ヨーイチまで! 魔法少女じゃなくて魔女だってば!」


 放課後。

 陸上部に向かった亜耶を見送った洋一は、そのまま図書室へと向かう。

 今日は幸いにも、有栖川はバレー部ではなく図書委員の活動をしていた。

 洋一は貸出カウンターの近くで大きな溜息をつき、悩みありといった芝居をした。

 それに気づいた有栖川が寄ってくる。

「どうしたの、榊原くん。今日も三枝さんとは別行動なのね」

「亜耶は陸上部だからね。僕は帰宅部だし……それよりも、偶然会えたから相談に乗って欲しいんだけどさ」

「あら、珍しいわね。わたしでよければ。できれば図書室だから声は抑えてね」

 洋一は周囲に視線を送ると、静かに語り出す。

「親戚の女の子が中学一年になるのに、まだ魔女っ子になるって本気で信じててさ。どうにかして魔女になる方法を教えろってうるさいんだよ」

 もちろん親戚の女の子の話は、体裁のよい嘘だった。

「まぁ、可愛いじゃないのよ。本人が信じてるうちは、夢を壊しちゃ可哀想よ」 

「有栖川さんは、サンタとか魔女を信じてたのって何年生くらいまで?」

「わたしは小学二年くらいかしらね? でもサンタだけでなく、魔女も心霊現象も信じていたい人に年齢の上限は関係ないんじゃないかしら。人生の彩りよね」

「へぇ……じゃあ有栖川さんも、もし魔女とか魔法少女になれたら、なりたい?」

「嫌ね。それこそ、小学生や中学生ならともなく、今この年齢で笑いものになるのは御免だわ」

 にべもない返事で断られたシャルロッテは、肩を落として図書室を出て行く。

 洋一は有栖川に礼を伝えると、急いで後を追った。


 ちょうど校門のところでシャルロッテはうつむき気味に座り込んでいた。

「だから言ったじゃん。亜耶も有栖川さんも無理だって」

「んもう、ぜったいアヤか眼鏡の子ならいけると思ったのにぃ……だいいちヨーイチの聞き方が悪いよ! それに何度も言うけど、魔法少女じゃなくて魔女だから!」

「でもさ、取っつきやすい聞き方はやっぱり魔法少女だよ。略して魔女だし」

 頬を膨らませて、ぷいとそっぽを向くシャルロッテだったが、洋一にはふとした疑問が湧いてきた。

「お雪の時は、日本橋のうえで姿を見せて交渉したんでしょ? そしたらロッティが亜耶なり有栖川さんなりに直接話をすればいいじゃん」

「それでダメだった時は、いちいち記憶を消す秘薬を使ってるんだよね。手間とコストが大変だからヨーイチにお願いしただけ、だけ温泉。つがる弘前ひろさき、リンゴスターなんてね」

 それでは単なる横着ではないか、と洋一も呆れたように頭を掻く。

 シャルロッテは不機嫌そうに丸眼鏡を掛けると、彼の腕を引いた。

「ほら、今度は通学路に誰かいい子がいないか探すから。帰るよ?」

 強引に引っ張られて、洋一は学校を出ていく。

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