おにぎり太郎

砂塔ろうか

前編

 ある日、婆さんが川で洗濯をしていると、どんぶらこどんぶらこと笹の葉に乗った、大きな大きな握り飯が流れてきた。


「あなや! これはこれは、もしかすると鬼の奴の握り飯! これほどの量あらば、腹一杯に食えるじゃろて、さっそく爺さんと食おうぞ!」


 婆さんが喜んで家に持って帰ると、芝刈りを終えていた爺さんもまた「なや」と仰天した。しかし、「疾く食おう」と急かす婆さんをなだめて爺さんは言う。


「……もし、これが本当に鬼の食いもんならば、具は赤子やも知れぬ」

「なんじゃと!? 鬼めが赤子を食ろうとは聞いていたが、よもやこんな、握り飯の具にするなど……外道の行いぞ!?」

「開いてみれば分かることじゃろて…………おお、やはり」


 爺さんが握り飯を割いてみると、そこには生後間も無い赤子がいた。ぐったりとしたその姿を見て、婆さんがさっと口元に手をあててみる。


「く、飯に埋もれ死ぬとはなんと……この者も、息子夫婦と同じく鬼に殺されし者。せめてわしらで弔ってやろうぞ。爺さんや」

「うむ。そうじゃな婆さんや。……とはいえ、ここも危うい。川からこの握り飯が流れてきたということは、鬼があの山の方に居を構えとる云うことじゃ。鬼どもの飯になる義理はないでの、老骨に鞭打ってでも、ここを去ろうぞ」

「そうじゃな、爺さん。この子を背負うて、皆と一緒にこの村を捨てねばなるまいて」


 その日の晩、爺さんと婆さんは赤子を背負い、村の人々と共に村を離れた。反発する者もいたが、鬼の脅威を知る者は一人としていない。結果として、誰一人欠くことなく村を発った。


 しかし。


「オォォォォォォォォォォォ――――! れの飯を返せェェェェェェェェェェェ――――!!!」


 鬼は来た。腹を空かせた鬼だったので言葉は通じない。なすすべもなく村人たちは殺され、食われ……誰もが死を覚悟した。そんなときだ。


「…………お、に」


 婆さんの背負っていた赤子が息を吹き返した。その赤子は生まれて間も無いはずであるというのに言葉を話し、そして俊敏な動きで爺さんの持つ芝刈り鎌を奪った。

 夜の闇の中である。

 事態を正確に把握できた者はただの一人としていなかった。

 赤子は目にも止まらぬ動きで鬼に突撃して行った。瞳に憎悪を燃やし、一言。


「――――おに、きるべし」


 果たして、鬼の首は刎ね飛ばされた。

 鬼の血を浴びる村人たちが呆然と腰を抜かす前。

 そこには血まみれの赤子がただ一人、その未熟であるはずの両足で立つばかり。


 かくして、鬼神のごとき力と鬼への憎しみを魂として宿すその赤子は、「おにぎり太郎」と名付けられた。


 ◆


 それから、十と六年の年月が流れ――。


 ある日、さる守護大名の治める国に、流浪の旅人が現れた。

 「鬼斬」の二文字を背負った着物纏う、無精髭の男である。腰には立派な刀が一振り。

 そんな彼を見て、民衆は口々にその名を呼び、歓待の声を上げる。


「おおっ、木崎殿だ!」

「木崎殿! あの鬼斬りの木崎殿か!」

「きゃーっ、素敵ーっ!」

「鬼が裸足で逃げ出す木崎殿あらば、町も安泰だ! どーぞどーぞ、ゆっくりしてってくんなせぇ!」


 木崎が町を歩くと、にわかに町は湧き立つ。いつもそうだ。どこに行っても、彼はこうした扱いを受けるほどになっている。その名声は、あるいは幕府の将軍、この地を治める守護大名さえも凌ぐ。


