序章:東洋の魔女 第二話

 ノートから放たれた光の魔法陣。

 その中心には、徐々に女性のシルエットが見える。

 女性は、まるでノートから突き出てくるように、次第にその姿が露わとなる。

 膝を震わせながら茫然と見ていた洋一も、目の前で起きる奇跡に瞬きも忘れてじっと見続けていた。

 やがて、光が収まると女性の陰影が明らかとなっていく。

 このノートがホンモノだとしたら、これが契約にやって来た魔女なのだろうか。

 固唾を飲んで見守っていた彼の前に現れたひとりの女性。

 容姿は洋一より少し年上くらいなのだが、背丈は男性と同じくらいに高く、さらに背筋がピンと伸びているせいか、凛とした雰囲気は見た目よりも大人びて見える。

 その女性は柔道や剣道のような白の武道着と、下半身には紺色の袴を着け、手には竹刀を持っていた。

 瞼を開くと、長い睫毛の隙間から切れ長の澄んだ瞳が見える。

 そして、美しい艶のある黒髪を後頭部で束ねたポニーテールを揺らした。

「ふむ、久しぶりの召喚だったな。刀が鈍るというものだ」

 女性は突然に室内で竹刀を振り回し出した。

 禁断の書で召喚するのが魔女だとあったので、てっきり物語で出てくるような西洋人の魔女だと洋一も思い込んでいたが、それはどう見ても日本人にしか見えない。

 日本人というだけでなく、しかも剣術家のような人物が現れるという事態に、洋一はいくつも理解できずに口をぱくぱく開閉させる。

「お前が私を召喚した者か。あいさつが遅れてすまない。私は魔女の雪という者だ。雪と呼んでくれて構わない」

「魔女? どう見ても剣道をしてる女の人にしか見えないんですけど……」

「そうは言うが、これでも魔女なのだ。お前を騙してはおらぬぞ」

「魔女なのに、外国の人じゃないんですか?」

「待て待て。西洋の生まれではないが、私が魔女だという証明をしてやろう」

 雪と名乗る魔女は道着に右手を入れて、胸元から縦に開く手帳を取り出す。

 すると、そこには彼女の顔写真と共に肩書らしきものが印刷されている。

 らしきもの――すなわち、最初は記号や図形に似た文字とおぼしきものと認識していた印刷の羅列は、みるみる洋一にも読める日本語になっていったので、それに顔を近づけて指でなぞりながら読む。

「はあっ?『全国魔女協会・認定協会員 ユーラシア支部所属 雪』って……それに全国魔女協会? どういうことですか?」

「私はれっきとした魔女だ。こういう格好をしているが……ともかくも魔女なのだ。信用しないのであれば斬るぞ」

 ぐっと腰を落として竹刀を構えだす自称魔女を見て、洋一も瞬きを繰り返す。

「竹刀で斬るって……というか、なんで魔女のくせに日本人で和服なんですか?」

 和装の魔女は、照れを隠すように声高に訴えた。

「仕方ないのだ! 私もこの状態で魔女になってしまったのだから……」


 魔女は竹刀を床に置き、両膝を折り正座をすると洋一に向き合った。

 それはどうみても、剣道部が試合の前に行う精神統一のようであった。

「私は全国魔女協会の中でも唯一、東洋から認定された魔女だ。西洋の者が多数在籍する中で、こうして日本人、いやアジア人から初めて選ばれた、すなわち東洋の魔女なのだ」

「東洋の……魔女ですか?」

 未だ理解が及ばず、口を半開きにしている洋一の問いに、魔女は静かにうなずく。

「協会の魔女として召喚主と契約を行い、その願いを叶えるために参上したのは、間違いない事実だ。私がお前の願いを叶えてやる」

「魔女ってもっとサバト的な、人間にとって悪さをしたり逆に良いことをしたり、変な術や薬を作ったりするもんじゃないんですか?」

「うむ、そうしたいのもやまやまだが。秘薬や医術もあまり得意ではない……それはさておき、だ。召喚主であるお前の名前を聞かせて欲しい。これから契約を遂行するというに、さすがに『お前』では互いに居心地も悪かろう」

