八日目:戦慄の黄金週間 第二話

 ゴールデンウィークは中盤を過ぎ、五月三日を迎えた。

 その日の朝、無事にドロッチャの魔法ノコギリによって分裂した洋一たちは、AがBの陰に隠れながら、足音を立てぬようこっそりと階段を降り、静かに玄関のドアを閉めた。

 二階のベランダから竹刀に乗って降りてきた雪が合流する。

「よいか。洋一たちよ。ここでのお前の働きが三枝亜耶との恋仲を進めるキッカケになるのだ。家族旅行はBに任せてAは本体らしく努力せよ」

「わかってるってば」

 洋一Aと雪はBに見送られながら、至極平然を装って歩き出した。

 数軒先の三枝家では、亜耶たちがマイカーに荷物を積み込んでいた。

「洋ちゃん、おはよ。無理言ってごめんね」

「とんでもないです。すみません、お邪魔します」

 一方、さほど間を置かずに洋一宅から両親が荷物を持って、自宅を出てきた。

 それを見た洋一Aと雪は全身を硬直させる。

「お父上たちは電車移動だろう! なぜ、もう出発なのだ!」

「知らないって! 僕Bがもっと出発をのんびりさせるって話だったのに!」

 肝心の洋一Bは、ドロッチャとともに玄関の影に隠れている。そして人差し指を交差させ、小さなバツマークを作っていた。

 Aも慌てて亜耶の家の物陰に身を潜める。

 あっという間に洋一の両親は三枝家の前で彼女の両親と出会う。

 すると、亜耶の母があいさつをした。

「おはようございます。お出掛けですか?」

「えぇ、家族で旅行に……三枝さんもご旅行ですか?」

「そうなんです。せっかくのご旅行なのに、洋ちゃんを無理にお連れして申し訳ありませんね」

「えっ? 洋一が? これから洋一と三人で旅行なんですけど」

 これ以上の誤魔化しは無理と判断した雪が、すぐに鞘の魔法スティックを握った。

 先端が光を放つと、亜耶たちの家族と、洋一の両親は互いの視線も合わせず、気が抜けたかのようにぼんやりと立ち尽くしている。

「ちょっと、ドロちゃん! どうするんだよ、いきなりお雪の魔法を使っちゃって!」

「だからうまくいくか不安だったんだって!」

 喚き散らす二人の洋一には意にも介さず、ドロッチャは洋一Bごと立ったまま微睡まどろむ両親を駅の方角まで押していく。

「もうやるしかありませんわ。というか、うまくやるのはわたくしやユキではありませんわ。ヨーイチ自身の努めですわよ」

「なんだよ……これじゃまるっきりドラちゃんじゃん」

 背中を押される洋一Bが愚痴をこぼすと、雪と一緒の洋一Aも野次を飛ばす。

「詰めが甘いんだよ、至高の魔女のくせに」

 ドロッチャたちが通りの角まで曲がり、三枝家が視界から消えると、同伴していた洋一の両親は我に返る。

「あら? 家の前からもうこんなに歩いたのかしら……きっとお父さんや洋一と久しぶりの旅行だから興奮してるのかもしれないわね」

 不安の表情で洋一Aを見ていたBは、そのまま曲がり角を過ぎて消えていった。

 その頃、三枝家の面々も、はたと我を取り戻す。

「あれ? どこまで積み込み終わったんだっけ? ごめん、洋一も手伝って」

「うん、わかった」

 素直にAは荷物を車に乗せていく。

「やれやれ……先が思いやられるな」

 今日の魔法は早くも打ち止め。もはや見守るしかなくなった雪は全てを諦め、改めて旅情を楽しむこととした。


 亜耶に同行した洋一Aの乗る車は、高速道路を西へと進む。

 彼女の家族は車内でいくつかの会話をしているものの、洋一はなんとなく居場所がなく、大人しくしていた。

 小学校の頃はこんな風に、亜耶の家族旅行にお邪魔することもあったが、今は互いに高校生。

 照れもあってか、洋一は肩をすぼめてちんまりと座席に収まっていた。

 仲を進展させるどころか、借りてきた猫の状態だった。

 そんな三枝家の車の横を、雪は竹刀にまたがり並走飛行している。

 竹刀の柄のところには風呂敷を結わいて、そこにはドロッチャから借りた魔法のノコギリのほか、いくつかの『作戦用』の小道具も持参していた。

「しかし、こんな悠長で良いのか……洋一はどうにも臆病で困ったおのこだ。だが、三枝亜耶とともに旅に出られたのならば、それは洋一の契約達成にも近づく訳でもあるし……無下にもできぬな」

