八日目:戦慄の黄金週間 第一話

 四月の終わりも押し迫った平日の夜遅く。

 洋一の部屋には魔女として契約した雪のほかに、変わらず召喚待ちのドロッチャが気楽に居候していた。

 そんな環境にもすっかり慣れたのか、洋一はベッドに横になったままスマートフォンを眺めて夜更かしをしている。

 ドロッチャは『美容に悪い』との理由で、すでにクローゼットの中に隠れて就寝をしていた。雪は大きく背伸びをしながらあくびをしたが、未だ眠る様子もなく怠惰に過ごす洋一に呆れたような視線を向ける。

「洋一よ、そんな堕落した生活を送っていると、明日の学校に障るぞ。早く寝ろ」

 いったい雪はなにを言い出すのかと、頭だけ持ち上げた洋一は壁に掛かったカレンダーを指差しながら、得意気に語る。

「ほら、明日からゴールデンウィークだよ? 学校はしばらく休みだよ」

「ゴールデンウィークだと?」

「四月の終わりと五月の最初は、国民の休日なんだよ。だからウチの学校はその間、ずっと休みになる代わりに、中旬から学力テストが始まるってわけ」

「ふぅむ……現代は卯月うづき皐月さつきに大きな休暇があるのだな」

「そっ、だから今日はのんびりするって決めたんだ」

 なるほど、と納得しそうになった雪は、竹刀で洋一の腹をつんつんと突つく。

「そうではあるまい。健全な心身のためには早寝早起きは大事だぞ。それに三枝亜耶と恋仲になるという契約もあるではないか。彼女といずこかに出掛けてはどうだ?」

 契約を達成しないと百日後には死ぬ、とのことだが、この一週間は雪の危なっかしい魔法のせいで、亜耶とは微妙な空気が漂ってばかりだった。

 加えて、ドロッチャの怪しいプロデュースである。

 洋一にとっても、いま果敢に動くのはあまり好ましい状況とは言えなかった。

「亜耶だってとっくに予定くらい入ってるはずだよ、国民の休暇なんだもん。魔女の契約も忘れて、日本人のお雪もゆっくりしたらどう?」

「むぅ……お前が三枝亜耶との仲を進展させるのに前向きになってくれないと、私のクビもあるのだが……」

「ゴールデンウィークなんて日本中が休みなんだから、どこもかしこも混雑してるよ。それにウチはみんなインドア派だから、父さんだってきっとゆっくりするよ」

「いい若者がもったいない……まぁ、気が変わったら言ってくれ」

 雪は渋々、クローゼットに背中を預けて眠ることにした。


 穏やかな連休の初日は、少し遅めの朝食から始まった。

 父もゆっくり寝て日頃の疲れを取ったのか、洋一とともに食卓に座っていた。

 だが、母は妙に機嫌が良さそうで、常に笑顔を浮かべていた。

「洋一。今年はいいことがあったのよ」

「どしたの?」

「お父さんが珍しく、今年は箱根にでも旅行しようって言ってるのよ。聞いたら商店街のくじ引きで旅行券が当たったから、それで温泉でも行きましょうって」

「へぇ、そりゃすごいや。だったらついて行こうかな?」

「そうよ。こんなハイシーズンなんか普通は宿だって高価くて泊まれないわよ。それじゃゴールデンウィークの後半、五月三日から五日まで二泊三日の予定で予約してるらしいから、あんたも空けときなさいよ」

 洋一が朝食を終えて自室に戻ると、魔女たちに向けて両親との会話を繰り返す。

「まぁ、ご立派なことですわね。クジ運もその人の強さのうちですわよ」

「それならば、やむを得まい。契約のことは置いといて、お父上たちと日頃の垢でも落としてくるのがいいだろうな」

「……ついてこないの?」

 洋一の質問に対し、雪も首を横に振る。

「三枝亜耶とは別行動なのだろう? ならば、なぜ我らがついていくのだ? 恋仲が進むわけでもあるまいし。ドロちゃんと私で家の留守は見てやる。窃盗が入ってきたら、魔女の力で脅してやるからな。私もそのゴールデンウィークとやらを堪能させて貰おう」

