第四膳『餃子と共同作業』
自分が好きだからと言って、相手も好きとは限らない。
そう。恋の話であり、人間関係の話でもある。まあ、食べ物の話もそうだ。
自分が美味しいと思ったものをあの人に食べさせたい。自分が作った料理で感動させたい。そんな
なのに、その想い人は自分で料理を始めてしまったらしい。
あの日以来、わたしはここに居着いて、自分にできそうなことを探すクセがついた。例えばこうしてテーブルを拭き上げる。役に立っているかどうかはさておき。
六科は決して手伝えとは言わないけれど、わたしはどうにか恩返しをしたいのだ。
山葵がツンと効いた茶漬けを食べたあの日から、ずっと。
そんなわたしの心を知ったら、六科はきっと良い顔はしないはずだ。余計な世話だという言葉とは裏腹に、追い出すことはしないだろうけれど。
季節の野草を生けた花瓶の向きを直したところで、カランコロンと音が響く。
ドアが開いた音。すなわち、客人のお出ましだ。
「ここか、フルク! ムジナの店は!」
「
二人の見目麗しい幼子の後から、長身の男が入ってくる。
「そうそう。でも、あまり騒がないで」
あ、この人だ。六科の緊張が伝わってくる。
無造作に束ねられた
左右対称で目鼻立ちの整った細面の顔立ちは、連れ立った幼子の容姿と見比べて誰もが納得するだろう。おかげで、下手をすればダラシないその姿も、ラフで格好いいと言えそうだ。ギリギリ。
って、六科の想い人って……こ、子連れなの……?
「よく来たな」
いつの間にか六科が出迎えていた。
「こんにちは。騒がしくてすみません。どうしても六科さんのところで食事したいって言うものだから。今日はよろしくお願いします」
「ああ。チェスナが席を用意してくれてるから、座って待っていてくれ」
六科がわたしをチラと横目で見る。「こ、こんにちは」と慌てて会釈し、三人の客人を先程のテーブルに案内する。
「ねえ、貴方も座ったら?」
グラスに汲んだ水を運んできたところで、幼女に促された。仲良く並んでソファに腰掛ける幼子二人の向かいに六科の想い人フルク。その隣しか空いていない。
「い、いえ。わたしは……」
何より店側の立場のつもりなのだ。
しかしそんなわたしの考えなどつゆ知らず、フルクは優しげに微笑んでポンポンと席を叩く。無碍にするのも失礼かと素直に従った。
そっくりな幼子二人の名は
だが行儀よく座りながらも、どこか会話の端々でフルクを尻に敷いているような印象を受けるから、きっと家ではやんちゃなことこの上ないのだろう。
ひとしきり雑談を交わしたところで、六科が大皿を二つ持って現れた。
テーブルにごとりと皿が乗ると、「おお!」とか「ヒマワリみたい!」などと歓声が上がる。わたしはその隙きにカウンターに用意されたタレ用の小皿を取りに走った。
が、テーブルに戻るなり「座ってろ」と
どうもうまくいかない。
これではわたしも客ではないか。六科にとっては、そうに違いないのだろうけれど。
「よし! じゃあ、ムジナも一緒に食べよう!」
翡翠が意気揚々と言うと、隣の翠嵐もコクコクと頷いた。ウルクだけが「ちょっと、君たち」と慌てている。しかし思い直したのか、くるりと六科の方に向き直る。
「あの。六科さんも、良かったら一緒にどうですか」
六科はジロリとフルクを見下ろした。これは照れ隠しだ。なんて素直じゃないんだろう。わたしは気づかないフリをして、あくまで純粋に期待を込めて、フルクと共に六科を見上げた。今日は貸し切りなんだし。
ややあって六科は黙って自分用の小皿と箸を用意し、わたしを挟む形でフルクの並びに腰掛けた。こんなにも六科のそばに寄ったことはなかったから、六科と同じくらい緊張した。
「ねえ、ムジナ。これは何?」
翠嵐が尋ねると、六科はにやりと笑った。
「これはな、ミステリー・サークルだ」
