第十膳『とっておきのデザートをキミに』

「〈dessertデザート〉は仏語の『食卓を片付ける』という言葉に由来するのです」

 そんな話をしているのは咖喱菩薩カリーナ

 この都の慈善団体SPICIAスパイシア(SPIritual Club for Invisible Aid)に所属する『菩薩』として、悟りを得るため今日も修行に励んでいる。腹を空かしたものを救済する、つまりは空虚を抱える者に命を吹き込み、新たな一歩を踏み出す後押しをするのが使命だ。


 へぇと興味があるとも無いともつかない、薄い相槌を返すのは、すっかり六科の店【BAR古都奈良】に居ついたチェスナ。

 手には檜の無垢材から形作られたネズミの一刀彫。小さな毛先の小筆で、色を付けているところだ。

「これはなあに? 栗鼠リスかしら」

 頬杖をついて興味深げに眺めるのは、ボックス席で咖喱菩薩カリーナの向かいに腰掛ける翠嵐すいらん。対角にいるチェスナの前には、梟や鹿といった動物の一刀彫がいくつか並ぶ。

「これは……そうね。ヒネズミと書いて火鼠かそ。向日葵の種を食べて、火を熾す能力がある」

「へえ、そんな生き物がいるのか。知らなかったな」

 と答えるのは、チェスナの向かいで寛ぐ翡翠ひすいだ。

「まさか! 架空の生き物に決まってるじゃない。いたら面白いなって想像したの」

「なあんだ。そういうことか。なかなか創造力逞しいじゃないか」

「まあ、六科のところに居ると、嫌でもそうなっちゃうのよ、きっと」

 満更でもなさそうに答えたチェスナは、改めて手元に集中を戻す。

 腹は白く、背は赤茶色に塗られた鼠の一刀彫は、瞳を残して鮮やかに彩られている。チェスナはより小さな小筆の先に、六科の瞳と同じ黒々とした呂色ろいろの絵の具をしっかりと馴染ませ、慎重に拭い落とした。


 瞳に色が宿る。

 それは魂が舞い降りる瞬間だ。


 同じテーブルの面々は、その光景を固唾を飲んで見守っていた。

「こうして見ると、何処かにいるかもしれないなって思えるから不思議だね」

 静けさを破ったのはフルク。翠嵐と翡翠の間に挟まれて窮屈そうにしてはいるものの、手のひらに収まる大きさの一刀彫がずらりと並ぶ光景を、食い入るように見つめている。

「いや、冗談抜きで新種の生き物はこんな風にして生み出されるのかも。例えば、進化の、分岐も。こんな風に、いたら面白い、こんな能力のある生き物がいたらどんな世界になるだろう、なんて想像から始まるのかもしれない」

 真剣な顔つきで語るフルクに、「だったらチェスナは創造主ってことになるわね」と翠嵐が合いの手を入れる。

 満足のいく仕上がりとなったのか、チェスナはふうと息をついて頬を緩めた。

 そして小筆と火鼠かその一刀彫をことりとテーブルに置き、「そろそろ食卓を片付ける頃合いね」と、辺りを見渡した。


 カウンター席に腰を落ち着けた薬師如来メディカの向こう側で、六科は黙々と作業を続けている。特に言葉を交わすでもない。

 並んで腰掛ける普賢菩薩フーゲンは、一体何が出来上がるのかと、ずらりと並んだグラスを不思議そうに見つめている。

 六科はご機嫌だ。

 グラスごとに、賽の目にした色とりどりの寒天ゼリーを詰め込み、それぞれの色に合わせたシロップを少しばかり。受け皿にはレースカットの薄い紙コースターを乗せ、カチャカチャと柄の長いスプーンを添えている。

 



 わたしはずっと考えてきた。

 六科がそっと差し出してくれるものは、どれもおいしい。

 わたしのためを思って作ってくれたのがちゃんと伝わってくる。

 では、わたしが六科のためにできることは何だろう? 


