十九日目:恋の影武者大作戦 第二話
いよいよ、明日はテストの本番になった日の放課後。
洋一たちは一緒に下校をしていたが、昨日や今朝と比べても明らかに奮わない体調の横の幼馴染を心配する亜耶。
「ちょっと洋一、だいじょうぶなの? なんかフラフラしてない?」
「二、三日前に身体を冷やしたかもしれないんだよ。ウチが騒がしくて集中できないせいなのかなって、気がしちゃったりしなかったりなんかして」
幻覚に惑わされたように妙なつぶやきをする洋一を案じて、亜耶が彼の額に手を添える。
「ちょっと、すごい熱じゃないの! 明日のテストどころじゃないよ!」
「へっ? じゃあ亜耶にうつしちゃ悪いから別々に帰るわ。風邪と共に去りぬってね」
「もう絶対おかしいよ、病気のせいだって! はやく家で休みな!」
亜耶の介添えで、ふらふらと自宅に着いた洋一は早々にふとんをかぶって寝る。そんな彼を母と亜耶がそばで見守っていた。
「亜耶ちゃん、ありがとうね。風邪がうつると悪いから、洋一は放っといてだいじょうぶよ」
「すみません、おばさん……あとはよろしくお願いします」
日は傾き、室内はみるみる暗くなり夜を迎える。
ベッドの上で苦しげに唸る洋一を、今度は魔女たちが見守った。
「困ったもんだ。明日が試験の本番だと言うのに……」
「まぁ、仕方ありませんわね。ヨーイチには悪いけども、テストひとつで人生が終わるわけでもないし、欠席すれば構わないのよ」
「うむ、やむを得ないかのう……と、私たちで無下に決めてよいものなのかどうか」
淡々と言い捨てるドロッチャに、彼を見守るしかできないのか逡巡する雪。
呼吸も荒く、さらに寒気から震えだす洋一の額や首元にドロッチャが手を置く。
「あら、あまり芳しくないですわね。これからもっと具合が悪くなるかも」
雪は腕を組んだままずっと彼の様子を見ている。
魔女は召喚主との契約において、願いを叶えるためのフォローや召喚主のサポート以外の無関係な目的で、独断で動くことはできない。
それでも彼のためになればと、ドロッチャとシャルロッテに相談する。
「悪いが、どちらか治癒の秘薬は持っていないか? 洋一に飲ませてやりたい」
「ダメだよ、ユキ。人間の指示もなく魔女が勝手なことしちゃ。規約外行動で上層部に睨まれるかもしれないし、こないだみたいに始末書になっちゃうよ? あたしも目を瞑れないから片目閉じたらサイクロプスだよ」
「だが、このままでは気の毒でならぬ……酒を飲んで騒いでいた我らにも責任があるし」
「それならば、ヨーイチの布団を奪ったロッティの責任ですわ」
「あたしっ? ひ~ん、だって柔らかいところで横にならないと眠れないんだもん」
「誰がではなく、洋一の迷惑になっていたのならば、我らは皆こやつに悪いことをしたという意味だ」
直情で頑固だが曲がったことも嫌いな雪の想いを察したドロッチャは、ニヤニヤと雪の顔を覗き込んできた。
「ユキ、あなたはホントに魔女らしくないわ。ヨーイチを気に入ったのですわね」
「わ、私は召喚主に倒れられて、そのままクビになっても困るわけで……」
雪は途端に頬を染めて、焦った様子で両手を振る。
シャルロッテも眉間にしわを寄せて考えこんでいたが、雪の肩をたたく。
「わかった。あたしは休暇中だから何も見てないよ。みざる、きかざる、ザルツブルクってね」
「すまない、ロッティ」
すると、なにかを思いついたようにシャルロッテが指を鳴らす。
「それならユキの魔法でヨーイチを助けてあげればえーんでないなら、四角でない?」
「洋一の風邪を治せるような方法だと?」
「うん、そうだよ。さっきいたあの女の子に病気をスッとよけちゃえば、ヨーイチも元気になってテストを受けられるし、ヨーイチにあの子を看病させれば、まるっと解決」
「ならぬ! あのおなごが幼馴染の三枝亜耶だぞ? そんなことしたら、烈火のごとく怒られるに決まっておる」
逆にドロッチャが雪に彼女自身の考えを尋ねてきた。
「でしたら、具体的にどうするんですの?」
