『対決(二)』

 練武場には青龍派の門人、百人余りがことごとく伏しており、異様な空気が流れていた。


「なんやコレ……、集団食中毒かいな……?」

「んなワケねえだろ」


 セイの冗談を即座に否定すると、拓飛タクヒは近くに倒れている男の様子を確かめた。


「どや?」

「……どうやら斬られたり、殴られたりしたようじゃねえみてえだな。血が全然流れてねえ」


 拓飛の見立て通り、男に外傷はなく、まるでただ眠っているかのようである。


「斉、他の奴らも見てみろ」

「ホイホイ、ほなワイは女を見たるわ」


 二人は手分けして他の者たちも検分してみたが、やはり外傷は見られなかった。


「全員ただ寝てるだけのようやな。集団食中毒やなかったら、集団催眠かいな」

西王母セイオウボのバアさんなら、んな芸当も出来そうだが、こんなトコにバアさんが来るワケがねえ。コイツは多分、『睡穴すいけつ』を点穴されてやがる」

「なんや、『睡穴』て?」

「そのままだ。突かれたら眠っちまう経穴ツボ

「……ちゅうと、こんだけの人数を一人ひとり片付けた奴がおるゆう事かいな……⁉︎」

「そうなるな……」


 拓飛と斉は無言で顔を見合わせた。


 辺りには一滴の血も見当たらない。手を下した者が一人か、それとも複数人なのかは分からないが、青龍派の手練れ百人余りを相手取り、自らも無傷で仕遂げるとなると途轍も無い腕だと知れる。

 腕の劣る者を殺すのはさほど難しい作業ではないが、傷つけずに昏倒させるなど、かなりの実力差が無ければ到底できない事である。


「……面白えな、斉。いってえどんな奴なんだろうな?」

「アホ言うなや、全然オモんないで」


 嬉しそうに拓飛が言うと、斉は呆れた表情でつぶやいた。


「ま、残念な事にここにゃもう居ねえみてえだし、先に進むか。奥へ行きゃ誰かしらに会うだろ」

「できる事なら、この犯人には会いたないな」


 ぼやく斉を尻目に拓飛はスタスタと歩き出した。


 

 練武場を出て先へと進んだ二人だったが、結局それ以降も誰とも顔を合わせる事なく、最奥へ辿り着いてしまった。


 これまで見たものとは意匠の異なる巨大な扉の前に、門番と思しき男が二人またも倒れている。拓飛はかがみ込んで男たちの様子を窺った。


「こらまた、さっきの凄腕の仕業かいな?」

「……いや、見ろ。胸に何かで突かれた跡がある。さっきの奴とは別人の仕業だな」

「どういう事やねん? 内紛でも起こってるんか?」

「さあな、この中に入ってみたら分かるんじゃねえか?」


 そう言うと、拓飛は扉へ手を掛けた。


 拓飛が掌門の間に入ると、広間の中央に一人の男が立っているのが見えた。


「————龍悟リュウゴ! てめえ、凰華オウカはどうした⁉︎」


 拓飛がギラついた眼で凄むと、龍悟は以前見た時より一層青白い顔で静かに口を開いた。


「……この奥の間に居るが、通りたければ僕を倒す事だ」

「何い…………⁉︎」


 文句を言いかけた拓飛は龍悟の胸元が赤く染まっている事に気がついた。足元へ視線を下げると、大きな血溜まりができており、その間にも紅い円がどんどん大きくなっていく。


「龍悟、てめえ……」

「さあ……、あの時の続きと行こうか……」


 虚ろな表情で龍悟は剣を構えたが、その剣身はドス黒い色で薄ぼんやりとしてしまっている。


「お、おおい……ニイちゃん、無理したらアカン————」


 斉が心配そうに歩み寄りかけたが、拓飛の右手が遮った。


「黙ってろ、斉……」

「……ホンマ、不器用な奴らやな」


 溜め息をついて斉は脇へ下がった。


 拓飛は悠然と歩を進め、龍悟の前へ立った。


「……来いや……!」


 龍悟は感謝するようにうなずくと、右の剣を振るった。


 剣が間近に迫っても拓飛は微動だにしない。その剣は拓飛を袈裟斬りにすると思われたが、刃は左肩で止まり服を傷つけるのみに留まった。次いで龍悟は左の剣を横薙ぎに払ったが、やはり拓飛の右腰で受け止められてしまった。


 龍悟は歯を食いしばり矢継ぎ早に技を繰り出した。しかし、どんなに力を込めて腕を振るっても、拓飛の肉体に傷一つ付けられない。


 鉄を紙のように斬り裂いた名剣は鈍剣なまくらへとなり下がり、疾風のようだった身ごなしも、迅雷のようだった剣速も、今は見る影も無い。


 拓飛は血が滲むほどに強く唇を噛むと、そっと龍悟の身体を押した。その掌には全く氣が込められていなかったにも関わらず、龍悟はガクリと片膝を突いた。


「…………また、君の勝ちだな……」


 寂しげに歯を見せて、龍悟は低くつぶやいた。


「『また』じゃねえ」

「え……?」


 龍悟が顔を上げると、拓飛がその顔に指を突きつけた。


「いいか! てめえとはこれで、一勝一敗一分けだ! もっぺん万全な状態で挑戦して来やがれ! そんで見事に返り討ちにして、俺の勝ち越しで終わりだ! いいな!」


 拓飛の怒鳴り声が広間へ響き渡った。


 呆気に取られた龍悟は、乾いた笑みを浮かべた。


「ハハ……、本当に自分勝手だな、君は……」

「おう、悪いか⁉︎」


 龍悟はゆっくりと立ち上がり、拓飛の胸を叩いた。


「————頼む、『拓飛』。この先で……凰華さんと兄弟子あにでしが、あの男に囚われている。助けてやってくれ……‼︎」


 龍悟は初めて拓飛の名を呼んだ。


「任せとけ……‼︎」


 拓飛は力強く宣言して、斉と二人で奥へと進んでいった。


 二人の姿が見えなくなると、繋ぎ止めていたものが切れたように龍悟の身体が崩れ落ちる。

 床に倒れ込んだ龍悟は眼を閉じた。このまま深い眠りに落ちようとした時、誰かが血止めの経穴ツボを押してくれたのを感じた。


 ゆっくりと眼を開けると、慈愛に満ちた女性の顔がそこにあった。


「……ありがとう、ケイ……」

「…………」


 慶は涙を浮かべながら首を振ると、優しく龍悟を抱きしめた。

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