一日目:魔女お雪、業務開始 第二話

「そんなこと、この子に聞いても無駄ですわよっ!」

 洋一の部屋のクローゼットの扉が勝手に開き、吹き出し渦巻く風とともに、飛び出してきたひとりの少女。

 見た目から外国人であるのは間違いないだろうが雪よりも背が小さく――雪が江戸生まれの女性にしては背が高いだけかもしれないが――年齢も少しばかり若そうだった。

 いかにも魔女らしい黒い三角帽子や黒マントを着けてほうきを持っているが、少女が身に着けている洋服は、フリルがたくさん付いたワインレッドのゴスロリ調ワンピースだ。

 ゴスロリ少女は波打った長い金髪をばさっと払うと、両手を腰に添えて威圧感たっぷりに語り出す。

「わたくしが全国魔女協会の上位魔女、成績優秀にして容姿端麗、魔女の中の魔女とも言うべき至高の存在、ドロッチャさまですわ! ひれ伏しなさい!」

 新しい魔女の登場を茫然と眺める洋一の姿を見るなり、ひとり感傷に浸る。

「この男はわたくしの美しい姿に、思考が追いついていけないようね。矮小わいしょうな脳を持っているとあまりに気の毒だわ。そして、まことに罪なわたくしね」

 その相手をするのも鬱陶しいといった風に、雪は適当に会話を流す。

「何をしにきたのだ、ドロちゃん」

「ドロちゃんと呼ぶな! わたくしはドロッチャ、ハンガリー生まれの崇高な貴族の娘! 英語読みのドロシーでおなじみ、ドロッチャさまですわよ!」

 ドロッチャは発言のひとつひとつに大きな身振りをつけては、陶酔した表情を浮かべている。

「へぇ、ハンガリーにも魔女がいるんだ?」

「そうだ、ドロちゃんは何かにつけて私の邪魔をしに来る、面倒くさいやつなのだ」

「ちょっと! わたくしを差し置いて、勝手に会話を進めてはいけませんわよ!」

 いちいち自己主張をしてくるし高飛車で生意気な発言もあるが、洋一には彼女が寂しがりの構われたがりなんだろうと見えた。

「それでドロちゃんさんは、なんでここに来たんですか?」

「これ、そこの男。ドロッチャだと申しておりますでしょう……わたくしは長い友でもありライバルでもある、ユキがうまくいっているか、視察にきたのですわ」

 溜息とともに、こめかみを押さえる雪。

 ライバルと言いつつ成績をバカにしにくるだけのドロッチャは、わずらわしい存在だった。

「わたくしは全国魔女協会の業務において、全てで優秀な成績を収め、このたび晴れて上位魔女二級を取得したのですわ。まだ星ひとつのユキは大変ですわね?」

「星ひとつと上位魔女ってどう違うんですか?」

「いい質問ね、人間の男。まず魔女は星ひとつからみっつまで昇段していき、一定の成績や協会への貢献度が認められると上位魔女の三級となり、二級、一級、そして特級となるのですわ」