「……ドロちゃんは?」

「わたくしはユキと一緒にお茶をしながら、ヨーイチの帰りを待ってますわ」

「そうだよね……」

 家族同伴だが、そこに同行する同年代のいとこや兄弟姉妹もない男のひとりっ子。両親には姿の見えない魔女とはいえ、彼女たちと一緒なら華やかな旅行になるかと思っていたが、雪もドロッチャも来ないと聞くと、露骨に落胆する洋一であった。

 彼は背中に影を湛えながら、早めの荷造りを始めた。


 荷造りを早々に終えた洋一は変わらずのんびりと過ごしていたが、夕食までの間、わずかに口寂しくなりスナック菓子でもないかと、キッチンで家探しをしていた。

 しかしめぼしい備蓄もないので、コンビニまで歩いて買い物へと向かった。

 すると、亜耶の家の前で、彼女とその母親にばったりと出会う。

「あら、洋ちゃんじゃない。ちょうどよかったわ。亜耶から伝えておこうと思ってたんだけど」

「こんにちは、おばさん。なにかあったんですか?」

 亜耶の母が差し出したのは、富士湖畔のキャンプ場の案内パンフレットだった。

「ゴールデンウィークの休みを利用して、コテージを借りてキャンプすることにしたんだけどね。もしよかったら洋ちゃんも一緒に来れないかなって思ったのよ」

「そんな、せっかくの旅行に僕が一緒に行ってもいいんですか?」

「気にしないでいいわよ。こないだ、洋ちゃんに亜耶の勉強を見て貰ったし、学校のジャージも貸してくれたでしょ? それに動物園のオオカミが逃げだした時も、亜耶のこと守ってくれたじゃない。それのお礼よ」

 結果として、雪の危険な魔法は、状況を好転させたようだった。

 そう納得した洋一も恐縮して頭を掻く。

「洋ちゃんも亜耶も、お互いの旅行に参加するのって小学生の頃くらいぶりじゃない? だから、たまには誘ってみなさいって亜耶にも言ったのよ」

 まさかの願ってもいない亜耶との旅行に、洋一は天にも昇る心地だった。

 だが、亜耶はまだ先日の件を引きずっているのか、少しばかり堅い表情だ。

「別に、洋一も無理にとは言わないけどさ……お母さんたちがどうしてもって言うから、どうかなって思って」

 これを機に一気に間合いを詰めたら、雪との契約もすぐに終わるはず。

 洋一はふたつ返事で、首を縦に振った。

「じゃあ旅行は、お父さんの仕事がお休みになる三日からだからね」

「へっ? ……三日?」


 スナック菓子とジュースの入ったビニール袋を持って、洋一は自宅へと戻った。

 キッチンで夕食の準備をしている母にそれとなく会話を切り出す。

「ねぇ、母さん。こないだ言ってた旅行だけど、ちょっと都合が悪くなりそうなんだよね。キャンセルってできるのかな?」

 母は家事の手を止めて、強い口調で洋一を諫める。

「何を言ってるの! 商店街のくじだから交通費はタダじゃないし、宿のキャンセル料はしっかり取られちゃうのよ。それに、せっかくあのお父さんが旅行するって言い出したんだし。どうしてもはずせない予定じゃないなら、一緒に旅行に来なさい」

「どちらかと言うと、どうしてもはずせなくなりそうなんだけど……」

「そしたら洋一のお小遣いからキャンセル料を引いておくから、あんたはお留守番してなさい」

「ちょっ……わかったよ、行くよ」

 洋一の小遣いが人質に取られた以上、彼も拒否するのは諦めた。

 今度はスマートフォンで亜耶に向けてメッセージを送る。

『さっきのキャンプって予定をずらすことはできないかな?』

 すぐに亜耶から返信が入る。

『すごい混雑してるあたりの日をなんとか探して予約とれたから、無理っぽいよ。もし洋一の都合が悪いならちゃんと言ってよ? コテージ一棟ごとのレンタルで別に人数は関係ないから、最悪ウチだけで行くからね』

