三十四日目:奥様はやっぱり魔女 第三話

 突如として舞い降りたモノトーンの世界。

 すぐそばにはまだ幼稚園に入る前の洋一と亜耶。そして今より若い彼らの両親。

洋一自身の当時の記憶はもはや曖昧だが、時間を遡ってきて自分の過去を見ているというのは彼にもすぐに分かった。

 洋一の母が、亜耶の母に会釈をしている。

「亜耶ちゃん、最近こっちに引っ越してきた榊原洋一って言うのよ。同い年だから洋一のこと、よろしくね」

 母の後ろで怯える洋一に向けて亜耶は手を差し出すが、彼は背中に隠れてしまう。

 それから、徐々に慣れて亜耶と一緒に歩き回り、互いの家でゲームで遊んだり、近所を連れ立って自転車を漕ぎ回す自分の姿などを回顧していく。

 少し年上の子供にいじめられては泣いて、自転車で転んでは泣いて、ゲームに負けては泣いて、夕立の雷に驚いては泣く。とにかく亜耶の前で泣いてばかりの幼少期の自分を振り返るたびに、高校生の彼は自己嫌悪に悶えていた。

 我ながらこんなに情けない奴で、よくもまぁ亜耶は嫌いにならないでくれたものだと、むしろ心底感心していた。

 逆に、亜耶が犬嫌いのきっかけとなった、公園で飼い犬に激しく追い駆けられて、洋一に泣きついてくる場面も見た。

 高校生になって改めてこの場面を見ると、犬はじゃれて人間と追いかけっこをして遊んでいる風だったが、幼少期は自分より背が大きくおてんばな亜耶が初めて、自分を頼ってくれた瞬間だったと記憶している。


