素直じゃない、心の複雑さ?
でも、素直であることも大切な要素。
言葉にしないとわからない、だけど、言葉にしたから勘違いもされる。
ヒトの世は住みにくい。
でも、その長い夜にも、いつか必ず夜明けが来る。
そんな、いつかは、また楽しく平和なモノであって欲しいですね(#^.^#)
作者からの返信
風鈴さん、六科の心の内は一見複雑で捉えにくいですね。
でも、誰の思い通りにもならないだけで、何処までも素直すぎるのかもしれません。そういったタイプには、ヒトの世は住みにくいでしょう。
って、まるで『草枕』の冒頭のような!
ならばその続きは、少しでも寛げて住みやすくするための芸術を磨き、心を豊かにする尊さに行き着きそうですね。
楽しく平和な夜明け。
素敵なコメントをありがとうございます!
美味しそうなサクサクの天ぷらが目に浮かんでおります。
タラの芽、季節のものを頂くと元気になりますよね。
他人に提供するものは自分の舌で知っておきたいという食に対する責任も素敵です。
今でこそ、我々はスーパーで安全な食が手に入りますが、昔はそうではなかったですものね(*´ω`*)
作者からの返信
奥森さん、天ぷらのサクサクって優しいですよね。
季節のものを美味しくいただける素敵な食べ方です。新鮮なものを揚げるって贅沢ですよね♬
メディカは好奇心と生真面目が同居するようなタイプみたいです。ひたすら経験と知覚を蓄えるには、時間を味方に付ける必要がありますもんね。スーパーで手に入る食材への安心感も、そうした取り組みの賜物ですね( ´ ▽ ` )ノ
フルクサスという単語自体初めて知りました。
朱雀、白虎、玄武などの四神の中でも青龍(蒼竜)は春をつかさどるのでしたっけ。
青春、朱夏、白秋、玄冬の語源ですね。
春の味覚を味わいながら芸術に思いをはせる。趣がありますね。
作者からの返信
雪世さん、フルクサスに四神と季節の絡まりに言及いただけて嬉しいです。
『フルクサス』は食べたり乗り物で移動したりといった日常を芸術化する、流動的で時にハプニングめいた、前衛的な芸術運動の総称です。異都奈良のお話全体に通づるテーマでもあります。
またおっしゃる通り、青龍(蒼竜)は春、そして青春。彼らが駆け抜ける青春の時間、春の味覚。そしてそれぞれが表現したいこと。これらを仄めかす概念として取り入れました。
>春の味覚を味わいながら芸術に思いをはせる
こう書いていただくと、物凄く上品な雰囲気になりますね♬ありがとうございます!
蒼翠琥珀様
これは六科さんが、あの店を開くことを決める瞬間のお話でもあったのですね。
薬師如来(メディカ)さんと袂を分かち、フルクさんと出会った時。
でも、それぞれが自分の進むべき道を進みながら、またこうして会える日が来た。
それは本当に素敵なことだなと思いました。
物語の中に飲み込まれるような、そんな感覚を味わうことができました。
とても壮大で深い世界観に圧倒されるとともに、抱かれるような安らぎも感じます。
天ぷら、本当に美味しそうで、食べたくなりました(*´▽`*)
>遺伝子に刻み込まれた記憶のせい
油と糖は正にそうですよね。いや、それを言い訳に食べちゃまずのですが(笑)
作者からの返信
涼月さん、そうなのです。
様々な糸が束ねられるようにタイミングが重なり、そして解けてゆく瞬間であったこと、読み取っていただけて嬉しいです♬それぞれのリズムで歩んでゆきながらも、その波長が合えば、また邂逅するものなのだと。まさに表現したかったことです。ちょっと感激しております。
そこに抱かれるような安らぎ。やはり天ぷらの衣に包まれるような……食べられてしまいますよ。笑(注文の多い料理店的な)
ついつい言い訳を用意してしまいました(*´▽`*)
そしてこの場ですが、お誕生日おめでとうございます!
少し出遅れてしまいましたが( ´∀`)bグッ!
天ぷらの美味しさを伝えるところ。美味しそうなのは勿論、描写が凄く細やかで美しくて、「美味しい」という感覚をひとつひとつ辿ることができて、こういう描写、大好きです♬(感想がひらべったくてすみません……)
あと、タラの芽の天ぷらの味で六科さんの魅力を思うところとかも。
全体を包み込む雰囲気が素敵でした!
作者からの返信
玖珂さん、ありがとうございます!
