三十四日目:奥様はやっぱり魔女 第二話
アメリカ時間の真夜中から時刻は日本の同日午後に戻る。
洋一は部屋に帰るなり、ベッドの上でぐったりと倒れ込んでいた。
雪は氷水に浸した手ぬぐいを絞り、洋一の額に乗せてやる。
当のサマンサはといえば鬼軍曹モードが終わり、落ち着いた婦人へと戻っていた。
「よかったわ、ヨーイチ。じゃあその気持ちをもって幼馴染に飛び込みなさい!」
「もう今日は勘弁してくださいよ、僕はサマンサさんみたいにタフじゃないんですから。それにタロットが『運命の輪』だと車、『吊るされた男』ならバンジージャンプって、そんな雑なの、お笑いのギャグにもならないですよ」
「あら、立派な男の子になるって誓ったじゃない。それにタロットは正位置を表してたわ。『ハングドマン』の意味は、『報われる片思い』よ」
「別に屈強なアーミーになって亜耶を守るわけじゃないんですよ。普通に一緒になれるくらいでお願いしますよ」
「まぁいいわ。今日はゆっくり休んで、また明日ね。ちょっとおうちに戻ってお掃除とお洗濯をして、娘の朝ごはんの世話をしてくるわ。ユキよろしくね」
「ホントに勘弁してくださいって……」
サマンサが白煙とともに姿を消すと、雪は生ぬるくなった洋一の額のタオルを交換した。
「すまぬな、洋一。サマンサどのも最初は、いかにもなイギリス婦人といった風情で穏やかな性格だったのだが、どうにもアメリカに行ってから何かの熱病に当てられたように、すっかり逞しくなられてな。悪気があるわけではないのだが、あの性格だろう? 洋一に会わせるのは危険だと思ったが、間に合わなかったな」
「だとしたら、早く断ってよ。僕のことはお雪ひとりでだいじょうぶだって」
「だが、着火するとあの状態だぞ? みな恐ろしくて何も言えぬ」
「でもさ、今は脱退した元・魔女でしょ? なんで誰も何も言えないの?」
「知識と経験は我らの比ではない。それにまだ相談役として協会に所属しておられるから、私以外の魔女のところにも、突然に出掛けられるのだ」
「だったら、なおさら迷惑ですって言わないと。ある意味、僕もサマンサさんも人間同士なんだから、一緒にガツンと言おうよ」
「うーむ、そうだな。そうでないとマズいのだが……実際のまつりごとでも、アメリカ人の気性を前に、素直に文句を言える国などあるか?」
「いや、知らないよ。学校で習った以上の政治経済なんか」
洋一は上体を起こすと、額の手ぬぐいを取って、雪に向けて発破をかける。
「だいいち、ドロちゃんもサマンサさんも、お雪にちょっかいかけてくるのは、逆に魔女の成績が心配だからだよ。私はこんだけ頑張ってるぞってアピールしなきゃ」
「そうであろう。すまぬな、洋一にまで心配をかけて」
「別に僕はお雪側の人間なんだから、気にしないでいいよ」
召喚主の少年にそう言われると、雪はプレゼントされた後頭部のシュシュを思い出し、にわかに心をさざ波立たせる。
サマンサから茶化された、人間と魔女がめおとになるという話が頭の中に蘇り、雪も急に落ち着きなく居ずまいを直す。
「洋一は、その……私のことって……どう思うの?」
「えっ? そりゃお雪のことは魔女として心配だよ。成績もアレだし、僕の命のこと考えたらさっさと亜耶との仲を進めて貰わないと」
雪は水気の切れていないびしょ濡れの手ぬぐいを洋一の顔面に貼りつけると、鷲掴みにした彼の頭を枕に押しつけた。
「明日も学校だぞ! 早く寝ろ!」
そのまま雪は珍しくクローゼットの中へと隠れてしまった。
「いてて……なんだってんだよ」
なぜ彼女は勝手に怒りだしたのか、女心の扱いの難しさに頭を掻く洋一だった。
目を醒まして登校の支度をしても、いまだバンジージャンプの影響か三半規管が揺れているようで、左右に身体が振れる洋一。
そんな彼に並行する亜耶は、心配そうに声をかける。
「ねぇ洋一。また風邪でも引いたんじゃない? なんかフラフラしてるよ」
「いや、すごい高い所から落ちる夢を見てさ……そのせいかもね」
上空では、雪の竹刀に二人乗りしたサマンサも見守っていたが、ドロッチャやシャルロッテのように跨ることはせず、自転車の後部荷台に座るお嬢様のような横乗りの姿勢だった。