 そんなモノトーンの日々は突然に色鮮やかに再現された。

 顔見知りの老婆がまだ、おばさんと呼べるくらいに若々しい、公園前の雑貨屋。

 洋一と亜耶は、遊びついでに駄菓子を買い求めていた。

 すると、店の前に並んだガチャガチャの一台に、亜耶が興味を示した。

「ねぇ、よういち。これ回そうよ!」

「ぼくはべつにいいよ……あやだけやりなよ」

「なんで? よういちも同じのいらないの?」

 少し女の子向けっぽい、ぬいぐるみの付いたストラップの景品が恥ずかしく、モジモジと身体を揺する過去の自分を見て、洋一を怒りと照れが同時に襲う。

「そんな見栄はいいから、亜耶と仲良くなるために素直にやれよ、僕!」

 渋々ガチャガチャを回す洋一が引いたのは、ピンク色のうさぎのぬいぐるみ。

 亜耶は、水色の熊のものを引いた。

「いいなぁ、よういちのうさぎさん。あたしのとこうかんしない?」

「ピンクだとはずかしいよ。あやにうさぎあげるよ」

「ありがとう! よういちもくまさんにあうよ!」

 素直に喜ぶ亜耶の反応も嬉しく、また、うさぎを引いてしまったものの少しは男の子らしい色合いの物が手に入って安堵する当時の気持ちを、高校生の洋一も思い出していた。

 すると、思い出の世界にサマンサの声が響く。

『ヨーイチ、あの壊れる前の熊のぬいぐるみを回収して、アヤにプレゼントなさい』

「えっ? 現代に勝手に持って帰っていいのかな……」

 自転車のベルに買ったばかりのストラップを下げて、二人は滑り台に夢中になって遊んでいる。

 静かに歩み寄った洋一は、幼い頃の自分が自転車に引掛けていた、水色の熊を回収した。

『オーケー。それを持って現代に戻ってくるのよ』

 だが、遠巻きに幼少の自分たちを見ていた洋一は、微かな違和感を覚えた。

「あれ……でも亜耶と交換したのはピンクのうさぎだったよな……でも、あいつは今でも熊を持ってたし、なんで入れ替わってるんだろ?」

『ではいい、ヨーイチ? 現代に戻すわ』

 サマンサが催促するも、洋一は腕を組んだまま考え込む。

「これを僕が持ち帰ると、僕の熊のぬいぐるみは消えて、亜耶のだけ残る……だとすると、現代であいつが持ってるのは、壊れたうさぎじゃないとおかしいんだよな」

 すると、洋一は上空に向かって大きく手を振った。

「ちょっ……サマンサさん。もう少しだけこの世界に居たいです! なんかストラップのこと、記憶違いがありそうで」

『未来が変わってしまう。早くしなさい』

「いや、違うんです。これだと過去が変わっちゃいそうです!」

 亜耶は両手を空に向けて振って、独り言を叫ぶ危ない大人が、自分たちの自転車に付けたストラップを盗んでいるのに気づくと、大声を上げた。

「やだっ! ヘンなひとがいるっ!」

 子供の悲鳴を聞きつけ、公園に居合わせた大人たちの視線が向けられると、洋一は慌てて熊のぬいぐるみを幼少期の自分の自転車に戻して、走り去っていった。

「あのひと、よういちのじてんしゃ、さわってたよね? くまさんもってたよ?」

「でもちゃんと、くまさんもどしてあるよ」

「これがほしかったのかな? ヘンなオトナ」

 サマンサのフォローで姿を消した洋一が公園の隅に隠れていると、しばらくは不審者の存在を警戒していた近所の大人たちも、日常の生活に戻っていった。

「サマンサさん。もっと時間を送ってください……これをホントに失くした日まで!」

『ちょっとお待ちなさい……歴史を追って見てみるわ』

 すると、同じ公園の中の景色だが、陽の傾きや周囲の樹々の生育具合、葉の色までもがみるみる変わっていく。


 ふたたび幼少の自分たちの姿を見止めた洋一だったが、その日は亜耶が泣いていた。

「どうしよ、よういちぃ……うさぎさん落としちゃったぁ……」

 夕方のチャイムが鳴り、遊び終えて帰る時間、亜耶は自転車の前でぽろぽろと涙をこぼしていた。彼女が自宅を出る時には確かにベルに引掛けていたはずの、ピンクのうさぎのストラップが無くなっていたのだ。