その方法はひとつ。
魔女として、今回は召喚主である洋一のピンチを助けること。
「私たちは魔女としての優れた頭脳がある。またそれぞれ魔女になる前の、国籍も知識も経験も異なる。すなわち三人寄れば文殊の知恵」
雪がさしだす掌にドロッチャとシャルロッテも手を重ねていく。
「つまり、こういうことだ」
雪はもう片方の腕で、魔法スティックを振った。
その日の朝。
亜耶は昨日の洋一の容態を案じて、インターホンを鳴らすべきか逡巡していた。
だが、彼が普段と同じように玄関から出てきたのを見て目を丸める。
「うそっ! 洋一もう良くなったの?」
「風邪などはねのける強靭な精神があればよいのだ。なのでさっそく参りますわよ」
「やっぱまだ、熱があるんじゃない? 日本語が……でも、熱は引いたんだね」
亜耶は自分と洋一の額を触れて、互いの体温を確認する。
「これで手も出せないなんて、だらしない男ですわ! まぁそっとしてやってくれ」
ひとりでぶつぶつと珍妙なことを話している洋一の様子は、風邪のせいだと思うのだが、亜耶にはなにか彼に後遺症が残ったのかと、ある種の恐怖を覚えるほどの病状であった。
「とにかく、学校に行こう。今日はテストだからね」
「飛んでいかないんだ。オッケー、じゃあ歩こう。歩けば尊し和菓子のあんってね」
洋一は歩きながら、腕を組んで小声でつぶやく。
「ちょっとまて、もう少し統一しないと三枝亜耶も怪しんでおる。洋一に怒られるぞ。とはいえヨーイチのことをそんなに知らぬいがた、雲龍型。だから、喋りはユキに任せたほうが良さそうですわね」
それは未明のこと、魔法で雪の姿を洋一に変えたのちに、ドロッチャとシャルロッテが憑依する方法で彼を演じたままテストを受けることにした。
三人の魔女にはそれぞれに得意分野があるため、成績も急上昇は間違いない。
男子ぶっちぎりの成績をおさめれば恋のライバルを蹴散らし、亜耶は洋一を見直すはず。
そうなれば、契約の完遂は近い。
そのために影武者としてテストを受けるのが、今回の目的であった。
「ねぇ、洋一。ホントにだいじょうぶなの? まだ高熱の影響でもあるんじゃない?」
亜耶が心配そうに洋一の肩に触れる。
「もっと下半身の方も触ってくれて構わないですわよ! こら、さきほど任せると言ったではないか、勝手に出てくるな! ……ゴホン。だいじょうぶだ、ゆくぞ亜耶」
洋一は突然に亜耶の手首を掴み、ぐっと引っ張る。
いつもより少しだけ勇ましい彼の指の力が伝わると亜耶も驚いたが、誘われるように駆け出していった。
「うむ、やっぱり朝の運動はいいな、亜耶」
駅の改札まで走り続けたが息ひとつ切らさない洋一に、亜耶も息を整えながら、驚いた様子で彼を見る。
「すごいね、いつの間に運動もできるようになったの?」
「亜耶と釣り合う男になるように、鍛錬をしていたのだ。どうだ?」
最初の風邪でおかしなことになっていた状態から、急に男らしくなり、自分と釣り合うという発言の意味を考え、亜耶も駆け出した鼓動の高まりとは違うものをわずかに感じた。
教室に入ると、室内はテスト期間特有の緊張感に包まれていた。
間際まで必死に教科書を読みこむ者、落ち着いてノートを読み返す者、早々に諦めて雑談に興じる者など、さまざまだ。
亜耶がくるりと振り返り、後ろの席の洋一に声をかける。
「あぁ始まっちゃうね。洋一は勉強できるからいいよね。苦手な科目ってないの?」
「私たちなら現国、古文、英語、歴史、数学、化学……むぅ、物理は苦手かもしれない。魔法は物理を超越するからな」
「いいなぁ、さすが冗談を言えるくらい余裕だよね」
予鈴が鳴ると教員がやってきて、答案用紙を配布する。
やはり魔女の頭脳なのか、不老不死ゆえの経験や知識の差か、テスト時間を余らせることもしばしばで、目を閉じ瞑想をしながら残り時間を待つ洋一。
背筋を伸ばして前を向く洋一に、教員もカンニングではないかと見ていたが、ペンを持つこともなく、予鈴を待っていた。