「それじゃあ、お雪は星ひとつって……」

「そうなのよ、人間。このユキは魔女として三百年近く活動しているくせに、まだ最下層なのですわ」

 笑いを堪えたドロッチャに膝をつんつん突つかれた雪は、おもむろに立ち上がり腰の竹刀に手を添える。

「貴様を一度、斬ってみたかったのだ」

「いいですわ。魔女のくせに肉弾戦などと下品なことをする愚か者に、力量の差をご覧にいれましょうか!」

 するとドロッチャも魔法スティックを握り、応戦体制に入った。

「ちょ、ちょっと。ここで暴れないでもらっていいですか? 僕の部屋なんで」

 慌てて洋一が両人の間に割って入ると雪も渋々、竹刀から手を離す。

「それにしても、なんで僕もドロちゃんの姿が見えるんだろ?」

「だからドロッチャと申しておりますのに……それは、あなたがユキと契約を交わしたからですわ。その間はほかの魔女の姿も視認できますのよ」

「じゃあドロちゃんは、ほかの誰かと契約してて、いま日本にいるんですか?」

「いいえ、ユキにご挨拶に来ただけですわ。日本だけでなく世界中どこからでも召喚されたら参らねばなりませんが、今は契約を終えたばかりのフリーですの」

 なぜか胸を張るドロッチャだったが、同い年くらいの西洋人のわりに、胸の大きさは雪の方があるみたいで、洋一もなんとなしに気の毒そうに見ていた。

「ちなみに。わたくしの昨年の契約と、業務達成した成績は十八件ですわ」

「凄いな、二十日くらいに一件のペースで片付けているんだ。実際に禁断の書を拾われるタイミングも考えたら、さらに半分くらいって感じか」

「それで、ユキの昨年の成績はどうでしたかしら?」

 雪はうつむいたまま、苦々しく話す。

「五年で三件で、すべて百日かけて達成できず、すべての召喚主を殺した……」

「あら、気の毒ですわね、人間。ユキが割り振られた時点で、その若い命を散らすことになるのは必定ひつじょうですわ。残念ですが」

 ドロッチャは洋一の背中にやさしく手を添えたが、慰めには見えないうすら笑いを浮かべており、魔女のものか彼女自身の性格か、冷徹な一面を垣間見せた。

「そういうわけで、わたくしが召喚されるまで、ユキの近くでお邪魔しますわ」

「いや、困るんですけど。僕も普通にお雪と契約してお願いしてる立場だし」

 そんな洋一を無視してドロッチャは本棚にあった魔女のノートを手に取ると、ページをめくる。

「なるほど、あなたのお名前は三枝亜耶ですわね。どうぞ堅苦しい言葉遣いはなく、ユキと同じように接してもらって構いませんわ。よろしく、アヤ」

「いや、違うよ。それは願いを叶えてもらう相手だって。僕は榊原洋一」

「では、あらためてヨーイチ、よろしく」

 ドロッチャと握手をする今の状況も理解できない洋一の混乱はピークを迎えた。


 その晩。

 洋一は自分のベッドに寝ているが、ふと上半身を起こし暗がりの室内を見る。

 雪は変わらず壁にもたれたままで、すぐに戦支度に出られるような野武士の格好で寝ている。

 ドロッチャは寝しなのあいさつをしてから、中身は洋一の洋服だらけの、自身が飛び出してきたクローゼットの中に入っていく。

 考えようによっては、女の子が二人も部屋の中にいるこの状況を考えるほどに眠れなくなってしまい、ふとんを頭まで被ってみた。


 洋一はろくに寝つけずにそのまま朝を迎えた。

 重い頭を持ち上げて、室内の確認をする。

 すでに雪はここにおらず、早朝の鍛錬をしているようだ。

 ドロッチャはどこから持参したのか、マグカップやポットを用意して、洋一の机の上でモーニングティーを飲んでいた。

「おはよう、ヨーイチ。学校もあるのに遅くまで寝てて、学生のくせにずいぶんと優雅な朝ですわね」