 幼い洋一は、泣きじゃくる亜耶の前でおろおろとするばかりか、なぜか彼もつられて涙声になってしまうのだった。

「いっしょにさがすから、あや、泣かないでよぉ」

 子供たちは必死に公園内や、自宅からの途中の経路を見て回ったが、うさぎのストラップを発見することはできなかった。

 日没も迫り、途方に暮れた二人は自宅まで戻っていった。

 家の前に着くと、また亜耶は失くしたうさぎを思い出しては涙を浮かべる。

 すると、洋一は自分の自転車につけていた水色の熊のぬいぐるみをはずした。

「これ、うさぎじゃないからイヤかもしれないけど……あやにあげるから、もう泣かないで」

「でもそれ、よういちのでしょ?」

「いいよ。さいしょにとったの、あやだよ。あやがまたかわいがって」

 彼の手から水色のぬいぐるみを受け取ると、亜耶は大事にポケットにしまった。

「ありがとう。もう落とさないように、ようちえんのカバンにずっと入れとくね」

 それを見守っていた高校生の洋一は、この出来事をすっかり忘れていた自らを恥じた。

 洋一は、自分がとっくに失くしたと思っていた熊は亜耶にあげていたもの。それを彼女は今でも大切に持っていたのだった。

「マジか、いろいろ忘れてたんだな。それにしても……トホホ、子供の頃に見た公園にいた不審者って、高校生になった僕自身だったのか」

『確かに、熊を回収した時点でヨーイチを現代に戻してたら、過去が変わってしまったわね。良い機転だったわ。グッジョブよ、ヨーイチ』

「だとしたら、僕は最低だ……勘違いして亜耶にあんなこと言っちゃったよ……」

 洋一は突然に走り出すと、公園前の雑貨屋に向かった。

『ちょっと……どうしたの、ヨーイチ?』

 だがガチャガチャを回したあの日から時間は流れ、ぬいぐるみ付きストラップの商品は、中身がそっくり入れ替わっていた。

 店内に駆け込むと、中にいるおばさんに声を掛ける。

「あの……店先にあった小さな動物のぬいぐるみが付いたストラップのガチャって、もう無いんですか?」

「あぁ、あれは……こないだおろしが来て中身を新しいものに入れ替えたはずよ」

「他に置いてあるお店ってご存知ですか?」

「どうだろうね。三丁目のお店か、図書館の裏のお店にはあるかもしれないわね」

 洋一は記憶を頼りに、子供の頃に遊び回った近所のコミュニティをしらみつぶしに探す。

 時代の移ろいとともに、今は姿を消した懐かしい店もあったが、目的のガチャガチャは見つけられなかった。

 大型のスーパーマーケットにも数軒寄ったが、そこはもう少し学年が上の子供たちに向けた、当時のアニメや漫画のキャラクターを模したものばかりだった。

「なんだよ、どこにもないじゃん」

 そうして近所を走り回る間も、足元も注意深く見て回り、亜耶のうさぎのストラップが落ちていないかと気を払っていた。

 だがどこで落としたのか、その姿は影も形もない。

 洋一はストラップを失くした幼少期の自分たちのように、すっかり途方に暮れていた。

 そんな彼を、水晶球ごしに見ていた雪がサマンサに頭を下げる。

「洋一はどうやら、三枝亜耶のために同じものを探しているようです。あやつに機会を与えては貰えませぬか?」

「もちろんよ」

 サマンサが魔法スティックを振る。


 夕焼けに染まる街の中、ぐったりとガードレールに腰を預けていた洋一は、周囲が揺れたかのような眩暈めまいに似た感覚をおぼえた。

 すると、自分が遊び慣れた公園前の雑貨屋が見えるベンチに座っており、陽はまだ高い午後の早い時刻へと戻っていた。

 ちょうど公園にやってきた幼い洋一と亜耶が、自転車を停めて遊具で遊びだした。

 彼らの自転車にこっそり近寄ると、亜耶のものにはまだ、うさぎのストラップが引掛けてある。

「しめた! これを回収すればいいんだ!」

 ふたたび目立たぬようにストラップをはずすために近寄る洋一だったが、そこである疑問が頭をもたげる。

「あれ? もしかして、これを僕が回収して現代に持ち帰ったから、あの日、亜耶のうさぎが消えちゃったなんてことはないよな……」

 うさぎのストラップを失くした当時の亜耶の涙は先程、見たばかり。

 たとえ過去であっても、彼女を自分が泣かせるような真似をしたら本末転倒だ。

「じゃあ、これをそのまま残しておけば、現代でも亜耶は手元に残るってことじゃ……でも、さっき見た光景では、間違いなく亜耶は子供の頃に失くしてたし……いったい、僕はどう振る舞えば、何が正解の歴史になるんだ?」