「……僕は洋一。榊原洋一」

「わかった、洋一だな。先程も言ったが私は雪だ」

 握手のための雪が差し出す右手に、洋一もそろりと手を伸ばす。

 握り交わすと、魔女のくせに鍛え上げられてゴツゴツとした指先の感触。

「さて、さっそくだが、洋一の願いを聞かせてもらおうか。魔女利用規約によって叶えられない願いもあるのでな」

「えっ? 叶わないものもあるんですか?」

 雪は得意満面に講釈垂れるといった風情で、暗記したマニュアルを語り出す。

「まず先天的に与えられたものを変えることはできない。身長を六尺……一八〇センチにしたいとか、身心の障害を完全に除去するとか、戸籍・家柄・先祖を変更するのは無理だ。醜男しこおな顔面を直したいとか、大金持ちになりたいというものは可能だ」

 雪は握った拳の指を順番に伸ばしながら、解説を続ける。

「次に国家の法を侵す、すなわち法律や条例の矛盾を越えることもできない。ここ日本ならば男子高校生が結婚するならよわい十八を過ぎぬ者を法が認めぬし、総理大臣になるというのも選挙権がないので叶わぬ。周囲で観察する者たちとの整合性が取れぬためだ」

 さらに三本目の指を伸ばす。

「最後は、召喚主の願いに対し、魔女が直接手を下すことはできない。たとえば、誰それを殺して欲しいと願うとするなら、毒薬は渡すがどう飲ませるかは本人次第だし、直接の被害を及ぼす魔法も届かぬ。乗り合わせた馬車に馬車ジャック犯がいるとか、入った食堂から食中毒が出るとかガス漏れがするといった乱数の範囲だ」

「馬車ジャック? バスジャックじゃなくて? 殺人とかは違法だけど願い事としては別にアウトじゃないんだ……それじゃ、例えばブサイクはどうやって直してもらえるんですか?」

「事故に遭って顔面が崩壊したのち、医師に美麗に造形して貰うとかかの?」

 想像しただけで痛々しい話に洋一は顔を歪めた。

「じゃあもっと非現実的な……普通の人間なのに魔法を使いたいとか、すごいチート能力が欲しいとかってのは、どうなんですか?」

「そんなものは無理だ。魔女といえど対応外の願いは却下だぞ。妥当な水準まで落として納得してもらうしかない」

 小説のような夢物語とは程遠い汎用性の低い契約に、洋一もわずかに腐る。

「……とまぁ、といったところで、洋一の願いを見せてもらおう」

 足元にある、契約の内容が書かれたノートを拾う雪。

「ふむ……『三枝亜耶と付き合いたい』か。わかった、たやすいではないか。久しぶりに楽な仕事がきたな。百日と待たずに付き合わせてやろう」

「本当ですかっ、よかった……って百日もかかるんですか?」

「なんだ、洋一は規約をよく読んでおらぬのか。最後のページを読んだか?」

 洋一は雪から契約のノートを奪い取って、背表紙の裏のページを見る。

 そこも各国の言語で、このように書かれていた。

『なお、願いが百日以内に叶わなかった時は、契約は不履行となります。魔女は減点対象となり、契約者は魂が奪われ死がおとずれます』

 それを読むなり、ノートを持つ洋一の手が震え出す。

「死んじゃうって書いてあるじゃないですか! どういうことですか!」

 混乱のあまりすがるように雪の両肩を掴むと、反射的に洋一の手首を握り大きく捻った。

「ふんっ!」

 そのまま投げ飛ばれた洋一は、ベッドの上に崩れ落ちる。

「洋一、鍛錬が足りぬな。まだ魔法なぞひとつも使っていないのに、その有り様か」

「だって、魔法を使うかどうかじゃなくて、雪さんが明らかに力技で済ませるから」

「堅苦しいな。雪でよい。お雪でもいいぞ」

「じゃあ、お雪が……」

 洋一が語り掛けると、雪は途端に頬を染めて静かになる。

「父上や兄上の他に、おのこに雪なぞと呼び捨てにされたことがないから、恥ずかしいな……なに?」

「えっと、どこから話せばいいのかわかんないです」


 自らを一旦落ち着かせようと、洋一は冷蔵庫からジュースを持ってくる。

 せっかくなので雪のためにコップと丸テーブルを用意した。

「たいしたものじゃないですけど、どうぞ座って飲んでください」

「私の時代とはずいぶん違うな。おのこから飲み物を貰うなんて……どうしよう」

 雪は変わらずに紅に染まった頬を押さえながら、グラスに注がれたジュースをじっと見ている。

「冷たいジュースだけど、ぬるくなりますよ? 飲んだらどうですか?」

「洋一はよい召喚主だな。その堅苦しい言葉遣いも要らぬ。同じように接してくれ」

 グラスを両手で抱えて、ちびりちびりと飲む雪に、洋一が疑問をぶつける。

「その……お雪が魔女として来たっていうのは、どういう意味なの?」

「洋一が世界中に散らばる禁断の書を偶然に手に入れ、魔女を召喚したであろう。それに従って自動的に担当を振り分けられた魔女がやってきたのだ。それが私だ」

「振り分けられたって……じゃあ魔女もたくさんいるの?」

「普通に生活している者には魔女は見えぬ。禁断の書を手に入れて魔女と契約をした者にしか私たちの姿は見えない。それがどの国、どの時代、どの時間であってもな。そのために多言語化してあるのだ」