「ほう。それはそれは」
いやいや、焼き餃子でしょ。確かに盛り付けは
翡翠が真剣に頷くのを見て、フルクは苦笑している。
「ちなみにそのタレは好みで使ってくれ。ラー油やカラシを合わせても良い」
六科の
「「「いただきます!!!」」」
客人三人の声が揃う。六科は頷き、わたしもワンテンポ遅れて後に続いた。
「おお、滴る肉汁が小籠包みたいだ」
「海老がプリプリ! やっぱりアボカドと相性がいいのね」
それぞれに感想を口にした
「なるほど、僕のはえのき茸とキムチだ。流石は六科さん、考えましたね。どれに何の具が入っているか全くわからない」
「……これくらいのこと、オマエでも思いつくだろ……」
六科は称賛するフルクに冷ややかな声で返す。一方フルクはそんな六科の冷たい態度も全く気にならないのか、興味津々で断面を観察し、残りの半分を口に押し込んだ。
ふと、もしかして、という感覚がよぎる。
「ミステリー・サークルだなんて面白い発想だ。あ、これはタレを酢コショウにすると、豚挽き肉もよりさっぱりしそうですね」
「まあ、餃子はいろんなアレンジができるからな。餡はもちろん、タレだっていろいろ……」
フルクに楽しそうな笑顔を向けられ、六科の方が怯んでいる。
珍しい。
誰にでも余裕をもって強気で接する六科の、こんなにもしおらしい姿は今まで見たことがない。出会ってから間もないけれど、いつもと違っていることは明白だ。
「ねえ。貴方たち三人、そうして並んでいると、なんだか家族みたいね」
目の前の翠嵐が無邪気に言うなり、六科に緊張が走った。翠嵐は笑顔のままだが、六科はきっとジロリと睨みつけているに違いない。
「翠嵐、今度はオレの餃子に海老が入ってるぞ」
「あ、ほんと。チーズも入ってる! いいなぁ」
お構いなしに翡翠に話しかけられ、瞬く間に幼子二人の世界に戻っていく。
ぎっしりとキャベツが詰まった甘い餃子を頬張るわたしの隣で、ウルクも次々に口に運んでいる。が、不意に箸を止めた。
「む、六科さん……。これって……」
今度はフルクが動揺に打ち震えている。一体、何事なのか。
「試して……使って、みてくれたんですね」
「……俺は、オマエに頼まれたことをしたまでだ」
少し間を置いて、六科は皿に残った最後のひと粒を見つめながら答えた。それを翡翠が獲物の魚でも掻っ攫うように優雅に掬い上げ、何も付けずにパクリと齧り付く。
「お、これはフルクのスパイスパウダーみたいな風味だな。カレー味だ」
六科は黙って頷いた。
***
「フルク」
翡翠がその見た目には不釣り合いな程の厳かな声を響かせた。そして追加の皿を用意しに厨房へ向かう六科の背に視線を移す。
わたしはお手洗いにと席を立った。逡巡していたフルクも意を決したように席を離れ、六科の居る厨房に向かう。
ここは小さな店だ。カウンターの向こう側の狭いオープンキッチンに立つ六科の後ろ姿が、フルクの隣ではいつもと違って小さく非力に視える。
何でも一人でこなす六科も、生きていくために虚勢を張っているだけかもしれない。そんな風に思えた。
それにしても、あの
結局のところ、いかなる物事も人間関係もなるようにしかならないものだ。そのことをわたしに示すようだった。
『介入するな』と。
それこそが相手に対する思いやりになることもある。
良かれとの外野の計らいは、時に当事者にとっては気色の悪い好奇の視線にしかならない。翠嵐が『家族みたい』と言ったのは、その時の六科の反応をわたしに見せるためだったのだろうか。
そして少なからずフルクも動揺することを。
そう。他者のお膳立てなど、そもそも必要ないのだ。
今度は六科とフルクの二人で『
今日は二人で
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