 洋一が頭を抱えていると、ぬいぐるみとナイロン芯のストラップリングを繋ぐ、銀色のチェーンの輝きに反応したカラスが急降下し、うさぎをくわえて一気に飛び立っていく。

「あっ、おいこら! それ亜耶のだぞ、持ってくなって!」

 慌ててカラスを追い立てる洋一だったが、なにせ相手は野生動物だ。

 その姿は瞬く間に屋根や電柱を越えて上空に浮かび、視界から消えていった。

「んだよ、カラスのせいだったのか……どうやって取り返すかな……」

 茫然と相手を見送る洋一は、ふと雑貨屋の店先に視線を向ける。

 店先のガチャガチャにはぬいぐるみのストラップがまだ販売されていた。

「しめた! これでうさぎをゲットできるじゃん!」

 洋一は財布からありったけの百円玉を集めると、ガチャガチャを回す。

 小銭が足りなくなると、おばさんに声を掛けて両替をして貰い、また引き続ける。

 何個目かのカプセルを開けると、水色の熊が出てきた。

「やった! やっと出てきた」

 思わず興奮した洋一だったが、これまでの経緯を思い返すと、表情を曇らせる。

「ダメだ。最初に亜耶が出したのは熊じゃないや。うさぎが出なきゃ意味ないや」

 再び百円玉を握ると、ガチャガチャを回し始めた。

 手元は関係のない動物だらけとなり、空カプセル入れはみるみる山盛りになった。

 そして、もはや何枚目か忘れた百円玉を投入して回すと、そこに出てきたのはピンクのうさぎが入ったカプセルだった。

「よかった……ようやく両方そろった」

 洋一は水色の熊とピンクのうさぎ、両方を大切に指先に包み込む。

「サマンサさん! これを持って帰ります!」

『オーケー』

 途端に周囲は暗転し、彼は魔女たちの待つ自分の部屋に戻っていた。

「洋一、よくぞ戻ったな」

 雪は彼の両肩に置いた指先に力を込めてねぎらった。

 サマンサの雰囲気もすっかりと、鬼軍曹から穏やかな婦人へと戻っていた。

「よかったわね、ヨーイチ。さぁ、アヤが部活動を終えて帰ってくる時刻よ。早く渡してあげなさい」

「サマンサさん……なんか、いろいろと助けて貰ってすみませんでした。でも、あの……次はもっと穏便にお願いします」

「力こそ正義、勝利こそが唯一の道よ」

 雪の堅物な生真面目さと、ドロッチャの乱暴な手腕を足したような性格に、さすがは魔女の大先輩と洋一も苦笑しながら会釈をすると、そのまま家の外へと向かう。

 そして数軒隣の亜耶の家の前で、彼女の帰りを待っていた。

 駅からの道を歩く亜耶は、視界の先に洋一の姿を発見する。

 なんとなく互いの目線も合わせず、ぎくしゃくとしたまま距離を詰める二人。

 亜耶は彼を無視して、家の中に入ろうとした時だった。

 洋一は手の中にあるふたつのストラッップを亜耶に向ける。

「これ……やるよ。新しいやつ」

 彼の持つストラップが、壊れた熊のぬいぐるみの新品というだけでなく、自身が子供の頃に失くしたうさぎも含まれていたことに驚き、息を呑む亜耶。

「えっ、うそ……うさぎのもある……なんで?」

「あちこちから、なんとか探してきた」

「ホントに貰っていいの?」

 亜耶はカバンからペンケースを取り出すと、首だけになった熊のストラップをはずす。

 そして、新たに受け取ったピンクのうさぎをぶら下げた。

「あのさ……ごめんな。僕が勘違いしてた。僕のあげた熊、亜耶はずっと持っててくれたんだな」

「だって、もとは洋一のだもん。これはぜったい失くさないようにしなきゃって、ずっと気をつけてたんだから……」

 亜耶はチェーンの先で小さく揺れるうさぎを、瞳を潤ませながら愛おしそうに見ている。

 洋一も自分のペンケースのチャックに、新しい熊のストラップを付けた。

「ありがとうね……やっぱり洋一は熊さんが似合うよ」

「でも亜耶も、欲しかったうさぎが戻ってきて、よかったじゃん」

 すっかりと笑顔を取り戻して楽しげに会話する二人を、上空から見下ろす魔女たち。

「なんて甘いのかしら。恋っていいわね。わたしもダーリンと出会ったばかりの頃を思い出すわ」

わざわい転じて福となす……か。雨降って地固まる、かもしれませんな」

「これで『想いが実を結んで、よりを戻した』ことになるわね」

 サマンサは手に持っていた『審判』のカードを、くるりと正位置に回す。

「でも、これでも二日しか使ってないわよ? ユキも真正面からぶつかるのも大事だけど、召喚主の命を預かっていると考えて、効率化を図ったほうがいいんじゃないのかしら? この前の始末書の件だけでなく、ロッティまで巻き込んだテストのことが協会に知れたら、あなたの立場が大変なのよ?」

 雪は苦い笑みを浮かべてサマンサに頭を下げた。

「イエス・マァム……肝に銘じます……」


 洋一が亜耶と別れて部屋に帰ると、サマンサが身支度をしていた。

「まだ主人は出張から戻らないんだけど、予定よりいいものが見られて安心したわ。ユキもいくらかは魔女として成長できたみたいだし……このわたしを諫めたり進言できるなんて立派になったわね」

 相変わらず頭の上がらない様子で、雪は正座しながら大先輩の出発を待つ。

 洋一もなぜか雪の隣に正座して、サマンサに礼を述べた。

「サマンサさん、ありがとうございました」

「いいえ、わたしはなにもしてないわ。それはヨーイチ自身の力よ。でも前にも言ったでしょ? アヤを守れるだけの立派なジェントルマンになるための努力は、まだまだ怠ったらダメよ」

 サマンサは静かに掌を水平に動かすと、魔法陣が床に描かれる。

「じゃあ、ユキ。また時間が空いたら会いましょうね。ヨーイチも頑張るのよ」

「それじゃ、サマンサさん。お元気で」

「サマンサどの、失礼致します」

 洋一は手を振りながら別れを伝え、雪は上体を直角に折り、深々と頭を下げた。

 サマンサが魔法陣から放たれる光に飲み込まれると、その姿は見えなくなった。

「でもこれまでで一番、亜耶とのこと進展したんじゃない? さすがサマンサさんだよ」

「うむ……まぁ、それは否定はできぬ」

 雪は上司から解放された安堵感から、彼女にしては珍しく、正座を崩すとそのまま背中から床に倒れて大の字に寝そべる。

「あぁ、なんとも言えぬ二日であった」

「さすがに僕も疲れたね。濃密な二日間だったよ」

「いずれにせよ、残り六十五日だ。洋一も怠るでないぞ」

「そうだね。その前に宿題しないと」

 洋一は膝を立てると机に向かった。

 ペンケースにつけた水色の熊のぬいぐるみを見て、自分を鼓舞するかのように頷くと、教科書を開いた。

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