それが数コマ続くと、今回のテストはなにやら余裕そうで、さらにいつもより落ち着いた雰囲気の榊原くんに、クラスの何人かはその変化に気づきだした。
そうして六科目のテストを終え、一日目を終了した。
「今回は特に余裕だね。さすが洋一。あたしは何科目か全然解けなくてダメだった」
「亜耶に勉強を教えることならいくらでもできるぞ、いつでも頼るがよい」
「なんかすごい雰囲気かわったね。どうしちゃったの?」
「うむ、風邪のおかげで死線をさまよったから、かもしれない」
互いの自宅の前に着き、手を振って別れる亜耶が屋内に入ると、途端に三人の魔女は姿を戻した。
「ちょっと、この作戦こそ上手くいきそうな気がしてまいりましたわよ!」
「ユキを船頭役にしたから、ヨーイチの違和感ないジェリアにあるジェリアだよ」
「二人には感謝しているが、やはり魔女規約スレスレなのは間違いない。先日、協会から大目玉を食らったばかりだし、どうか内密に頼む」
一本の竹刀に魔女三人でまたがり、窓から洋一の部屋に入っていく。
本物の洋一は、未だベッドで静かに眠っていた。
治癒の秘薬の効果で、免疫を強化するかわりに睡眠が深くなる副作用が出ていたためだ。
「お母上の記憶も上手いこと魔法で改竄してよかった。学校に連絡が入ったら危なかった。もうしばらく眠っておれば、洋一も快方に向かうであろう」
雪はベッドに腰をおろし、洋一の額にそっと手を置く。
慈しみを湛えた表情でじっと見守る雪の様子を、またも下品な笑みで眺めるドロッチャ。
「まるでお姉さんというか恋人みたいですわね? ホントはアヤじゃなくてユキと幸せになるために、ヨーイチも契約をしてくれれば良かったのに」
「ば、馬鹿をいうな! 私は魔女なのだから、そんなこと思ってないもん……」
シャルロッテは今日の働きの清算としてビール瓶を取り出し、グラスに注いだ。
「魔女は、魔女自身と召喚主が対等の立場で契約をする。それが子供でも老人でも召喚主なら同じ。私情が入るのは優れた魔女とはいえないけど、あたしたちだってあくまで個人の感想ですって注釈テロップ出ちゃうんだから、ユキの気持ちはわかるよ」
至福そうにビールを飲むシャルロッテが雪に賛同する。
「うむ。明日もまだ試験だからな。また力を借りるぞ」
翌朝。
魔女たちはいつものように三人で輪になり、魔法の発動を待っている時だった。
洋一がベッドから上半身を起こす。
「あれ、みんな? そっか風邪で寝込んでたんだっけ……」
治癒の秘薬が効いたのか、彼の顔色はすっかりよくなっていた。
「ちぇすとぉーっ!」
鋭く振り下ろされた竹刀が頭に直撃し、洋一はふたたびベッドの住人となった。
「すまぬ、洋一。この二日間のテストだけはうまくやっておくぞ」
雪の魔法でふたたび洋一に変化した三人の魔女は学校へと向かっていく。
玄関を出た先には、毎朝のように亜耶が待っていた。
「おはよっ。洋一ったらやっぱりすごい余裕じゃない。羨ましいよ。あたしなんか自己採点してみたら全然だったもん」
「振り返りも大事だが、過去の鍛錬の甘さを悔やむより、明日のための練習だ。そうであろう、亜耶?」
勉強だけでなく陸上部の活動にも通じる深い話に、亜耶も素直に感心する。
「でも風邪もすっかりよくなってよかったね。あたし心配したよ」
「心配をかけてすまない。亜耶にはいつも迷惑ばかり掛けているな。だがそばにいてくれると、心が安んずる大切な者だと思っている」
当初の台本と異なり、割と踏み込んでアドリブを決めていく雪のやり取りを聞いているうちに、憑依したドロッチャも興奮していく。
「そんなことないよ。あたしだって勉強は洋一を頼ってばっかりだもん……」
「私でよければ、いつでも頼ってくれて構わない。亜耶の願いであれば、それは私の願いでもあるのだ。案ずるな」
亜耶は、まるで別人のような洋一の雰囲気を意識すると、思わず視線をそらした。
ところが肝心の彼は急に歩くのをやめて身震いする。
『ちょっと、わたくしにもやらせなさいよ! ユキばかりズルいですわ!』