 黒のノートの中に書かれていた説明書きは、そういう意味かと洋一も納得した。

「それで、お雪はどうして魔女になったの……っていうか、普通は魔女って、もっと黒いマントに黒い帽子で、使い魔の黒猫がいたり、ほうきに乗って移動したり、ドロっとした液体をかき混ぜて笑ってたり、魔法を使ったりするじゃない?」

「それは『ウィッチ』すなわち『魔法おばば』であろう。魔女協会を引退して、不老不死であった年齢をゆっくりと重ねたものが、その魔女だ。ちなみにマントや帽子などの衣装や使い魔も借りることはできるのだが、私は道着が着慣れているので断っている。魔法スティックなら身分証と一緒に協会から支給されているぞ」

 雪が腰につけた脇差を抜くと、鞘のなかから先端に星をかたどったピンク色の短い棒状のものが出てきた。

「これがそうなのだが、持ち歩くにはいささか恥ずかしいので鞘に入れているのだ」

「ほうきに乗って飛んだりしないの?」

「私はこの竹刀で飛んでいる。空いた時間に鍛錬もできて一石二鳥だ」

 雪はそばに置いていた竹刀を得意げに握る。

 むしろ自信満々の彼女の様子は、洋一には逆に珍妙でさえあった。

「そもそも、お雪はなんで魔女になったのさ?」

「私がなぜ東洋の魔女になったのか、偉そうに語る程でもないが……」

 雪は両目を閉じると、滔々と語り出した。



 あれは享保きょうほう十五年。

 魔女協会の西暦に直すと、一七三〇年だ。

 私は江戸の日本橋にほんばし茅場町かやばちょうにある、剣術道場の師範の娘として生まれた。

 上には兄が四人もいて、おなごは末っ子の私だけだ。

 当時の記憶は、物心ついた頃から、常に兄たちとともに竹刀を振るっていたことぐらいだ。

 母は幼いうちに亡くなったようだ。

 私は兄たちに囲まれ、まるでおのこのように育てられた。

 そうしているうちに、剣術の腕だけは確かなものとなった。

 父や兄には敵わぬが、腕試しをしてもそこいらのおのこたちを負かすくらいの腕前になっていった。

 同じ年頃の町娘たちが華やかな着物をつけて、綺麗な頭飾りを差していても、私はひたすらに剣術に向き合う日々であった。

 やがて、他の町の道場から鍛錬を兼ねた出稽古の申し込みがあった。

 私は兄や門下生とともに試合に参加したが、体躯たいくの大きなおのこを捻じ伏せたことで、一躍、江戸の町に噂が広まってしまった。

 剣の腕前で名のある父の道場にいて、さらに私がおなごだったというのが、市井しせいの興味をひいたのだろう。

『神がかり的な剣を使う魔女』『刀を持った天女』だなどとな。

 おなごとしての愉しみも得られず、兄たちや父と共に、道場で剣を振る日々が良いものかどうかはわからぬが、充足感はあったつもりであった。


 そうこうしている間に、私は十九になっていた。

 幼馴染の娘たちには早くも嫁いでいった者もある。

 既に男勝りとなっていた私は行き遅れてしまったのかもしれない。

 少しばかり名の通った女剣士で一生を終えてしまうのだろうか。

 ある夜、日本橋のうえから水面に写る月をぼんやりと眺めていた時だった。

 南蛮人か伴天連ばてれんのような奇妙な衣装を身にまとったおなごが、橋の欄干に腰を掛けている。

 その者は不躾に、ニヤニヤと私の方を見ているではないか。

 私は腰にあった得物を手に取った。

 真剣ではなかったが、竹刀で相手をしても充分に足る道化であろうと思った。

 そのまま、じっと相手を睨みつけていた時だ。

 南蛮人が突然に声を掛けてきた。

 私にも分かる、日本の言葉だった。

「そんな、物騒なものを下げてないで、加盟して貰えませんかね?」

「どういうことだ? 何を企んでいる!」

 私は相手の調子に巻き込まれまいと、強く声を発した。

 だが、南蛮人は飄々としたまま、会話を続けた。

「あなたが魔女なんでしょ? 巷の噂になってるみたいだから、見に来たんだけど」

「私が魔女だと言うのなら、お前は何者だ! 私より剣術に優れた者だと言うのか!」

 問いにも答えずに南蛮人は、小さく肩をすくめて侮辱してくる。

 先手を取るなら、今しかない。

 私は竹刀を握る手に力を込めて、一気に駆け出した。