 それを読むと、洋一は渋い表情を浮かべた。

 文面からは、別に亜耶は自分が居なくても構わないみたいな様子にも見えた。

 この旅で亜耶との間合いを詰めるつもりでいた洋一だが、向こうはあくまで友人として、ご近所の息子として誘っているだけなのかと、悩んでしまう。

 それでも本懐のためなら亜耶とともにキャンプをした方がいいのだろうが、両親との旅行をキャンセルした場合に、少ない小遣いが奪われてしまう。

 それに対する、両親が納得する程の良い言い訳も思いつかない。

 亜耶の家族に誘われたと素直に口に出すのも、いくら両親とはいえ照れ臭いし、彼女が目的だと思われてしまうのも悔しかった。

「なんでこうなるんだろ……せっかくのゴールデンウィークだってのに……」


 洋一は力無い足取りで自分の部屋へと戻った。

 室内では普段と変わらず、雪は座禅をして、ドロッチャは紅茶を飲みながら魔法書を読んでいた。

 洋一は力無く床に座ると、スナック菓子にも手をつけず、大きな溜息をついた。

「どうされたんですの? 犬のフンでも踏んだのかしら?」

「鳥のフンが服にでも付いたのではないか?」

「それならどんなに良かったか……ウンが悪いんだよな、僕は」

 すっかりと気落ちした洋一の様子を訝しんで、互いの目を合わせる魔女たち。

 洋一はおもむろに雪の両手を掴み、懇願する。

「こういう時こそ、魔法だよ。お雪、なんとかしてよ」

「こらこら。何があって何をなんとかせよ、と言うのだ」

 洋一から仔細を説明された雪は、腕を組んだまま深く思索した。

「ふむ……それなら三枝亜耶とともに旅行にいくべきではないか? お前の望んだ契約を考えたら答えは自ずとひとつであろう」

「そうだけどさ。父さんたちの機嫌を損ねるのもまずいんだよ。お雪は知らないと思うけど、父さんが旅行しようなんて、こんなの滅多にないんだから」

 そばで聞いていたドロッチャは魔法書を閉じて、洋一に視線を移す。

「ユキの魔法で家族旅行を無かったことにすればいいのですわ」

「それは悪いよ。あの父さんが、せっかく温泉旅行に気乗りしてるのに」

「うむ、そうだな……ご両親に湯治に行って欲しいという洋一の気持ちは殊勝だ」

 そこでドロッチャが得意そうな笑顔でティーカップを置いた。

「あらあら。しょうがないんですから、ヨーイチったら。でしたら、いよいよわたくしがプロデュースする必要が出たんじゃないかしら?」

 逆に自信満々のドロッチャを見てしまうと、また雪に危険な知恵を授けるのではないかと、洋一も身構える。

「いや……ドロちゃんのプロデュースは無理にとは言わないよ」

「召喚主と魔女との契約に関係ないわたくしでも、アイデアを与えるだけならば介入できますのよ」

 そう言って洋一のクローゼットの中をごそごそと探ると、小さなノコギリを取り出した。

 刃の先をたわませて、びよんと鳴らしながら微笑むドロッチャの顔を不規則に反射した西日が怪しく照らす。

「さぁ、覚悟なさい。ヨーイチ」

「いや……まだ契約から百日も経ってないし、死にたくないから勘弁してよ……」

「これで、ヨーイチを半分コのバラバラにして差し上げますわ」

「お雪、ドロちゃんに殺されるっ!」

 逃げ惑う洋一の身体を、鈍い輝きを放つ鋭利な刃が襲う。

「これ、よさぬか、ドロちゃん!」

 雪も反射的に動き、ドロッチャの手首を抑え込もうと走り出す。

 洋一はカーペットに足元を取られて転倒しているうちに、脳天から胴までをドロッチャのノコギリが捉えた。

「いやだっ! まだ死にたくない……あれ?」

 身体を切断されたと思った洋一が瞼を開くと、すぐ横に全く同じ姿の自分が倒れていた。

「うわっ、僕がもうひとりいる!」

「魔法道具である『はんぶんノコギリ』でヨーイチの身体をふたつにしましたわ。とはいえ、どちらも間違いなくヨーイチの本体ですのよ」

「確かに、背丈も質感もぜんぶ僕と一緒じゃん……」

 洋一も雪も、新たに登場した彼の分身を茫然と見ている。

「いや、なんでお雪もビックリしてるのさ、魔女でしょ?」