 雪が車の進む先に視線を向けると、雄大な富士の姿が眼前にそびえ立つ。

 暦を五月に改めた直後であり、まだ山頂付近に残る冠雪が、陽を浴びて輝いている。

「おぉ、美しい……そういえば江戸の頃は浮世絵でしか見たことなかったな。召喚や契約が無い時も協会本部で座禅や瞑想ばかりしていたし……ドロちゃんの言う通り、たまには息抜きも悪くあるまい」


 やがて、富士五湖の周囲に点在するキャンプ場のうちの一か所へと到着した。

 オートキャンプ場も併設され、マイカーから荷物を降ろすカップルや、テントのそばで火起こしをして楽しむ家族や、バーベキューをしながら談笑する大勢のグループなどが、日没前から早くも休暇を満喫していた。

「今回、あたしたちが借りたのはここだよ」

 両親の先導のもと、亜耶は一軒のログハウスを指差す。

 小屋の中に入ると、調理ができるキッチンのほか、畳が敷かれた和室スペース、トイレや小さな風呂場もあり、四人で借りるには申し分ない設備と広さであった。

「すごい亜耶んちも奮発してるな……」

「それでも三人でホテルに泊まるよりも全然安いから、あたしも驚いちゃった」

 亜耶の両親が一階の和室で眠ることとし、洋一と亜耶は吹き抜けの二階部分が割り当てられた。

『下にはおじさんたちが居るし、ドアもなくて丸見えだけど、亜耶と同じ場所でまたお泊まりできるとも言えるじゃん』

 そうして現実を直視すると、ヘラヘラと笑みを隠し切れない洋一。

「せっかくだから、夕飯はおもてでバーベキューして食べたいよね」

 窓の外にはテラスがあり、そこにもテーブルとイス、バーベキューコンロが用意されており、飲食が出来るようになっていた。

 そのすぐ脇で、竹刀を振る雪。

 洋一は小屋じゅうを見て回る体裁で靴を履くと、雪に声を掛けてくる。

「せっかくなんだから、お雪も鍛錬してないでゆっくりすればいいのに」

「いや、空気が美味いから清々すがすがしいし運動もはかどるんだ。これも私なりの非日常の楽しみだと思ってくれて構わない。それより洋一は三枝亜耶に専念していろ。ちゃんと距離を詰めるんだぞ」

「おじさんたちがいるのに、そんなこと出来る訳ないって」

 すると、竹刀を振る手を止めた雪がふっと笑う。

「今日は冒頭からあの有り様だったが、まだ魔法は二日使えるのだ。楽しみに待っていろ?」

 呆れ気味に去っていく洋一を無視して、またも竹刀を振ろうと思った時、雪が持参していた風呂敷の中からわずかな輝きとともに、魔力の揺れを感じ取った。

 雪が魔女協会から貸与されている魔女基本セットのひとつ、水晶球を取り出すと、丸く湾曲した球の中の光景が歪みはじめ、ドロッチャの姿が浮かび上がった。

『あーあー、こちらドロッチャですわ。どうかしらユキ、聞こえますの?』

「うむ、こちらは問題なく到着したぞ……ドロちゃん。なんだ、その格好は?」

 顔をほのかに桜色に染め、波打った金髪は湿りを帯びてさらにくるくると丸まり、深紫のゴスロリ服が今は浴衣になっていた。

『せっかくなんで、日本のスパを堪能しましたわ。ユキは気の毒ですが、たっぷり森林浴でもされるといいですわ』

「西洋の魔女の分際で、温泉にまで浸かりおって。それよりも確認だ。日付が変わった時点でそちらの洋一Bが消えるので、またこちらの洋一をドロちゃんのノコギリで切断すればよいのだな?」