「あれがヨーイチが恋人にしたいっていう幼馴染のアヤね。割といい感じじゃないのよ」
「そうです。既に付き合いは深いくせに、なんとも洋一は臆病と言いますか……」
「まぁ。やっぱり彼を鍛えてあげないとダメね」
雪も思わず言い過ぎて失敗したと顔を歪めると、おずおずと後ろのサマンサに語りかける。
「とはいえ、サマンサどの。洋一自身の気持ちもありますので、そこは尊重してやってください」
「関係ないわ。結果こそすべて。勝利は自ら手繰り寄せるものなのよ。それはあなた自身もそうよ、ユキ」
さすがはドロちゃんや他のやり手の魔女たちの大先輩だ、と雪も二の句を失う。
「ではさっそく、今日のヨーイチの運勢を見るわ」
サマンサはタロットの束から、次のカードを引く。
「あら……『審判』の逆位置だわ。あの二人の過去にわだかまりがあって、それが幼馴染という関係から進展しない原因でもあるのかしら?」
「なるほど。それなら、洋一も三枝亜耶も前を向けるかもしれませぬな」
どうやら穏便そうなカードが出たことに心底安堵する雪。
「じゃあさっそく隠し事なく、お互いに本心を語ってもらいましょう」
「あっ、サマンサどの。彼らが朝から揉めるのは、あまりに気の毒……」
雪の言葉を最後まで待たずに、サマンサは魔法スティックを振る。
小さな星のかけらが洋一と亜耶に降り注ぐと、途端に亜耶は大きなため息をついた。
「これさ、小っちゃい頃に洋一と一緒に買ったストラップ、こないだ壊れちゃったの」
ペンケースのチャックについていたのは、チェーンで繋がった小さな熊の顔。
時間とともにすっかりくたびれてくすんだ水色になっている、親指大の熊のマスコット人形が付いていたのだが、首から下がもげて失われていた。
「それ、まだ持ってたのかよ。物持ちいいな」
「違うってば。洋一の方こそしっかり持ってたじゃない」
「違うよ。亜耶と一緒に遊んでるうちに、僕が失くしちゃったんじゃなかったけ? 変な大人が僕の自転車の周りをウロウロしてたから取られたんだったかな」
「ちょっと本気? あたしが失くしたんだよ?」
「失くしたってそこにあるじゃん。僕のなんかとっくに無いし」
「洋一って興味ないことすぐ忘れちゃうんだもん。昔からそういうとこあるよね」
「なんだよ、その言い方。そんな壊れた熊の生首なんてさっさと捨てて、他の物でも付ければいいじゃないか」
「ホントに憶えてないのっ? もういいよ、洋一は勝手にしたら?」
途端に険悪な空気に包まれていく二人を見て、雪は狼狽していく。
「サマンサどの。あれは……手札の意味もあるのですか?」
「そうね。『実らぬ恋』って意味もあるわね。でも『過去をひきずる』とか『踏み出せない告白』っていうのもあるわ。あの二人ならだいじょうぶよ、きっと」
「いや、かなり揉めておりますが?」
いつも通りの学校まで同伴の登校だったが会話はすっかり無くなり、二人の間には微妙な距離が保たれていた。
休み時間にも絶妙に互いの間合いを取って、別々の仲良しと談笑する二人。
昼休みも、洋一は同学年の電算部員のところへ遊びに行き、亜耶は他の女子と一緒に弁当箱を広げていた。
不機嫌そうにせわしなく箸を口に運ぶ亜耶を見て、なにかを察する友人たち。
なにせ彼らは近所の幼馴染が同じ学校に通学して同じクラスで、普段と同じ距離感で接している。だから亜耶が腹を立てている時はたいてい洋一絡みの話題だというのは、女子メンバーは承知していた。
「どうしたの、亜耶? 珍しいじゃない。榊原くんと『夫婦喧嘩』したの?」
「デリカシーなさすぎなんだから、洋一は。あたしもう知らないよ」
竹刀にまたがった雪は、彼らのクラスを外から覗き込む。
「うぅむ、しっかりと険悪になってしまったな……サマンサどのはこの状況をどうされるのやら……」
雪は頭を掻きながら上空に浮遊すると、校舎の屋上に向かった。
「サマンサどの。すっかり洋一と三枝亜耶は揉めておりますが……」
「ちゃんと後でフォローするわ。まずはわたしたちもお昼にしましょう」