 『おかえり』と『いってらっしゃい』の狭間で、『いただきます』と『ごちそうさま』がある食卓と料理を用意する。そんな場所に六科は、いつまでも時が止まったように留まり続けている。

 何故かはわからない。


 わたしにできることは、ここに根を張って見守ることくらい。

 でも、それこそが大切なんだと今は思う。



 こんにちは。

 さようなら。

 此処で相まみえる者たちにとって、それは表裏一体の言葉だ。出会いに別れはつきもの。そして別れは新たな始まりとなる。


 あの亀石も大きな翼を持っていながら、今まで決して羽ばたこうとはしなかった。長い間ずっと、お荷物として、ただ背負っているだけだった。

 だがあの悲劇の別離の末に、跡形もなく、飛び立ったのだ。

 ようやくの出世。

 その名の通り、ほんとうの意味で〈飛鳥あすか〉となった。


 飛ぶ鳥が明日を匂わせる。

 これは古代からの言い伝えでもある。



 そんなことを考えながら、わたしは六科を、そしてこの場に集まる皆を見渡してから、再び手元のタブレット端末に視線を戻した。

 最後を締めくくるデザート。

 カロリーなんて気にしない、とにかく甘くて、優しい味のする、そしてパンチの効いた、そんなとびっきりのデザートの登場はきっとまもなく。

 わたしは好みをナイショにしている。

 なのに、いつだって六科にはお見通しらしい。それがまたオモシロイ。

 読みかけの物語を楽しみながら、静かに待つばかりだ。


「さて。これで準備は完了! あとはアイツが来るのを――」

「わるい! 遅くなった!」

 六科の語尾をかき消すようにカランコロンと音をさせ、開いたドアの向こうから姿を現したのは、慌てて入ってきた鉄兎だ。

「凄いタイミングですね。ピッタリじゃないですか」

 普賢菩薩フーゲンに言われた鉄兎は驚いた顔をして、ポケットから懐中時計を取り出した。そして「なんだこりゃ、早く進んでる」と今度は顔をしかめている。

「ボサッとしてないで早く座れ」

「ああ、今日はアイツの壮行式だからな」

 六科に急かされて、鉄兎はにやりと答えた。そして廃鉄鋼由来の特殊合金リサイクルアイロニーの義足を器用に操って、カウンター席に着地する。



 今日は特別な日。そういう日にはデザートがぴったりだ。

 亀石の旅の充実を祈願して、あらためてお祝いをしようというのだ。たまたま店に居合わせたフルクたちやわたしも、ついでに混ぜてもらうことになった。


 六科はまず、二つのグラスにクラッシュアイスを追加し、サイダーを注いだ。

 それぞれストロベリーレッドとエメラルドグリーンがすうっと引き上げられる。その上にバニラアイス。フレッシュミントを添えて、アイスの頭にはホイップクリームをひと絞り。その上にさくらんぼを乗せた。

 赤は翠嵐の前に、緑は翡翠の前に。互いの瞳の色でもあるその色を見て、二人は同時にほうっと吐息を漏らした。


 次に薬師如来メディカ普賢菩薩フーゲンの前には、それぞれミントソーダとレモネード。頭に乗せるものは、みな同じらしい。

 爽やかな淡いグリーンとほとんどクリアなそれらを、二人は合掌して受け取った。


 咖喱菩薩カリーナにはオレンジの寒天にジンジャーシロップのサイダー割りを、チェスナには鮮やかな濃いピンク色の青じそソーダを。二人共感嘆の声を上げたが、咖喱菩薩カリーナは慌てて合掌を付け足した。


