第五膳『おでかけとちらし寿司』

 朝起きて『おはよう』のあいさつをするのは、いつものことだ。どんな風にあいさつしているか?

 それは想像に任せる。


 朝ごはんを作ってもらうのも「今日の晩御飯はなに?」なんて聞くのも、もはや日課と言えるけれど、「なにが食べたい?」と聞かれたのは初めてだ。

 迷いはしなかった。


『ちらし寿司』


 「なかなか渋いリクエストだね」とフルクは怯んでいるようだったが、寿司よりはハードルが低いだろ。いや、むしろ高いか? どの程度本格的に作るかにもよる。そもそもこの山に囲まれた土地では、新鮮な海鮮魚介は手に入らない。

 まあ、どうせアイツのことだ。限られた食材で、なんとかして作るのだろう。


 オレたちはフルクの感性をそれなりに評価している。


 空間的なデザイン、それに持続的で成長が見込める仕組みづくり。とりわけその『場』の居心地の良さを構築することに長けている。

 なにしろ、フルクはあの『翡翠カワセミの森』を作った竜なのだから。

 まだまだひよっこだし、スケッチだとか言って普段はお絵かきばかりしているような奴だが、やる時はやるだろう。

 オレたちが下した勅命ミッションに対してどのように応えてくるか。

 〈変化〉すなわち〈流〉の象徴たる『東方の蒼竜フルクサス』の腕前を見せてもらおうじゃないか。



 なんて翡翠ひすいは考えているみたいだけど、実際、ワタシたちがこうしてフルクのところに居座っているのは、そういった意図があってのこと。

 良いものを創り上げるには、じっくりとアイデアを練る時間が必要不可欠。だからワタシたちは待つことを厭わない。


 でも、時折耳にする『人間』という怪異は、とにかくやっつけでも良いから仕上げてしまうことを良しとするらしい。刹那の感動を呼び覚ますものもあろうけれど、またたく間に興味が薄れ、人知れず廃棄する。

 大半がそうらしい。

 創作者よりも圧倒的に長い時間、世に留まってしまい、中には手に負えずに廃墟同然になるものもあるとかないとか。全くもって始末に悪い。せめて生み出したものと共に朽ちるくらいの心意気を見せてはくれないだろうか。

 時間にしがみつくなど以ての外。いや、泡沫さながらに生まれては消えてゆく、その生の短さ故なのか。


 ま、『人間』も『時間』も、実在するのかどうか知れないけれど。



「あのね、君たち」

 と、そんなオレたちの胸中を知るはずもなく、フルクは呆れたように溜息をつく。

「万歩譲って、ぼくを挟んで川の字で寝るのは良しとしよう。なにせ君たちは驚くほど寝付きが良いからさ。でもね」

 オレと翠嵐すいらんは揃ってフルクの方を見た。

 ガシガシと頭を掻いてから、ふうーっと長い一息をつく。そして何やら改まった顔をする。

 オレたちは瞬きもせずに、そんなフルクを真剣に見つめ続けた。

「朝っぱらから七夕ごっこよろしく、ぼくの上でいちゃつくのはやめてもらえませんかね。毎日毎日、足蹴にされる身にもなってごらんよ。ぼくはクッションじゃないんだから」

 半身を起こしたフルクは、この清々しい朝に全く似つかわしくない、うんざりした顔で言う。

 そもそもオレたちが当然のように居候していること自体、別に喜んでいるわけではないのだ。



 でも、ワタシオレたちは、こんな時の対処法を心得ている。



「「フルクー‼︎」」

「うわっ」

 同時にフルクに飛びついたオレたちは、それはもう天使さながらの眼差しで、困惑の色が混じる目の前の蒼い瞳を見つめた。フルクが『蒼竜』と呼ばれる所以は、この澄んだ瞳の色に他ならない。

「あのさ、フルク。いつもありがとう」

とオレは言う。少し照れた風に。

「ワタシたちが安心して眠れるのは、フルクのおかげなんだから」

 翠嵐はそう言ってから、フルクの胸元に顔をうずめて、ぎゅうっと抱きついた。

「そ、そうか。それは良かった。でもさ――」

「それにオレたち、この『竜の寝床』に来てから、すっごく楽しいんだ」

 潤んだ目で一瞬だけフルクをチラ見してから「ちらし寿司、楽しみにしてる」と、あえて小さな声で呟いた。

 そして待つ。


 少し間があってから聞こえた小さなため息の後、フルクはオレたちの頭に、ぽんと大きな手をのせた。

「わかってるよ」

 でもね、とフルクは断りを入れる。

「ぼくは君たちの母鳥じゃないんだからね」

 わかってるよ、そんなことは。


「まったく、名子役には敵わないな」


 フルクはやれやれと肩を竦めた。

 演技に見えたとて、ワタシたちの言葉に偽りはない。思ってもないことを口にするのは罪深いことだし、実際フルクのことが好きだ。何より、媚びることもなく、どこか対等に接してくれる存在は貴重だ。


「そういえば、ちらし寿司を作るなんて何年ぶりだろう?」

 ゆるゆると寝床から起き出したフルクは、そう言いながら存分に伸びをし、さあっとカーテンを開けた。

 東の空から昇り始めた陽の光が、フルクの榛色の髪を撫でる。

 主演をつとめてもおかしくない風貌なのに、自分のことにはあまり頓着しないのか、いつもよれよれのTシャツ姿だったりするから、なんだか可笑しい。


「どんな具材を入れようか」

「ケーキみたいなちらし寿司がいい!」

 何気なく漏らしたフルクの言葉に反応し、ワタシは咄嗟に声を上げた。翡翠の顔もぱあっと明るくなる。描いているイメージは同じだ。

「サーモンの花が咲いてるやつな」

「そうそう! あと、さやえんどうの葉っぱ!」

 フルクは興味深げにワタシたちを眺め、今度は面と向かって聞いてきた。

「錦糸卵は?」

「「もちろん!」」

「甘辛く煮た椎茸も」

「「大好き!」」

 フルクは上機嫌だ。

「海老も乗せようか。豪華にイクラも散らして。レンコンで花形の飾りを作って、あとは何で層を作ろうか」

 随分とイメージが膨らんできたらしい。きっと頭の中でスケッチブックに描き起こしているのだろう。

 これは楽しみだ。


「これだけ具材を使う料理も珍しいよね」

 コクコクと頷くオレたちに、フルクはにっこりと微笑みかける。食材の調達はそれなりに大変そうだが、お楽しみを前にすれば、それが苦になることはないだろう。


「そうだ。一緒に材料調達に行こうか!」

「「……」」

 不意に静けさが漂う空間に、フルクの嬉しそうな声が反響するかのようだ。

 しばしの膠着が過ぎる。

「ワタシたち、今日は用があるから。日が暮れる頃には戻るけど」

 翡翠ひすいと二人で、その辺りを散歩するという大切な予定が。天気が良さそうだから、涼月堂に登ってゆったりと景色を眺めるのもいい。暑くなるようだったら、かき氷でも食べに行こうか。

 と、思いつつ、申し訳なさそうな顔をすることは忘れない。


「そっか。ま、仕方ないよね」

 そう。これは仕方のないことなのだ。

 世の中には、どうしようもないことが沢山ある。それを受け止め、時に受け流し、荒ぶる波も清流も、掻き分け揺蕩ってゆくことこそ、生あるものの務めだ。


 そういうわけで。

 今日も元気に、いってらっしゃい。

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