『そうですわ。それを明日、あさってと実行して貰いますわ。それとは別にユキが使える魔法で<例の作戦>を進めますわよ』

「わかっておる。それではな」

 水晶球から輝きが失われるとドロッチャの姿は消え、大切に抱えた雪の両手の肌の色だけを反射していた。

「なんだ、ドロちゃんも休暇を満喫しておるではないか……まったく」

 雪は水晶球から竹刀に持ち替えて鍛錬の続きをしようと思ったところで、テラスからの眺望に目が行った。そのまま視界に広がる湖や一面の樹々をしばし見続ける。

「まぁ、私ものんびりさせてもらおう」

 竹刀を立てかけるとイスに腰掛けて目を閉じて、静かに西日を浴びた。


 ドロッチャがなにやら水晶を相手に、こそこそと会話している様子を、洋一Bは穏やかでない心持ちで見守っていた。

 そばには入浴を終えた両親が、茶を飲みながらテレビを観て夕食までの時間を潰している。

 洋一は湯あたりしたのか、若干の眩暈を覚えて、静かに畳のうえで横になっていた。

『なんだろ。すごい疲れるな……ドロちゃんがそばにいて、妙な気を遣うからかな』

 やがて水晶球をかたづけたドロッチャと会話するために、洋一はよろよろと立ちあがると、客室の窓からサンダルを履いてベランダへと出た。

「こっちは家族旅行だし、何も起こるわけないんだから、向こうの僕が上手くやることを祈るしかないね」

「そうですわね。でもくれぐれも気をつけなさい。今のヨーイチは『半分』だってことを憶えておいた方がいいですわ」

「そりゃ当然じゃない。それがなにかまずいの?」

 ドロッチャは無言で笑うと、洋一の質問の核心には触れず、彼の背中に手を回す。

「こちらにはユキもアヤもいないチャンスですわ。わたくしがヨーイチBだけに、最高のゴールデンウィークをプレゼントして差し上げてもよくてよ?」

「それはお雪に悪いからだいじょうぶだよ」

「ご両親が寝静まったら、わたくしと貸切風呂でも行きましょうか?」

 引きつった笑みで拒否をするものの、身体を預けてくるドロッチャの浴衣の胸元をつい見てしまう洋一だった。


 一方、亜耶の家族旅行に同行した洋一Aも、困惑していた。

 彼らはコテージの外にあるテラス席でバーベキューを楽しんでいる。

「さっ、お肉焼けたのから洋ちゃんもどんどん食べてね」

「はぁ……ありがとうございます」

 亜耶の両親が次々と洋一の皿へ焼きあがった食材を乗せていくが、彼の箸はあまり進んでいない。

 熱でも出たのか、洋一は妙に身体が火照り、倦怠感を覚えていた。

 加えて、やはり間近にいる亜耶のことを気に掛けてしまう。

 食事の最中もつい亜耶の様子を窺ってしまう洋一だったが、彼女も妙によそよそしく、たまに視線を洋一に向けては淡々と料理を口に運んでいる。

 先日は魔女たちによる妙な茶々で亜耶の部屋が無くなり、結果として強制的に久しぶりのお泊まり会になった。

 亜耶は彼の頬を叩いてしまってから、内心まだ素直に謝罪ができていないことを気にしていた。それに不思議な体験ばかりしたが、常に彼が率先して問題に対処にしてくれたことも事実だった。

 やはり二人にとって互いに一番近くにいる異性として、折に触れて意識をしないと言えば嘘になる。

 だが、互いに単なる幼馴染でご近所の同い年の子、というだけ。

 今はまだそんな距離感を現すように、洋一と亜耶はバーベキューコンロを挟んで、向き合って座っていた。

 食事のさなか、亜耶の父は休暇での非日常を楽しんでいたのか、酒が入って興が乗ったのか、突然に声を落として語り出した。

「このあたりは樹海が近いだろう? だから幽霊のたぐいがよく『出る』という噂もあるんだ。他のキャンプ場はどこも満室だったけど、ここは直近でも予約を抑えやすかったからね。洋一くんも亜耶も夜は気をつけたほうがいいな」

「ちょっと、洋一もいるのにそういう話やめてよ。お父さんってば」

 馬鹿馬鹿しい冗談と、さして相手もしなかった亜耶だったが、洋一は堅い笑みを浮かべる。テラスの端に視線を送ると、異界の幽霊とほぼ同義である魔女は、あぐらをかいて月を見ながら、日本酒をちびちびと飲んでいた。