 欄干に腰掛ける南蛮人に叩きつけるように竹刀を振ったが。

 その姿は一瞬にして消え失せた。

「さすが東洋の魔女。その力があれば我々と一緒に活動できます。女は勇気と度胸よ」

 竹刀の切先に南蛮人が両足のつまさきで乗っている。

 それでも私の両手は人の重さをまったく感じなかった。

 南蛮人は私を見下ろしながら、こう言った。

「魔女だという噂を聞いて、あなたを登用しにきたの。そのまま剣術道場の娘でどっかの男に嫁いで人生を終わらせるつもり? 私達と一緒に、人々の役に立たない?」

 その時、私は頭を強く殴られたような衝撃を受けた。

 それはまるで夢のような話であった。

 私がまだ見ぬ世界をこの者は知っている。

 私が知らないことをこの者は教えてくれる。

 江戸のその頃から、海を越えた西洋ではおなごがすでに自立している。

 おなご自ら、その道を拓いて生活している。

 なんとも輝かしい事ではないか。

 気づけば私は南蛮人の手を取って、魔女として活動する道を選んだ。


 そうして、およそ三百年。

 江戸幕府は無くなった。

 父上も兄上たちも、既に遠き過去の人となった。

 刀の時代から銃の時代となり、さらに世界は近代化へと歩んでいった。

 それでも、私は全国魔女協会から認定された魔女として、活動していく……。

 はずだった。

 だが、それは誤りであったとすぐにわかった。

 私が魔女と称されていたものは、それはあくまで江戸の町での剣術の腕前だったのだ。

 実際に魔女となってからは苦労の連続であった。

 魔女は加点制度で、その階位が上下する。

 主だった活動は三つ。

 まずは、秘薬や術と魔法の研究で、その功績を認められること。

 もうひとつは、魔女の普及や採用を行って、活動人員を増やしていくこと。

 最後が、召喚主の願いを叶えることだ。

 いずれも研修をしてみたが、私はどれもうまくいかなかった。

 次第に協会員からも、本部の手違いで登用されたと思われるようになり、後ろ指をさされ、陰口をたたかれ、私は肩身が狭くなっていった。

 当時から魔女といえば西洋が中心だ。

 東洋人はただひとりという、私の当時の居心地の悪さを、どうか察して欲しい。

 そうしているうちに私は洋一に召喚された。

 もう後戻りはできない。

 これ以上、失敗を続けるならば協会員の地位も魔女の能力も剥奪されると通達があった。

 不老不死であったこの寿命も、もとの人間と同じになる。

 江戸の時代でもない親族もいない、この現代に放り出されたら孤独に朽ち果てるばかりなのだ。


  

 ひとしきり話を聞き終えても、そのすべてが理解を越えていた洋一は、もはや微動だにしなくなった。

「……ということなのだ」

「えっと、それでお雪が僕の魔女として、契約をしたってことでいいんだよね?」

「そうだ。洋一が三枝亜耶と付き合えるように、私が魔女として願いを後押ししていくのだ」

「うーんと、さっきから話を聞いててもアレなんだけどさ、お雪は魔女としてどれくらいの実績があるの?」

 雪はもじもじと照れ臭そうに身体を揺すり、うつむいたまま言葉を出す。

「そうだな……直近では、三人ほど……殺している」

「こっ、ころ……契約した召喚主の願いも叶えられずに、三人も?」

 このままでは利用規約にのっとり、百日後には自分は死んでしまう。

 がっくりと肩を落とす洋一を鼓舞するように、雪は大声を出した。

「でも仕方ないのだっ! 魔女との契約とはそういうものだからな。単に願いが叶うばかりではなく、危険も負わねば旨味ばかりではつまらないではないか!」

「いや、ぜんぜん強がるところじゃないよ……」

 洋一は頭を抱えたが、雪はぐっと腕に力こぶを作る。

「案ずるな。魔女としての力は使える。洋一はなんとか百日以内に三枝亜耶と付き合えば死なぬし、私もクビを回避することができるのだからな。ともに頑張ろうぞ!」

 何の自信なのか、雪の言葉に洋一はまったく賛同できず激しく落胆した。

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