第13話 DEPARTURE


「なんだ。チェシャ猫に誑かされたのか」


 改めて説明をすると、帽子屋はようやく納得した顔を見せた。


 誑かされた。

 チェシャ猫をまるで信用していない言葉だ。


 思わず苦笑すると、帽子屋は「猫め」と呟いて、気だるそうに椅子の背にもたれて脱力する。


「無駄に力使ったし無駄に刺された。全部猫のせいだ」

「帽子屋のせいでしょ?」


 わざとらしく片手を振って痛い痛いと帽子屋は喚く。

 それを見て眉根を寄せた眠りネズミは、敢えて怪我をしている手をつついた。瞬間、帽子屋の眉間のシワが思い切り深くなる。


「それは……マジで痛いからやめろ」

「馬鹿だねぇ帽子屋。本当に馬鹿だねぇ」

「うるせぇ」


 じゃれる二人を横目に三月ウサギが俺を手招きする。


「白ウサギの場所は分からないんだろ?」


 確信を持って尋ねたような言葉に頷く。


「トランプに会えば分かる、とだけ……」

「雑な指示だ。……ま、猫だからな」


 不愉快そうに顔を顰められる。だがいつものように癇癪を起こすわけでもない。

 三月ウサギは普段よりも比較的落ち着いた状態で、ゆっくりと俺の話を聞いた。


「一人でトランプに会いにいく気か」

「はい」

「いつ出ていく」

「……用意はできているので、今日にでも」

「後は俺らに言うだけだったってか」


 三月ウサギは自身の短髪をぐしゃぐしゃと掻き乱しながら大きな溜息を吐いた。


「はー……帽子屋、アリスがこんなに頼らねぇのはお前のせいだからな」


 ばしん! 大きな音を立てて三月ウサギが帽子屋の尻を蹴る。「何しやがるテメェ!」即座に拳が飛んできた。


「確かにねぇ。短気でツンケンしてて、頼りにくいもんねぇ。丸くなりなよ帽子屋君」

「勝手に転がり込んで勝手に出て行く自分勝手ヤローに、なんで俺が気を遣わなきゃならねぇんだ」


 帽子屋は憮然として顔を顰める。それを揶揄うように眠りネズミがつつく。


「帽子屋君、拗ねないの」

「拗ねてねぇーよ!」


 そう抗議する帽子屋は、いくらか不貞腐れたように紅茶を啜った。


「白ウサギの居場所を掴めたら、必ず報告をしに来ます」

「お前が無事に戻るならいい」

「……え?」

「無茶はするなよ」


 三月ウサギはぐしゃぐしゃと俺の頭を撫でる。まるきり子供扱いだ。

 ちょっと、と抗議するもただ笑うばかり。


 どん、と背中に衝撃が来る。振り向くと、今度は眠りネズミが抱き着いてきた。


「元気でねぇ? ボクが教えたことは、ちゃ〜んと活かすんだよぉ?」

「は、はい!」

「次はお勉強だけじゃなくてイイコトもしようねぇ!」

「アリス。悪いことは言わない。三ヶ月は戻らない方がいい」

「はい」


 恐ろしいお誘いにさっと顔を青ざめる。三月ウサギの助言には大人しく頷いた。


 最後に、ちらりと帽子屋を見る。

 未だ手を痛そうに撫で、ティーカップを見つめている。俺の方には見向きもしない。


「……白ウサギだろうがトランプだろうが知らねぇよ。勝手にしろ」


 それは俺を外に出す、確かな許可だった。

 俺は静かに姿勢を正した。そうして深く、頭を下げる。


「今まで、お世話になりました」


 頭上から帽子屋の舌打ちが降ってくる。


「クソ生意気な新入りめ」

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