平べったいだなんてとんでもございません。お言葉一つ一つ噛み締めて読ませていただいております。天つゆが染み出してくるようです。
ああ、タラの芽と六科を重ねて視るあたり、ご注目していただけて嬉しいです。なんかぴったりだなと。笑
包み込む雰囲気!そんな風に感じていただけて嬉しいです。天ぷら回だけに、衣で世界を包んでしまえたのかも!なんて。
何て壮大な天ぷらを味わってしまったのだろうかと錯覚してしまいました。
ひねくれた六科の中に真っ直ぐな料理への想いというものがあるのかなと思ってみたり。
タラの芽の天ぷらに、六科の強烈な個性を表現するところも味わい深いですね。
皆が、創ることを楽しめる世界、すぐそばに繋がっているかもしれませんね。
作者からの返信
出っぱなしさん、やはり騙されてくださいましたか。
一見して意識はよそに行ってましたが、目の前に天婦羅がある時は無我夢中です。笑
六科の天邪鬼と言うか、ツンデレと言うか、ひねくれた化けの皮。ひん剥いて見てやってください。タラの芽風味です。というところを拾っていただけて嬉しいです。
>皆が、創ることを楽しめる世界、すぐそばに繋がっているかも
これも言及していただけて嬉しいです。まさしくそうだとイイなと思ってお題に塩を一振りしてみました。
ごきげんよう、フルクサスさんがここで登場なんですね。不思議な世界観と妙にデジャヴを感じさせる街の情景が素敵な一篇でした。
私の母もそうですけれど、家で揚げた天婦羅やフライは小食なのに、外食でのそれらは美味しそうに食べるのが不思議で、訊ねてみると「揚げ物を調理していると、油でもうお腹いっぱいになっちゃうの」と言っていたのを思い出しました。
ムジナさんもそういうところがあるのかもなぁ、なんて(可愛いツンデレぶりが素敵でした)。
薬師さんなんですね、医食同源で救民、素敵ですけれど、ムジナさんを誘う気持ちもよく判るし、ムジナさんが淋し気に断った想いも、なんだかよく判ります。
お料理を楽しんで、それを楽しげに食べる人たちを眺めるのも楽しい。
それと振る舞うと言う行為は、きっとムジナさんにとっては違うものなんでしょうね。
タラの芽の天婦羅、ほろ苦いけど美味しいですよね。
以前、天婦羅屋さんの天婦羅と、お蕎麦屋さんの天婦羅は違うのだ、と聞いたことがあります。最初からお出汁に漬かる前提(天婦羅蕎麦、ですね)だから、衣の付け方が違うのだとか。
だからお蕎麦屋さんの天婦羅ファンの人たちがいて、天婦羅が食べたくなったらお蕎麦屋さんに行き、天婦羅蕎麦の蕎麦抜きを楽しむらしいですね。
今回も静かな、そして少しだけ(タラの芽みたいに)ほろ苦い、素敵なエピソード、ありがとうございました。
作者からの返信
しのぶさん、ごきげんよう!
ひっそりとここでフルクらしき者が登場しました。街の雰囲気にデジャヴを感じていただけて嬉しいです。やったー!
お母様のお話、わかる気がします。揚げ物に限らず……味見という名のつまみ食いのせいかもしれませんが。笑
ムジナとメディカの見ている方向は似ているのかもしれません。でも、手を差し伸べようとする範囲が違いそうですね。なによりご指摘の通りかと。
天ぷら屋さんとお蕎麦屋さんで天婦羅が違う!なんと初めて知りました。でもおっしゃる通り、理にかなっている気がします!
それぞれで揚げたて天婦羅の食べ比べをしたくなってきました。食いしん坊バンザイ!
蒼翠琥珀 様
油と糖はご馳走ですね。箸が進みます、カロリーなんて気にしないで……笑。
フルクサス、調べてみたら前衛芸術運動のことだったのですね。
作者の手から生み出された蒼龍の絵は、自我を持って流れるように何処かへ消えていくのですね。絵画を見ていると、その絵力に引き込まれてしまうことがあります。フルクサスの描いた蒼龍も、きっとそれくらいの引力があるのだろうなぁ、と勝手に想像していました。
作者からの返信
空草さん、そうですそうです。
油と糖を摂取せよと遺伝子に深く刻み込まれていますよね。笑
おお、調べてくださったんですね!
そうなのです。「流れ・変化する」という意味のムーブメント。一過性のパフォーマンスに重心をおいたアート活動だったようです。
どうやら六科にも感化を及ぼした様子。ハンバーグ回でそんな片鱗が見えていました。笑
おっしゃる通り、観客を巻き込んでゆく、そうした空間ごとアート化してしまうことがフルクサスの特徴とも言えると思います。
と言いつつ、私もそれほど詳しいわけでもないのですけれど。
作品の中で表現していければなと考えていることの一つです。