コンクリートのうえにハンカチを敷いて、優雅にサンドイッチを食べ始めるサマンサに、雪も諦めて隣に腰を下ろし、竹の皮に包んだ握り飯の弁当を広げた。
放課後。
亜耶は陸上部に出るため、洋一はいつものように一人で帰宅する。
彼女が部活動があるときはバラバラなのが当たり前なのだが、どうにも今日は朝の喧嘩のせいで、彼も気分が冴えなかった。
ふと、洋一の視界にファンシーショップが目に入った。
雪にプレゼントしたシュシュと併せて購入した、亜耶へ渡すつもりの紙袋はまだカバンに入れっぱなしだ。
「これじゃ、もう渡すとかいうタイミングじゃなくなったな……」
溜息をひとつ吐いて、店先を通り過ぎようとしたその時。
店内から出てきた有栖川にばったりと出会う。
「あら、榊原くんじゃない。こないだのテスト、すごかったわね」
「あっ、有栖川さん。このお店も利用してるんだ……よく会うね」
「そうね、よく会うわね」
すると有栖川は、洋一にぐっと顔を近づけてくる。
「ねぇ、三枝さんとケンカしちゃったの?」
「えっ、なんで知ってるのさ? うん、まぁなんというか……些細なことなんだけどね」
有栖川は洋一と視線を合わせたまま、微かに口角を浮かべた。
逆に彼の方が照れ臭くなってしまい、目線を反らす。
「ダメよ、すぐに仲直りしないと。榊原くんたちはケンカしたら、雰囲気がわかりやす過ぎるのよ。クラスの話題になるし、三枝さんを狙う他の男子に隙を与えるわよ?」
「うん……気をつける」
「それじゃあね」
洋一の背中を軽く叩いて、彼とは逆方向に去っていく有栖川。
折に触れて彼女が声を掛けてくることで、自分に対してわずかな好意があるのかも、と妄想して喜んでいた洋一だったが、今日の有栖川は亜耶との仲直りを提案してきた。
いったい、どういうつもりなのか洋一は悩むばかりであった。
それを上空で見ていたサマンサも、同様に頬に掌を添えて首を傾げる。
「まぁ、あの子も親しい女友達かしら? ヨーイチもなかなかやるじゃない」
「もしや、最近よく声を掛けてくるという、学級委員の娘なのかもしれませぬ」
サマンサは興味津々で、洋一と彼女との親密度を見るためにタロットを切り出した。
「あら……ヨーイチとアヤのように、互いに好意がある感じはしないわね……」
「なにせ、臆病なおのこですからな、洋一は。契約もありますので、三枝亜耶が本命でないとあやつも死ぬわけですし、欲に負けて横滑りはしないと思いますが」
「そう……それだけならいいんだけど」
サマンサはそれきり無言になり天を仰ぐ。
手の中にあったタロット札は『塔』であった。
洋一が自宅近くまで戻ると、彼の家の前には雪とサマンサが立っていた。
「帰ってきたわね、ヨーイチ。じゃあ次のミッションを始めるわ。今朝の会話で出てきたアヤの壊れたぬいぐるみを取り戻すわよ!」
「あっ、サマンサさん。ダメですよ、お雪も僕も困ってますから、もうそういう乱暴なのはやめにして……」
「違うっ! 返事は『イエス・マァム』よっ!」
またも鬼軍曹モードに入ったサマンサの迫力に圧された洋一もたじろぐが、雪との約束で彼女には自重してもらおうと、反論のために一歩前に出る。
「ノー・サー」
「わたしは女だから『マァム』!」
「すみません……そうでした。でもノー! 僕たちのやり方で……」
洋一の言葉を遮るように、言うが早いかサマンサは魔法スティックを振る。
「ちょっ、お雪っ! うわあぁぁぁっ!」
洋一の姿は白煙に包まれると、その姿を消した。
「せいぜい気張りなさい」
サマンサを止めることも洋一に加勢することもできず、雪も困惑したまま、ただ彼が居たあたりに視線を彷徨わせていた。
洋一は時間の渦を漂っていく。
過去に自分が経験した場面が時間は徐々に遡りながら断片的に流れていく。その風景は全体的に茶けたモノトーンの景色で、大昔の活動フィルムのようだった。
やがて、頭よりも少し上空から放り出された洋一が尻もちをつくと、そこは自宅の目の前であった。
すぐそばには自分の腰よりもまだ背が小さい頃の、洋一と亜耶。そして今より若い彼らの両親が居る。
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