 亜耶たちの目に見えないものに憑かれているという意味では、もう体験済みだ。

 ところが、ゲストとして大人しく振る舞っていた洋一は急に押し寄せる腹部の膨満感によって、全く食事が進まなくなってしまった。

『どうしたんだろ、すごいお腹いっぱいなんだけど……』

「さぁ、洋ちゃん。まだまだお肉あるから食べてね」

 それでもお構いなしに亜耶の母はどんどんと食材を網に乗せていく。

「はい、ありがとうございます……」

 せっかくの亜耶の家族のもてなしであるため、洋一は無理をしてバーベキューの肉を胃に詰め込んでいった。

『いつもの半分くらいしか食べれない感じだな……ドロちゃんに半分にされた影響でもあるのかな?』


 それと時を同じくした、箱根の温泉宿。

 洋一Bは、山海の珍味が並んだ膳を前に、すでに胸焼けを起こしていた。

「なんだか、昼から全然お腹減ってないな……どうしよ……」

 全く箸の進まない息子に両親も訝しがるが、すぐ近くに座るドロッチャは水晶球で洋一Aの様子を見ていた。

「あらら……ヨーイチBが食べ過ぎてますわ」

「どういうこと……なんだろう?」

 さも独り言のような芝居をしながら、洋一はドロッチャの方に視線だけ送る。

「ですから、今のヨーイチは身体だけでなく能力も半分で、その感覚も共有されているんですわ。いつもよりも食欲も半分だし、体力も半分。もう片方が食べ過ぎたら、そのシワ寄せは残りの片方にきますわ」

 電車で移動して温泉に浸かっただけで、ずいぶんな疲労感を覚えたのはそのためだった。

 もちろん自分だけでなく、もう片方の洋一と消耗し合っていたせいだった。

 洋一はせっかくの豪華なゆうげを前に頭を抱えだした。

「もういいから、それ以上食べるなって」

「なに言ってるのよ、洋一。あんたこそ早く食べなさい」

「うん……なんかお腹すいてないんだよね。父さんたちで食べる?」

「二人で三人分なんか食べられないわよ。これだけのごちそうなんだから、洋一も箸をつけなさい」

 やむなく、先付の小鉢や炊き込み飯などは無視して、日ごろは家庭で食べられないような肉や海鮮などの食材にだけ箸を伸ばす。

 その違和感を、富士の湖畔にいる洋一Aを襲った。

『急に気持ち悪くなってきた……もうこれ以上、食べらんない……』

 洋一は内心では額に脂汗を浮かべるほどの苦痛だったが、努めてニコニコと笑顔を浮かべて、箸と皿を置いた。

「ごちそうさまでした。いやぁ、すごい美味しくて食べ過ぎちゃいました」

 当然ながら彼の発言の違和感に、亜耶はすぐに気づいた。

「いくら洋一が少食だからって、普段の学校のお昼より全然食べてなくない?」

「そうかな? インドア派なんでね。消費カロリーが少ないのかも」

 すると、自身は食事をしていないのに、みるみる腹部が痛みを伴うほどにはちきれそうに膨らんできた。

「あっ……ちょっと、おトイレいってきます……」

 肝心の雪は、ドロッチャから核心部分を聞いていないため、三枝亜耶の前でもおのこらしい姿も見せられぬとは、と呆れたようにトイレに駆け込む彼の背中を見る。

 しばらくして、すっかりと目を充血させて涙を浮かべた洋一は、いくらか落ち着いた胃を擦りながら、食事を再開した。


 三枝家と洋一は夕食を終えた後もテラスで歓談したり、屋内でテレビを観たりしていたが、時間も遅くなり、洋一も亜耶の家族とともに就寝することにした。

 彼女の両親は一階の和室スペースで、洋一と亜耶は二階に布団を敷く。

 彼らの布団の間には、亜耶が遠慮気味に避けている部分もあったし、洋一が彼女の両親に気を遣ったであろう絶妙な距離感が保たれていた。

『せっかくの肉も吐いちゃうし、なんだか疲れたな……もう今日は早く寝よう』

 洋一はそのまま眠りに落ちていった。

 その頃、屋外のテラスではポニーテールの髪を降ろして額に寄せ、白い襦袢に着替えた雪がスタンバイしていた。

「ドロちゃんの言う通りの作戦でだいじょうぶなのか。それになぜ私がこんなことをしなければいけないのやら……しかし、三枝亜耶のお父上が出した幽霊の話は良い下地になったな。上手くいくと良いのだが」