『ならぬ! ここでドロちゃんのように激押ししてしまったら、元の木阿弥でないか。今は大人しくしておれ!』
その異変に気づき、亜耶も足を止めた。
「だいじょぶ、洋一? やっぱ調子が戻ってないの?」
「あ、あぁ……すまない。問題ない」
学校に到着しても、洋一は試験開始を待ち、筆記用具だけを机に並べて瞑想していた。
今日も今日とて、残る科目のテストに取り組む。
すっかりと落ち着き払い、淡々とテストをこなす榊原くんを二日連続で目撃したことで、周囲の生徒の違和感は確信へと変わっていた。
下校の時間。
いつも丸めていた背筋をぴんと伸ばし、足音も立てずに堂々と歩く洋一を、亜耶もすっかり感心して見つめていた。
「さすが、男の子って本気だすとこんなに変わるんだね。すごいよ」
「亜耶も運動に本気で取り組んでいるであろう。結果も大事であるが、その取り組む姿勢こそが尊いのだ」
「そうだね、ありがと」
「あと先程の話だが、おのこ全員が凄いのではない。私が凄いのだ、わかるな?」
洋一は鋭い眼光で、亜耶の瞳をじっと見つめる。
互いに目線を合わせていくうちに、胸の奥に妙なざわめきを感じた亜耶が堪えきれずに、また視線をそらす。
『なかなかやりますわね、ユキのくせに。恋愛なんかしてこなかったくせに』
『余計なことを言わんでよい。私はおなご同士だと緊張せずにうまくいくのだ』
『百合? それも熱いものを感じざるをえな市、
恍惚の笑みを浮かべたまま静止する洋一に、亜耶が肩に触れる。
「あぁ、すまない。さっそく次の課題を考えていたところだ」
「ホント変わったね、洋一は。頼りがい出てきたんじゃない?」
手を振って自宅へ入る亜耶を見送ると、洋一は突然に小躍りする。
「どうだ! 我々でうまくいったではないか! 今回はユキの作戦勝ちですわね。これならあのヨーイチでも契約達成できるよ、てなもんで」
帰宅すると自宅の前には、怒りの形相で立ち尽くす本物がいた。
三人の魔女はカーペットのうえで正座をしている。
その前には、雪の竹刀を持った洋一が仁王立ちしていた。
「じゃあこれまでの経緯を確認すると、お雪は二日もかけて僕の代わりにテストまで受けて、亜耶の前でカッコつけたりしたってことでいいね?」
「はい、相違ございませぬ……」
奉行所での取り調べのように、雪は神妙に申し述べる。
「最初から今日までごちゃごちゃかき回すだけで、ぜんぜん上手くいかないじゃないか! そりゃ魔女の結果だの点数だのわかるけどさ、契約と関係なくもっと僕の気持ちだけじゃなくて、亜耶の気持ちも大切にしてもらわないと」
洋一は、大きな溜息をつきながら、ベッドに腰を落とした。
「もうしょうがないよ。もしあのまま風邪で欠席だったら、テストは直近の成績と平均点から出る、見込み点になってたんだし。日本人じゃない魔女が二人もいるんだもん。どのみち春の学力テストより順位は下がっただろうからさ」
当然と言えば当然なのだが、風邪を引いた挙句に好き放題に説教を垂れる洋一が身勝手に思えたドロッチャは、怒りを堪えきれずに、おもむろに立ちあがった。
「ユキだって、ヨーイチのために必死に頑張ったんですわよ! それをあなたがモタモタしててアヤとくっつかないから、手伝ったというのに!」
反論しにくい批判に、洋一も怒りの矛先を収められず、気まずそうにしていた。
シャルロッテがそんな二人を諫めた。
「とはいえ、ヨーイチと契約をしてる中で互いに生まれた関係から、ユキもこうしようと思ったことなんだから。あたしたち、外野の魔女が手を貸すというのもホントは違反スレスレだったんだし、ユキを……あと、あたしたちも許してもらえると嬉しいな」
「もういいよ。ロッティが普通に喋ってるなら言い過ぎたよ、ごめん」
とは言いつつ、顔も合わせずに壁を向いてふて寝をする洋一に、魔女たちも互いの視線を絡ませていた。
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