 フルクと私の分は、ちょっと趣向を変えて炭酸ではないものらしい。それぞれ少し色味の違う、ブラウンがかったクラッシュアイスが追加される。

 フルクの元へはアイスコーヒーが注がれた方を届けられた。わたしの前にはアイスティーだ。

「玉木さん、いつも居てくれてありがとうな」

 と六科が声を掛けたところで、その場に居た面々は、ようやくわたしの存在に気づいたらしい。まあ、いつものことだ。静かすぎるからだろう。

 わたしはもう一つのボックス席の中で、有り難くグラスと六科に頭を下げ、心の中で礼を述べた。


 最後は桜シロップと花弁の塩漬けをつかった桜ソーダ。

 もちろんバニラアイスが盛られ、さくらんぼも乗せられる。最も統一感のある作品かもしれない。

 そこで、そうか、と合点がいった。

 このデザートは全て、桜井鉄兎のために仕組まれたものだったのだ。桜の塩漬けも、さくらんぼも、きっと夏を待ちわびる味がすることだろう。


 鉄兎と自分の前に、同じ仕上がりのグラスを置いた六科は、ちらりと鉄兎の方を見やった。

「前に、オマエラが突然消えちまったら、俺が寂しがるだろうって言ってたな」

「ん? そんなことも、言ったかな?」

 鉄兎はなんだ? と訝しげな顔を返す。

「ああ、言ったさ。俺は意外とちゃんと聞いてるんだ。で、その答えは……」

 今度は正面から、六科は鉄兎をまっすぐに見据えた。鉄兎は射抜かれたように一瞬の硬直を見せたものの、すぐに視線を逸してしまった。

 それでも六科は言葉を続けた。

「寂しいに、決まってるだろ。でも、喜ばしいことでもあるんだ」

「ああ……わかってる。出世、だもんな」

 その声は僅かに震えていた。隣の普賢菩薩フーゲンが、鉄兎の肩にそっと手を添える。



 六科の言葉が意味するところを正確に理解しているのは、この場では恐らく薬師如来メディカとわたしだけだろう。


 此処はいわゆる〈常世〉と呼ばれる場所だ。

 ここからの〈出世〉は、現世における〈出生〉に他ならない。


 誰しも、今自分がいる場所を〈現実〉だと解釈し、食べて美味いと感じることをはじめ、喜怒哀楽をもって、『自分は生きている』と実感する。

 でも、本当にそうだろうか。

 

 わたしがそんなふうに考えているのは、もう何度も、この世とあの世の行き来を繰り返しているからだ。

 そう。太古の昔から。

 記憶はなくとも、六科の店の、この席に座る感覚は忘れていない。細やかな気遣いを嬉しく思う気持ちも。

 六科もまた、わたしを本当の意味での〈常連〉だと認識していることだろう。


 わたしは倒木更新の如く、折を見て出世するけれど、数えるほどしか経験のない者にとっては、その一歩は大それたことだろう。

 はじめて来た者にとっては尚更だ。

 

 だからこそ、薬師如来メディカは施しを与えることで生きる活力を思い出させる慈善団体SPICIAスパイシア率いている。

 新たな生を見据え、その背中をそっと押す。

 それが彼らの使命ミッションである"Pay Forwardペイ・フォワード"の真意だ。菩薩たちはそれを悟るために日々修行を重ねている。


 一方で六科は、料理を通して、自分が楽しさを体現してみせる。

 思い描いたことの実現。

 それは生きる楽しみそのものだろう。

 それこそが、かつて六科がフルクサスの絵に感化されて見つけたなのだ。


 わたしは此処に来る度に、六科が変わらず創作を楽しんでいる姿を眺めてホッとする。

 だからこそ、此処が〈常世とこよ〉であると理解した。

 〈現世うつしよ〉を生きる者は良くも悪くも、姿形も内面も変化し続け、その生き様も移り変わる。それをうつす世を楽しむために、誰もが〈常世〉でゆったりと準備するのだ。



 此処での出会いは悲しみの果てに。

 此処での別れは期待と先に。

 一期一会ではあれど、ここでの分岐は、一生の別れではない。巡り巡って、いつかまた。次の一期はデザートのあとで十分。

 今は一緒に、この甘くておいしいデザートをたっぷり堪能しよう。

 待ちきれないように、わたしのお腹が微かにぐぅと鳴った。

 「いただきます!」と腹の虫が呼んでいる。



「亀石なら、ちゃんと餞別を受け取ってるよ。だから、大丈夫だ」

「餞別?」

 六科に視線を戻した鉄兎は、不思議そうな顔をする。


 ああ、そうだ。

 忘却のチョコレート。

 六科の【BAR古都奈良】は、そもそもチョコレートBARなのだ。


 亀石は山波を越えてゆく過程で、六科のチョコレートを齧るだろう。そして新たな街に辿り着く、つまり現世に降り立つ頃には、此処での記憶をきれいに忘れ去っているはずだ。

 なにも此処での記憶が必要のないことであるわけではない。

 前へ進むため、センチメンタルに引かれる後ろ髪を、さっぱりと切り落とす禊のようなものだと言えるだろうか。

 六科はその担い手なのだ。

 自身を忘れられたとしても、六科は覚えている。通り過ぎていった者たち全てを。


「ま、今日だけは、俺がアイツの代わりをしてやるよ」

 そういった六科は、鉄兎と同じ色をしたグラスをひょいと掲げた。

 六科はよく知っているのだ。鉄兎と亀石が、いつも決まって同じものを口にしていたことを。


 さてと、と六科は薬師如来メディカに目で合図した。

「それでは、佳き日を迎えた亀石飛鳥に。そしてこの場にいる皆に」

 リードした薬師如来メディカが六科に視線を返すと、続けて二人の声が重なった。


「「乾杯チアーズ!(超訳:いつかまた!)」」

「「「「「乾杯チアーズ!(超訳:ありがとう!)」」」」」


 各々に軽く掲げられたグラスが、この場にあらためて彩りを添えた。




―― Never End ――

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