第14話 SEE OFF


「出発ですか」

「ああ」


 荷物の上にちょこんと座り、ノアが俺を見上げる。小さな相棒に手を差し出すと、慣れたようによじ登る。


「お別れの挨拶はお済みですか」

「うん。後は俺たちが行くだけだ」


 定位置の胸ポケットに収まると、ノアは「いよいよですね」と呟いた。


「……本当に俺と一緒に来て大丈夫か?」

「ええ。僕には主様が必要で、主様にも僕が必要ですから。一緒に行くのは当然のことです」

「まぁな」


 記憶の無い俺が一人だけで外に出ても危険なだけだろう。それならこの世界の常識を知っているノアが一緒に来てくれた方が心強い。


 荷物を持ち、部屋から出る。振り返ると、俺の私物が一切消えた、がらんとした部屋に一抹の寂しさを覚える。


 記憶のない俺としては、ここが唯一の家だった。


「……いってきます」


 空っぽの部屋に声がよく響いた。


 軋む廊下を進み、玄関を出る。そこから少し離れたところに眠りネズミが立っていた。


「やぁ。もう行くんだぁ?」

「はい」

「数日くらい、ゆっくりしたらいいのに」

「……決心が鈍りますから」


 苦笑するアリスに、眠りネズミは仕方なさそうに笑う。


「まずはどこの国に行くんだい?」

「……ここから近い、ダイヤの国に」

「成程。ここはハートとも近いからどっちかな、と思ったよぉ〜。それなら東だねぇ」


 腕を組んでうんうんと頷く。

 眠りネズミの言う通り、二つの国は近い。どちらに行くかはノアと二人で散々悩んだ。


 ダイヤの国よりは遠いが、西側に行くとハートの国がある。

 どちらもここから北を目指すことには変わりないが、西側の海を渡った方が次の国へ行きやすい。ならば初めは東のダイヤだ。


 眠りネズミは「ボクの知り合いはハートの国の近くにいるんだよねぇ」と呟いた。

 今でこそ外出を少なくし、人目を避けるように生活しているが、以前はあちこちの国へ寄っていたらしい。


「困ったらボクの名前をお出し。大体は協力してくれるよぉ」

「ありがとうございます」


 はにかんでお礼を言う。

 すると、眠りネズミが何か小包を差し出してきた。


「これ、持っていって」

「……なんですか、これ」


 革の小袋だ。中を開けると、数枚の紙と封筒……そして金が入っていた。三ヶ月分の食糧を買える程度には大金だった。


「それね。帽子屋のへそくり」

「えっ! ま、不味くないですか……!?」

「大丈夫だよぉ。帽子屋が投げて寄越したんだからぁ〜」


 だぼだぼのカーディガンの袖で指まで隠し、その手で口元を押さえてうふうふと笑う。

 俺は改めてまじまじと袋を見る。よく見ると帽子のマークが刺繍されていた。


「素直じゃないからね。寂しいだけなんだよ」


 そんなことを思うような人には見えなかったけど。

 中に入っていた紙と封筒の使い道が分からないほど、俺も愚鈍では無い。


「……手紙、書きます」

「ふふ、うん、待ってるよぉ〜」


 ひらり、眠りネズミが手を振る。

 その手がまるで蝶のようだと、俺はいつも思っていた。薄いカーディガンの淡い紫が透ける。


「いってきます」

「うん。いってらっしゃい」


 朝日が辺りを照らしていた。

 眩しいのか、目を細めて眠りネズミは手を振る。アリスもそれに振り返した。


 そうして前を向くと、後はもう振り返らなかった。

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さよならワンダーランド nero @nero-

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