 日付が変わるのを待って、雪は魔法スティックを振る。

 まず、亜耶の両親が眠りから醒めぬようにした。

 そして、自身の姿や声を亜耶にだけ認識できるようにすると、静かにガラス窓を抜けて、室内へと入っていく。

 雪が二階の様子を見に行くと、洋一たちも亜耶もすっかりと眠っていた。

 彼らの姿を確認してから、吹き抜けの階段の中程にスタンバイした。

「うむ、そろそろ頃合いだな」

 雪は声を抑えて低めに呻くと、精一杯の慣れない芝居を始める。

「うぅ……うぅぅ」

 妙な声で亜耶が目を醒ますと、首を上げて暗がりの室内を見回した。

 すると、二階フロアに続く階段が軋みを上げ、誰かがゆっくりと上がってくる足音が聞こえた。

「お母さん? それともお父さんなの?」

 だが、階段を昇ってきたのは長い黒髪で顔を覆った白い襦袢の女性だった。

 それを見るなり、亜耶は悲鳴を上げて掛け布団を抱えながら後ずさりし、壁にぴったりと背中を付けて震えている。

「やだ、こっちこないで! お母さん聞こえる? ねぇ洋一ってば!」

 しかし、両親も洋一も目を醒ます気配もなかった。

「うぅぅ……おあぁぁ……」

 オバケはゆっくりと亜耶へと向かうが、その手前で眠る洋一の前でぴたりと止まった。

「洋一、オバケだってば! 起きてよ!」

 しばらく無言で佇んでいたオバケは、背中に隠した鋭利なノコギリを取り出した。

 窓から差し込む月明りを浴びて、刃はその刀身を怪しく輝かせる。

 そのままオバケは洋一の首元にノコギリの刃を合わせた。

「お願いやめてっ、ねぇ洋一ってば!」

 雪は顔を覆っている黒髪の隙間から口元だけ見せると、にやりと笑う。

 そして躊躇することなく、刃を洋一の首に当てた。

「きゃああぁぁぁっ!」

 それきり亜耶はぱたりと倒れ込んで、意識を失った。

 一方の洋一は、疲労のせいで変わらず眠り続けている。

 その隣にも新たに分裂した、ぐっすりと眠る洋一が居る。

 雪は前髪をばさりと後ろに流すと、水晶球でドロッチャとの通信を始めた。

「どうだ、ドロちゃんよ。そちらの様子は?」

『えぇ、十二時を過ぎた時点でこちらのヨーイチは、ちゃんと消えましたわ。ご両親が心配されないように、これから回収に向かいますわよ』

「しかし幽霊の芝居を見せるためだけに、また私の魔法も使ってしまったぞ。おまけにドロちゃんは洋一の回収の手間もあるし……いったいどうするんだ? これで洋一と三枝亜耶の仲が進展するとも思えぬのだが?」

『恐怖刺激によって心拍が上がると、男女が恋と勘違いすることもありますわよ。ジェットコースター理論ですわ』

「良く分からぬが、その恐怖心が正の作用をすると考えてよいのだな?」

『ユキの時代に日本だって、そういう恐怖刺激はあったでしょう?』

 一方的に水晶球での通信を切ったドロッチャとの会話を終えて、雪は乱した髪を後頭部にまとめだした。

「はて……四谷怪談や番長皿屋敷で、男女の恋仲が進むということはあるのだろうか? どちらかと言えば、おなごが怨霊になる話ばかりのような気が……」

 ぐったりと倒れ込む亜耶と、変わらず眠る二人の洋一を見ながら、雪は頭を掻く。

「それにしても、ドロちゃんのくせに作戦としてはなんとも緩いのではないのか。とても洋一と三枝亜耶の恋仲が進むとは思えぬが……世間全体が浮かれているから仕方なしと言えるのだろうか……これがゴールデンウィークというものか」

 腕を組み、首を傾げたまま雪は窓の外へと出ていった。

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