後編
――卯二つ時。
「…………よう、待ってたぜ鬼ども」
「あ?」
蕎麦屋近辺の町と森の境目にて。
ビシャは五体の鬼と対峙していた。
得物は刀が一振り。それだけである。
鬼たちは顔を見合わせると、耐え切れないと言わんばかりに腹を抱えて笑い出した。
「ぷっ、ははははははははははははははははははははははははは!!!!!!! 阿呆だ! 阿呆がここにいるぞ!」
「男の肉は好かんが、笑わせた礼に食ってやっても良いぞ?」
「大方、木崎の噂聞いて自分でも殺れると思い上がっちまったんだろうさ。あんま、笑わないで……ぷっ、やろう、ぜ…………く、ぷぷぷ」
「おいおい。そういう笑い方のがカワイソーだぜぇ? ま、面白いのは否定しねーが」
「ハン。所詮人間だろが。さっさと殺しちまおうぜ。助けを呼ばれても面倒だ。取り分が失くなっちまう」
そう言って、一体の赤鬼が前に出てきた。
身長10尺(およそ3メートル)ほどもある鬼特有の巨躯で、小柄で4.8尺程度(およそ147センチメートル)しかないビシャを掴み取らんとする。
だが。
「……ほう、お前からでいいんだな」
赤鬼を睨むや否や、ビシャは跳んだ。衝撃によって風圧が走る。思わず、鬼たちも目をつむるほどの勢いだ。ビシャを殺そうとした赤鬼もたじろいで、手で風から顔を守る。本能的に、そういう行動をとってしまう。
それが、決定的な隙となった。
「――ア?」
赤鬼の背後から、一閃が走る。次の瞬間、痛みを感じる間もなく、赤鬼の首はするすると滑り落ちて、肉体から落下した。首から鮮血を噴かせ、身体が倒れる。
同時、ビシャが着地した。
血の雨を浴びながら、残る四体を睨む。
それはさながら、邪鬼を踏む毘沙門天がごとき形相。
「う、や、やべェ……コイツは、逃ゲッぇ――」
一体、斬る。
「畜生ッ、夢だ、こんなのユメェェェェ――ァ」
さらに一体。
「こーなりゃせめてガキ食って……や、ルゥ? あ、なん、で、地べた……」
「あ、ありえねえッ……まさか渡辺のォっ、」
最後に二体をまとめて、首を斬り落とす。
あっと言う間に、周囲は鬼の血の池と化した。
「……鬼斬り、為し遂げたり」
五体の鬼の骸を前にして、血塗れの鬼神は宣言した。
◆
――同刻。
東の白んだ空見上げ、木崎は鬼の登場を今か今かと待っていた。
……鬼斬りの男がこの町に滞在していたことには驚いたが、よもや鬼の全てが奴に殺されることもあるまい。仮に自ら宣う通りの
赤鬼は指示をちゃんと聞いてくれるか怪しいところがあるので、あまり声をかけたくはなかったのだが――致し方ない。
木崎が嘆息していると、チセが駆け寄ってきた。
「――木崎さまっ! お、鬼が、鬼が出ました!」
息を切らして、片手には抜き身の長巻(薙刀のような見た目の、柄の長い太刀)。蕎麦屋の娘らしからぬ姿に木崎はぎょっとするが、すぐさま取り繕って、鬼斬りとしての仮面を被り直す。
「なんと! では早速向かわなくては」
「ええ、お急ぎになってください! 人が、人が!」
「ああ、直ちに!」
――と、木崎は打ち合わせ通りの場所、蕎麦屋の方へと駆け出した。
だが。
「木崎さま? どちらへ行かれるのです?」
チセの呼び止める声に振り返る。
「どちらとは奇っ怪な。そんなのは無論、鬼の出た方へ――」
「私は、木崎さまが向かおうとしている方向とは、違う方から走ってきたはずですが……」
「――ハッ」
「普通、私の走ってきた方へと行こうとするはずでは。それが、それとは別の方向へ行かれる。しかも、私にどこに鬼が出たとも訊かず。まるで、鬼がどこに出るか、はじめからご存知だったかのよう」
木崎は深く息を吐き、鬼斬りの義憤に駆られる顔を捨ててチセを睨めつけた。
「……嵌めよったな、小娘」
「認めていただけますか? 鬼との共謀を」
「がははははっ!!! 応よ。認めてやるさ。だが、小娘一人の言、誰が信じるのだろうなァ?」
開き直った木崎が刀を抜く。木崎の名声は確かなものだ。チセ一人が何を言ったところで、真に受ける者はそう多くないだろう。
……だが、それでも口を塞ぐに越したことはない。
どうせ町には鬼が来るのだ。チセは鬼にでも殺されたことにしておけば良い。それにチセは女だ。切り捨てた死体は鬼の機嫌をとるのに丁度良いだろう。
下衆の企みをし、刀を抜く木崎の前で、チセは毅然とした態度を微塵も崩さぬままに長巻を振り回した。
ひゅん、と風を斬り長巻の刃先が弧を描く。
「……たしかに、告げる者が私一人であれば、私を殺しさえすれば良いのでしょう……然し!」
チセの言葉に合わせるようにして、あちこちから人が現れた。一人、二人……いや、それどころではない。最早、両手で指折り数えられる数はとうに超えている。
「な、なぜこんな朝早くから……まさか、」
「ええ。夜遅くに、一軒一軒回り、話を通させていただきました。鬼斬り木崎氏、鬼と密通の疑いあり――と」
集まった民衆の一人が大きな声で言う。
「しぃっかりと聞かせてもらったぜ木崎ィ! 手前の、本性はナァ!」
それに続くように、民衆が口々に木崎に罵声を浴びせる。昨日の歓待がウソのようだった。
まさに四面楚歌。しかし木崎はにやりと口の端を釣り上げる。