 そんな木崎がやや疲れた表情で、民衆から逃げるようにして蕎麦屋に入っていく。すると、小柄な男に声をかけられた。頬に傷のある男だ。


「大層な評判だね、あんた」


 男の前に座り、木崎はため息ついて返事する。


「……俺ぁただ、鬼を殺してるだけなんだがね。人のことをかえりみたつもりなんざ一度もねえのにこうなっちまって、少し困っちまうや」

「そういうの、まあ少しは分からんでもねえな。助けようとして助けてるわけじゃねえっての」

「なんだ、もしかしてあんたもお仲間かい?」

「おうよ。俺も同じ、鬼斬りを志すモンさ」

「俺ぁ木崎。あんたは?」

「俺はビシャってんだ。毘沙門天から取ってビシャ。……まあ、勝手に名乗ってるだけなんだけどよ」

「おいおい。怖いモン知らずかよアンタ」

「へへっ。そいつはお互い様じゃねえのか?」

「……ちげえねえ。がははは!」


 笑い合う二人のもとに、給仕を行う娘がやってきた。


「仲が良さそうでいいですね、ビシャさん。木崎さまとは御友人でしたか?」


 二人の前に蕎麦を置いて、娘は微笑みかける。そんな娘にビシャはにっこりと笑って言った。


「ああ、たった今友達になったところさ、チセ」

「左様でしたか。……えっと、その、木崎さま」

「ん?」


 少し恥じらうふうに、チセは言葉を続ける。


「……あの、鬼斬りの旅などおやめになってこの国に定住してはいただけませんか。さすれば、この国の皆も安泰かと……なにせ、木崎さまは鬼をも恐れる鬼斬りにございますから」


 頬を赤らめるチセに、木崎はがさつな手つきで頭を撫でて応じた。


「ワリィな……そいつぁできねえ相談だ」

「……理由は、お尋ね……するまでも、ありません、ね」


 しゅんとするチセにビシャが声をかける。


「分かってやってくれチセ。俺らはそういう生き物なのさ」

「ええ、はい。あなたがたは鬼を斬るために生きている。この国のためでも、愛する者のためでもなく、ひたすらに、鬼を討たんがために……」

「まあ、そういうことだ。ワリィ」


 木崎は蕎麦をすすると、皮肉げな笑みを見せた。


 ◆


 その日の夜。人のいなくなった町中をチセは歩いていた。

 無論、年頃の娘が一人で歩いていい時間ではない。勝手に家を抜け出してきたのである。

 人に見つかれば家に戻るようどやされるのは目に見えているので、人目を気にしてこっそりと歩く。そうまでして夜の町を歩くのはなぜかと言えば――


「おい。なにしてんだチセ」

「ひゃっ!? って、なんだビシャさんでしたか……」

「なんだとはなんだ。おい」

「……いえ、実は偶然にも、町を歩く木崎さまのお姿が見えましたので、あとを尾けようかと。――と、と言っても決してやましいことなど考えていませんよ。泊まるところがなければご紹介しようと思っていただけです。だけですので」

「聞いてもねえことをペラペラと……ふうん、なるほどな。この先に木崎がいるってわけか」

「ええ。ですがこの先には森以外に何もないはず……木崎さまは一体どこへ向かうつもりなのでしょう……あ、止まりました。きょろきょろと……あたりを窺ってるようですね」

「人に見られちゃ困るようなこと……女か?」

「ビシャさん!」

「しっ。何か近付いてくるぜ」


 次の瞬間、ビシャとチセは絶句した。木崎の密会相手、それは人の倍以上の巨躯を持つ怪物だったのだ。宵闇の中であろうと、人と怪物を見間違えるはずなんてない。


「……まさか……あれは、」

「ぐ、偶然です。今に木崎さまが刀で一刀両断して、見せ……て」


 木崎は現れた怪物――鬼と和やかに会話をしはじめた。内容は聞きとれなかったが、


「がははははは!」


 笑い声はしっかりと聞きとれた。しかもそのままの調子で、木崎は上機嫌に、鬼と一緒になって嘲笑してこう言ったのだ。


「バカな奴らよ! 鬼斬りだなんだと俺を持ち上げよって! 人間が鬼に叶うわけなかろうになあ! ……まあもっとも? そのバカどものお陰で俺の将来は安泰も安泰なんだが! がァーっはっはっはっは!」


 ビシャとチセの二人は、自制心を試されることとなった。義憤にかられ、衝動的に飛び出したところで、木崎と鬼を逃してしまえば状況は悪化する。

 ゆえに今は隠れ潜んだまま、様子をうかがうしかないのだ。


 怒りに震えた声を密やかに、ビシャは言った。


「……そういえば木崎の奴、昼間、やけに奉行所や見回り衆のことを気にしてたよーに見えたな。町を何周もして、あちこち見て回ってたのは鬼に襲わせるためだったのか……」

「そんな、まさか木崎さまが、鬼と共謀し、狂言を演ずることで名声を得ていたなんて……」

「金目のモンを掠め取ってる可能性もある。火事場泥棒ってやつだな。……ともあれ、このままじゃあこの町は遠からず、鬼に襲われるに違いねえ。早ければ明日にでもな」

「それは…………ええ、それだけはなんとしても防がねばなりません。ビシャさん、あなたも鬼を斬って旅しているとのことですが……協力、していただけますか?」

「こいつは驚いた。切り替えの早え娘さんだな。てっきりキーキー喚くのかとばかり」

「小娘と言えど、私はこの町を、この国を愛しているのです。懸想する方が鬼の仲間とあらば、一刀に切り捨てることに迷うことなどありましょうか。……そちらこそ、何体の鬼が襲来るか分かりませんが、迷いはないのですか?」