 むしろ彼女たちの存在が気になって眠れず、寝不足で腫れたまぶたを気だるくこする。そのまま寝間着を脱ごうと、洋一はズボンに手をあてたところでドロッチャの顔を見た。

「あの……ここ僕の部屋だから、着替えたいんだけど」

「さっさと着替えればよろしいですわ。別にわたくしはユキのように男性知らずの奥手ではないので、男性の下着姿など気にもしませんわよ」

 彼女が本気で言ってるのかと困惑したが、仕方なしにズボンを下ろそうとする。

 だがドロッチャは、ニヤニヤと笑みを浮かべてしっかりと覗いていた。

「ちょっと、こっち見ないでよ。まじめなお雪と違って変態の魔女だな」

 起き抜けに不快な思いをさせられたので嫌味を言ってみた途端、ドロッチャはカップを置いて、洋一をベッドに押し倒す。

 そして、彼の上に覆いかぶさるように乗ってきた。

「ヨーイチはあと九十七日しか生きられないのに、ただでさえ成績が悪いうえ、ユキみたいな恋愛がらみで素人の魔女に依頼するなんて愚かですわ」

「召喚の時点では、誰が来るかわからないのに、選べるわけがないじゃん」

 ドロッチャは洋一に身を預けて、耳元で囁く。

 女の子の匂いとほのかな紅茶の香りが、彼の鼻腔をくすぐった。

「憐れなヨーイチがこの世の別れを迎える前の慰みに、わたくしが『夜の契約』を教えて差し上げてもよろしくてよ?」

「えっ、本当ですか……それはそれで……よろしければ」

 ドロッチャの瞳が怪しく輝くと、洋一は思考があいまいになり、まるで高熱に浮かされたように意識が薄らいでいく。

「洋一よ、まだ寝ているのか。学校の時間に間に合わないぞ」

 ちょうど早朝の修行を終えて、汗を拭いながら室内に入ってきた雪は、ベッドの上で重なる洋一とドロッチャの姿を見る。

「ちぇすとぉーっ!」

 ドロッチャの後頭部に竹刀を振り下ろすと、ぴしゃりと乾いた木の音が響いた。

「なんですの! ユキを召喚してしまった気の毒なヨーイチに、わたくしが魔女のお手本を見せて差し上げようと思ってたのに!」

「貴様のは単なる色仕掛けではないか! 契約待機中や召喚主以外にも易々と魔法を使いおって、規約違反で始末書になるぞ!」

 我に返った洋一は前後の記憶も曖昧で、自分のすぐ目の前にあったドロッチャの顔に驚いた。

「うわっ、いったいなにをしたのさ?」

「あら、お楽しみはこれからでしたのに……だいたいヨーイチの願いは、幼馴染と付き合うことでしょう。それならユキは魔女らしく媚薬を盛るとか、惚れる魔法を使うとかして、さっさと片付ければいいのですわ!」

 それは確かに一理ある、と彼女の指摘に得心した洋一も、雪に期待の視線を送る。

「私は、魔法とはあくまで支援であって、真正面から素直な気持ちでぶつかるのが、両者にとって良いと思っただけだ」

「相変わらず愚かですわね。魔女にとって成績こそすべて。召喚主の期待にこたえるために技を駆使してさっさと契約を終えるのも、魔女の努めですわよ!」

 洋一の上からどいて、雪と睨み合うドロッチャ。

 一触即発の両者の空気に、洋一は慌てて諫めに入った。

「まぁまぁ、朝からケンカしないでよ。いいじゃん、いろんな魔女がいるってことでさぁ」

 それでも納得できない雪は、彼女らしくなく落ち着きない様子で反論する。

「いいか、洋一。だいたいこいつは、先程の術のように他人をたぶらかし、成績を重視しすぎて、過度に召喚主に干渉するため、契約を終えたあとに破綻し身を滅ぼした者も多くいるのだぞ。それゆえ魔女の中では『泥棒猫のドロちゃん』と呼ばれているのだ」

「なんですの! その『泥棒猫のドロちゃん』って誰が言ってるのよ! そもそも召喚主自身の努力もなく、魔女の甘言に乗って願いが叶うなら相応のペナルティがあって当然! それこそ魔女が伝承すべき忠告ですわよ!」