「だから、私は剣術以外は秘薬も魔法道具もさっぱり分からぬのだ」

 すると、分裂した洋一も目を見開き、むくっと上半身を起こす。

「うわっ、本体から切り離されちゃったじゃん!」

 新しい洋一もまた、すぐ向かいの本体を見て驚いていた。

 魔法のノコギリをクローゼットの奥にしまったドロッチャは腰に手を当てて、座り込む二人の洋一を見下ろす。

「よろしいこと、ヨーイチたち。どちらかがご家族と、どちらかがアヤと一緒に旅行をしてきなさい。それで円満にゴールデンウィークを終えるのですわ」

 洋一たちはこの状態からのなりゆきを探るため、無言でうなずく。

「それに元に戻れば、どちらのヨーイチの記憶も残りますわ。ご両親やアヤに適当にウソをついて話を合わせるよりも、楽でしょう?」

「マジか!」

「これなら大丈夫じゃん!」

 一斉に、歓声を上げる二人の洋一。

「それで、どちらがアヤと一緒に旅行にいくんですの?」

 ドロッチャは二人の洋一の鼻先に交互に人差し指を向ける。

 黙って互いの顔を見ていた二人の洋一だったが、本体が声を上げた。

「あっ、それは当然、オリジナルの僕が……」

「やっぱ仕方ないけど、そりゃ都合よく切り離された僕でしょ」

「いや、なんでだよ。本体の僕のようが僕より偉いだろ」

「無理やり分身させられたんだから、僕は本体の僕より被害者だぞ」

「いいよ。黙って僕が残れって。僕は亜耶と行くから」

「知らないよ。僕が亜耶と行くから、僕が温泉に行けって」

 途端に揉めだす洋一たち。

「あなたたち、わざとやってるんですの?」

「こればっかりは僕たちでちゃんと決めないと」

 またも揉め続ける洋一たちに対し、ドロッチャは呆れて右手をひらひらと振る。

「面倒くさいヨーイチたちですわね。では独断で決めますわ。仮称でアヤと旅行にいく元の方をヨーイチAとしましょう。切り離されたヨーイチBは、ご家族と一緒に温泉に向かうといいですわ」

 渋々納得した様子の二人の洋一だったが、とりあえずの難局を乗り切るすべを与えてくれたドロッチャに対し、礼を述べた。

「でもすごいね、ネコ型ロボットみたいだ。さすが上位魔女」

「こないだのことから、ちょっと見直したよ。ごめんね」

 ドロッチャは有頂天になって、鼻を鳴らしながらぐっと胸を張る。

「助かった、ドラちゃん」

「ありがとう、ドラちゃん」

「ですから、わたくしはドラちゃんでもドロちゃんでもなく、ドロッチャですわ」

「それで、当日まで僕らはこのままなの?」

「安心なさい。日付をまたげば自動的に元に戻りますわ。旅行の当日にもう一度、分裂させますわよ」

 安堵した洋一たちは鼻歌で器用にハーモニーをしながら、それぞれの荷物を確認し出す。

 一連の騒動を見守っていた雪は言いようのない不安を覚え、ドロッチャに懸念事項を伝えた。

「しかし、よいのか? 我らの魔法は日に一回。秘薬と魔法道具と使い魔のレンタルはその効果を日付をまたぐことはできぬであろう。どちらの旅行も二泊三日だぞ? 毎夜毎夜、分裂させる必要があるではないか」

「そうですわ。だからわたくしたちも旅行にお邪魔しますのよ。いずれにせよ、わたくしの所有する魔法道具ですので、わたくしは魔法が使えませんわ。万が一のトラブルの際は、ユキの魔法だけが頼りですの。それに協会に休暇申請もせずに、契約中に召喚主とのんびり温泉に入れたりキャンプができるなんて、ユキも役得ですわよ。感謝なさい」

 するとドロッチャは、自身のマントの中に隠した魔法スティックと、雪の脇差の鞘にあるスティックを取り出す。

 そこに簡単に『A』『B』とだけ書いたシールを貼りつけ、また鞘に二本とも納めた。

「ヨーイチAとヨーイチB、どちらがどちらを見守るか、クジで決めますわよ」

「仕方あるまい。くれぐれも、どちらの洋一にも妙な真似をするのではないぞ」

 魔女たちは、それぞれに選んだスティックの柄を一気に引き抜いた。

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