「へっ」


 鼻を鳴らして、ビシャは腰の刀に触れて言う。


「あなどらねえでくれ。俺は、毘沙門天の加護を賜った男。鬼斬りのために生まれた『おにぎり太郎』さ。あんな紛い物、潰すのに文句なんかねえ」


 ◆


 善は急げと云う。

 木崎と鬼が話を終えてすぐ、チセとビシャの二人も行動を開始した。

 すなわち、追跡である。

 チセは木崎を、ビシャは鬼を、それぞれ追った。

 木崎に人間の仲間がいる場合、鬼と木崎さえ討てば良いという話ではなくなってくる。そして今、鬼と接触し、おそらくは行動の計画を話し合ったばかりの木崎がそのまま、仲間のもとへ向かう可能性は高い。

 その仲間の人相と居場所を調べるのがチセの役割だ。


 また、それは鬼の方にも言える。木崎が退けた鬼が毎回一体きりとは到底考えがたい。おそらく、鬼の方は複数やって来るはずだ。

 もし、鬼も木崎と同じく旅をして回っているのだとすれば、この町の近くの森や洞窟の中に潜んで機を待ってるはずである。

 木崎に協力する鬼の群れ居場所を調べるのが、ビシャの役割だ。


 数時間後、無事に戻った二人は情報を共有した。その結果、分かったことは三つ。


 一、木崎に人間の仲間はいないと思われる。誰に会うこともなく、一人で宿に戻っていったためだ。

 二、鬼は全部で五体。大きさはどれも平均的なものばかりだが、赤鬼が三体もいる。(赤鬼はとくに好戦的で力が強く、また人間をほかの鬼より頻繁に食す)

 三、鬼たちの会話から、決行は翌朝、夜明け頃、卯二つ時(午前5時30分頃)だと分かった。


「木崎は私が相手をします」


 情報共有後、チセはそう言った。


「おいおい、娘っ子にあの男の相手が務まるのか? 名声は偽りだったが、力までもが偽物だとは限らん」

「ですが、町の皆様に木崎さまが悪党だと印象づけるには私が……彼を慕っていた私こそが、相手に相応しい」

「そりゃ……そうかもしれんが……」

「ご安心を。今現在、蕎麦屋に預けられてこそいますが私とてただの女子おなごではありませぬ。腕に覚えもありますし、きっと、奉行所へ話を通すにしてもその方が色々と楽でしょう」

「だが……」

「そも、『木崎さまが鬼と一緒に良からぬことを企んでる』……なんて話を信じてくれる方がいると思いますか?」

「それは……うむ。絶望的だろうな」


 木崎の人望は相当なものだ。町の衆に話したところで、信じてはもらえまい。


「では、決まりですね」

「……鬼を討ったら、すぐに加勢する。無理はするな」


 時間もなければ、戦力の当てもない。ビシャは渋々頷いた。


「さて、問題は鬼がどこから来るのかってことだな。チセ、あんたはどう思う?」

「と、申されましても…………そうですね。まず、木崎さまは鬼を殺してはいないのですよね?」

「だろうな。『鬼が裸足で逃げ出す』なんて言われてんだ。あいつを見た鬼は恐れおののいて逃げ出す――そういう筋書きになってんだろ。で、赤鬼が仲間であることを踏まえて考えると……木崎の野郎は鬼に何人か食われたところで登場してると見える。赤鬼は人間を食うのが好きだからな。それは確実なはずだ」

「また、木崎の方は金目のものを掠め取っていく……。どこか遠くの町で売って金にでも換えているのでしょうね」

「つーことは、金目のモンがあって人もそこそこ住んでる場所……で、奉行所や町の見回り衆の詰所から離れてるとこが理想的だな。どうだ? 心当たりは」

「むう……そう考えると一つ、心当たりがあります。でも……」

「なんだ?」

「いや、実はその心当たりというのは、私の家……あの蕎麦屋の近辺でして」

「ああ。たしかにあのあたりは子供のいる家も多かったな。しかし見たところ、武家屋敷の多かったようにも見えるが……」

「はい。それが引っかかっているのです」


 思案するビシャの脳裏に、昼の出来事がよぎる。


「――ひょっとすると、木崎の野郎、この国の武士連中に恩義を売ろうとしてんのかもな」

「え?」

「昼間はああ言ってたが、まんざらでもねえのかもしれん。旅をやめて、どっかの国に居着くってのも。民衆の人気はすでに獲得した。その上に武士の支持まで得たとなれば、家臣として取り立てられることさえ夢じゃねえ……大方、そんなとこじゃねえの?」

「なるほど。でしたら、ますます許すわけにはいかなくなりましたね……!」

「応よ。あの野郎の天下も、今日までだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る