 口論を続ける二人を尻目に、制服に着替え終えた洋一は静かに廊下へ出た。

 ドアの向こうではまだ、ケンカをしている。

 なんだかんだで二人は仲良しなのだろう。

 だが、雪やドロッチャの言っていた言葉が彼の頭の中をぐるぐると回る。

「そうだよな、魔法にだけ頼っても自分の気持ちは亜耶に届いてないもんな……」


 玄関を開けると、いつもの朝と変わらず亜耶が待っていた。

「おはよ、洋一。さっ、学校に行こう」

「うん、おはよう」

 二人並んで、普段と変わらず登校をする。

「さいきん、変なことばっかり起きるよね。洋一の気の毒体質が、不幸ってレベルにまで育っちゃったんじゃない?」

「うーん、なんとも言いにくいけど……不幸と思わなければ不幸じゃないというか」

 魔女の存在は秘密なので、奥歯にものが挟まったような歯切れの悪い回答だった。

「来るとわかってて起こるべくして起きた不幸だったら、僕は気にしないけどね」

 洋一の発言の趣旨を理解できず、亜耶も首を傾げる。

 教室に入っても、まだ昨日のオオカミ事件は話題の的で、洋一と亜耶は他の生徒に囲まれていく。

 地味で控えめな性格の彼も、クラスの中にいて人生最大の人気者になった瞬間だ。


 放課後になると、亜耶は陸上部の部活に向かう。

 洋一は電算部にはたまにしか顔を出さないため、帰宅の準備をする。

 まだ今日の魔法が発動した様子も見られず、平穏な一日を終えたことに油断しきっていた。

「ねぇ、榊原くん」

 学級委員の有栖川が声を掛けてきた。

 いったい、『氷の姫』がまた自分に何の用か、と洋一もにわかに緊張する。

「有栖川さん。どうしたの?」

「もうじき次のテストよね。榊原くんは勉強が得意でしょ? 予習はできてるの?」

「クラストップの有栖川さんや、男子トップの木下ほどじゃないから、そんなに得意でもないけど、勉強だけはそれなりに……」

「頑張ってね」

 あの『氷の姫』がさほど冷たくもない笑みを浮かべて、去っていく。

 笑顔を向けられた洋一は高揚感から、胸の奥がみるみる熱くなるのを感じた。

 自分には亜耶と付き合いたい、という魔女との契約があったが、不意を突かれた格好の洋一も、淡い期待からうすら笑いを浮かべながら陽気に帰宅した。

 自宅に戻ると、雪は目を閉じて座禅を組んでいる。

 ドロッチャはアフタヌーンティーを楽しんでいた。

「どうしたの、ヨーイチ。さっきからニヤニヤして気持ち悪いですわよ」

 洋一は得意満面で前髪をさっと流す。

「僕もモテ始めてしまったのかもしれない。これなら亜耶もイチコロだね」

 思わず雪も座禅を崩し、ドロッチャも呆れたようにカップを置く。

「可哀想に。ユキのせいで死を迎えることが納得できず、精神をおかしくされたのですわ。きっと幻覚をみてますわね。やはりわたくしが肌を重ねて夜の幻覚を見せるしか……」

「貴様はうるさいわ! しかし、どういうことだ? 今日の魔法はこれからだぞ?」

 洋一は魔女たちに学校で起きた経緯を説明する。

「こんな冴えない男を、学級委員が上から慰めただけではないですの?」

「ダメなおのこほど惚れてしまう、変わった物好きなのかもしれぬぞ」

 魔女からの散々な言われように、洋一はあっという間に自信を失った。

「まぁ、よい。洋一、今日の魔法だ。覚悟せよ」

 魔法スティックを鞘から出した雪は、彼の鼻先に向ける。

「今回はわたくしがキチンとプロデュースしましたの。ヨーイチも安心なさい」

「ドロちゃんが一緒に考えてくれたなら、安心だね」

「ですから、わたくしはドロッチャですわ。ただし上手くいくかはユキの魔法とヨーイチの頑張りしだいですわよ。心しておきなさい」

 雪は目を瞑り、神経を魔法スティックに向けた。

「はあっ!」

 開眼すると、気合いの声とともに一閃する。

「……なにも起きないみたいだけど?」

「まぁ魔法の効果を待って、しばらくお休みなさい。きっと上手くいきますわ」

 それきり、何の変化もなく時間だけが過ぎていく。

 雪は座禅に戻り、ドロッチャは静かに紅茶を飲む。

 期待と不安を抱え、そわそわと待っていた洋一も、やがて魔法のことはすっかりと忘れ、制服を脱ぎベッドに寝転んで漫画を読んでいた。

 そのうち、ドアの向こうから階段を上がる音とともに、ドアノブが回される。

 室内に入ってきたのは亜耶だった。

「なんだよ、亜耶。なにか用事?」

「えっ、うそ! なんで洋一の部屋なの?」

「僕んちに用があって来たんじゃないのかよ」

「あたしの家に帰ってきたのに、ドアを開けたら洋一の部屋で……」

 すると、魔女たちが怪しくにやりと笑った。

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