「……へ、だがよう。鬼が来ちまえばおめえらみんな、殺されるんだぜ? それでもいいのかよ……? ええ?」
「――鬼が、なんだって?」
民衆の向こうから、一人の男がやって来る。全身血塗れの、小柄な男だ。彼は片手で持っていたものをぶん、と木崎の方へ向けて投げた。
……赤鬼の首だった。
「はぁぁぁぁぁぁ!? な、なんっ、どういうことだよ、これェッ!? あ、あか、ああ赤鬼の、くくくく、び、首がなん、なんでっ……」
木崎は腰を抜かして、地面に尻をつく。赤鬼の首と、それをぶん投げた血塗れの男を交互に見て、
「――ア、てめぇっ、まさかビシャか!? 昨日の蕎麦屋の……」
「おっと、あんたが覚えていてくれるたあ意外だね。どんなもんだい? これが本物の鬼斬ってやつよ」
「ば、化け物…………」
「そんな言い分はねえだろ。俺ぁ毘沙門天の加護賜りしおにぎり太郎。一度は鬼に殺され、そして鬼を斬るために再びの生を得た。……俺が最初に切った鬼は、こいつの倍はデカかったぜ」
「……く。な、ならばもう…………!」
追い込まれた木崎が選んだのは、逃走の二文字だった。近くにいるチセを人質にとり、逃げようという算段だ。
人外の膂力を持つビシャといえど、人質を取れば迂闊に動けまい。幸いにも向こうは油断しきっている。気付かれずにチセに近寄ることなど容易なはずだ。
実際、近付くことはできた。
だが、首筋に当てようとした刀は弾かれてしまった。キン、と音が鳴る。木崎は手が痺れて刀を落としそうになる。
一方でチセは振り上げた長巻の切っ先を木崎に向け、それから流れるように振り払った。
長巻という武器の特性ゆえ、振りは遅く、大きいものとなる。だがそれゆえに衝撃も甚大である。
刃の向かう先には木崎の脚。チセはそこに僅かも勢いを緩めることなく刀身を叩きつける。
果たして、木崎の脚は脛が骨ごと断ち斬られた。
「がっあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!!!」
木崎の悲鳴が町に響く。
「逃がしませんよ。この町を、この国を脅かした咎は、きっちりと贖ってもらいます」
チセは冷たく言い放った。
長巻で大の男の脚を斬るなど、まず尋常の娘にできる芸当ではない。
だと言うのに町の者はみな、チセがしたことについて驚いた様子もない。
「……すげえな、あいつ」
感嘆するのはビシャただ一人だ。そんなビシャに向けて隣にいた男が言う。
「あの兄妹は昔っから力が強くてなあ。あいつの兄貴はこの国の家臣に取り立てられたんだ。チセも、元服したら家臣になるってぇ話さ」
「へえ……そうだったのか」
チセの立ち姿は真実、
◆
その日の昼間。
身を清め、騒ぎも一段落したところでビシャは町を去ることにした。
誰にも言わず、密やかに去るつもりだったのだが、
「ビシャさん。もう、行かれるのですね」
チセに呼び止められてしまう。
「……ああ。礼だのなんだの、面倒なのは苦手でね、とっとと退散させてもらおーと思ってよ」
「あなたのような方がいてくだされば、この国は安泰なのですが」
「それ、木崎の野郎にも言ってなかったか?」
「…………意地の悪い方ですね」
「育ちが良くねえもんでな。……正直、俺ぁ家臣とかになるつもりはねえんだ。家臣になっちまえば、鬼を好き勝手に殺して回る真似なんて、できなくなるかもしれねえ」
「……人に仇なす怪物を殺すことなのに?」
「そうだな、例えば俺がこの国の家臣になったとする。守護大名殿は『今まで通り、好きに殺して回るが良い』そう言うだろう。しかし、どこぞの国の大名とケンカになって、うちの大名殿が『どこどこの国には行くな』と俺に言ったらどうなると思う? 鬼斬りの俺に、そんな命令を出すってのがどういう意味を持つか」
チセははっとした表情で、ビシャを見る。
「まさか、そんなことが……」
「どんだけ偉かろうと人間は心の中に鬼を飼ってる。気に食わないやつの国を間接的に苦しめるため、そいつのとこだけ鬼を殺させねえようにするくらい、平気でやりかねんだろ」
「……………………」
否定することは、できなかった。
近年は幕府の権威も衰えつつあり、代わりに大名間の争いが激化している。
そんな情勢をチセは知識として知っており、そしてビシャはおそらく肌感覚として――それを知っているのだ。
「……では、ご武運を祈っております」
チセは引き止める言葉の変わりに、竹の皮で包んだ握り飯をビシャに差し出した。
「ん? こいつぁ、握り飯か」
「ええ。それは『おにぎり』とも申します。鬼斬りの、ビシャさんへの験担ぎに、と」
「おう、ありがとな」
にっこりと笑うと、ビシャはチセに背を向けて歩き出した。
「お前も、がんばれよーっ」
激励の言葉を一つ返し、悠々と。背負うものなどなにもないという気軽さで歩き去ってゆく。
その、風来坊の有り様にすこしの羨望を覚えながら――チセは見えなくなるまでずっと、その背を見送った。
(了)
おにぎり太郎 砂塔ろうか @musmusbi
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